95-4
迎えに来たのは二台の馬車だった。
それはローズの差し金だ。馬を連れて来た従者は、ご丁寧に人ではない。遠目からには生きている人と変わらない人形に、何を訊ねても意味がない。
つまりは城に出向くしかないのだ。
早くおいで、と言わんばかりの馬車に乗り込むことに、足踏みしそうになった。
亜莉香の心情を知ってなのか。ピヴワヌの背中を押す力は強かったし、トシヤが引いてくれる手は優しかった。早々に乗り込んだ透に続いて、広々とした馬車の椅子に腰を下ろした。
最後まで何らかの理由をつけて抵抗しようとしていたマサキは、最終的に見捨てられた。生きて帰って来られるか不安になったマサキを、キヌ含む使用人が見送った。
十人近くの使用人は、丁度手が空いていた者達らしい。亜莉香達の前に極力姿を見せなかったのは、その見た目に何らかの支障を持つ者という理由。本来なら人前に出ない彼らが、わざわざマサキを見送りに来たのだから、愛されている当主と言えるだろう。
キヌ以外の使用人は笑顔で、帰りをお待ちしております、と言っていた。
旦那様なら大丈夫とも励ましていた。
若干涙目で感動していたマサキだったが、キヌの返しにて撃沈。
骨は拾いに行きません、と言われた本人以外の多数が爆笑していた。その筆頭である透とサイは笑い過ぎて苦しそうだった。裏を返せば自力で必ず帰って来い、とも取れるが、それが伝わったのかどうか。
不貞腐れたマサキを乗せて、馬車は進む。
「いい加減に機嫌を直さね?コライユ家の当主様」
「馴れ馴れしく話しかけるな」
「これは俺が何を言っても無駄だ。トシヤ、後は任せた」
「無茶ぶりだろ」
隣に座っている透を見向きもしないマサキは、小窓に肘をついて外しか見ない。
あまりにも機嫌が悪いのも如何なものかと、亜莉香は遠慮がちに声をかけた。
「えっと…お守りくまちゃん返しましょうか?」
「要らん」
「俺が守ってやるよ――とか言えば、安心度が増すかね?」
「そういう冗談ばかり言うから、そやつの疲労が増えるのだろうな」
やけに格好つけた言い方だった透に、ピヴワヌがすかさず言った。
この場に亜莉香以外の女性がいたとしても、透を知っている面々なら冷ややかな視線を送るだけだったに違いない。その台詞はリリアに対して言えばいいわけで、膝にクマのぬいぐるみを乗せたまま、呆れて腕を組んでいたピヴワヌに問う。
「今更ですが…巻き込まずに済む方法って、ないものですか?」
「もう既に巻き込まれていると思うが、そこまで言うなら儂らと行動を別にするか。フルーヴでも付けて、遠くにでも追いやるか」
「余計なことなどしなくていい」
眉間に皺を寄せたマサキが、聞こえていた会話に割り込んだ。
張り詰めた空気は、長く吐き出された息で薄れていく。両脇にいるトシヤとピヴワヌが気にしなくても、亜莉香は気になって顔色を伺った。
「ここまで来た以上、引き返しはしない。自分の身くらい自分で守る」
「言質は取った、よな。亜莉香は気にし過ぎ」
「そんなことは…」
ない、と言いつつ自信がない。無意識にぬいぐるみを抱きしめた。
何でもかんでも心配してしまうのは、悪い癖だと分かっている。どれだけ心配したところで意味のないこともあるし、余計なお世話もある。
結局のところは亜莉香の心の問題で、うーん、と唸った。
トシヤや透の見守る温かな視線など気付けず、マサキの呆れた表情にも気付けない。急に肩を叩いたのはピヴワヌで、窓から眺める王都の街並みを瞳に映す。
「いい匂いがすると思ったら、ここらは美味しそうな店が多いぞ!」
「これから向かうところ、分かっています?」
「当たり前だ。ほれ、見ろ!」
無理やり腕を引っ張られ、ピヴワヌと一緒に身を乗り出した。
馬車の速度は遅く、顔を出していなくても街の様子がよく分かる。ピヴワヌの言った通り、香ばしい匂いが馬車の中に居ても届いた。目についたのは立ち並ぶ数々の店である。専門店が多く、果実の飲み物やバームクーヘンを扱う店があった。時には座って休める喫茶店も混ざり、珈琲を飲みながら休んでいる人達もいる。
歓喜の声が零れ、風に吹かれた髪が靡いた。
店以外に目を奪われたのは、仄かに光を宿した街灯。
どうしても気になり、幾つもの街灯を亜莉香は目で追った。王都に入ったばかりの場所より広い等間隔で設置された、四角いガラス。
何で気になるのか。
答えはなく、店のガラス越しに並ぶ焼きたてのパンを見つけた。
ふと思い出したのは、ガランスの人達の顔。元気だろうかと、想いを馳せる。ガランスを出た時の感情が蘇ってきた。帰ったら会いたい人達がいて、やりたいことがある。
早く帰りたい。
その為に終わらせるのだと、想いを固める。
「お、あそこは酒が飲めるな」
ピヴワヌの一言で、一気に現実に引き戻された。
食べ物関連の楽しみを見つけて、瞳を輝かせたピヴワヌが振り返る。
「城の帰りに寄るぞ!」
「そんな時間はないと思いますよ?」
「何を言う。ないなら作るまでだ。お主だって、あの店の菓子など好きだろ?」
「どれですか?」
話に乗れば、ピヴワヌが指差したのは和菓子の店だ。
濃い紫ののれんに、大きな餡子の文字。紙箱を持って店から出て来る人は皆嬉しそうで、その気持ちが亜莉香にもよく分かる。
見るからに高級で、繊細な生菓子が並んでいる絶対に美味しい店に違いない。
今日食べたのが洋菓子だったからこそ、尚更和菓子が食べたくなる。
「…行けたら行きましょう」
「儂の分は多めに買うぞ。端から端まで全種類買ってやる」
そのお金はどこから出す気なのか。あまりの熱意に、少し考え聞いてみる。
「ピヴワヌって、どれだけ食べても太りませんよね?」
「当たり前だ。お主は少し太ったか?」
「え?」
聞き返された内容に、一瞬頭が真っ白になった。
食べる量は、そこまで増えていない。でも間食は確実に増えていて、周りが与えてくれるのは甘いものばかり。太ったことに気付けなかったことより、他から言われる方が心に刺さる。ゆっくりと笑みは引きつり、ピヴワヌに向けた目が据わっていた。
「痩せます」
「お、おう」
「ので、寄り道はなしで」
「なんでだ!あっちにも、そっちにも美味そうな店があるのだぞ!」
騒ぎ出したピヴワヌに、頬を膨らませて耳を塞ぐ。トシヤやマサキの顔など見られるはずもない。怒りが収まることもない。
禁句だったか、とぼやかれた透の声は、亜莉香には届かなかった。




