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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
464/507

93-2

 屋敷の中に響く悲鳴は、よく知っている人達の声だった。

 心からの恐怖で叫ぶネモフィルとフルーヴ、嬉しさを隠せていないウイの悲鳴がよく響く。屋敷のどこかにいて、すれ違うことすらないのに、声だけはどこにいても響き渡る。

 これも一つの仕掛けかな、と亜莉香は廊下を歩きながら考える。


 心臓に悪い仕掛けだ。

 誰かが悲鳴を上げる度にルカが身体を震わせる。正直な所、他の仕掛けよりたちが悪い。窓の外からの怪しい影とか、後ろからついて来る誰かなら対処は楽。わざとルカの視線を外させたり、亜莉香が音を出したりして気付かせなければ済む話。


 亜莉香には何となく仕掛けが分かるだけに、見えない仕掛けが厄介だ。

 薄暗いせいで尚のこと、赤紫の光が浮かび上がっている箇所がある。例えば通り過ぎた扉の隙間から、先の見えない廊下の奥から。溢れている光の破片を見つければ、わざわざ向かって行く必要はない。

 あからさまに怪しいものは避けようと、不意に足を止めてルカに言う。


「ルカさん、折角ですので、どこか部屋に入りますか?」

「へ、部屋に?」

「はい。ずっと、廊下を歩いていましたよね?」


 不思議なことに、どれだけ歩いても誰とも会わなかった。屋敷は外から眺めたより広く、果てがない廊下。蝋燭の蝋が減っているのだから、時間は流れている。

 部屋に入れば、また何か面白いことがあるかもしれない。その間に廊下の奥の光が消えればいいが、消えなかったら道を変えることにする。


「とりあえず、その部屋に」


 何も感じない扉を指差せば、ルカの顔は引きつった。

 天井まで続く縦長の扉。規則性のない四桁の数字の部屋番号。多少なりとも木製の色が違うとしても、扉自体はどれも同じに見える。

 部屋の中に何があるか分からないルカは、まだ見通しの効く廊下の方が怖くないのかもしれない。迷っていても亜莉香が先に歩き出せば何も言わずに付いて来た。

 一応扉を叩いてみると、中から返事はない。他の部屋に比べれば、微かな笑い声が聞こえることもなかったので、思い切って勢いよく扉を開けた。


「お邪魔します」

「躊躇なしかよ」

「誰もいなさそうでしたからね」


 ぼそっと聞こえた声に、笑いながら答えて部屋を見渡す。

 静かな書斎。窓際には一組の机と椅子。一面の壁が本棚で、詰まった本は窮屈そう。扉を半分開けたまま、窓際まで行きカーテンを開ける。

 特に問題なかった。窓の外は夜空が広がっている。ルカが安堵の息を吐く。何かあるのではないかと疑っていたのは明白で、亜莉香は改めて部屋を眺めた。


 外からの明かりと蝋燭でも薄暗い部屋は、落ち着いた藍色のカーペット。

 胡桃色の壁には珊瑚の絵。

 ガラス越しに本を並べている本棚の幾つかの本に赤紫の光が宿っていて、時折音を立てようとするが、あまりの窮屈さに動けなくなっていた。

 その様子が、ちょっと憐れに見えてしまう。


「なあ、机の上に何かないか?」


 きょろきょろと用心していたルカの声に、亜莉香は視線を向けた。

 何かが光って見えた。


「ありますね。何でしょうか」


 ルカと共に机の方へ回る。

 置いてあるのは青と水色のビー玉だ。どちらも綺麗で透明感があるが、部屋の雰囲気には合っていなく違和感。どうしようか迷ったのは数秒で、一つを手に取る。

 何の変哲もないビー玉。


「何故、こんなものがあるのでしょうか?不思議ですね」

「何かの仕掛け、じゃないよな?」

「これ自体は何の変哲もないものです」


 断定した亜莉香に、そうか、とルカが相槌を打った。まじまじとビー玉を見ているルカの表情に、少しだけでも余裕があるのを察した。それはほんの少しかもしれないが、怖がってばかりではなく、ビー玉に何か意味があるのではないか考えられる余裕。

 パタパタと駆けて来る足音がして、亜莉香とルカは同時に扉を振り返った。


「「遊ぼうー!」」


 子供の笑い声が、扉の方から聞こえた。

 半分開けていた扉から、覗いているのは二つのお面。本物みたいな犬と猫。最初の浴室で扉を開けてくれた二人の子供だということは、おかっぱの頭と野球帽、それから赤と青の着物で判断した。

 用心したルカを後ろに、亜莉香は平然と問う。


「いいですよ。その前にお訊ねしますが、二人は当主様の娘さんと息子さんですか?」

「よく聞けるな」


 傍から思わず本音が零れていたが、両手で口元を隠した二人はクスクスと笑う。


「「違うよー」」

「では…この屋敷に住んでいる方ですか?」

「「うん。ずっと、ずっと前から住んでいるの。投げられたり、蹴られたりして。坊やや皆と遊んでいるよ」」


 部屋の扉から覗きこむ形で立ち止まっている子供達。声を合わせて言っては、顔を見合わせ笑い合う。子供達の内容と、坊や、と聞き慣れない単語が心に引っかかるけど、亜莉香は感心した素振りをした。


「凄く楽しそうですね」

「「楽しいよ。だから皆で遊ぼう」」


 分かりました、と亜莉香が言うよりも早く、女の子が男の子の顔に両手を伸ばす。いとも簡単に、離れたのは男の子の頭と体。首から下は動かぬまま、女の子が抱えたのはお面を付けたままの首より上。

 油断していた。

 切り離された男の子の頭は、微かにだけど、淡い赤紫の光に覆われている。


「「行くよー」」


 声だけは二人分重なって聞こえた。

 女の子が、男の子の頭を投げる。

 足元へ転がってくる過程で、くっついていたものが床に落ちた。お面も、野球帽も、偽物の髪も、ころころと転がって来たのは、顔のない頭、改め巨大なビー玉。


 ルカが悲鳴を上げるのには十分だ。


 転がって来た物体を、亜莉香は何も考えずに蹴り飛ばした。

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