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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
492/507

98-1

 時間が止まった、と言っても過言ではないくらい亜莉香は動けなかった。

 ヒナに言われた意味を考える。そこにどんな意図があるのか。そもそもヒナは精霊なのか、人間なのか。それによって主になると言っても色々違う。どんな主を望んで言ったのか聞くべきか否か、瞼を閉じ、出した結論は一つ。


 絶対に首を縦に振りたくない。


 厄介事が増える予感があり、冗談ではないのは経験から学んだ。どうやって穏便に断るか、唸った独り言が口から零れる。


「…嫌だと言いたい」

「言っているじゃない。言っておくけど、これは貴女にとって悪い話じゃないわ」

「そういうなら、その理由も説明して欲しいのですよ」


 周りには聞こえないよう、ヒナと同じく声を落としながら言った。

 離れてくれないので、顔を上げると距離が近い。ピヴワヌが肩に居たら噛みつきそうな状況だ。左手は掴まれたまま、ほぼ至近距離では目を逸らした方が負けである。

 余裕の笑みを浮かべるヒナと、その真意を伺う亜莉香。

 見つめあったのは数秒間で、不意に二人の仲に割り込んだのはウイだった。


「ねえ、お二人さん。ここで睨み合いをしていても埒が明かないと思わない?」


 亜莉香とヒナの肩に腕を回したウイは諭すように言い、そのまま腰を下ろそうとした。必然的に身体は動き、何故か三人で固まってしゃがむ。


 この状況は何だろう、と思わずにはいられなかった。

 ヒナはどう思っているのかと顔色を伺えば、鋭い視線でウイを睨んでいた。少々怖いくらいの怒りも感じる。亜莉香と同じく、流されるままに腰を下ろしたことが不満だった様子。

 目が合わなくて良かった。

 睨まれても気にしないウイは楽しそうで、それで、と亜莉香に顔を向ける。


「私には全部聞こえていたけど、中々面白い話じゃない?承諾しちゃえば?」

「そう簡単な話ですか?」

「実際は複雑で厄介だけど、アーちゃんがヒナちゃんの主になれば、少なくとも闇の力で操られることはないでしょ?アーちゃんへの負担が増えるなら止めるけど、ヒナちゃんが望んでいるのはそういう類ではない。私達の身を守る為にも、選択肢として考えて」


 そうだよね、とウイは訊ねた。無言の肯定に、なるほど、と納得しかけた。

 それに何より、と笑いを隠せない言葉が続く。


「ヒナちゃんがアーちゃんに従う姿は、ちょっと見てみたいよね」


 最早それが本音では、と言おうとして、ヒナと視線が絡んで止まる。言ってはいけない一言だと、本能的に悟った亜莉香にヒナは言った。


「従わないわよ」

「それでも私に主になれと言うのですか?」

「そうよ。貴女には従わないけど、私の主になりなさい。どうにもこうにも本来の力が出せないし、扇を貴女に渡したせいで武器がないのは不便なの」


 強気のヒナに押され気味になり、何だか申し訳ない気持ちすら覚えた。扇を渡されたのはヒナの意思とは言え、返せ、と言われたところで返せないものでもある。何とも言えない顔をしてしまった亜莉香は視線を泳がせた後、再び唸る。


 ここで主になったとして、悪い話じゃないように聞こえてくる不思議。

 ピヴワヌが居たら止めただろうが、ヒナが敵に回らないのは喜ばしいこと。一緒に戦ってくれるなら、それは願ったり叶ったりとも言える。何より亜莉香自身が生きて欲しいと願ったのだ。その為に主が必要なら、ヒナから言われなければ立候補すらした気がする。


「これはアーちゃん、凄く心が揺れているね」


 どこか他人事のウイの台詞には、曖な返事を返していた。

 揺れていると言うより、既に心は決まりかけている。どうせ左手を離してもくれないし、ヒナの顔を見上げれば、早くしろと物語る表情だ。腹を括るしかないと思いつつ、口から出たのはため息一つ。


「ヒナさんが――捻くれた性格じゃなければ良かったのに」

「貴女に言われたくないわよ」


 ばっさり言い返され、そっと視線を向けた。

 瞳に映ったのは、微笑むヒナだ。今日まで見た中で一番柔らかく、小さな花が咲いたばかりのような笑み。思わず見惚れそうで、開いた口を閉じて微笑み返す。


 話がついたのを察したウイが、肩に置いていた手を離した。

 もうどうにでもなれ、と自棄になる気持ちを隠す。

 ヒナも手を離したが、代わりに亜莉香が手を繋ぐように指を絡めた。


「【日菜】」


 途中までだが名前を呼べば、ヒナは少し目を見開いた。

 名前を呼んだだけで、亜莉香の周りの空気が変わる。

 柔らかくて温かな風が部屋を満たした。それはきっと、日菜に込められた意味を意識したせい。太陽の温かさ、黄色の花を咲かせる菜の花の可憐さ。それと気品のある桔梗を思い浮かべて、日菜桔梗と心の中で名前を繰り返す。


「【私は――貴女の主になる】」


 余計な言葉は要らない。事実を告げることが、何よりも大切だと知っている。笑みを絶やさずに言えば、真っ直ぐに見つめるヒナの瞳に光が宿った。


「【従うわ】」


 握り返された手は、少々偉そうな声とは裏腹に優しかった。


 交わした言葉にどれほどの効力があるかは定かでないが、さっさと手を離したヒナが先に立ち上がる。ほら、と差し出された手を反射的に掴み、亜莉香も立ち上がったところで特に変わりはない。

 思わず繋いでいた左手を見下ろして、閉じては開いてを繰り返す。


「さっきので、本当に私は主になれました?」

「貴女が自分で言ったでしょ。何を疑っているのよ」

「だってあまりにも実感がなくて」


 あれ、と爪が食い込んだ痕に気付く。血が滲んでいる左手のひらに痛みがなく、すっかり怪我のことなど忘れていた。麗良と対峙した時の怪我は治っておらず、ヒナと繋いでいたのも左手。

 もしかしたらヒナとの繋がりを示す何かがあるのでは、と直感が騒ぐ。


「ヒナさん――左手の怪我が治っておらずに血が付いていたのですが、ヒナさんの手にも付けてしまったかもしれません。お手を拝見致します」

「は?ちょっと!」


 早口で言い切って、問答無用で掴んだヒナの右手のひらには小さな痣。

 花びらは五枚。その色は血の色。鮮やかではなく時間が経って色褪せた赤は、手のひらをわざわざ誰かに見せることはないとは言え目立つ。精霊との契約では見て分かる繋がりなどなかっただけに、これはこれで珍しい発見だ。


「これは、牡丹の花?それとも――」


 椿、と聞こうとして、振り解かれた右手が亜莉香の頭に伸びた。がしっと掴まれたのは亜莉香のこめかみ近くで、中々に力が強い。痛いと主張しても力が強くなる。フルーヴみたいな悲鳴を上げて、亜莉香が解放されたのは数秒後。

 突き放すように後ろにも押され、即座に両手で頭を押さえた。


「何ですか?何ですか!?」

「苛ついたから」

「それだけですか!」


 酷いです、と頬を膨らませる亜莉香に対し、ヒナが嘲笑う。心底愉快で楽しそうな笑みにますます不貞腐れる。ヒナの主になった筈なのに勝てる気がしない。

 年上で背も高くで、綺麗で強かったらお手上げだ。


「大丈夫か?アリカ」


 心配で駆け寄ったトシヤには頷いたものの、頬は膨らんだまま。

 じとっとヒナを見つめ口を開く前に、背筋が凍る視線を感じた。


「…え?」


 氷の中で眠る少女の足元から流れ出すのは、凍りつくような冷気。

 ドライアイスが煙を出すように、そっと溢れては広がる冷気は無色に近い。目を凝らせばよく見えるかもしれないけど、見えなくても部屋の温度は下がった。


 心臓の鼓動が早くなって、亜莉香は視線を眠る少女を見つめる。

 少女は目を覚まさない。


 それでも確実に目覚める気配は近づいた。微かに耳の奥に響くように、氷が割れる音がする。幾つもの氷の欠片が割れて、砕ける音がする。

 忍び寄る闇も感じてふらついた身体は、トシヤが肩を支えてくれた。

 一瞬で亜莉香の顔が青白くなったのは、良くないことが起こる予感のせい。


「貴女は先に進みなさい」


 亜莉香の一歩前に出たヒナは言った。


「ここに居ても足手まといよ。王座に向かえば貴女を待っている人がいる」

「待っている人って…て、その前の一言は余計です」


 ヒナの調子がいつも通り過ぎて、亜莉香もいつもの調子で返した。

 トシヤに支えて貰わなくても、一人で立てる程度まで立ち直る。深く息を吐いてから、背中を向けたヒナ越しに眠り続ける少女を見た。


 真っ白な髪はヒナと同じ。でも、全然違う。

 眠り続ける少女を目覚めさせたくない。何も起きて欲しくない。それは叶わないと告げるヒナの背中があり、少女が目覚めれば始まる戦いが、どんなものだったのか。知っていたのは灯であり、教えてくれたのは夢の中。

 ずっと、ずっと灯に付き纏っている影があるとしたら、眠り続ける少女もその一人。灯を手に入れたかった王子のように、王子の心を欲しがった少女。誰かに好きになってもらいたい気持ちが、愛しさや独占欲が分からなくもない。


「――くだらないこと考え込まない。先に進めと言ったでしょ」


 亜莉香の思考を遮って、ヒナが繰り返した。

 動かない亜莉香を見かねた台詞で、現実に引き戻される。


「そう…ですね」

「行かないなら追い出すまでよ」

「それは無茶苦茶な話じゃないですか」


 ヒナと話していると、とても不思議なことに緊張感が減る。安心や安堵といった感情のせいじゃなくて、無駄なお喋りをして気が紛れるせい。

 何だかんだで、相性は悪くないと亜莉香は思う。

 それを口にすれば反論されるのは目に見えていた。この場をヒナに任せても良いか。トシヤと視線を交わすと無言で頷かれる。このまま居続けても仕方がない。それは同じ気持ちで、例え眠り続ける少女が目覚めたとして、邪魔者扱いされるのも分かりきったこと。


「それじゃあ、後はお願いします」

「はいはい」


 適当な返事は、とてもヒナらしい。トシヤですら苦笑だった。

 この場を任せて背を向けた一瞬、ヒナの右手に現れた光を見る。

 見間違いじゃない。小さな光は瞬き一つで雪のように白く、美しい武器に変わる。細身の日本刀を持った姿は近寄りがたく、ヒナ以上に武器の持ち主として相応しい者はいない。


 本来の力とは何か、見せつけられて理解した。

 ヒナの役目は、間違いなく剣だ。


 主となった亜莉香の進むべき道に立ち塞がる敵がいるなら、手にした武器で切り捨てる。前に進めるように、どんな状況でも道を切り開いてくれる。

 亜莉香の役目は、示された道を真っ直ぐに進むこと。


 どうかお無事で、なんて口に出す必要はなかった。

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