11-5
夕飯を作りながらかくれんぼの話をすると、ユシアは腹を抱えて笑った。
「あはは、トシヤ負けたの。ダサい!」
「ダサくはない。むしろ、アリカが強すぎた」
夕飯の手伝いをするトシヤが何を言っても、帰って来るなりカウンターに座ったユシアの笑いが止まらない。ユシアの笑いは茶の間にいたルカとルイにも伝染して、ソファに座っていたルイが言う。
「トシヤくん、誰よりもかくれんぼ下手だったね」
「ある意味、特技だよな」
馬鹿にするように、ソファの上で横になっていたルカも言った。
うるせえ、と叫んだトシヤが、不貞腐れながら豚汁を混ぜる。亜莉香は大根おろしを作りながら、数時間前に行われたかくれんぼを振り返った。
何故か、ルカとルイが鬼になると、亜莉香は最後まで見つけられることがなかった。トシヤが鬼になればそんなこともないが、亜莉香が鬼になったのは最後の一回だけ。
十回以上行われたかくれんぼで、トシヤは何度も鬼をすることになり、ルイが飽きるまでひたすら続いた。ルカとルイも何度か鬼になり、長々と続いたかくれんぼに飽きた、と言うよりお腹が空かなければ、もう少し続いたかもしれない。
勝者の景品の古書は、ルイから貰っていない。そもそも偽物で、白紙の古書を見たトシヤは呆れて何も言わなかったが、ルカは大激怒していた。
ずっといじられているトシヤが哀れで、亜莉香は話題を変えようと、ユシアを見た。
「それにしても、今日はユシアさん早かったですね」
「そうなのよ。今日から灯籠が売り出されたみたいで、皆買いに行ったみたい。そのおかげで、私は早く帰れたわ。うちの灯籠はいつ買う?どんなの買う?」
うきうきと言ったユシアの質問に、トシヤは素っ気なく言う。
「どうせ俺を買いに行かせるだろ。前日まで買わない」
「もう、笑い過ぎたのは謝るから、機嫌直しなさいよ」
頬を膨らませて両肘をカウンターに乗せていたユシアは、トシヤの態度に肩を落とした。くるりと後ろを振り返る。
「ねえ、ルカとルイの家では、どんな灯籠を用意していたの?」
「普通の灯籠だよ」
「それじゃあ、分からないわよ」
ユシアの質問に答えたのはルイで、ルカは持っていた本を読み始めて、話を聞いてない。まともな会話が成り立たず、呆れた顔になったユシアに、亜莉香は問う。
「灯籠は、そんなに種類があるの?」
「基本は木の枠に紙を貼った灯籠か、鉄とガラスで出来た灯籠のどちらか。貴族は石で出来た灯籠をどんと家に置くこともあるらしいけれど、庶民はそれなりの灯籠を買って、家の前に吊るすのよ」
「へえ」
亜莉香が相槌を打てば、トシヤが説明を付け加える。
「木の枠の灯籠でも、枠の形や和紙の模様が一つ一つ違ったり、鉄の灯籠でも形やガラスの模様が違ったり。祭りまでまだ時間もあるのに、早く買う人が多いよな」
「そりゃあ、年に一度のお祭りじゃない。準備は早くするものよ。それに、早く買わないと売り切れちゃうと思うでしょう?」
「当日まで灯籠を売る、俺の知り合いもいるけどな」
機嫌よく話すユシアに、トシヤは突っかかる。
笑ったり怒ったりと忙しいユシアが、トシヤを睨む。
その様子を横目で見てから、亜莉香は家に帰る前に買った秋刀魚が焼けているか、フライパンの蓋を開けた。こんがり焼けた秋刀魚の匂いに、ユシアが嬉しそうに手を合わせる。
「美味しそう!今すぐ食べたいわね」
「全員揃うまで食べない、なんて決めたのはユシアだろ。トウゴが帰って来るまで待てよ」
分かっているわよ、と口を尖らせたユシアは、食べたい、と口にしても手伝う気はない。亜莉香が一人分ずつ秋刀魚を皿に盛り、トシヤは豚汁の火を止めた。
茶碗やお椀を用意するトシヤの背中に、そう言えば、と急にユシアが声をかける。
「トシヤは、もし私とアリカちゃんが二日間いなくなったら困る?」
「何だよ、急に」
話をまともに聞いていないトシヤに、ユシアは唸った。
「今日、診療所でモモエさんから出産の時のお礼に、温泉旅行を提案されたの。毎年祭りの前に夫婦で言っていたそうなのだけど、今年は子供がいて行けないから。代わりに私とアリカちゃんで、て」
「私も言われましたね。一応、断りましたけど」
パン屋のお手伝いの時に話を中断され、お昼をご馳走になった時に言われたことを、亜莉香は思い出した。逃げるようにパン屋を出たので、すっかり忘れていた話を、ユシアは眉を寄せて話す。
「先生まで説得させられて、私も断れなかったのよ。先生なんて素敵な話だから行って来たらいい、なんて笑顔で言うのだもの」
「それは…断りづらくなりましたね」
「それなら行って来ればいいだろ?息抜きに」
トシヤが軽く言った言葉に、ユシアは深く息を吐く。
「私がいなくなったら先生が一人になるじゃない。アリカちゃんがいなくなったら、この家の食事はどうなるのよ」
「一日ぐらいどうにでもなるだろう?」
問題ない、とトシヤはテーブルに茶碗や箸を運ぶ。心配事がなくならないユシアは唸り続け、頭を抱えた。
秋刀魚の皿に大根おろしを添え終えた亜莉香には、ユシアの気持ちが分かる気がした。
行きたくないわけじゃないけど、それ以上にこの家のことが気になる。温泉旅行に行っても、きっと思い出すのは家で待っている人達のこと。一緒に行きたい気持ちもあるが、それを言ってもいいのか分からない。
何とも言えなくなって話が途切れると、黙って話を聞いていたルイが口を挟んだ。
「ユシアさん。それって、すぐ近くの温泉街の宿?」
「そうよ。中央通りから東に行ったところの、温泉街の中にある有名な宿。名前は忘れたけど、一番予約が取りにくい宿だって言っていたわ」
どうしようかな、とユシアはカウンターにうつ伏した。
何も言えなくなった亜莉香は、衣を付けた南瓜とさつま芋の天ぷらを揚げ始めた。秋刀魚の皿は何も言わなくても、台所に戻って来たトシヤが運び出す。
そうかそうか、と一人呟いたのはルイで、不意に顔を上げた。
「ユシアさん、日にちはいつ?」
「来週」
「それなら皆で温泉旅行に行こうよ」
ルイは明るく言った。うつ伏していたユシアの肩が揺れ、亜莉香は顔を上げて成り行きを見守る。
即座に眉間に皺を寄せたトシヤは、秋刀魚をテーブルに並べながら、ため息交じりに言う。
「あのな、急に宿を取れるわけがないだろ。それにアリカはともかく、ユシアは先生の許可があるから仕事を休んで行けるわけで。俺は仕事を休めない」
「えー、そんなこと言わないで。僕達は来週でも大丈夫だよね?」
僕達、と言ってルイがルカを振り返れば、ルカは話を全く聞いていない。適当に相槌を打ち、その様子からルイは勝手に解釈する。
「うん。僕とルカは大丈夫」
「いや、絶対に話を聞いてないだろ。宿はどうするんだよ」
「その点は心配しないで、何とかするから。そろそろトウゴくんも帰って来るし、トウゴくんにも聞いてみよう。あ、もしもトウゴくんが行けたら、トシヤくんは一人で留守番でもいいよ」
可愛く言ったルイに、トシヤは何とも言えない顔になる。
どうする、と言わんばかりのルイに、トシヤは腕を組んで考え始め、うつ伏していたユシアはゆっくりと顔を上げた。
見るからに、嬉しそうな顔。
皆で行くことにユシアが賛成なのは明白で、テーブルに移動する。
「ルイ。宿を取れるなら、皆で泊まれるかしら?」
「聞いてみないと分からないけど、大丈夫じゃないかな?」
「本当!それなら、皆で行けたらいいわね。今まで一度も旅行したことないから、短い二日間でも皆で行きたいわ。トシヤも勿論行くわよね」
断定したユシアはテーブルの前に座り、トシヤは呆れて言い返す。
「だから、仕事が――」
「いざとなったら、トシヤくんを拉致して連れて行こう。トシヤくんがいないと、トウゴくんの面倒みる係がいないものね」
「それもそうね」
「聞けよ!!」
トシヤの話を聞く気のないルイとユシアに、一人だけ立っていたトシヤは叫んだ。
ソファに座っていたルイもテーブルの前に移動して、トシヤが必死に旅行を阻止しようとするが、ユシアとルイは聞く耳を持たない。
楽しそうな二人を中心に、旅行の計画がどんどん進む。
どうなるのだろう、と思いながら、亜莉香は揚げたての天ぷらを盛り付ける大皿を二枚、棚から取り出した。余分な油を取り、綺麗に天ぷらを皿に盛り付け、土鍋で炊いていたご飯の蓋を開けた。
大きく、艶やかな栗炊き込みご飯は、土鍋を開けた途端に、栗の甘くて美味しそうな匂いがした。しゃもじでおこげも巻き込んで混ぜれば、匂いはさらに部屋に充満する。
栗ご飯と豚汁と、大根おろしを添えた秋刀魚の塩焼きと南瓜とさつま芋の天ぷら。
終わった、と小さく亜莉香が呟くと、玄関の開いた音がした。
タイミングを見計らったかのようにトウゴが帰って来て、顔を見合わせたユシアとルイは満面の笑顔。トシヤは眉間に皺を寄せて、ルカは本から目を離さない。
大きな足音を立て、茶の間の扉が開く。
「ただいま!いやー、今日は中央市場が混んで、店も混んで大変だった」
全く疲れていない声で、トウゴは言った。
おかえり、と揃った声は、明るいユシアとルイ、それから一人だけ不満そうなトシヤの声。おかえりなさい、と言った亜莉香の声はかき消され、トウゴと目が合ったルイが、軽い口調で言う。
「トウゴくん、来週温泉旅行に行ける?」
「行く行く!」
ノリで答えたトウゴが即座に承諾して、トシヤだけが深くため息を零す。ユシアとルイがハイタッチをして喜び、トウゴはテーブルに座った。
「何、どこの温泉?全員参加?」
「違うわよ。今のところ、トシヤだけ行くのを渋っているの。トウゴも言ってやって」
「そうなのか!行こうぜトシヤ、一緒に温泉旅行!!」
逃げようとしていたトシヤの肩に、トウゴは腕を回した。嫌がるトシヤを無視して、行く、と言うまで放さない。トシヤからたった一言を引き出すのに、茶の間の中は一層と騒がしくなった。
亜莉香は黙々と、天ぷらの大皿と人数分の豚汁を運ぶ。
土鍋も運ぼうと思ったが、意外と重たい。いつもならトシヤが手助けしてくれるが、トウゴに絡まれて動けず、ユシアとルイもその加勢で忙しい。ルカは、と視線を向ければ、騒音の中でも本を読み続けていた。
運ぼうか。誰かに助けを求めようか。
うーん、と唸りながら、腕を組んで考える。
頑なに渋っていたトシヤが承諾するまで、亜莉香の唸りは続いた。




