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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
465/507

93-3

「ルカ!」


 腰を抜かしたルカの傍の元へ、駆け込んできたのはルイだった。

 今にも泣きそうだったルカの瞳に、無事を確認して微笑んだルイの表情が映る。亜莉香は身を引き、立ち上がって場所を空けた。入れ替わるようにしてルイは腰を下ろし、迷うことなくルカを抱きしめる。


「良かった。無事で」

「な、なんでここに?」

「僕がルカの傍から離れるわけがないでしょ?」


 慰めるように頭を撫でられたルカが、唇を噛みしめ顔を埋めた。たどたどしくもルイの着物を握り、小さな子供のようにしがみつく。

 泣き声は聞こえなかったけど、相当怖いのを我慢していたようだ。


 笑みを浮かべた亜莉香は、扉の近くで待機している透の存在に気付く。

 そっと二人から離れ、透と顔を合わせると、お互いに人差し指を口元に当てた。声を出すことなく書斎の外に出て、音を出さないように扉を閉める。

 蝋燭を床に置いてきてしまったが、透が持っているので問題ない。

 そのまま廊下を歩き出し、十分な距離を離れてから亜莉香は言う。


「よく、私達の場所まで来られたね」

「俺じゃなくて、ルイの力な。悲鳴が聞こえるなり、一直線に駆け付けたわけ」

「早すぎて、びっくりした」

「俺も屋敷の魔法を全て壊していくルイの姿に、びっくりした」


 少々顔を引きつらせている透の横顔に、亜莉香は口角を上げる。

 ルカの為なら、ルイはどこへでも駆け付けるのだろう。それこそ、どんな障害があろうと、なかろうと関係ない。


「――愛に敵わない魔法はない、だね」


 ぽつりと零れたのは、以前聞いた言葉。

 どんな魔法も、愛の前には障害にならない。愛し愛される力こそが魔法の根本にあり、愛する想いは強い魔法だと、それは過去の記憶で聞いた話。

 ルイの行動が、それを証明したのだと亜莉香は思った。

 そうだな、と言った透も前を見ながら微笑む。


「そうすると、魔法は最終的に感情論になりそうだよな。本当は上下なんてないはずだけど、競い合えば、どちらの想いが強いか試される」

「魔法は…想いを具現化した欠片、かもしれないね」


 透が面白そうに話を聞いているので、亜莉香は言葉を続けた。


「目には見えない想いに答えて、生まれたもの。好きも嫌いも、嬉しいも悲しいも、守りたい気持ちや逃げ出したい気持ちも。皆、魔法になる。魔法に頼らなくても生きていけるけど、魔法があってこそ、今の私は私らしく在り続けられる」


 何故だか、亜莉香の足音がコツンとよく響いた。

 傍には透しかいないけど、他にも話を聞いている人がいるような感覚。そっと扉の奥から聞き耳を立てているような、天井裏で身を潜めて話を伺っているような、姿の見えない誰かに向かって亜莉香は言った。


「魔法は素敵ね」

「俺もそう思う。想いは世界の至る所に散りばめられ、その数だけ魔法が生まれる。どんな想いも魔法の欠片になれるなら――この世界は、沢山の魔法に満ち溢れて輝いている」


 蝋燭の火が、ゆらゆらと揺れては辺りを照らす。

 何か仕掛けがあっても良さそうなのに、何も起こらない廊下を進む。不思議と他の人達の悲鳴も聞こえず、いつの間にか静かな空間。


「魔力は命。魔法は想い。俺達がいるのは、そういう世界。でも元の世界でも、魔法は存在していたのかもしれないな」

「そう?」

「何もない所から炎や水が現れることはないけれど、人がいれば想いは生まれる。この世界の魔法はなくても、誰かの想いで起こった出来事の中に、魔法はあったのかもしれないなと」


 冗談交じりに言った透が、亜莉香を見て意地悪く笑う。


「ま、もう戻らない世界だけど」


 それは、とても小さな声だった。


 少しずつ、聞こえていたはずの悲鳴が耳に届き始める。

 扉の隙間から覗く視線や、不気味な音を立てて後ろを通り過ぎて行った影もある。特に驚きもしない亜莉香は、同じく平然としている透の横顔を盗み見た。


 幼い頃から見知った顔は変わらない。どれだけ成長しても、亜莉香より少し背が高いから見上げる形になる。前髪はいつだって短めで、女の子に騒がれる可愛らしい容姿で、目が合うと優しい笑みを零す。

 揺るぎない信頼があるから、亜莉香はずっと気になっていたことを訊ねた。


「私が言うのも変な話だけど、透は元の世界に未練なかったの?」

「全くないと言ったら嘘だけど、俺の場合は戻るのを前提に生活していたから」


 答えはあっさりしていた。

 それ以上でも、以下でもない。


「家族と会えなくなると寂しいとか、友達に会いたいとか。そういう未練はない。こっちにも家族はいるし、友達もいる。連載していた漫画の続きが気になったり、行ってみたい場所があったりもしたのは未練だけど、それはこっちでも同じだろ?知りたいことは山ほどあるし、行きたい場所も数えきれないくらいある」


 前を向いた透に迷いはなかった。

 聞けて良かった。自分で決めた選択に満足しているなら、否定するわけがない。


「リリアさんも、いるし?」


 からかうつもりはなかったけど、思わず言った。


「それは、まあ。それこそ俺の存在理由になりそうだけど」


 少し照れが入り、わざとらしく喉を整える素振りを見せる。

 ずっと、幼い頃から傍にいたから知っている。リリアに対する透の態度が、他の女性と接する時と違うこと。同い年の同級生に囲まれたり、凄く可愛らしい人や綺麗に囲まれたりしても、どこか一線を引いていた透が、リリアに対してだけは踏み込んだこと。

 今にも踊り出したくなるくらい嬉しい気持ちを抱え、亜莉香は笑みを浮かべた。

 その場の空気に耐え切れなくなった透が、でもな、と一呼吸を置いて聞き返す。


「この世界には親友もいるだろ?」


 それが一番の答えだと、亜莉香を見向きもしない透は頭を掻く。自分で言って、少し恥ずかしくなったらしい。耳が少し赤い。

 ふふ、と笑いが零れた亜莉香は、足取り軽く口を開いた。


「私は体力もなくて、魔法を自由に使えるとも言えなくて。本当は誰とも戦いたくないのに厄介ごとに巻き込まれる。挙句の果てには、こんな所まで透を巻き込んでしまうけど、これからも親友と呼んでもらえますか?」

「それを言ったら俺なんて。長い間、亜莉香に隠し事をしていたし、色々と約束を破りもしたし、戦えるくせに活躍の場がないわけだけど。まあ、お互いに必要な存在ということで、これからも親友で在り続けたいと思っていますよ?」


 疑問形で終わらせ、珍しい敬語は冗談を交えている証拠。

 どちらかともなく笑い出す。廊下に響き渡るは、お化け屋敷には不釣り合いな笑い声だ。それに混じって屋敷に響く声に、亜莉香はふと首を傾げた。


「そう言えば、いつのまにか悲鳴が増えてない?」

「ネモとフルーヴだろ。あとは、わざと悲鳴を上げているウイに…誰の悲鳴だ?」


 亜莉香の疑問に、透も腕を組んで考え始めた。三人の悲鳴なら聞き分けられるのに、他に老若男女の声が入り混じっていた。それもネモフィルとフルーヴに負けず劣らずの声も混じって、増々疑問が増えてしまう。


「この屋敷の人、とか?」

「この屋敷、人の気配が少ないけどな」


 唸るように透が言った。

 納得出来ない顔を横目に、亜莉香は歩きながら耳を澄ませる。やっぱり知らない声が多い。その声にルカの悲鳴は混ざっていないのは、ルイが傍にいるからだろう。そう言えば、と透が話し出したので、亜莉香は顔を向けた。


「ルカの悲鳴、あれ、何があったわけ?」

「小さな子供が来たから話しかけたら、その子達は人じゃなくて、顔なし髪の毛なし、頭の部分が巨大なビー玉だったの。それが転がって来たから、驚いたルカさんが悲鳴を上げた感じかな」

「それまでよく悲鳴を上げずにいられたな。色々と仕掛けなかった?」

「あったけど、ほぼ全部、私が対処したから」


 当たり前のように答えると、透は意味を分かっていなかった。


「対処って、具体的には?」

「ルカさんの目に触れる前に仕掛けを隠して気付かれないようにしたり、仕掛けがある場所に行かなかったり」


 他にも色々あるが、簡単に言えばそんなところだ。ルカが悲鳴を上げるまで満足する行動が出来ただけに、思い出すと亜莉香は楽しくなってしまう。


「仕掛け探し、凄く楽しかったよ」

「それ…お化け屋敷の楽しみ方じゃなくて、宝探しの楽しみ方に近くないか?」

「そう?」

「亜莉香が無駄に楽しむから、ルカが悲鳴を上げなかったのか。転がって来た頭もどき、その後は?あの部屋にいなかったよな」

「衝撃的過ぎて、反射的に蹴っちゃった」


 すっかり忘れていたが、ルカの悲鳴で追いかけられなかった。

 廊下に蹴り飛ばしたまでは、見間違えようのない事実。その後に女の子と、首より上がない男の子は、巨大なビー玉を追いかけていた気がしなくもない。

 隣に居たのが透だからこそ、軽口で提案してみた。


「探してみる?巨大なビー玉」

「それもいいな。巨大なビー玉と、当主探し」


 少し存在を忘れていた。そもそもお化け屋敷に入ったのは当主に会う為だ。


「忘れていたな?」

「そんなことはないよ?」


 即座に疑われた。一瞬だけ、ぽかんとした顔を見られたに違いない。亜莉香が気を引き締めようとすれば、呆れた透に頭をぐしゃぐしゃにされた。

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