11-4
ケイの店を出て、家に帰る前に夕飯の買い物をして。
真っ直ぐに家に帰って、夕飯の支度をする予定だった。それはあくまでも予定で、その通りになることはなく、何故か亜莉香はルイと共に神社の中を歩いていた。
「ごめんね、買い物途中に」
「いえ、それは大丈夫ですが。その、何で私が呼ばれたのでしょうか?」
「それは着いてからの、お楽しみ」
楽しそうなルイが、足取り軽く一歩先を進む。何度聞いても、ルイは質問の回答をはぐらかす。答えてくれる気配はない。
久しぶりにやって来た神社の景色は、記憶している景色と全然違う。真っ直ぐに伸び、白や薄い灰色の、平らで長方形の石が敷き詰められた広い道は変わらないが、春に咲いていた桜や、青々と茂っていた木々は紅葉していた。
道に舞い落ちている葉は少なく、街の中より涼しい風が髪を揺らす。
後ろで腕を組んでいたルイが、不意に振り返った。後ろ向きで歩き、亜莉香に笑いかける。
「アリカさん、ここには二回目?」
「そう、ですね」
肯定しつつも、思い出したのは最初の頃にトシヤに言われた言葉。
警備隊にばれたら怒られる、と聞いたら、怒られるのが嫌で亜莉香は極力近づかないようにしていた。けれどもトシヤとルカ、ルイの三人はお構いなしで、よく神社に足を運んでいる。神社、と言う名前こそ出ないが、いつもの場所で、と言えばそれは三人の中で神社を指し示す言葉だった。
歯切れの悪い亜莉香の言葉に、ルイは勘違いして申し訳なさそうに言う。
「もしかして…最初に襲われた場所だから、足が遠のいていた?嫌なこと、思い出させちゃった?」
「違いますよ」
はっきりと言えば、ルイの表情は安堵に変わった。
ルイに言われるまで、最初にルグトリス、と呼ばれる黒い人の形をした何かに襲われたことを、すっかり忘れていた。
「前に警備隊に見つかったら怒られる、とトシヤさんに聞いていたので。神社は足を踏み入れたらいけない場所だと思っていました」
「一般的には、その認識でいいと思うよ。普通の人なら、入りたくても入れないのが、この神社の結界。まあ、入ってしまえば、警備隊だって追いかけないよ」
そういうものですか、と首を傾げれば、ルイはおかしそうに笑った。
「そういうもの。どうせ警備隊は神社の中に入れないから、そんなに気にしないで。入っていたのが見つかっても、適当に言い訳を言えば問題ない」
簡単に言ってしまうルイに、亜莉香は唸る。
「私、すぐに言い訳なんて思い浮かびませんよ」
「適当、適当。近くの林に風呂敷が飛んだ、とか。変な人がいたから追いかけた、とか。逆に不審者に追いかけられて逃げていました、とか――」
次から次へと口から出るルイの言い訳を、亜莉香は心の隅で覚える。
ルイと話ながら進んで、亜莉香は数十段の階段を上った。
門をくぐれば神社の本殿、広い境内は本来なら静かなで、神聖で、自然に満ちた空間。のはずだが、今はその中でトシヤとルカが模擬戦を行っていた。
境内に、日本刀とクナイがぶつかる金属音がよく響く。
真剣なトシヤとルカは、亜莉香とルイの存在に気付いていないのかもしれない。黙って模擬戦を見守るルイの隣で、亜莉香は境内の中を見渡した。
本殿手前の両脇の桜の木も、遠くに見えて連なっている山も、全て色鮮やかな秋の色。
蘇芳色の着物のトシヤの方が境内に馴染み、ルカの姿は全体的に黒い。
高い位置で一つにまとめている長い髪は紅色で、瞳は深い紫だけど、着物は藍色を帯びた灰色、袴もブーツも真っ黒だ。
ルカとは対称的に、亜莉香の隣のルイは全体的に白い。
春は桜、夏は金魚、秋には楓の葉の綺麗な髪飾りを付けていたルイは、桃色の髪を半分まとめている。着物は矢羽根柄の灰色がかった桜色と白で、鮮やかな花が散らばっていた。色の濃い緑の葉のような、常磐色の袴に、黒のショートブーツ。
誰よりも可愛く、美少女に間違えられるルイは、息を吸いこんだ。
「きゅうけーい!!」
終わりそうにない模擬戦に、ルイは叫んだ。
驚いたのは亜莉香だけじゃなくて、模擬戦を行っていた二人も同じ。ルイの声に木々に止まっていた鳥達が羽ばたき、少しの間辺りは静寂になった。
あまりの静けさに、クナイでトシヤの首を狙っていたルカが、呆然とした顔で振り返る。
「…なんだよ。驚いた」
「急に叫ぶな」
深く息を吐いたのはトシヤで、ルカの攻撃が止まったのを確認してから、構えていた日本刀を下げた。肩の力を抜いて、振り返った先にいた亜莉香の姿に、トシヤが問う。
「なんでアリカがいる?」
「僕が連れて来た。僕の勇姿を見てもらおうかな、なんて」
「それでここまで連れて来ることないだろう」
ルイの冗談に、ルカが真面目に答えてため息を零す。
にこにこ笑っているルイは、誰かが話を振らないと、そのままルカを騙したまま話を続けてしまう。そうなると話が脱線してしまうので、亜莉香は遠慮がちに言う。
「あの、私が本当に呼ばれた理由は何ですか?」
「あ、うん。模擬戦にも飽きてきたから、たまにはかくれんぼして、遊ぼうと思って。人数多い方が、楽しいでしょう?」
「えっと…それも冗談ですか?」
「これは本気の話。模擬戦の息抜きにかくれんぼをしたくなったんだけど、人数が足りないから、アリカさんを探しに行ったの」
「そのために、普通ここまで連れて来るか?」
傍までやって来たトシヤが呆れて言えば、ルイは楽しそうに言い返す。
「だって、アリカさん以外の適任者が思いつかなくて。三人だとすぐ終わりそうだと思ったし、たまにはいいでしょ?僕が最初の鬼をするから、皆は神社内に隠れてね。林の中もあり、鳥居から出るのは禁止」
どう、とルイが首を傾げれば、トシヤとルカの渋い顔。
仕方がない、と言わんばかりにルイは腕を組んだ。
「折角、アリカさんを連れて来たのに。何もせずに帰ってもらうのか。困ったなー。景品も用意したのに、無意味だったかなー」
「棒読みで言うな」
トシヤの言葉に、ルイは笑みを浮かべた。トシヤは全く興味を示さないが、景品、の言葉にルカの目が光る。
「景品は?」
「お、ルカ。やる気出た?景品はね、これ」
これ、と言ってルイが胸元から取り出したのは、一冊の古書。
表紙からして古く、今にも破けそうな古書を見るなり、ルカがルイの元に駆け寄って、古書を奪おうとした。奪われる前に古書を胸元に隠して、ルイは突進して来たルカを軽々と受け流す。
転びそうになったルカを放って置いて、ルイはトシヤに言う。
「景品に、興味はない?」
「そもそも俺は本に興味ない」
「そうかな?この本の中には、トシヤくんが知りたい黒い存在について書いてあるけど、それでも興味ない?」
ルイの言葉に、トシヤの目の色が変わった。少しだけ、興味を引かれた模様。
「景品がもらえる条件は?」
「それは簡単。僕が飽きるまで鬼ごっこをして、鬼になった回数が一番少ない人が勝ち。最初に見つかった人が次の鬼で、見つかった人は鬼に協力すること。どうかな?」
「「乗った」」
即座にトシヤとルカが言った。
亜莉香はまだ承諾していないのに、きっとこのまま流れで参加することになる。それはそれで楽しいが、話が進むのが早いと時々付いていけなくなる。
それは今回も同じで、ルイが両腕で深い緑色の瞳を隠した。
「じゃあ、数えるよー」
いーち、にーい、とルイは空を見上げて叫ぶ。
数え始めたルイの姿に、ルカが最初に動き出す。迷っていた亜莉香はトシヤに背中を押され、深く考える間もなく、その場を離れた。
林の中で隠れる場所を探していると、木の上にいたルカと目が合った。
「ルカさん…そこはよく見えますよ?」
「それくらい分かる!」
図星を言われて、ルカの顔が一気に赤くなった。亜莉香がやって来ることは予想外だった様子で、少し迷ってから右手を差し伸べられた。
「アリカこそ、隠れる気がないなら、上るか?」
「いいのですか?」
「今ならルイは近くにいないから。近くに来たら、俺はアリカを囮にして逃げる」
「私は囮役ですか」
亜莉香は差し伸べられた手を握った。ルカに助けてもらうが、何度か失敗した。ルカの隣で太い枝に座れた頃には、体力がなくなって息が上がる。
「意外と…木登りは疲れますね」
「いや、アリカの体力がなさすぎるだろ」
「これでも、最初の頃よりは体力ありますよ。でも、初めて木に上りました」
額に汗をにじませ、深く息を吐けば、ルカは首を傾げた。
「子供の頃、木登りしないのか?」
「しませんよ。ルカさんはよく木登りしましたか?」
「まあな。昔は木登りだけじゃなくて、かくれんぼも、鬼ごっこも。何をするにもルイと一緒に遊んでいた」
ルカが自分の話をするのは珍しく、亜莉香は気になっていたことを尋ねる。
「景品は…ルカさんも読んだことのない書物、ですよね?」
「そう。あれは、ルイの家に代々伝わる古書。俺ですら読んだことがないのに、先にトシヤに読ませて堪るか」
トシヤに対して、あからさまな敵意を剥き出しにしている。言葉を選びながら、亜莉香は口を開いた。
「ルイさんなら、ルカさんの読みたい本を何でも渡していると思っていました」
「いや、あいつは性格悪いから」
あまりにもはっきり言われて、亜莉香は言葉に詰まった。
ルカは苦々しく、話し出す。
「昔から、人をからかって、馬鹿にして。笑顔で人を油断させるのが趣味みたいな奴だ。大事な古書を景品にするなんて、頭のネジがぶっ飛んでいるんだよ」
「すごい…言われようですね」
小さな声で亜莉香が言っても、ルカには届かない。
「大体、あの古書をどうやって手に入れたんだよ。厳重に保管して、誰にも読めないようにされているはずなのに。ルイはいつあっちに行ったんだ?気配が離れるようなことはなかったのに――」
ぶつぶつと独り言を呟き、腕を組んでルカが考え始める。
何を言ってもルカには声が届きそうにないので、亜莉香はぼんやりと空を見上げた。微かに涼しい風が頬を撫で、鳥の声が遠くに聞こえる。
のんびりとした時間を過ごしていると、不意にルカは顔を上げ、視線を林の中に向けた。
「ルイがこっちに来る。俺は逃げるけど、アリカはどうする?」
「音、しましたか?」
亜莉香の質問に、ルカはにやりと笑った。答える気はないと言わんばかりの顔は、ルイとよく似ている。少し考えた亜莉香は、肩の力を抜く。
「もう暫く、ここに隠れます。囮になるかは分かりませんが」
「了解。俺は行くな」
軽く飛び降りて、ルカは振り向くこともなくいなくなった。
亜莉香にはどこからルイがやって来るのか全く分からず、書物に関してもトシヤやルカのように興味があるわけじゃない。読めればいいかな、とは思うが、どうしても読みたいわけじゃない。
自然の中で息をする気持ちが良く、亜莉香は木に寄りかかる。
かくれんぼなんて久しぶりで、誰かと遊ぶのも久しぶり。古書に関してはトシヤとルカのどちらかが読めばいいと思うので、別に早々に鬼に見つかっても構わない。
構わないが、亜莉香が鬼になると問題が浮上。
他の三人を見つけられる自信はない。
「適当に、見つけて欲しいけど――」
けど、と口にして、木の上に座っている事実を思い出す。
「どうやって…下りればいいのだろう」
当面の問題を口に出すと、早く鬼に見つけてもらいたい気持ちが強くなった。




