99-3
光が収まった時、麗良は気絶していた。
そこに居るのは麗良なのか。それとも灯を欲した闇なのか。はたまた別の誰かだろうか。意識を失って動かないのは嬉しいが、そのまま放置で良いかは迷う。薙刀を持ったまま近づくことに躊躇すると、どこからともなく聞こえた足音があった。
「これはまた…随分と派手に戦ったみたいだね」
振り返った亜莉香よりも随分と低い目線は、狼の姿の奏である。
暗い闇から現れたように、傍に居ることに気付かなかった。とても久しぶりに姿を見た気もして、いつから見失っていたかは考えないことにする。
亜莉香の横を通り越し、奏は麗良の元まで行った。
うなされている顔を覗き込むと、脇に座って尻尾が垂れる。
「この子も馬鹿だ。光だけなら兎も角、王冠の力になんて敵う筈がないのに」
「まるで最初からこうなることが分かっていたみたいですね」
「そりゃそうだ。灯や透と違って、ずっと観察していたからね。闇も光も、盾と剣の動きも、この国だって精霊だって人だって」
当たり前のように答える奏の背中を見て、亜莉香は武器を構えるのをやめた。
薙刀を消し、肩の力を抜き話しかける。
「盾と剣とは何か。ご存知ですか?」
「ローズみたいに、王冠が壊れた時に生まれた欠片かな。ローズと違って、独占や破壊を宿した可哀想な子達」
複数形には、ヒナも含まれるのだろう。
そっと視線を上げた先は塔の上。そこに居る人物を想い、奏は言う。
「君が約束を果たせば、全て解き放たれる」
「そう、ですね」
「護人の繰り返された時間も、闇を宿した彼の想いも変わり出す。きっと今度は、皆が前に進むさ。今日まで闇に怯えていた精霊達は目を覚まし、既に一部は、僕の子孫の呼びかけに答え始めた。この場も王都も他の地でも、すぐに綻びは広がる」
見てみなよ、と背中を向けたままの奏が空を見上げた。
ふわりと宙に舞う、蛍のような光を見つけた。星の光に混ざって夜空を飛ぶ。
ついでに辺りを見渡せば、亜莉香を囲っていた敵が消え去っていた。別の景色を映していた光も、おそらく麗良を気絶させた一撃により全て消えた。
一瞬、目を離しただけだった。
狼はいなくなり、一人の男性が麗良を抱き上げる。その後ろ姿は見たことがあった。真っ黒な着物を頭から被って、亜莉香より背が高くて、優しい声の主の名前を呼ぶ。
「奏さん?」
「幸運なことに、僕の子孫がここではない世界へ通じる鍵を持っているらしい。それは本来、灯が作った最終手段。それを使って僕と彼女、それからもう一人の青年は、君が約束を果たすと同時にいなくなろう」
青年が指すのは陸斗。鍵についても、思い当たる話を随分前に聞いた。
嬉しそうに話し出した奏は、決して振り向きはしない。
「奏さんは、それでいいのですか?」
犠牲になるというなら、それを止めたかった。
引き止めるようにも聞こえた問いに、勿論、と返ってくる。
「それが、僕が選んだ道だ」
君達と同じだよ、と続いた言葉は本音だろう。
今度は亜莉香が名前を呼ばれ、首を傾げて訊ねる。
「何ですか?」
「託してくれるかい?」
短いながらも何を言いたいのかは伝わった。
たった一言で、奏がいなくなる予感があった。別れの言葉もなく、もう会えなくなる人だとしても、最後くらい顔が見たかった。でも今日まで見せてくれなかったのだから、願ったところで叶えてくれるとは思えない。それに奏の笑った顔なら、灯の記憶の中にある。
だから願望は口にせず、亜莉香は微笑む。
「貴方に全てを託します」
どうかお元気で、と隠した祈りが届けばいい。
そうか、と奏は呟いた。それはとても小さく、遠くから亜莉香を呼ぶ声に掻き消された。ほんの少し気を取られた隙に、見送ることをさせなかった奏の姿が消えていた。麗良も一緒にいなくなった。風に靡いた髪を押さえて、亜莉香は消えた二人が向かった先であるはずの塔を見る。
そこでも一悶着あるかもしれない。
「アリカ!」
「トシヤさん!」
さっきより大きく聞こえた声に思考は停止し、大きく手を振って迷わず駆け寄った。その安心した顔を見て、亜莉香も嬉しくなる。一人じゃない。トシヤが来てくれることが、どれだけ心強いか。
言葉では言い表せないから、走った勢いのままに抱きつく。
「悪い、遅くなった」
「全然遅くありません。来てくれて、ありがとうございます」
しっかり抱きとめてくれたトシヤを見上げ、お互いに目が合って微笑んだ。
「それに絶対に来てくれると信じていましたので」
「そうか、無事で良かった」
「はい、トシヤさんも」
そのままトシヤの胸に顔を埋めそうになり、視界に入った人物に身体は固まる。
「…俺のこと、忘れてないよな?」
トシヤの斜め後ろ、とても居心地悪そうな透がいた。
右手人差し指で頬を掻き、またそっぽを向いて黙る。
嬉しさのあまり、頭から吹き飛んでいた羞恥心が芽生えた。自分から抱きつくという大胆なことをした自覚はあり、そっとトシヤの背中に回していた手を離す。
「アリカ?」
トシヤは離してくれない。
距離は近いまま、俯いた亜莉香の顔だけでなく耳まで赤いに違いない。
「大丈夫か?」
「だ、大丈夫、です」
答えながらも顔が見られず、宙に浮いた両手は無罪を主張するようになってしまった。透はにやにや笑い出すし、トシヤも微かに笑っている。
ますます顔を上げられなくなると、透が咳き込み、トシヤは腕を解いてくれた。
「さてさて、亜莉香。その左手の王冠について話し合おうか」
トシヤが亜莉香の隣に移動したのを見て、透は言った。
「話し合いと言われても」
することは決まっている、と続けようとして、これ見よがしに頭に乗せてみる。首を動かしても落ちないことを確認し、透とトシヤに問いかけた。
「どうですか?似合いますか?」
「小さくないか?」
「それより、頬に傷が」
王冠そっちのけで伸びた手に、落ち着きを取り戻しそうだった心臓が再び五月蠅くなる。トシヤが平然としているからこそ、亜莉香だけが一人慌てた。
「こ、これ、くらい平気ですので!」
「鶏か」
ぽつりとぼやいた透は呆れ果て、亜莉香の顔を覗いたトシヤが近い。それも心配してくれていると分かるだけに、無下に出来ない。動けない。
怪我をしたのは亜莉香なのに、トシヤの方が痛そうに顔を歪めた。何を言おうか迷って、頭が真っ白になったところで、割り込むのは一人しかいない。
「すいません。二人の世界に入るのは後にしてもらえませんか?」
白々しい棒読みながらの台詞は切実だった。
片手を挙手した透に、亜莉香から視線を逸らしたトシヤが身を引く。
「これくらい普通だろ?」
「言いたいことが分からなくもない…が!俺は亜莉香の兄なの!なんでこんな時まで、妹のラブコメを見せつけられなきゃいけないわけ!?」
「ラブ…何だって?」
通じない言葉に透が頭を抱えた。
二人の掛け合いが面白くて、両手で口を押さえても、耐え切れない笑いが漏れてしまう。さっきまで麗良と戦っていたのが嘘みたい。奏と別れたのも夢のようだ。隣にはトシヤが居て、透が居て、押し寄せる現実に息を吐く。
とても呼吸が楽なのは、きっと居心地の良い居場所にいるから。
この国が、世界が好きだと胸を張っているから。
あの、と亜莉香が話し出せば、自然と視線が集まる。
「これからのことなのですが」
軽い前置き、けれども二人は真剣に聞いてくれる。
「終わりを、手に入れようと思うのです」
頭の上に乗せていた王冠を外し、両手の上に乗せた。
上手く伝えられる自信はないが、拙い言葉でも自分の言葉で想いを届ける。
「この王冠は初代王が作ったもので、ずっと役目を終える日を待ち望んでいたから。誰かが終わりを示さなければ、またいつの日か、大きな争いが起こる。光と闇の均等が崩れてしまうから。王冠という形を失くし、全てが在るべき場所に返るべきだと」
段々と自信なさげになり下がっていた視線は、トシヤに頭を撫でられて上がった。その瞳が大丈夫だと語るから、ほっと肩の力を抜く。
透も、そうだな、と同意して笑いかけた。
「御伽噺は御伽噺のままで、真実は言いふらさなくていい」
「うん」
「やり方は、分かるか?」
優しい問いかけに、もう一度頷く。
王冠を手にした時から、どうすればいいのかは言われなくても分かっていた。胸に抱けば淡い光が宿り、心に浮かぶ言葉がある。
一つだけ、必要なものがあった。
なくても困らないけど、あるに越したことはない。それを探すと、トシヤではなく、その腰にある日本刀で視線が止まる。
「トシヤさん、日本刀をお借りしてもいいですか?」
「分かった。持てるか?」
両手で持っていた王冠に気を遣われ、悩む暇なく近くの切り株に置きに行った。
トシヤの元に戻り鞘ごと受け取って、そっと刀身を抜く。
銀色の刃が、星や月の光を反射した。金と黒で固く結ばれた柄を握れば、王冠の光のように淡く輝く。これほどまでに王冠を終わらせるのに相応しい武器はない。
千年の時を越えた武器は、とても美しい。
「で、どうするわけ?」
「そうですね」
透に促されて、王冠に向き直る。
亜莉香の意思に従って王冠は音もなく宙に浮いた。目線と同じ高さになり、最後の時を待っている。左手に持っていた鞘はトシヤが引き受け身軽になっても、日本刀を両手でしっかり握りしめても、少し緊張した両手が僅かに震えた。
深呼吸を繰り返す。王冠に集中する。
「アリカ」
右隣に来たトシヤの手が背中に触れ、名前を呼んだ。
「無理はするなよ」
「はい」
目が合って、傍に居ることを実感して緊張が薄れる。
反対側には透が立って、亜莉香の肩を軽く叩いた。
「だな。俺達がいるから、やりたいようにやれ」
「うん」
沢山の励ましより、短くても背中を押してくれる言葉に勇気づけられる。
今からだって、何も遅くはないのだろう。交わした約束は変わらず、ずっと待ち望んでいた未来がある。もう道標は必要ない。ただ心の中にある想いを紡ぐだけ。
心臓が高鳴った瞬間、夜空に瞬いたのは城より大きな広範囲の魔法の線だった。幾つもの光が集まって、幾つもの色を伴って、空に咲き誇るのは花々。
複雑な円形の中に、椿が咲いている。
真っ赤な牡丹や真っ青な瑠璃唐草も、爽やかな緑の薔薇も、桃色の桜や黄色の向日葵も。数えきれない大小様々な花が描かれた夜空が広がる。
亜莉香だけじゃなく、トシヤも透も感動していた。
これはローズがくれた祝福。
沢山の想いと力が混じった亜莉香だけの紋章。
お礼は心の中に留めた。きっと想いが届くと信じて、金の王冠を見つめて笑みを零す。長々しいことは言わない。言うつもりはない。
終わりは始まり。
ここからまた新しい時間を刻む為に、亜莉香は願いを告げた。




