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街灯が、印象的な街だった。
漆黒の柱の上に、ぽつんと置かれた四角いガラス。ガラスの枠も黒ではあるが、細く目立たない設計だ。四面あるガラスのうち、道沿いのガラスには磨りガラスの花の模様。名前を知っている花もあれば、亜莉香の知らない花もある。
昼過ぎで明るい土地では、まだ街灯は役目を果たさない。
存在するだけの街灯が馴染む王都は、一歩踏み込めば活気溢れる人混みだ。
忙しなく行き交う人達が、次から次へと立ち止まっている亜莉香を追い越し、王都中心部へ向かって歩き出す。中には馬車で移動する人もいるが、その大半は王都まで自前の馬車で来た貴族。検問でも扱いの違う貴族は馬車に乗ったまま、庶民は歩いて門を越える。
貴族と庶民の違いと言えば、王都の中の移動手段も含まれる。
貴族が馬車なら、庶民は相乗りの荷台。検問の手前まで荷台に乗り合わせていた人達は、門を越えると、また別の荷台に乗り込む。近場の人なら歩いて、個人が馬で来た場合には、検問近くの厩舎に預ける人もいた。
様々な人が王都に入る為に通る検問と言っても、特に何もしなかった。
名前と目的を問われ、答えただけ。
それも亜莉香はトシヤの隣に居た為、何も答えていない。寧ろ下手なことを言って、引き止められるのが怖かった。顔を覚えられないように伏せ気味で、緊張で震えた手をトシヤが握っていてくれた。
無事に王都に入って、頭から被った肩掛けを落とさないように顔を上げる。
人が多い。足元があまり見えない。
亜莉香の瞳に映る色は、沢山の色。
色鮮やかな煉瓦の屋根や外壁は他の街と同じ。階数が多く、全ての建物は三階建て以上。高い建物だと四階まであり、一階に多いのは店舗だが、二階以上になれば窓からは生活感が漂う。窓辺に飾られた花瓶、乾かしている途中の洗濯物、揺れる毛布など。
どれをとっても、色が違って見えた。
そして人々の装いは、どちらかと言えば派手なのかもしれない。
男女問わず、身に付けている小物が多い。女性なら帯飾りや帯留め、髪飾りが華やかだ。庶民でも着物姿が多く、色合いは対称的な二色の組み合わせ。男性なら帯から揺れる根付が様々であり、街にいる人達の髪の色も何十色もの色がある。
自身を見下ろすと、地味で溶け込めないか不安になった。
生成りと胡桃色の縦縞の、着物の袖に描かれているのは控えめな白の椿。合わせた袴は小豆色。白の半襟に刺繍が施されているが、その刺繍糸も白では目立たない。珍しく靴も白の編み上げ靴で、ヒールの高さは五センチ程度。
髪の色は黒じゃない。水で洗い流せてしまうとは言え、袴姿に似合う茶色である。瞳の色までは変えられなかったが、濃い色の瞳の人なら沢山いる。無理に変える必要はないと判断されてはいるが、肩掛けで顔を隠すのを忘れず言う。
「これが、王都なのですね」
「話に聞いた通り、人が多いな。ひとまず宿を確保したいところだけど」
答えたトシヤの言葉が続かない。
その理由は明白で、亜莉香はそっと後ろを伺った。
亜莉香とトシヤ同様に、検問を通過した人達が街の中に入っていく。検問を行う場所は数カ所あると言うのに、一組だけ動かない二人がいた。
若い女性の検問官相手に、世間話をしている透とトウゴ。
別々に検問を受け、最初に検問に向かったはずの二人が未だに門を越えない。検問官を困らせている。最後に行くと言ったルカとルイの姿は見当たらない。厩舎に行ったにしろ、あまりにも時間がかかり過ぎていた。
「あいつら待たずに、先に行くか?」
「せめて、ルカさんとルイさんだけは待ちませんか?」
「なら…あと、十分だな」
亜莉香もトシヤも、門の上の時計に目を向ける。
とても大きな時計が、時刻を刻んで動いていた。長い針と短い針の二本しかない。秒を示す針はないが、時刻を知るには十分だ。
「とても立派な時計ですね」
「ガランスには、あんな立派な時計台はないな」
「中央市場に…似たようなのがありませんでしたか?」
重そうな長い針が一分の経過を知らせるために動いた。
不思議と目を離せなくなる。針が動くたびに、何か止まりそうな気がする。心に芽生えた微かな不安があり、無意識に手に力を込める。
通り過ぎる人にぶつかりそうになって、亜莉香はトシヤに手を引かれた。
よろけそうになった身体を支えられ、そのまま邪魔にならないように脇に避ける。びっしりと詰まった建物の店舗が立ち並び、どの店も入口が近い。店の営業妨害にならないように配慮しつつ、手を繋いだまま、道端で空を見上げた。
建物の高さがあるせいか、空の見える面積は狭い。
天気は晴れているが、その空を飛んでいる精霊の姿はない。
王都に近づくにつれ、精霊の数は減っていった。
検問の時に境界線を越えた感覚もなく、寧ろ王都に向かう途中の道で、不意に感じたのは小さな違和感。まるで細い針が一瞬だけ肌に刺さったような、ほんの少しの痛み。傍に寄っていた小さな精霊達が、亜莉香から離れていく不思議な現象。
小さな痛みは、もうない。
力の無い精霊は皆、王都に近づくことさえ許されていないのかもしれない。
「あ、いたいた。二人共!」
聞き慣れた声がした。人波を眺めていたトシヤが片手を上げ、亜莉香は目を向ける。人混みを悠々と歩くのはルカとルイで、風呂敷一つを担いだ格好は身軽だ。服装は普段と変わらないのに、どこから見ても街に自然と馴染む二人。
「お前ら、遅くないか?」
「厩舎にいた人と、ちょっと話していたからね。王都の様子とか、コライユ家のこととか。最初に幾つか聞きたかったから」
口を閉ざしていたルカは亜莉香の隣の壁に背中を預け、ルイはトシヤの前で足を止めた。二人共、行き交う人達の邪魔にならないようにする。
「王都の広さは、やっぱりガランスより広い。端から端まで歩いたら、一日じゃあ足りないくらいだってさ。城は門から真っ直ぐ行けばぶつかるけど、入るのは無理だと言われたよ。厳重な警備態勢で、日々出入りしているのは貴族の人間くらい」
「庶民なんて門の前で追い払われるのがオチだな。正面突破は難しい」
集めてきた情報を述べたルイに続き、腕を組んだルカも言った。
そうか、とトシヤが相槌を打つ。
「なら先に行くのは、当初の予定通り。コライユ家だな」
「そうだね。コライユ家では通じなかったけど、お化け屋敷としては有名な貴族様らしいよ。貴族なら、城に入る手段を与えてくれるかもしれない」
ただ、と言ったルイが一呼吸を置いて、肩を竦めて見せる。
「コライユ家も、一筋縄ではいかないかも。以前、庶民の子供達がふざけて度胸試しに行ったら、あまりの怖さに逃げ出したらしい」
「わざわざ招待したのは、コライユ家の当主だった話だけどな」
「それを聞いた大人が話し合いに向かうも、子供と同じく恐怖体験をする羽目に。結局誰一人として当主に会えずじまい。それ以降、大人もあまり近寄らない屋敷になった話」
段々と声を落としたルイの話を、亜莉香は平然と聞いていた。
隣のルカも黙っていたが、心なしか顔色が悪い。気が重そうな雰囲気を出しつつも、何も言わなくなったルカではなく、わざと場の空気を暗くしたルイに問う。
「コライユ家は、ここから近くなのですか?」
「一時間も歩けば着くらしいよ。今から行ってみる?」
「先に宿を見つけて、荷物を置いてからだろ」
先程の雰囲気から一変したルイに、トシヤは当たり前のように答えた。そうだよね、と言ったルイの視線の先が変わる。
誰が見ても、表情が固いのは一人だけ。
わざと視線を逸らしたトシヤが、代表するかのように言う。
「まあ、全員で行く必要はないよな」
「そうしてくれると助かるかな。僕は宿で休憩したい」
「…何で、だよ」
ぶすっと言い返したのはルカであり、その表情には不満の色。
「別に、行きたくないとは言ってない」
「いやいや、ルカ。怖いのが苦手だって知っているから。今回は僕と一緒に宿で待機でも、誰も気にしないからね」
ルイの言葉で、増々頬が膨らんだ。怖がっているのは明白だけれど、置いていかれるのも嫌だと伝わった。
意外だと思いながら、亜莉香も会話に混ざる。
「ルカさんは…暗いのは大丈夫ですよね?」
「大丈夫だよ。特に夜の暗さは、星とか月明かりがあるから平気。ルカが苦手なのは作り物とか、いかにも人を驚かす為に作られたもの」
「おい、勝手に答えるな」
眉間に皺を寄せたルカを気にせず、ルイは答えた。
「いやー、小さい頃に僕や愚兄が、ちょっと、やりすぎてね。イオは大丈夫だったけど、ルカやフミエには苦手意識を植え付けちゃった」
「それ、絶対にちょっとの話じゃないだろ」
「子供の可愛げのある程度だよ」
胸を張るルイは、ルカの冷ややかな視線を見向きもしない。
子供時代であれ、今であれ。ルイも、その兄であるヨルも。場合によっては手加減という言葉を実行しなかったことは、容易に想像出来た。
その犠牲者であるルカを、亜莉香もトシヤも思わず憐れんだ。




