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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
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94-2

 お化け屋敷から一夜明け、亜莉香の身に異変は起こった。


 マサキからの連絡を待つ間、王都の中を歩いてみようと試みるも、何故か足は外に出ることを拒んだ。外に出たい気持ちはあるのに、宿の外に出るのが怖い。

 地面に足が縫い付けられたように動けなくなるだけなら、まだましだった。

 外に出られなくなった三日目に息が出来なくなりそうになった時は、流石に焦った。急に喉に何かが詰まって、咳き込んだまま苦しかった。周りに心配をかけ、ベッドに戻され、呼んでくれた医者の話では精神的なものと言われた。


 何となく、原因は分かっているつもりだ。

 外に出た途端に誰かに見つかりそうな不安が、日に日に増している。大丈夫と何度も繰り返したとしても、忍び寄る影がある気がしてしまう。それは夢に見る程で、ピヴワヌに叩き起こされたこともあった。

 枕を抱きしめベッドに腰かけていたが、不甲斐ないと思いながら寝転がった。身体を丸めつつ、誰もいない部屋をぼんやりと瞳に映す。


 昼間の宿は、とても静かだ。

 宿を出て行った客が大半。残っている客は少ない。

 このままではマサキから連絡があっても行けない。ガランスにも帰れない。


「…引きこもりになってしまう」


 ため息と共に枕を抱きしめ、顔を埋めた。

 誰もが亜莉香に気を遣ってくれる現状は、とても居心地悪い。

 だからと言って、始終傍に居て世話をされるのも嫌だ。特に精霊達は世話をすると言って騒ぎ出すので、別の意味で心が休まらない。


 久しぶりの一人の時間で、何もせずにいるのは暇。 

 せめて気分転換にと、テーブルの上にはお菓子の山。色々と買って来てくれたお菓子に混じっている度数の低い果実酒数本もあるけど、手を出す気分にならない。

 何度目か分からないため息をつくと、部屋の扉を叩く音がした。

 精霊達なら扉を叩かない。トシヤや透達なら声をかけるだろうと思えば、自然と警戒して身を起こした。どちらかと言えば乱暴な叩き方。

 返事をするのか迷っているうちに、扉の外から聞こえたのは盛大な舌打ち。


「くそ、わざわざ俺が足を運んだのに無視か。おい、居るのは分かっているからな」

「旦那様、取り立て屋の真似ですか?」

「違う!どう見たら、そんな勘違いが出来る!」


 部屋まで響く声に、亜莉香は慌てて扉に向かった。

 廊下に居たのは、間違いなくマサキとキヌだ。見知った人で気が抜けた。


「すみません…ちょっと、寝ていて」

「あら、具合が悪かったのですね。旦那様の存在は無視して、横になった方がよろしいのではないでしょうか?」

「毎度軽く俺を馬鹿にするのをやめろ」


 とても不機嫌なマサキだったが、亜莉香と目が合うなり眉をひそめた。ずいっと顔を寄せたかと思うと、身を引く間もなく肩を支えられる。

 顔が近くて驚くが、マサキは気にせず亜莉香をベッドまで引きずった。


「具合が悪いなら返事をするな。居留守でも使え」

「強引な旦那様が全ての元凶かと」

「そんなことあるか!」


 キヌと言い合いながらも、戸惑う亜莉香をベッドに座らせた。身体が離れたかと思えば、マサキの右手が伸びて近づき、亜莉香の身体は硬直する。


「熱はないな。ちゃんと飯は食ったのか?」

「…はい」


 相当顔色が悪かったに違いない。舌打ちしながら無理やり寝かされ、布団まで被せられた。

 一瞬視界が真っ黒になったが、両手で布団を掴んで、おそるおそる部屋を覗く。つい先程までは静かだった部屋の中で、腕を捲るように着物の袖をまとめたマサキが、後ろに控えるキヌを振り返る。


「おい、今手元にあるのは――」

「何でも作れますよ、旦那様。まずは栄養のあるものでも作りますか?」

「それはお前に任せる。オルゴールがあっただろ?それを出せ」

「人使いが悪い人ですね。それより先に、こっちに魔法をお願いします」


 両手で持っていたキヌの風呂敷の中から、次から次へと出てくるのは食材と道具。人参、玉葱、葱、セロリ。バナナに苺に、桃に蜜柑、板チョコレート。鍋に箸に、絵本に鋏に、何故かぬいぐるみといったものまで。

 キヌが差し出すものを受け取るしかなかったマサキだが、クマのぬいぐるみの頭は鷲掴みにした。何の変哲もなかった真っ白なぬいぐるみは淡い赤紫の光に覆われ、両方の瞳に光が宿る。


 マサキの手を抜け出したクマのぬいぐるみは、真っ直ぐに亜莉香の元までやって来た。とてとてと効果音が付きそうな歩き方すら可愛かったのに、間近で見るともっと可愛い。つぶらな瞳とお揃いの、赤紫のリボンを首に巻いている。横向きになっていた亜莉香の顔をじっと覗き込むと、小さな手が伸びて頭を撫でられた。


 何も言わないのに、規則正しく頭を叩く手は優しい。

 何だろう。

 どこか懐かしくて、温かな気持ちを覚える。


「はあ、なんで俺がこんなことをする羽目に」

「何でもかんでも首を突っ込む性格と、案外人を放っておけない世話焼き体質のせいですね。皆々様が戻るまで、私達が看病するしかありません」

「そこまで居座る予定はない」

「大丈夫です。今日の旦那様の予定は全て私が調整しております」

「人の話を聞け」


 途切れることないマサキとキヌの会話に、亜莉香の瞼は自然と閉じた。

 現実の光景と、脳裏に浮かんだ光景が被って見える。


 思い出したのは灯の記憶で、亜莉香も体験した昔の記憶。具合の悪い灯を看病してくれる両親がいて、眠るまで付き添ってくれた優しい記憶。

 年や見た目を思えば、灯の両親とは似ても似つかないのは事実だ。

 それでも無性に泣きたくなって、滲んだ涙は枕に染みこんだ。


 クマのぬいぐるみの手が、ここ数日熟睡できなかった亜莉香を夢に誘う。

 段々と二人の声が遠ざかる。代わりに耳に届くのは、綺麗なオルゴールの音色。まるでピアノの演奏のようにも聞こえる、初めて聞く旋律。


 メロディーが、唄が聞こえた。

 遠い昔に聞いた唄。

 ずっと忘れていた、灯の記憶に埋もれていた懐かしい唄。


 誰が唄っているのだろう。耳を澄ませ、現実を忘れて過去に想いを馳せる。

 突然やって来たマサキとキヌに何か言いたかったのに、何も言えずじまいなのは仕方がない。今はただただ眠くて、愛しい唄を聞いていたかった。

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