96-5
目的の部屋に辿り着く頃には、亜莉香の隣には少年と美女。
右隣の位置をピヴワヌが陣取り、両手を頭の後ろに回していた。左隣を歩くネモフィルに至っては、腕を絡めて胸を当てている始末。
「…そろそろ離してくれませんか?」
二人に挟まれた亜莉香は言った。
歩きにくいし、肩身が狭い。廊下を進むにしろ、階段を上るにしろ、三人並んでは厳しいものがあった。タイミングがずれれば転びそうになるとしても、両脇の二人は決して離れず、手を差し伸べては呆れることの繰り返し。
そんな二人は亜莉香の小さな願いを聞き入れてくれない。
「ここまで来て、何を言っておるのだ。目を離すと転ぶくせに」
「隙あれば、トシヤを目で追っていたものね。そりゃあ、足元が疎かになるわよ」
「え…それは、その…」
直球で言われると照れる。言葉に詰まった。
そんなに見ていたかと考えれば、視線の先は無意識に変わった。先に辿り着いているトシヤの背中を見つめ、数秒間、口を閉ざして目も閉じた。
「「重症患者」」
ぼそっと重なった台詞が、他の人には聞こえないことを祈る。重症だと言われても仕方がない。好きな人を目で追ってしまうのを許して欲しい。
「こんなので大丈夫なのか。儂は甚だ不安だ」
「私も同じ気持ちよ」
「そこまで言わなくても」
亜莉香が頬を膨らませると、微かな笑い声が聞こえた。
少し前を歩いていたルカとルイには、一部始終を聞かれていたようだ。肩を震わせていたルイに、笑うなとルカが注意する。
この際、声を上げて笑ってくれた方が良かった。
城の中に入ってから襲ってくる敵がいないからこそ、全体的に気が緩む。
「なんか…あれですね。拍子抜けするくらい、今のところ手ごたえありませんよね。本当に敵はいるのでしょうか?」
「儂に聞くな。お主が行くと言うから進むだけだ」
「帰りたくなったのなら、今からでも回れ右する?私は別に、それでもいいわよ。城下に戻ったら、色々買い物をしたいのよね。着物に帯に、靴に髪飾り。あと、カイリ達にお土産も買わないと」
「儂も酒と菓子が食いたいな。勿論、ウイとサイの金で」
「あの二人は奢り慣れているわよね。どうせろくでもない奴の懐のお金だから、有難く使わせてもらいましょう」
何故か弾む会話に、お土産、と亜莉香は呟いた。
「王都のお土産と言えば…何でしょうか?」
「美味いものなら、何でも土産になるだろ」
「それ以外も、お土産と言えるわよ。王都なら他の土地より品揃えがいいことだし、珍しいものとかも、探せば色々あると思うのよね」
思わず突っ込んだネモフィルが、空いている片手を口元に寄せる。
「以前、王都からセレストに持ち込まれた珍しいものと言えば――花染めの風呂敷とか、組子細工のオルゴールとかかしら」
「へえ、そんなものもあるのですね。ちょっと気になります」
「儂は食い物が土産の方が嬉しいが?」
あくまで自分の土産の話になるピヴワヌである。
話をしながら歩いたところで、誰も何も注意しない。
亜莉香を含む後ろ三人は、武器も何も持っていない状態で進む。中盤を歩くルカとルイは一応周りを警戒中。先頭を名乗り出た透は用心深く、日本刀を片手に持っている。巻き込まれたマサキは身一つで城に来たと言えるが、ピヴワヌとネモフィルに背中を押されて前の方に行くしかなかったトシヤの手にも日本刀がある。
それでも危険を察しする能力に長けた者と言えば、両脇二人のことだろう。
「なあ、亜莉香。この扉の魔法を破れるか?」
先に辿り着いた透に名前を呼ばれ、亜莉香は顔を上げた。
廊下の奥まで進んだ先が、東の塔の三階。
目的地の扉は木製。樹齢何年も経っている深い木の色。天井まで続く縦長の扉は両開きで、金属部分は手を引く箇所のみ。
不思議なことに、扉の傍にも人の姿はなかった。
とても頑丈な錠があり、外から閉められた部屋。
扉の前まで行き、他の人達と共に扉を観察する。
「えっと…どうだろう?」
目を凝らして見ても、特に魔法の形跡はない。普通に鍵があれば開く扉であり、錠を見る限りでは亜莉香の力では開かない。
「魔法を使えば、開けられないこともないと思うけど?」
「だよな。魔法を使えば、簡単に開くよな」
亜莉香の言いたいことは、透にも伝わったようだ。
魔法を使うか、使わないか。どうしようと悩んでいる面々を前にして、声を上げたのは亜莉香の腕を掴んだピヴワヌだった。
「何を迷うのだ。さっさと開けるぞ」
「そうよね。魔法なしでも開けられるわよね」
面倒くさそうにピヴワヌには腕を引っ張られ、微笑むネモフィルが足を踏み出す。亜莉香の身体も動かすしかなくなった。驚き、何をするのか問う前に、顔も見ないのに息のあった二人の片足が上がる。
正直、嫌な予感はしていた。
直後に響いたのは、扉を蹴飛ばす派手な音だった。
「やりやがった」
ぼそっと零れた透の声に、亜莉香も内心同意した。
どんな魔法にせよ錠は壊せるが、扉も壊してしまう危険性を考えて欲しかった。
片足ずつでも威力は抜群だ。木っ端微塵となった扉の欠片は部屋の中に消えた。意味を為さなかった錠が床に落ち、悪気のない二人が言う。
「ふむ。我が主の力を借りるまでもないな」
「脆い扉だったわね」
脆くない。普通の人なら蹴飛ばして開く扉じゃない。色々と突っ込みたいが、眉間に皺を寄せるしかなかった亜莉香は黙った。黙ることでしか、状況を理解して呑み込めない。
廊下と繋がった部屋の中で、立ち上がった人影がある。
知った顔。服装こそ見慣れない袴姿でも、整った顔の青年がいた。色素の薄い茶色のさらさらとした短髪で、亜莉香や透と同じ黒い瞳で、状況の読み込めない顔。
気持ちだけは、同じだったかもしれない。
目の前に現れた存在を疑って、信じられなくて。
吉高、と久しぶりに呼ばれた亜莉香は、改めて陸斗を見つめ返した。
名前を呼ばれた途端に、表情が消える。
そして初めて、高野陸斗という青年を認識した。
知り合ったのは昔のこと。同じ中学だった。挨拶ならしたことがあったかもしれないけど、当時の記憶に陸斗の姿はない。透以外に友達と呼べる人はいなかった。
だから名前を覚えられていた事実には、少なからず驚いた。
高校は別々。もう会わない人と思っていた人とも言える。
実際、こんなことがなければ会うことはなかったのだろう。名前を覚えていたのはクラスメイトの誰かが噂する人物だったからに過ぎず、関わったら最後、ろくなことはないと本能で悟っていた。麗良と一緒に居る姿を見ているからこそ、一生関わりたくなかった。
それでも、と深呼吸をして陸斗を見る。
灯が嫌った彼とは重ならない。
重ねてはいけない。
亜莉香が灯でないように、同じ名前で同じ容姿をしていても、千年前に生きていた人とは違う。出会いが、積み重ねた年月が、向けられている想いが違う。
陸斗はただただ驚いて、亜莉香を凝視していた。
「吉高…亜莉香さん、だよな?」
「はい。お久しぶりです。高野陸斗さん」
その名前を口にしたのは初めてで、僅かながら笑みを浮かべられた。
ようやく実感を得て、陸斗の表情も和らぐ。歩み寄ろうした足は、亜莉香の隣に立った人物を映して止まった。いつの間にかネモフィルが後ろに下がって、代わりにいるのはトシヤ。近付くな、と牽制する日本刀の剣先は床に向けられていても、鞘には収まっていない。
場所を譲らないピヴワヌはそのままで、その隣に透が頭を掻く。
「あのさ。俺の存在も忘れないでくれないか」
「有川。お前も、どうしてここに?」
「それはこっちの台詞と言いたい所だけど…調子狂うよな。こんな場所で、こんな状況で、お互いに何を話せばいいのやら」
無理に笑った透に、陸斗は気まずそうに視線を下げた。
会話を繋げようにも、透も陸斗も言葉に詰まっている。それは亜莉香も同じだ。出会えて嬉しいなんて言える間柄ではない。適切な言葉が思い浮かばない。
ふと陸斗がいた部屋を見渡せば、そこはとても広い部屋だった。
ベランダ付きの執務室とでも言えばいいのか。陸斗が座っていたのは窓辺にあるソファ、向かいのテーブルには読みかけの本が数冊。奥には難しい書名の本が並ぶ本棚があり、書類が置いてある机がある。
煌びやかではないけれど、高級感漂う空間を作るのは家具や壁や床。所々に金の装飾が施されていた物に囲まれた部屋は、外から鍵をかけられていたとは思えない。
この部屋は守られていた部屋だと、亜莉香は気付く。
その護りの要は、壁に貼り付けられた振り子時計。
微かな魔法を宿し、一定の速さで時を刻む。時間が流れている間は光に満たされ、部屋を浄化し続ける。規則正しい音は主張し過ぎることなく、自然と溶け込んで消える。
陸斗に纏おうとする闇すら怯んで、部屋の中の空気は息がしやすい。
「――話しませんか?」
静かな亜莉香の提案は、案外部屋に響いた。
もう一度、陸斗に目を向ける。
「最初から、私は知りたいです。陸斗さんが、この世界に来てからのこと。この世界に来て何を想い、どんな風に過ごしたのか」
遠慮がちに言った。
向き合って、ようやく自分の心を理解した。
声が届くなら、ただ話したい。
今度は拒絶せずに、目の前の人物を否定せずに。灯と千年前の王子との関係ではなく、亜莉香と陸斗の関係を知り、逃げ出さずに向き合いたい。
千年前から続く歪な関係を断ち切る為に。
願った終わりを迎える為に。
「――話しましょう。今、時間があるうちに」




