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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
469/507

94-1

 テーブルに乗っていたお菓子を平らげ、情緒不安定な状態から戻ったマサキが言う。


「それで、何の用事があって来た?」


 部屋に全員集まっていなくても、今いる人達で話を進めることにしたようだ。

 たった数分前までは弱みを握られ、口数が極端に減っていた。今は復活して元の机の前に位置に座っているが、片肘をつき、頬杖をしている状態の顔は面倒くさそうと言いたげ。


「どうせ、ろくでもないことだろ?」

「呼んだのは旦那様ですが?」

「お前はちょっと黙っていろ」


 軽く睨まれたキヌが肩を竦めて見せ、すぐに口を閉ざす。

 それから紅茶の残りを確認すると、黙ったまま静かに部屋を出て行った。キヌがいなくなるのを目視して、マサキは机の引き出しからチョコレートの粒を取り出す。まだ食べるのか、と呟いた透の声には反応しなかった。


「わざわざ我が家を訪れるのは、とんでもない馬鹿か阿呆か、物好きか。まともな奴なら、お化け屋敷なんて楽しみもしないぞ。何が何でも昼間に約束をこぎつけて、さっさと用件を伝えたら出ていく連中ばかりだ」


 一口サイズで綺麗なチョコレートの粒を一つ、口に放り込んだ。


「とは言え、俺を見つけたら話すと約束はしたからな。言いたいことがあるなら言え。ウルカから、何か伝言でも頼まれたか?」

「伝言は特にない」

「なんだ。違うのか?」


 透の言葉に、当てが外れたと言わんばかりの顔。

 その表情が、少し楽しそうにも見える。


「ふーん、なら呪いたい奴でもいるのか?そういう相談事は、よくあるからな」

「いやいや、アーちゃんに限って、それは必要ないでしょ。呪いより恐ろしい奴らが傍に居るから、絶対に必要ない」

「それって、ピヴワヌ様のこと?」


 必要ないと二回繰り返したサイに、トウゴが小さく訊ねた。

 肯定も否定もしない。ソファに深く腰掛け、両手を頭の後ろで組むサイの笑みが答えである。奴ら、と言ったからには、一人じゃない。

 精霊及び、亜莉香の傍に居る人達の実力は計り知れないものがある。

 思い浮かぶ顔に亜莉香が何も言えなった。

 いひひ、と部屋に笑い声が響き、声の主に部屋に居た面々の視線は集まった。身体の向きを変えたマサキは笑う顔を隠し、片手を向ける。


「すまない。予想外の回答で、笑いが止められなかった」

「だってさ、亜莉香」

「なんで私に話を振るの、透」

「亜莉香がいないと、始まらなかった話だろ?コライユ家を訪れることも、呪いの話で当主を笑わせたことも」

「全部私のせいみたいに言わないで」


 頬を膨らませ小さく言えば、何故か愉快そうな透に頭をぐしゃぐしゃにされた。二人でお化け屋敷を楽しんでいた時も同じだけど、容赦というものを知らない。

 慌てて止めようとしたのに遅くて、髪の毛が乱れた。

 ますます頬が膨らむ。透なりの愛情表現だと分かっていても、納得は出来ない。コライユ家の当主の前だということを忘れ、少しでも元に戻そうと手で髪を直す。


「何をやっているんだよ」


 呆れたトシヤの手が伸びると、それはそれで緊張した。

 少し顔を伏せていたとは言え、隣に座っているトシヤとの距離が近くなるだけで心臓が五月蠅くなる。恥ずかしくなって口が滑らないよう、亜莉香は黙り、ほぼ止まっていた手を動かす。


「また話が脱線しそうだな」

「トオルくんのせいでね」

「え、俺?――なら勝手に話を戻すけど…コライユ家の当主様を訪れた理由だろ?城に入りたかったから、その伝手探し?」


 言い方、とぼやいたサイとトウゴの声が重なった。自由気ままな透に仕切らせると、話がとんでもない方向へ進んでしまいそうだ。

 城、と繰り返したマサキの顔を伺う。

 何かを考える顔になったマサキが、あまり間を置かずに訊ねる。


「城に入って、何をする気だ?」

「ちょっとした顔馴染みに会いに行こうと思ってさ。貴族なら城に入れるだろ?」

「それは、どこの情報だ?」


 笑みを浮かべた透は何も言わず、マサキは小さくため息を零した。


「まあ、それはいい。そんなことより貴族なら誰でも入れると思っているのなら、見当違いだと訂正してやる。城を出入りしている貴族は、ごく一部の人間だ」


 また一粒、チョコレートを口に放り込んだ。


「城に入ること自体、限られた貴族の特権になっている。少なくとも数十年前は、そんなことなかったけどな。遠目からならまだしも、ここ数年、女王に直接会えた者も少ない。国として成り立ってはいるのだから問題はないが、城に居る人間が知り合いなら、そいつ経由で城に入れ」

「それが出来たら相談してない話だろうな」

「だろうな――だから俺のところに、話が回って来たのか」


 小さくも聞こえた後半の後に、舌打ちが続いた。

 チョコレートの三粒目に手を伸ばす。眉間に皺を寄せ、目を閉じながら食べるマサキに、サイは興味本位で聞く。


「使用人として、城に潜り込むことは可能かい?」

「やめた方がいい。すぐに見破られる。使用人として働いている連中は、女王に忠誠を誓った口の堅い奴ばかりだ。使用人同士の繋がりは強い。以前城下で城の使用人の一人を見かけ、下手に探りを入れていると感づかれて消された奴もいたことだしな」


 自虐的な笑みとなったマサキは口の中に残っていたチョコレートを噛み砕いた。


「城に無断で忍び込もうとした奴も、結局は行方知らずになった」


 淡々とした口調を心がけているが、声に怒りが混ざる。

 残っていた紅茶を、一気に飲み干したマサキの表情は読めない。


 亜莉香達を見ずに見つめる壁には、一枚の絵画があった。

 描かれているのは、立派な城。

 中心には大きな建物があり、両脇も含め三角屋根。華やかではなく全体的に灰色なのに、存在感のある城だ。空白は真っ白で、城しか描かれていない。

 その絵画を見つめるマサキが、ゆっくりと口を開く。


「王家に歯向かうことなかれ、それが貴族の暗黙の了解。だから誰も、何も言わない。王家が何かを隠していても、暴くことは許されない」


 黙っていた透やトウゴが目を伏せ、静かに紅茶を飲んだ。

 真剣に話を聞いていたサイは、そうか、と相槌を打つ。ソファに身を深く沈ませ、マサキから聞いた話を頭の中で整理する。

 亜莉香とトシヤだけが、マサキを見ていた。


「俺達が城に入りたいと言っても、止めないんだな」

「どうせ俺が止めても、お前らは行くだろ?」


 全て分かっているとばかりに、僅かに微笑んだマサキは言った。


「言っても無駄な奴らに、俺は何も言わない。ただ城の情報が欲しけりゃ、少しくらい集めてやる。ウルカの頼みだし、少し時間は貰うけどな」


 再び城を見つめ続ける瞳には、悲しみが隠れているようにしか見えない。

 その絵に何が秘められているのか。

 知っているのは、マサキ自身。

 それ以上の語りはなく、またチョコレートを口に放り投げた。


「それで、大事なことを聞いてなかったな」

「そうだっけ?」

「お前ら、ウルカとはどういう関係だ?」


 相槌を打った透に対して、素っ気なくマサキは言った。部屋の中を見回す。


「ただの知り合いなら、そんなものを預かる筈がない」


 そんなもの、と視線が向けられたのは、亜莉香が持ってきた小さな貝殻。

 この部屋の中で関係がある人物と問われれば、亜莉香と透の二人。上手い言葉が出て来なかった亜莉香とは違い、透はとても軽く答えた。


「母親みたいな?」

「母親?」


 マサキの表情が、何とも言えないものになってしまった。予想していた回答でないことは明らかで、頭を抱える仕草をする。

 それは間違いではないかもしれないが、この場で言うべきことじゃない。

 ますます疑問を増やしそうなマサキに、助け舟を出したのはサイだった。


「ウルカ様と知り合いなのは、アーちゃんだよね?詳しく説明してくれる?」

「詳しく、と言われると上手く説明出来るか自信がないのですが」


 一応の前置きをし、先程の透の回答も踏まえて言う。


「透はウルカ様に息子のように可愛がられている存在で、私はお茶会に誘われる仲です。と言っても、私はカイリ様経由になりますが」

「あの好き嫌いが激しいウルカに誘われるのか?」


 肯定すると、それはそれで予想外だったのか、マサキの目が見開いた。

 好き嫌いが激しいというのは、初めて聞いた話である。亜莉香の記憶の中では、お茶会で笑みを浮かべているウルカの姿しかない。

 間違っていないよね、と確認を込めて透を見た。


「まあ、亜莉香は特別だよな。シンヤ様と仲がいいから、最初に目を付けられたのが大きい。あれでいて義理で茶会を行いはするけど、嫌いな奴には声をかけない人だから。好きな人だけ集めた茶会は、こまめに開催している。いつかトシヤも茶会に誘いたいと、ウルカ様は言っていたな」

「俺も?」

「亜莉香とトシヤが並んでいる姿を見たいとさ」


 機会があるなら行きたい、と亜莉香は思った。ガランスに帰ることが最優先事項ではあるけど、セレストにいる人達にも会いたい。


「他の奴らは、知り合いじゃないのか?」

「俺は関わりないですね」

「トシヤに同じく」

「僕は遠目に姿を確認したことならある。何年前の話かは、ここでは言わないけど」


 マサキが質問すれば、最後の答えに疑問を覚える。サイの意味深な答えについて、どれくらい前なのか気になった。相当昔の話でも不思議じゃない。そうか、としかマサキが言わないから、この場で追及は無理だ。

 少し間が空くと、マサキが無理やり話を戻す。

 その視線の先は、寛ぐ透である。


「お前が息子のように可愛がられるとは…嘘だろ?ツユ殿と全然似てない」

「そんなに似てないか?確かにツユとは似てないかもしれないけど、ウルカ様とは似ていると思うけどな」

「どこが、だ」

「味の好みとか着物の趣味とか。使用人達の目をかいくぐり、外に抜け出す様とか。似すぎていて真似できない、とツユに言われたぜ」


 自慢げに胸を張った透を、マサキは絶対に疑っていた。それでも深くは訊ねないのは優しさなのか、何を言われても疑ってしまうからなのか。


「これ以上聞いても、頭が痛くなりそうだ」


 ため息交じりに零れた言葉が、マサキの本音だ。

 同意するように、サイも微かに首を振る。


「そうだろうな。僕達の情報を得ようなんて、考えない方が得策さ。情報戦で負け知らずのコライユ家の当主様でも、手を出してはいけない領域がある」


 誰にでもなく話し出したサイに、視線が自然と集まった。


「ウルカ様との関係から調べても、セレストや他の貴族から情報を得ようとしても、君の欲しい情報は手に入らないさ。どれだけ君の知り合いがいたとしても、君の仲間が優秀でも、良くも悪くも流れている噂話が届くことはない」


 だから、と笑うサイの瞳が、亜莉香には僅かに光って見える。


「余計なこと、探るなよ」


 亜莉香達の情報が出ない理由を透は知っているのか、口角が上がっていた。トウゴにも思うところがある様子だけど、トシヤや亜莉香には分からない。

 釘を刺されたマサキは頭を掻き、あからさまにサイから視線を逸らした。

 敵に回してはいけない相手を悟り、わざとらしく窓の外に目を向ける。


「別に噂なんて全部を信じないが――面白い噂は、どこにでもあるだろ?」


 独り言のように話し出したマサキが窓越しに見ているのは、亜莉香と透だ。


「例えば、この国で黒い髪を持つ人間が生まれると、この国を作った初代王の生まれ変わりじゃないかと言われる。だから今の黒い髪を持つ第二王子を、王都の一部の貴族連中が初代王だと担ぎ上げている」


 いひひ、と空笑いを零しても、部屋の誰も笑わなかった。

 部屋の中の空気が静まり返り、真面目な言葉が続く。


「黒い髪というのは珍しい。近い色は多少なりともいるが、漆黒は中々生まれない。お前らの髪の色など俺には関係ない話だが、その髪の色に興味を持つ奴は真実を知りたがる」


 断定した言葉の意味を、亜莉香は瞳を伏せて考えた。

 まさかここで第二王子や髪の色、初代王の話になるとは思わなかった。これからコライユ家の屋敷を出たら、今まで以上に周りに気を遣うべきなのだろう。例え王都に入る時は髪の色を変えていたとしても、それは一時しのぎ。宿を出入りする時は肩掛けで髪を隠していたし、目立つ真似は避けたつもりでも、人の目というのはどこにでもある。

 知らない誰かに狙われるかもしれない、と心に過ぎった恐怖があった。

 僅かに強張った亜莉香を横目に、顔色を伺った透が言う。


「ま、所詮は噂だろ」


 王都に入る前から平然とした透は、マサキの話を聞いても余裕の笑みを浮かべた。同じ黒い髪を持つというのに、何を言われても動じない。


「髪の色なんて個人を表す一部でしかない。見た目でしか人を判断しない連中の言うことなんて、俺達が気にすることはない」


 続く言葉はマサキだけじゃなくて、亜莉香にも向けての言葉。


「噂を信じるかどうかは個人の自由だ」

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