96-3
断片的な記憶に頭を押さえれば、ふらつく亜莉香の身体をトシヤが支えた。
「アリカ?」
「大丈夫です」
反射的に言い返し、深呼吸を繰り返す。
時間は経っていないのに、ローズの記憶が頭の中を埋め尽くしていた。女王陛下やチトセとの出会いが、愛しい人と言っていた彼が、脳裏に焼き付いてしまった。
「…ごめん。この場所は力が強すぎて、アーちゃんと共鳴しちゃった」
亜莉香と同じく頭を押さえたローズは言った。その身体を支える人はいない。亜莉香から視線を逸らすと、傍に居る人達に向けて作り笑いを浮かべる。
「もう随分と城の中は静かなものだよ。王家を踏みにじった貴族は今頃、自分の家で悠々と過ごしているかもね。城の中に残っている人間は、元々僅かしか居なかった。そして誰もが暗くなる前に、自分の部屋に籠っていたの。城を徘徊する輩が増えるから、層を変えなくても、この城には人が居なかった。あの子と、その子供達が、この地を支えていた」
悲しそうに、当たり前のように告げた言葉の意味を大半が理解する。
ローズが説明しなくても、城の現状は一目瞭然だった。城に一歩入った途端の空気が、荒れ果てた庭園が、目に映るもの全てが物語るのは深い闇。
舞台は整えてある、とローズは告げた。
それから踵を返したかと思えば、瞬き一つで姿は消えた。
誰も引き止める時間はない。まるで幻でも見ていたかのような時間が流れ、ぽつりと呟いたのは、すっかり存在を忘れていた奏だ。
「もう――あまり時間は残っていないのかもしれないな」
「え?」
「かっちゃん。それ、どういうこと?」
響いた声に、ウイとサイが反応した。
透の隣に座り込んでいた奏の、狼の尻尾は項垂れている。心なしか耳も下がり、ローズのいた場所を見つめたまま、再び口を閉ざした。
何も言うことはないのだと、その瞳は語る。
詰め寄ろうとしたウイを止めたのはサイで、着物の裾を掴み、視線が交わると首を横に振った。それ以上は聞いてはいけないと、声には出さずに態度で示す。
ローズのいた場所に、亜莉香は視線を戻した。
どこに向かったのか。
それは分からないけど、ローズの行動理由は分かった。流れ込んだ記憶や感情が教えてくれたから、きっと亜莉香の進んだ道の先で再び出逢える。
ローズの約束を胸に、心臓部分の近くで右手を強く握った。忘れないでいようと思えば、アーちゃん、と不意に名前を呼ばれて意識を向ける。
「僕達は、ここから別行動させてもらうよ」
「分かりました。くれぐれもお気をつけて」
「それはこっちの台詞だ。無茶をしないでくれよ」
離れることへの不安は、お互い様。
笑みを浮かべて頷くと、次にサイの視線がトシヤとピヴワヌを捕らえた。
会話はしないが何かを伝える。すぐに背を向け片手を振って、奏に何か言いたそうだったウイの手首を掴んだ。ゆっくりと歩き出す途中でトウゴも巻き込み、その腕にいたフルーヴとクマのぬいぐるみも一緒に遠ざかる。
城の外壁で曲がってしまえば、姿は見えなくなった。
人数が減って寂しくもあるが、亜莉香の隣に並んだピヴワヌが腕を組んで言う。
「儂らも進むぞ」
「そうですね」
「あいつらがいなくても、何も心配することはあるまい。儂がいるからな」
まるで亜莉香の心を読んだかのような言い方に、勇気づけられて笑みを零す。
少年の姿とは言え、精霊でいるピヴワヌがいれば大丈夫。自分のことは信じられなくても、周りの言葉は信じられる。
見かねたルイがピヴワヌの脇に並んで、顔を覗かせた。
「いやいや、ピヴワヌ様だけじゃなくて僕達もいるから。忘れないでね」
「わざわざ言わなくても」
「一応言っておかないと。トシヤくんの立場が忘れられたら可哀想でしょ?」
「そういうものか?」
首を傾げたルカに、ルイは頷く。
「そういうもの」
「違うだろ。ルカも納得するな」
「つまり――ルイの言いたいことは、亜莉香には味方が沢山いるってことだろ?」
「その中で私が一番、綺麗で強くて素敵な味方と言うことね!」
扉を前にして逃げ腰のマサキを無理やり連れた透が言い、ネモフィルが胸を張り、トシヤは突っ込むことを放棄した。ネモフィルが口を出せば、反論するのが恒例のピヴワヌ。周りに誰が居ても、関係なしに叫び返す。
「儂の方が強いに決まっている!」
「何とでも言いなさい。私の方が活躍してあげるわ!」
「ばばあの活躍なんぞ見たくもない!何でも水に流すか、凍らせてばかりのくせに!それのどこが活躍だ!!」
「毎回燃やすばかりの馬鹿兎に言われたくないわ!!」
いつもの騒がしい会話が飛び交う。
誰も止めないから、声は大きくなっていく。
「行くか?」
「行きましょう」
小さくもトシヤに言い、亜莉香は一歩前に出た。
肩が触れ合う距離にいるトシヤからも勇気を貰う。皆がいるから、恐れる気持ちがあったとしても、足を踏み出し扉に触れた。




