97-6
透を先頭に、駆け抜けた扉は塔の反対側にあった。
半開きだった扉を越えて、急停止した透にぶつかりそうになる。何とかぶつかる前に足を止め、陸斗の気配にトシヤが亜莉香を抱えて横にずれた。おかげで亜莉香は無事だったが、陸斗に突撃された透が派手に転ぶ。
「避けてくれよ!」
「わ、悪い。有川」
「謝るなら退いてくれ!」
押し倒される形で倒れた透が喚き、倒した本人は申し訳なさそうに言った。
そんな二人を飛び越えた影があり、勢いよく扉を閉める。呆然とする亜莉香とトシヤを置いて、両手を扉に当てたウイの身体が淡く光った。
「ウイ、さん?」
「ごめんね。説明は後で。今はこの扉を閉めさせて」
「でも、まだピヴワヌとサイさんが――」
最後まで言う前に、亜莉香の肩を叩く人がいた。
傍にはトウゴも立っていて、人差し指を口に当てる。静かに、邪魔をしないように指示する仕草に黙るしかない。
ぐっと魔力を込め、扉にウイの魔力が宿った。
部屋に溢れていた空気が変わる。冷え冷えしていた空気が消え、仄かに温かさを感じた。鍵穴など見当たらなかったのに、聞こえたのは鍵の閉まる音。
カチャリ、と鳴った音に、ウイは張り詰めていた息を吐いた。
「はあー、疲れる。普通は道を絶つ方が楽なのに」
扉に額をつけながら、ずるずる座り込んだウイに歩み寄ったのはトウゴだった。
お疲れ様、と言われたウイが片手を上げると、トウゴは手を貸し立つのを手伝う。その頃には纏っていた光が消えて、ただの美少女にしか見えない。
ウイが陸斗に冷ややかな視線を送ったのは一瞬で、すぐに亜莉香に微笑んだ。
「安心して。ピーちゃんもサイも、繋がりがある限り狭間を抜けられる。寧ろあのままアーちゃん達が狭間に居続ける方が危なかったの」
「精霊様と違って、人間が出入りできる場所は少ないらしいからね」
トウゴが説明を引き継いで、後ろにあった扉を振り返る。
「長時間扉を繋いでおくことは無理だし、こちら側に影響を及ぼす。実際、アリカちゃん達の気配を追って急にこしらえた扉のせいか、この部屋にもちらほら敵さんは湧いて出て来ていたわけ」
「もうちょっと遅かったら、トウゴちゃんの命が危なかったね」
それは笑いごとではないが、言われた本人は笑って同意した。
今更ながら、トウゴの右手に水で出来た長い棒があることに気付く。よく見れば淡く青い光を放つ棒を手放す気配はなく、そんなトウゴに温かな眼差しを向けるウイの右手には見慣れない小刀。どちらも戦闘後なのかもしれないと思えるのは、頬や手足に微かな傷があるせいだ。
大きな怪我は見当たらないけど、亜莉香は遠慮がちに訊ねる。
「トウゴさんもウイさんも、お怪我を治しましょうか?」
「大丈夫。近くにフルーヴがいるから」
「私に至っては見くびらないでね」
そう言ったウイは、即座に頬を拭って傷を消した。まるで最初から傷などなかったかのように。ついでに身体を見回し、他の怪我も治してしまう。トウゴはそれを羨ましそうに見ていたし、陸斗の驚く声が聞こえた。
精霊は人とは違う。
改めて亜莉香が考えている間に、傍に居たトシヤが言う。
「それで、ここはどこで何をしていたんだ?」
「見つかったから正直に答えると、宝探しかな。この部屋に知り合いの魔力を感じて、トウゴちゃんにはそれを手伝って貰っていたの」
「で、それを見つけたのはいいけど、その次の手がなくて困っていたところ」
それね、とトウゴが指を指したのは、透が座り込んでいた先だった。
亜莉香はトシヤと共に、それを見る。
狭間から繋がっていた部屋は広くない。大きな家具もない部屋で、床にも何もない部屋だけど、外から差し込む光に当てられ、壁際にあったのは大きく四角い透明な氷。
その氷の中に、閉じ込められた一人の少女。
亜莉香と年は変わらなそうに見えた。真っ白な髪を二つに結び、両手を胸の前で祈るように組んでいる。氷の中で眠っているようにも見え、全く動かない少女は髪と同じ白の着物の姿。全身白く見えるのは、きっと肌の色すら色白だから。
その顔を凝視して、目を逸らせない。
「麗良…?」
「違うわよ」
突然の乱入者に、誰もが声のした方を見た。
窓辺に腰かけている女性も、氷の中で眠る少女と同じ髪の色。違うのは着ている着物が黒いこと。片足を組んだ膝の上にはフルーヴとぬいぐるみを乗せ、呆れた口調で話し出す。
「よく見なさいよ。似ているけど違うわ」
「ヒナさん…どうして、ここに?」
「どこにいようが、私の勝手でしょう」
座るのをやめ、フルーヴとぬいぐるみをトウゴに押し付けに行く。
久しぶりとも言える再会なのに、ヒナは挨拶すらしない。友人とも仲間とも言いがたい関係で、今の状況だから亜莉香から挨拶するのは気が引けた。
ほら、とヒナの腕の中に居た一人と一体を押し付けられたトウゴも困惑気味になる。受け取るしかなくて、何も分かっていないフルーヴが嬉しそうに抱きついた。ウイまで驚いた顔をしている所を見るに、誰もヒナの登場は予想していなかったようだ。
亜莉香と共に居る人達が、状況が次々と変わっていく。
ヒナは何をするつもりなのか。何をしに来たのか。
トウゴに背を向け、一直線にヒナが向かった先は氷の中で眠る少女。その前で立ち止まり、僅かに見上げたかと思ったら亜莉香を振り返る。
「ちょっと来なさい」
命令形の口調が何だか懐かしく思えるのは、ここ数日で色々あり過ぎたせい。
嫌だとは言っていないが、おもむろに顔に出た。
早く来い、と言わんばかりに睨まれると、行かないわけにはいかない。ここで無駄な言い合いもしたくなくて、トシヤに引き止められそうになったが、一言断って駆け寄る。
様子を見守ることにした透と陸斗は、そっと部屋の隅に移動していた。
トシヤの傍にトウゴやウイが行き、駆け寄った亜莉香にヒナが言う。
「遅い」
「遅くないです。というより、彼女は誰です?それくらい教えてもらえませんか?」
ヒナ相手だと、いつもより雑な態度を出してしまう。
遠慮なく質問をぶつけると、見向きもせずに答えが返ってきた。
「彼女こそ本当の身体だと言えるでしょうね。私もこうして会ったのは初めてだけど」
「そうなのですか?」
「そうよ。だいたいこの部屋に入るには主の許可なくては入れなかったし、部屋に入っても至る所に罠も敵も潜んでいたわ。誰かしらね、それらを一掃したのは」
亜莉香なら名前を言えた。該当者は先に部屋に居たウイやサイ、トウゴだろう。答えなければ、ため息交じりの言葉は続く。
「まあ、それは誰でもいいわ。ようやく私が入れたこの場所で、彼女を殺せば残りは偽物だけになる。今度こそ息の根を止められるわね」
「そうですか」
物騒なことを言っているが、そうしないと、こちらの命を狙われる。それはもう知っている。返した相槌は自分でも驚くほどに淡々と、すぐに質問をした。
「それで、ヒナさんはどうすると?この氷、破壊するのですか?」
「そうしたいのは山々だけど、これはそう簡単には破壊出来ないでしょうね。色んな魔力を込めて封じてあるし、壊したところで今の私では反撃を喰らいそうだし。折角、絶好の状況なのに」
諦めるなんて意外だな、と思って横顔を盗み見れば、ばっちりと目が合った。
にやっと笑った顔に、嫌な予感しかしない。
「今の私なら、だけど」
「…へえ」
強調された言葉の意味を、深く考えたくなかった。
これ以上を聞いたら、何かに巻き込まれると思ったのは直感だ。耳を塞いでしまおうとした亜莉香の左手は掴まれ、逃げ腰のまま口角を引きつらせる。少し背の高いヒナには見下ろされ、亜麻色の瞳が近づいた。その瞳を綺麗だと改めて思ったのは現実逃避で、耳元でヒナが囁くように言った。
「貴女、今から私の主になりなさい」




