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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
488/507

97-3

 透の声がよく響き、亜莉香は少し驚いた。そんなに大きな声を出さずとも聞こえている。汗を拭いながら近づいて来る透をまじまじと見て、少し首を傾げた。


「透は、元気そうだね?」

「来るのが遅いぞ」

「それで、次はどうする?」

「小僧!ちょっとは休ませろ!」


 胡坐を掻いて座り込んだピヴワヌが言い、トシヤは聞き流した。休む暇を与えないトシヤを透も気にせず、何てことなく近づいて話し出す。


「いやー、お前ら三人一緒で安心したわ。何で俺だけ一人にさせられるかね。狭間に一人は心臓に悪い」

「ここ、狭間なの?」

「違うのか?」


 疑問を疑問で返され、亜莉香はよく考えた。

 狭間と言われれば納得することもある。この場にいたはずの人達がいない。灯の記憶の中の仲間が、裏門を守っていた警備隊の人達の姿がどこにもない。


 トシヤと眺めていた社は、ぽつんと佇む。

 古い木材で作り上げられた社。半径一メートルもない三重の結界に囲まれ、その結界の中には黒い土だけ。傍には草もない社であるが、その社から感じる空気は以前とは違う。


 闇の世界に繋がる裏の門には見えなかった。

 何の変哲もない普通の社と言われた方が頷ける。


 狭間、と小さく呟けば、透が頭を掻きながら辺りを見渡した。


「再現と言われたから、誰かの記憶を元に作られた場所だと思った。実際、他の奴らの声はするのに姿は見えなかったし、お前達以外の誰にも会わなかった。所々曖昧になっている箇所も多くて、意図的に誰かの思惑通りの世界が作られたような。そんな場所は現実世界ではなく狭間の方が作りやすい」


 透なりの意見を述べ、それに、と亜莉香に向けて言った。


「俺達が、過去に戻れるわけがないだろ?」


 それが全てだと口には出さない。

 ただ事実だけを伝え、その瞳が映すのは千年前の記憶。似ているようで、今とは違う景色を見ている横顔は、透も千年前に囚われたままなのだと今更思い知らされる。

 なんて声をかけるべきなのか。

 少し迷った亜莉香の代わりに、トシヤが訊ねる。


「ここが狭間なら出口があるよな?それは分かるのか?」

「小僧…空気を読め」


 呆れたピヴワヌが小さく零した。

 透がふっと笑みを浮かべた。今まであった悲しい空気が、トシヤの一言で消え去った。ため息をついたピヴワヌは立ち上がり、社に向かって歩き出す。


 トシヤの横を通り過ぎる時に、その足を踏もうとしたのを亜莉香は見落とさなかった。何てことなく避けたトシヤが何もなかったことにすれば、ピヴワヌの舌打ち一つ。余計なことをしながらも、ピヴワヌは結界の一つ目に触れた。呆気なく崩れ去った結界に、触れていた右手を見下ろしてから、亜莉香達を振り返る。


「この場所で不自然なものと言えば、一つしかないだろ」

「そうなのですか?」

「不自然というか、違和感の塊な。結界の中にあるのは何も感じない社か、何も感じさせない程の力を宿した社か」


 透もピヴワヌの隣に並んだ。

 二つ目の結界には触れない。ピヴワヌも透も睨みつけるように社を見て、残りの結界を越えるか足踏みをする。


「この先は、灯しか行ったことがないな」


 独り言のような呟きに、亜莉香は灯の記憶を呼び起こす。

 惨劇を目の辺りにして絶望した灯が、向かった先は闇に呑まれた社だった。たった一人で、全てを背負った記憶は鮮明に思い出せる。


 その先の出来事を思い浮かべようとして、やっぱりやめた。

 あの日の灯のように行動する必要はない。


「よし」


 短くも明るく、口角を上げた亜莉香はトシヤの顔を盗み見た。

 こっそり横顔を見るつもりが、ばっちり目が合う。トシヤが傍に居るだけで、大丈夫だと思えるから不思議だ。他の誰よりも、安心感を与えてくれる。そんなことを口にしたら、ピヴワヌ及び精霊達が拗ねそうだ。

 行くか、と言われれば頷いて、当たり前のように手を繋いだ。立ち止まっている透の手を掴めば、迷いのない亜莉香に透が少し驚いた。


「透、大丈夫だよ」

「亜莉香?」

「あの社が、ここから出る扉になるかは分からないけど。あの時と同じなら、私達が進むべき道は社の先。その先に、全ての真実が隠されている」


 断言すると、ピヴワヌは亜莉香の意思を察して兎の姿で肩に飛び乗った。


 二つ目と三つ目の結界が、その範囲を急速に広めて亜莉香達を中に招き入れる。ピヴワヌが壊したはずの結界も元通りになって、三重の結界の範囲は広範囲になった。


 それこそ先程まで敵が湧いて出ていた空間を、全てを結界の中にした。

 広々とした結界の中と外で、空気が変わる。


 木々が燃えるような熱さは、頬に触れれば少し痛いくらいの冷たさに変わった。数メートル離れていた木々の葉が揺れていた音も、遠くの鳥の悲鳴を上げるような鳴き声も、音は全て消え去った。

 目の前の社は一瞬にして闇を纏う。それは禍々しいとも言える黒い闇。

 不気味な気配もした。背後からも忍び寄る闇が在ろうとも、社を囲む結界が全てを弾いて通さない。再び敵に囲まれたとしても、恐れることはない。


 社を囲む結界は、亜莉香の意思のままだ。

 だから亜莉香が対峙する相手は、前にある社だけでいい。

 麗良の言った再現に忠実に、灯と同じことする。

 千年前の灯を意識して、すっと表情を消して静かに告げた。


「【道を開けなさい】」

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