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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
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94-5 Side奏

 宿の食堂の一角に、小さな狼姿の奏はいた。

 正確に言えば、宿の食堂の一角の丸テーブルに、六つある椅子の一つ。透の膝の上で、逃げられないように抱えられていた。律儀に首輪まで付けられて、これでは飼われている狼だと言われても反論できない。


 そもそも口を開こうとすれば、口に何かを詰められる。

 食べものならましだけど、食べられないものは嫌だ。こんな姿でも兄だと言うのに、昔から容赦がない透には、逆らわない方がいい。

 仕方がないので黙って話を聞くことにした。余計なことは言うまい。


「で、実際はどうなの?」


 透の向かいに座っていたトウゴが、食事が運ばれてくる前に言った。


「何が?」

「黒い髪を持つ人間が初代王の生まれ変わりというのは、本当?」


 食事の最中の会話は、主に王家の話だ。

 今回の話題は、黒い髪についてのことらしい。

 ここ数日は、透の隣の席が空いている。一人欠けているが、各自街で集めてきた情報を話し合うのが習慣。嫌でも付き合わされる食事の度に興味ない話題で飽き、今回も奏の興味ない話題。

 欠伸を零して、透の膝で丸まることにした。


「嘘だな。事実じゃない」

「そうだな。儂が生まれた時でさえ、黒い髪など少なからずいた」


 透の一つ空けた席、堂々と足を組んで座っている兎が言った。見える人間がいたら驚く光景だ。兎が一人で椅子に座って、平然と会話に混ざる。


「そうなの?」

「黒い髪は、膨大な魔力を持つ存在の目印なのよね。そして私は会ったことがないけど、初代王と言う存在は、精霊達をまとめる魔力を持った人だった話」


 説明しようとした兎を遮ったのは、ルカの膝の上にいるペンギンだ。

 透から右回りにルイがいて、その肩には鴉のウイがいる。ルイの隣にはルカが座り、肩に鴉の姿のサイを乗せたトウゴがいて、トシヤの頭の上に張り付くような小兎一匹。


 見えない人にとっては、五人が談笑している光景。

 見える人にとっては、それぞれ動物を連れたおかしな集団。

 精霊達のように常に姿を消すのが面倒なので、奏の姿だけは誰の瞳にも映る。声を出せば聞こえる。怪しまれたくないから、やっぱり口を閉ざして成り行きに任せる。

 だからさ、と透が話を進めた。


「黒い髪だからって、今回みたいな状況になったわけじゃないぜ」

「じゃあ、何が原因だよ」

「ルカ、怒らないでね」


 突っかかるような言い方に、ルイが宥めるように言った。分かっている、とやはり怒ったように呟いたルカの心情を、誰もが分かっている。

 部屋に居る一人の少女を、皆が心配していた。特に心配しているトシヤが頬杖をつき、テーブルの何もない空間を見つめている。


「こういう場合は落ち着いて、時間をかけた方がいいのかもしれないね」

「呑気だな、ウイ。精神的な面なら、いつまでかかるか分からないだろ。特に原因が分からないと、こっちも為す術がない」

「原因と言われると、俺が思い付くのは一つしかないなー」


 語尾を伸ばして背もたれに体重をかけた透に、周りの視線が集まった。

 本当は言いたくなさそうだ。まあ、明るい話題でないのは確実だ。灯の過去を知っている人間として、奏にも心当たりはある。暗い話は、唯一テーブルに置いてあった水を飲む透に任せる。奏は毛並みを整える。


「亜莉香が宿から出られなくなったのって、コライユ家を訪れてからだろ?お化け屋敷の日は問題なかったわけで、その次の日、話の中で顔色が変わったのは黒髪の話。あと第二王子と呼ばれる存在を、聞いた後から」

「そいつが我が主を苦しめているのか」


 殺気だった兎に、奏は思わず少しでも離れようと身を動かした。

 透に抱えられている状態では、あまり逃げられない。


「そいつを仕留めただけじゃ、意味がないかな。話をしただけで今まで何も起こらなかっただけに、場所が悪かったと俺は思う」

「場所?」


 聞き返したトシヤに、透は素直に頷いた。


「王都という場所。目的地である城。亜莉香に馴染みがなくても、灯の記憶に刻まれているのは生易しい記憶じゃない。楽しい記憶とか嬉しい記憶もあった筈だけど、それ以上に大事なものを奪われた場所が、この土地」


 この土地、と言いながらテーブルを叩いた透にも、王都には苦い思い出がある。

 それは奏にも当てはまる。千年前の出来事を体験したなら、当時城に居た者なら、沢山の血や死体を見た。泣き叫ぶ声が耳から離れなかった者もいた。


「灯の仲間も大事な奴も、今の第二王子と瓜二つの男に殺された。誰も守れなくて絶望した灯が、何度生まれ変わっても足を向けられなかった場所に行くのは、記憶を持たない亜莉香とは言え立ち向かう勇気がいるのかもしれない」


 ずっと消えない傷を負ったのは、灯一人の話じゃない。

 透だって、あまり王都を訪れようとしなかったことを奏は知っている。


「どうしようもなかったら手なり口なり出すけど、本人ですら気付いてない心の傷を深くしたくない。もう少し本人の克服を待って、様子を見ようぜ」

「…凄く真面目な話の切り方だな」

「…私の主が真面目になると思わなかったわ」


 呑気に締め括った一言に、兎とペンギンが言い返した。ウイとサイが吹き出したので、空気が一気に崩れる。笑みを浮かべる数が増える。

 待つだけは辛いかもしれないが、それも必要なことだろう。途中から話に聞き入った奏は耳を垂らし、今度こそ話を聞き流そうとした。

 そう言えば、と話題を変えたのは、トウゴだ。


「どうせ時間があるから聞くけど、これ、どこの鍵か知っている人いない?」


 鍵という単語に、奏は閉じかけた瞼を開いた。身を起こしてテーブルを覗く。微かに見えたのは金の鍵。奏は用途を知っている。見間違うはずがない鍵である。


 なんでここに、という言葉を飲み込んだ。


 その鍵の鍵穴も、それが普通の鍵のようにしか見えない理由も知っている。それは灯の魔法の結晶だ。口を挟んではいけないと分かっているが、言いたいことしか思い浮かばない。

 灯との約束がなければ、すぐにでも口を割れたのに。

 今は鍵を睨みつけるかのように見つめて、消えることを祈るばかり。


「これって、普通の鍵だよね?」

「綺麗な鍵だと僕は思うよ。どこで見つけたわけ?」


 ウイやらサイやらが鍵を覗き込み訊ねた。


「うちの書斎。開かずの間だったけど、色々あって開いてさ。その時にユシアが見つけた鍵で、何かに役立つかと預かってきた」

「色々って、端折ったな」


 呆れたトシヤに、トウゴが曖昧な返事をした。

 ルカとルイは一通り話を聞いていたのか。さして態度を変えず、話に加わる。


「色々あった頃って、どうせトシヤが人の話を一切聞かなかった頃だろ」

「あの頃なら相談しても意味なかったよね。因みに僕達は書斎の中まで調べたけど、トシヤくん入ったことある?」


 否定した声は小さい。トシヤには踏み込んで欲しくない話だったようだ。

 生温かい視線を向ける透に耐え切れず、トシヤは不貞腐れたように視線を外した。精霊達は鍵にしか目をくれず、兎もペンギンも両手をテーブルに乗せて鍵を見る。


「普通の鍵、か?」

「普通の鍵、よね?」


 段々と近付いて見ようとする二匹は、どうにも手足が短くて届かない。必死に背伸びをする体勢に混ざって、奏も鍵を見つめ続ける。

 何秒経っても、鍵は消えない。

 手を伸ばしても届かない位置に項垂れたくなる。透が手助けしてくれるはずもなく、寧ろ動けば何事だと疑われる。


「…何でこんな場所に犬がいる?」

「旦那様、狼です」


 突然割り込んだ声に、誰もが振り返った。

 透とトシヤの間、傍から見れば空席にも見える椅子の近くに男女がいた。正確に言えばコライユ家の当主と、その使用人。

 狼と呼ばれた奏は犬のように小さく鳴いて、大人しく透の膝の上に戻ることにした。突然の来客に不満の声がちらほら聞こえたが、片手を上げた透が対応する。


「よお、亜莉香の見舞い終わったか?」

「見舞いじゃない。というか宿の中にいるなら部屋に戻って、連れの看病をしろ。なんで俺が看病などという面倒なことを」


 ぶつぶつと文句を言って、空いているようにしか見えない椅子を引いた。実際には兎がいたわけで、急いで逃げた兎はトシヤの肩に飛び乗る。


 男が座りやすいように椅子を調整した女は、男の後ろに控えた。

 部屋に籠ってしまった少女の気分転換になればと、コライユ家の二人の行動は誰も止めなかった。少女に気付かれないように、二人の行動は小さな精霊が逐一報告をしていたし、宿を囲む強力な結界もある。

過保護を通り越した魔法を施したのは透、及び精霊達。

 その加護の下で、少女の身に危害が加わることはないだろう。

 万が一でもあったら、精霊の怒りに王都が滅ぶ。

 頭に過ぎった想像に、奏は身体を震わせた。


「不満を言いながらも、旦那様は律儀にお世話をしておりました」


 何か食事でも頼もうとした男を無視して、女は言った。


「熟睡できるようにオルゴールと、元気になるように栄養満点豆腐。これさえあれば小さな子供も安心安全、お子様の心も体も守ります。お守りくまちゃん試作品を、アリカ様のお傍に置いて来ました」

「最後の奴、凄く気になるな」


 無表情で棒読みの台詞は、誰もが気になったこと。

 代表で透が言えば、いひひ、と男が笑った。


「あの試作品、中々面白いぞ。くまちゃんの持ち主を傷つける奴がいれば即座に対応。試作品だからな。思う存分、魔法を重ね掛けしてやった」

「亜莉香に害がなければいいけどさ」

「持ち主には、絶対に害はない」


 前半を強調したので、それ以外の者には容赦ないのだろう。そんな面白い魔法と性能を持つくまちゃんに、奏も興味を持ってしまう。

 思わず尻尾を揺らして、話を聞き入ってしまった。

 ウイとサイに呆れた声で名前を呼ばれる。

 鍵のことなど頭から抜け落ちている間に、トウゴが懐に隠してしまった。偉そうに足を組んだ男が、ふと思い出したかのように表情を変える。


「そうだ。お前らの誰か。我が家の呪詛を勝手に持ち出したな。さっさと返せ」

「呪詛?」

「気付いてなかったのか?我が家にある物は呪いの効力を持つ道具ばかりだ。持ち出せば悪夢を見るとか、悪いことが起きるとか有名な噂だ。鈍感な奴は呪詛の影響を受けにくいが、お前らの連れは相性が良かったのかもしれないな。呪詛の影響を強く受けていたから、勝手に回収したぞ」


 こんな感じの物です、と女が見せたのは鏡の欠片である。私を見つけて、と書かれた血のように赤い文字はお化け屋敷の中で見た。

 ルカだけが、それを見て声を上げた。

 目を凝らしても見えるか見えないか。微妙な赤紫の光を纏う欠片に、冷や汗を流し出した透の表情が固まる。


 それは少女が部屋に籠った原因の一つではないか、と誰もが感づく。

 呪詛だったのか、と零れた誰かの声を気にせず、男は言った。


「これに懲りたら、他人の家の物を勝手に持ち出すなよ。お前らの連れにもよく言っておけ。影響を受けたのは一人しかいないとは言え、こんなことで俺が足を運ぶとは――」


 話の途中で、兎は少年の姿に変わる。テーブルの上に片膝をついて、驚く男を無視して、着物の襟元を掴む。

 兎改め白い髪の少年の、目は据わっていた。

 奥歯を噛みしめ、喉の奥から喋り出した声は低い。


「よくも我が主を苦しめたな」

「急になんだ?呪詛の件なら持ち出した方が悪――」

「問答無用!言い訳不要!全部――お前のせいだ!!」


 見事な頭突きが、男の頭に決まった瞬間だった。

 喚き、騒ぐ少年を止められる者などいない。精霊達に至っては声援を送る始末で、傍観者でいようと腰を上げないのが数人。透は肩の荷が下りたように息を吐き、部屋にある呪詛を取って来ると女に告げた。トシヤも立ち上がり、一緒にこの場を離れる。

 ここが宿の食堂で人目もあることなど、テーブルを囲む連中は忘れている。


 いつの間にか床に下ろされた奏だったが、首輪の紐を女に預けられてしまった。どうみても見た目は狼だが、犬のふりをして女と共に一部始終を見守る。

 試しに逃げたら、どうなるのか。

 首輪を引っ張られる。引きずられて戻される。

 どちらも嫌で、奏は考えるのをやめた。

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