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ワタルとモモエの家でお昼をご馳走になり、亜莉香はパン屋を後にした。
次に向かうは、ケイのお店。
以前はガラス張りの建物の中を覗き込んでから足を踏み入れていたが、何度も行き来し、店員とも仲良くなると、その必要はなくなった。催し、と呼ばれる着物についての話し合いに一度だけでも参加したおかげなのか、店員全員顔見知り。
特にケイの孫のイトセは亜莉香のことを気に入ったようで、店に行くたびにお茶と和菓子を積極的に持って来る。
それは本日も変わらず、ガラスの引き戸を開ける前に、イトセと目が合い、左目を閉じる仕草をされた。それはすぐにお茶と和菓子を持って行く、の合図で、亜莉香は軽く笑みを作り、会釈してから、引き戸に手を伸ばす。
引き戸を開ければ、窓際の小さな机に座り、小さな眼鏡をかけていたケイが顔を上げた。
「よく来たね。頼んでいた着物は出来たのかい?」
「はい。お持ちしました。確認をお願いします」
亜莉香は靴を脱いで、畳の上に座る。眼鏡を外したケイが亜莉香の持って来た着物を見ている間、ケイの着物をじっくりと眺める。
緑と茶色のストライプの着物に、上品な紺の帯。その上に羽織る着物は季節を問わず、鮮やかな花柄の淡い橙色。
ケイが顔を上げれば、深い橙色の瞳に緊張している亜莉香の表情が映った。
「ご苦労様。この着物は、このまま預かるよ」
「よろしくお願いします」
軽く亜莉香が頭を下げれば、ケイは顔を綻ばせる。
「毎回、そんなに緊張しなくても。もう慣れたんじゃないかい?」
「いえ、ケイさんに見て頂くまでは、どうしても緊張しますよ。間違ってないか、縫い忘れがないか、いつもどきどきします」
「そんなこと言って、毎回綺麗に仕立てているのにね」
お盆に湯呑と和菓子を乗せて、イトセがお茶目な言い方で話に加わった。
白に薄い黄色や灰色の混ざった象牙色の紅葉柄の湯呑に、温かい烏龍茶。同じ種類の小皿に栗きんとんを乗せ、傍に座り、湯呑と和菓子を差し出しながら言う。
「それにしても、いつ見ても私の見立ては素敵ね。やっぱり白い着物に赤い袴は相性抜群、その姿で街の中にいてくれると、うちの商売も助かるわ」
「イトセさんも素敵です」
すかさず亜莉香が言えば、イトセは嬉しそうにお盆で顔を隠した。
イトセの着物は、淡い黄色と白地に、たくさんの秋の花が咲き乱れている。着物に合わせた袴は黒味をおびた、深く艶やかな紅の臙脂色。夕焼けの茜色のような髪をまとめ、派手に髪飾りを付けていると、二十代には見えない若々しさがある。
喜ぶイトセに、湯呑を持ったケイは言う。
「油を売ってないで。そろそろ仕事にお戻り」
「少しくらい許して、お婆ちゃん。何度見てもね、巫女姫様みたいな合わせは見飽きることがないの。アリカちゃん、ご協力ありがとう」
いいえ、と言って、亜莉香は以前イトセに頼まれたことを思い出す。
灯籠祭りは、それは大きなお祭りらしい。たった一日しかないが、朝から晩まで街は賑わい、誰もが笑い、酔って騒いで祭りを楽しむ。
祭りの目玉は街を照らす数えきれない灯籠と、祭りの最中に街を回る行列。
籠に乗った巫女姫と呼ばれる少女が祭りの象徴であり、巫女姫が通った道から灯籠の明かりが灯される。巫女姫の着物は純白で、袴は深紅。その年の最高級の着物を羽織って、兎のお面を被り、朝から日が暮れるまで街を巡る。
夜になる頃には灯籠の明かりで、街は幻想的な雰囲気を醸し出すそうだ。
巫女姫、を連想させると誰もが着物を思い出す、とイトセは言った。
一年に一度のお祭りで、特に年頃の女の子は巫女姫のように綺麗になろうと、お気に入りの着物に身を包んで、精一杯のお洒落をする。祭りの日の着物が自分に合っているか、他にも素敵な着物はないか。考えるのは貴族も庶民も関係なく、中には祭り前日まで着物を選ぶ人もいるくらい、着物を探しに来た客がケイの店にやって来る。
おかげで、ケイの店は大繁盛だ。
亜莉香も協力するために、早々にイトセに着物を見立てて貰ったのは随分前のこと。
祭りの前日まで白い着物に赤い袴姿になるのは、亜莉香とイトセを含む女性店員数名。毎年恒例となっている、とイトセは笑っていた。
灯籠祭りに胸を躍らせ、亜莉香は訊ねる。
「イトセさんは、当日の着物は決まりましたか?」
「まだよ。だって決める暇もないくらい、仕事が忙しくて仕方がないんだもん。もう前日まで決まらないかも」
「何言っているんだい。ここ数年は毎年同じ着物だろう」
和菓子に手を伸ばしたケイが言い、イトセは頬を膨らまれた。
「そうだけど…そうじゃないの!着物は決まっていても、帯も小物も、髪飾りも決まってないの!合わせ方で雰囲気変わるでしょう?少しでも綺麗になりたいじゃない!」
ねえ、とイトセに同意を求められて、亜莉香は何も言わずに微笑んだ。
もっと話したそうなイトセが口を開く前、他の店員がイトセの名前を呼ぶ。呼ばれたら呑気に話をしている暇はなく、颯爽とこの場を離れた。
客の対応をし始めたイトセを遠くで眺め、亜莉香は湯呑を両手で包んだ。
「なんだか、とても忙しい時間に来てしまったみたいですね。私も手伝えることがあればいいのですが」
「もう十分に手伝ってもらったよ。夏の間に仕立ててくれた着物の評判もいい。それに、今月末の催しも、参加してくれるんだろう?」
ケイの質問に、亜莉香は頷いた。
水張月の終わりに行われた催しが、次に行われるのは紅葉月の終わり。
最初の一回目が終わると、イトセは即座に亜莉香の次の催しの参加を決めた。誰も亜莉香の存在に反対することなく、むしろ歓迎してくれたことは嬉しい。
「皆さん、とても仲が良くて、私にも優しくしてくれて。次の催しも楽しみです」
「アリカちゃんは、今のところ最年少だからね。イトセなんて、今まで一番の下っ端だったから、子分みたいに思っているかもしれないよ」
「それならそれで、イトセさんの役に立てる子分にならないといけませんね」
頑張らないと、と付け加えると、ケイは声を上げて笑った。
そうだね、と笑うケイは楽しそうで、嬉しそう。出会った頃よりよく笑い、明るくなったのはきっと亜莉香だけじゃなくて、ケイも同じ。
賑わう店の中で、亜莉香はケイと暫しの談笑を楽しんだ。




