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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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11-1 月夜秋草

 夏が終われば秋の始まり、紅葉月。

 太陽の日差しが強く、暑かった月見月とは違う。少しずつ日差しが和らぎ、空には刷毛で白いペンキを伸ばしたような、細い雲が集まって出来る秋の雲が浮かんでいる。木々の色は赤や橙、黄色に変わり、涼しい風が吹き始める季節。


 布団をかけて寝ていた亜莉香は、ゆっくりと目を覚ました。

 目覚まし時計がなくても、同じ時間に目が覚めるのは長年の習慣。静かに起き上がると、隣のベッドに目を向けた。

 ベッドの上には、最近のお気に入りの、大きな梟のぬいぐるみを抱いて、ユシアがすやすやと眠っている。梟以外にも、兎や猫、熊などの様々な大きさのぬいぐるみが散乱しているが、その中心でユシアは丸まっていた。

 気持ちよさそうに寝ているユシアを起こさないように、亜莉香はそっと布団を畳む。

 少し大きな音を立てても、ユシアは起きる気配がない。

 それでも出来るだけ音を立てないように、亜莉香は素早く袴姿に着替えた。


 真っ白な雪色の着物の袖には、流れる川のように散りばめられた赤の紅葉。明るい赤や鮮やかな赤、黄色がかった薄い赤やわずかに紫を含んだ赤、深みのある真っ赤など。大小様々な紅葉は袖と裾のみで、半襟と帯は薄い紅色。模様のない無地の濃い紅色の袴に、白い足袋を合わせる。

 着替えが終わると、亜莉香は部屋の中にある鏡台の前に移動する。

 真っ赤な牡丹が描かれた布をめくって、鏡台の前の丸椅子に座った。

 鏡を見ながら、髪を梳かす。

 前髪は定期的に切り揃えているが、後ろの髪は腰近くまで伸びた。鏡台に置いていた、黒い花のちりめん細工の髪飾りで軽くまとめて、くるりと鏡に背中を向ける。下の方で結んだ髪飾りが取れないのを確認すると、鏡台に被せてあった布を元の状態に戻した。

 立ち上がって部屋の中を見渡してから、亜莉香はユシアの部屋を出る。






 家の中は朝早いので静まり返っていた。

 足音を立てないように階段を下りて、一階の洗面所で軽く顔を洗う。

 顔を洗ってから目指すは台所。玄関から見て右手の曇りガラスの扉を開け、茶の間の中に入ると、大きな窓のカーテンを開けた。部屋の中は一気に明るくなり、亜莉香は奥に進む。


 台所は、炊飯器とトースターが置いてあるカウンター付。

 まずはカウンターの上に置いてある炊飯器の中、昨日の夜に研いだ米を炊く。簡単な操作で炊飯器は米を炊き始め、次にトースターの隣にある袋の中からパンを取り出した。袋から出した胡桃やドライフルーツ入りのパンをトースターの中に入れ、別の袋に入っていた食パンはトースターの傍に。

 パンの皿を用意してから、簡単なおかずを作り始める。

 本日作るのは、ベーコンを焼いたものと目玉焼き。冷蔵庫から材料を取り出して、フライパンで焼いて、レタスと一緒に皿に盛りつける。味噌汁は昨日の夜の残りがあったので、目玉焼きを焼いている途中に、軽く温め直した。

 三人分のおかずを作り、茶碗と箸をカウンターに並べる。


「さて、と」


 一息ついて、亜莉香は肩の力を抜く。

 トシヤとユシア、トウゴの三人が起きて来るまで少し時間がある。時間があるうちに出来ることを、と茶の間に戻ると、大きな窓を開けた。


 ガラス張りの大きな窓から、そのまま庭に出られる。段差はほぼない。

 すぐに庭に出られるように、外に出していた草履を履けば少し冷たい。ひんやりした風が、微かに頬を撫でた。

 秋の訪れを感じながら庭に出て、春には見事な枝垂れ桜を咲かせた桜の木を見上げる。春の桜も綺麗だが、秋の紅葉した様子も、それはそれで見事なものである。

 庭にはないが、紅葉月の終わり頃になると一斉に金木犀の花が咲くそうだ。甘すぎないが独特の匂いが漂い、厚みのある濃い緑の葉に、金色色の小花が咲く金木犀。その匂いがして暫くすれば灯籠祭りがやって来る。

 庭にはない金木犀の匂いを待ちつつ、亜莉香は庭の花々に目を向けた。

 咲いているのは、秋の花。赤、桃、白の秋桜や、黄色に小花をいっぱいに咲かせる女郎花、気品を感じさせる紫の桔梗。


 亜莉香は花の前に腰を下ろし、雑草を抜く。

 こまめに雑草を取っているので、その数は少ない。今は咲いていなくても、これから咲く花や咲き終わった花の近くの雑草も抜いてから、如雨露に水を入れて水やりをする。

 元々、あまり管理されていなかった庭だった。

 夏の初めから亜莉香が管理することになり、花の配置を少し変えた。同じ花なのに咲く場所がばらばらだったり、枯れて放置されていた花を失くしたりしただけで、庭は見違えるように綺麗になった。


 他にも花を増やそうかな、と考えていると、ドタバタと二階で大きな音がした。

 起きろ、と騒ぐ声は聞き慣れるといつものこと。


 亜莉香は水やりを中断した。

 茶の間の窓を開けると、そのまま台所に行って味噌汁を温める。味噌汁一人分をお椀に盛り付ける前に、茶の間の扉が開き、黒に近い焦げ茶の瞳と目が合った。


「おはよう!悪い、寝坊した!」

「おはようございます、トシヤさん。今、味噌汁を用意しますね」


 頼む、と言ったトシヤが、急いでカウンターに行き、胡桃やドライフルーツの入ったパンを焼き始めた。その間に亜莉香が味噌汁をカウンターに持って行く。

 トシヤは炊飯器を開けて、炊けたばかりのご飯を茶碗に盛る。


「アリカ、今日の予定は?」

「パン屋のお手伝いと、今日は出来上がった着物をケイさんの店に持って行く予定ですね」

「最近、仕事多くないか?」


 トシヤが振り返った。

 いいえ、と亜莉香は笑みを浮かべる。


「夏の間の方が多かったですよ。秋の着物は大方終わったそうで、これからは冬用の着物を仕立てることになるそうです」

「買う奴は何枚も買うよな」


 俺には分かんないけど、と呟いて、トシヤはカウンターの端に座る。いただきます、と手を合わせて食べ始めたトシヤの姿を、亜莉香は盗み見した。

 太陽の光で赤く光って見える、明るい茶色の髪は、室内にいると落ち着いた茶色に見える。夏の間に後ろ髪をばっさりと切り、肩より少しだけ長かった髪は短くなった。以前は髪紐で結んでいたが、今は結ぶ長さもない。

 トシヤには着物にこだわりがないそうで、大抵赤系統の着物に、濃い色の袴。

 気に入れば長く着て、汚れたり破けたりすると、すぐに新しい着物に変える。亜莉香が水張月の終わりに渡した着物、黒みを帯びた、深く上品な蘇芳色の着物は、夏の途中から着るようになった。濃い灰色の袴と合わせた姿を見ると、亜莉香の口角が自然と上がる。


 嬉しさを隠せないまま、亜莉香はまだ作っていなかった二人分のおかずを作る。

 そうすると決まって二階が再び騒がしくなり、その声が一階まで響く。

 二階で揉めているのはユシアとトウゴで、早く風呂を出ろ、と揉めている。早く起きた方が先に風呂場を使うらしいが、早く起きるのはその日によって違う。どっちにしろ、ユシアもトウゴも、一足先に起きるトシヤに起こされている。

 夜寝る前に入る余裕はないようで、毎日慌ただしい。

 何故かどっちが先に風呂場を使っても、朝ご飯を食べにくる時間は一緒。トシヤが食べ終わる頃に足音を立てて階段を下り、勢いよく茶の間の扉が開く。


「おはよう。今日の朝ご飯は何?」

「おっはよー!」


 大きな欠伸をしたユシアと、毎朝五月蠅いくらい大きな声のトウゴ。

 ユシアは長い髪を左側で一纏めにして、白い鈴蘭とカラフルなビーズの簪で留めている。日々簪を変える人もいるが、ユシアが他の簪を身に付けているのを見たことがない。

 紺色の着物には色鮮やかな花が描かれ、明るい紫の袴には紅葉の刺繍があった。


 ユシアの後ろにいたトウゴは紺色の長い髪を後ろで一つに結び、濃い灰色の紐で結んでいる。いつでもどこでも、黒い着物を着崩していて、黒以外の着物姿、ましてや袴は決して履くことがない。


 朝から元気な二人がカウンターまでやって来ると、亜莉香は微笑んだ。


「おはようございます。今日はベーコンと目玉焼き。トウゴさん、今日はご飯とパンのどちらですか?」

「うーん…ご飯!」

「朝から声がでけぇ」


 朝ご飯を食べ終えたトシヤが零した。

 トシヤの言葉は正論だけど、何度言ってもトウゴは改善する気がない。トウゴだけが毎朝起きてからどちらを食べるか決めるので、ユシアは何も言わずにトシヤが焼いたパンをトースターから取り出す。

 食器を重ねたトシヤが立ち上がれば、トウゴはすかさずその肩に腕を回した。


「トシヤ、もう食べ終わったの?毎朝早くない?」

「五月蠅い、しつこい、邪魔くさい」

「そんなこと言うなよー」


 へらへら笑ったトウゴに、トシヤは冷ややかな視線を向ける。それでも腕を解こうとしないトウゴの足を思いっきり踏みつけた。


「――っいってぇ!」

「トウゴ、黙って朝ご飯を食べなさいよ」


 カウンターに座るユシアは呆れ、先に朝ご飯を食べ始めた。トシヤは蹲ったトウゴを無視して、ご馳走様、と亜莉香に食器を手渡す。代わりに受け取った味噌汁をカウンターに置くと、その匂いにつられてトウゴは顔を上げる。


「今日は、豆腐の味噌汁!?」

「昨日の余りですよ」

「じゃあ、豆腐の味噌汁だ。俺、豆腐の味噌汁好きー」

「分かったから、さっさとご飯を盛って、飯食えよ」


 面倒くさい、と言いながら、トシヤがトウゴのご飯を茶碗に盛る。

 世話焼きのトシヤは、あまり時間がないはずなのにトウゴのご飯を用意する。トウゴはにこにこした顔で立ち上がり、カウンターのユシアの隣に座った。ご飯を待ちながら、何故か得意そうな顔。


「俺、そのうち豆腐の味噌汁を作れるように練習しよう、と」

「やめろ」

「やめて」


 一気に青白い顔になったトシヤとユシアの声が重なった。

 もぐもぐとパンを食べていたユシアの手が止まり、茶碗を落としそうになったトシヤはトウゴを振り返っていた。トシヤもユシアも、信じられない、と言いたげな表情を浮かべて固まっているが、トウゴは二人の視線に気付かない。

 味噌汁に手を伸ばし、息を吹きかけて冷ましている。

 亜莉香は困った顔で、まだ作っていなかったルカとルイのおかずを作っていた。


「えっと…トウゴさんが食べたかったら、私がいつでも作りますので」

「そう?でも、何事も練習だよね」

「分かったから、今日はこれでも食べろ。俺はもう行くからな」


 疲れたトシヤは茶碗をトウゴの前に置いた。今朝は何も言うまい、と決めたのか。黙って扉の前まで進み、出て行く前に振り返る。


「それじゃあ、行ってくる」

「「いってらっふぁい」」

「いってらっしゃい。お気を付けて」


 カウンターに座ったまま、ユシアとトウゴは食べながら言った。

 振り返りもせず、口に食べ物を入れたままなのはいつものこと。トシヤは何か言いたそうな顔をするが言わない。亜莉香と一瞬目を合わせてから、家から出て行った。

 トシヤがいなくなると、トウゴはまた話し出す。


「トシヤ、朝から大変だな」

「あんたのせいでね」

「えー、俺はいつも通りじゃん」


 トウゴは笑う。その通りと言えば、その通りである。

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