99-6 Side由志有と
突然の乱入者に、ユシア以外も驚いたのは伝わった。
即座にキサギが振り返り、ユシアの後ろを見た。間抜けな驚いた声を出して、ナギトもサクマも、何で、と呟いて、シンヤだけが呑気に片手を上げて対応する。
「それはこちらの台詞だ――ルイ殿」
居るはずのない人物の名前に、泣き顔で振り返った。
さっきまで後ろには誰もいなかった。
何故か後ろ向きで歩かされているトウゴの腕を掴むルイは呆れ顔で、同じく反対側の腕を掴んでいるルカは困惑中。訳が分からないと顔に書いてある。
「なんで、ユシアが泣いているわけ?」
「え!?ユシアが泣いているの!?俺は何もしてないから!!」
「そこで自分の無罪を主張するのが、何ともトウゴくんらしいと思うよ」
たった数か月しか離れてなかったのに、懐かしい人達の会話を聞いた。
「冷静に考えて、僕達が来る前にユシアさんは泣いていたでしょ。泣いている理由に僕達は関係ない。ということで、一旦出直す?」
「ここまで来て、普通それを言うか?」
「その前に俺を引っ張るのをやめてくれない?身体、未だに斜めなのだけど?」
遠慮がちなトウゴの提案に、視線を交わしたルカとルイは同時に手を離した。
バランスの崩れたトウゴが尻餅をつき、大袈裟に痛がる。
「酷くない!?」
「「酷くない」」
容赦ないルカとルイの声は重なった。ルカと、対照的に笑っているルイに見下ろされたトウゴは言い返せず、ゆっくりとユシアの顔色を伺う。
「あー、本当に泣いている……何かしました?」
シンヤ様、とトウゴは訊ねた。まるで友人のように、当たり前のように。問われたシンヤが視線を集め、首を傾げる。
「私は手紙を渡しただけだが?」
「「「手紙?」」」
予想外と言わんばかりに、今度は三人の声が重なった。ユシアが手にしている手紙を見て、シンヤの顔を見比べて、最初に口を開いたのはトウゴだった。
「いやいや、そのユシア宛の手紙、書いたのは半月以上前でしたよね?」
「そうだな。ちゃんとアリカ殿とトシヤ殿には、私が直接渡しても良いか聞いたぞ。許可を得て、ようやくガランスに帰って来たから渡せたわけだ」
自信満々に答えたシンヤに、ルカとルイの表情が消えた。
心なしか冷えた気温に、ナギトとサクマが遠くを眺めている。おそらくこれから起こることを見ないように目を背け、あはは、と瞳が笑っていないルイが言う。
「他の手紙は?今、どこにある?」
「失くしていないぞ。大事な手紙として扱ったからな。これから一人一人に配りに行く予定だったのだ。ちゃんと変な噂が立たないように配慮して、人のいない場所に呼び出すように手配する」
座り直したトウゴは明後日の方角を向いた。現実逃避している横顔で一言。
「つまり…どれ一つ届いていないわけだ」
それが事実。
堪忍袋の切れる音がした。
「それでここに居たわけ!人のいない場所でユシアさんに手紙を渡す為に!あー、もう!手紙を書いた意味がない!あの二人の言葉なんて社交辞令に決まっているだろ!それくらい察しろよ、この馬鹿領主の息子!!」
「日本刀を抜かなかっただけ…成長したな」
踏み出しそうとしていたルイの腕を、ルカが引き止める。
斬りつけたい、殴りたいと叫んだルイの声は響く。寧ろやっていいですよ、と同情しているナギトとサクマは如何なものか。やらかした本人は罪の意識が無い。
最短ならシノープルからガランスまで、数日で手紙を届くことをユシアも知っている。また、半月以上かかった手紙は途中で行方不明扱いとも言われている。
突拍子のないこと続きで、いつのまにかユシアの涙は引っ込んでいた。
隣に居るキサギと一緒に口を挟めず、ただただ成り行きを見守るしかない。
「うーん?」
トウゴの頭の上にちょこんとしがみついていた白い兎が、ようやく目を覚まして欠伸を一つ。寝ぼけた顔して人の姿になり、トウゴの肩に座った状態で髪を引っ張った。
「お腹すいたー」
「フルーヴ、もうちょっと我慢な」
「うーん」
「こんなことなら――トウゴくんを置いて先に帰っていれば良かった!」
最終的な結論に達したルイに、飛び火が移ったトウゴはわざとらしく嘆く。
「えー、嘘だろ?魔力使い果たして倒れたのは認めるけど、その間にコライユ家の当主様の手伝いを始めたトシヤの方が悪いって。おかげで俺が治っても、アリカちゃんまで一緒にお手伝いをしていただろ?」
「あれはあれで凄かったな。精霊達も混ざった、お手伝い」
半分呆れているルカの説明では、どんなお手伝いなのか分からない。
そこで空気を読まずに混ざるのがシンヤである。
「ほう、何をしていたのだ?」
「…城の修繕?」
「いや、それよりコライユ家の当主の使用人みたいになっていたでしょ、あの二人。トシヤくんなんて用事を頼まれれば平然とこなすし、アリカさんなんて記憶力が無駄にいいから貴族同士の間に普通に入っていたし」
「精霊様達も好き勝手にしていたよな。城に近づく怪しい奴には制裁、役に立たない貴族には悪戯。帰ろうにもコライユ家の当主様、あらゆる手を使って引き止めてくれてさ。トシヤもアリカちゃんも、同情という名の演技に簡単に引っかかり過ぎだったけど」
「あはは。敵ながら、あっぱれとでも言っておこうか」
一応、ルカから始まった会話をルイがまとめた。
ある程度は黙っていたシンヤは再び問う。
「それでよく帰って来られたのだな?」
「こき使われるのが嫌だったからな」
「僕が」
「成るほど、ルイ殿が」
「それで俺まで無理やり連れて来るのは、おかしくない?」
流れるような会話で、トウゴはため息をついた。
「それも何の説明もなしで」
「仕方がないでしょう。ユシアさんの具合が悪いから先に帰ります、なんて嘘の置き手紙を残したら、トウゴくんだけ置いていかれたかもしれない」
だけ、を特に強調したルイに、トウゴが今更驚く。周りも驚く。
今度はルカが頷き、だな、と付け加えた。
「アリカもトシヤも、トウゴのことは基本的に眼中にないからな」
「それは否定しない。てか、そんな置き手紙を残してきたのかよ。嘘だってばれたら怒られるぞ、トシヤに」
「大丈夫だよ。そろそろ各地の領主も到着するから安心して帰りなさい、とのネモ様の助言あってこその行動だもの。こっちもあらゆる手を使わないと帰れない状況だったわけで、怒られるならトウゴくんを主犯に仕立て上げるつもり」
にやっと笑ったルイの悪い顔に、トウゴは頭が痛そうだ。
目の前で繰り広げられる光景が嘘みたいで、ようやく少しずつ実感が湧く。ユシアにとって大事な家族が帰って来たのだと、皆が揃うのだと。
待ち望んだ未来を描こうとして、小さな変化に気付く。
鳥居の中の景色が揺らめいた。
鳥居の奥で、真っ赤な光の欠片が煌めいた。
突然現れた白く大きな兎が頭上を通り越し、見事に着地した途端、両手の位置を動かさずに後ろ脚を使って身体の向きを真逆に変えた。しがみついていた少年に向かって、吠えるように叫ぶ。
「ええい!小僧、さっさと落ちろ!!」
「無茶を言うなよ、無茶を。何で俺だけ落とす気でいた」
白い兎のピヴワヌが騒ぎ、その背に乗っていた少年が身を起こして言い返した。
トウゴとルイ、シンヤが名前を呼ぶ。
「トシヤ!俺は何も悪くない!だから怒らないで!!」
「僕も悪くないよ、トシヤくん。ついでに馬鹿領主の息子がアリカさんの手紙を、今この場でユシアさんに渡したよ。ねえ、どう思う?怒っていいよ?」
「私は頼まれたことをしただけだぞ。怒られる要素は一つもしていない。トシヤ殿も、そう思うだろう?」
三者三様に好き勝手言われ、流石のトシヤも話についていけなかった。
「何で俺が怒る前提の話になっているわけ?」
だってさ、と話し出したのはトウゴだったのか。ルイだったのか。
ルカは何も言わなかったが、近寄る面々に混ざって笑みを零していた。立ち止まっていたユシアとすれ違う際、行くぞ、と声をかけられる。
トシヤの前には、もう一人いた。
兎の背にまたがり、ふわふわの毛に頭を埋め、しがみついて項垂れている少女。真っ黒い髪はガランスでは、この国では珍しい。静かになったピヴワヌに、いい加減に機嫌を直せと慰められている。
久しぶりに姿を見たら、何だか少し緊張した。それはトシヤじゃなくて、もう一人の少女に対して。話しかけていいかなと、名前を呼んでもいいかなと。
そんな不安は、ゆっくりと顔を上げた少女と目が合った途端に吹っ飛んだ。
初めて出会った時のことを思い出す。トシヤの背中にしがみついて、目が合うと困った表情を浮かべて、真っ黒な瞳にユシアが映った時のこと。
あの時、予感がしたのだ。
きっと、この子は私の大事な家族のような友人になる。
それは現実になった。ユシア以上に、不安そうに瞳が揺れる。泣きそうな顔をされると見ていられない。今度はユシアから、受け取ったばかりの手紙を握りしめて声をかける。
おかえりなさい、と小さかった声は少女に届いた。
ぎこちなくも笑った顔は、出会った時と変わらない。
「ただいま、です」
そう言えたことが、亜莉香はとても嬉しかった。




