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中央に設置した切り株の上に並べられたのは、五つ。
迷うことなくトシヤとルイが差し出したのは、常に身に付けている愛刀だった。トシヤの日本刀の方が長い。ルイの日本刀の方が短く、漆黒の鞘に刻まれているのは乾いた血よりも濃い赤の牡丹の花。
その隣に並んでいるのは、持ち手が深紅の一本のクナイ。
そっと添えるように置かれたのが、灰色の髪紐。
ルカが武器で、トウゴが髪紐だったのことに、不満そうだったのはルイだけの話だ。せめて髪飾りが良かったと零したルイに、ルカは耳を塞いでいた。
そして最後に並べたのが、亜莉香である。
意外そうな視線が集まる。半数は品物を見て、半数は亜莉香を見て。何を言いたいのかは分かった。想像していたに違いない簪ではなく、別の物を提出した結果ではあるが、亜莉香は首を傾げて問う。
「それだと、そんなに不思議ですか?」
「亜莉香は絶対に簪を出すと思った」
代表するかのように透が言った。何人かが頷く。
その気持ちも分からなくはない。灯であれば間違いなく簪だったが、亜莉香が差し出したのは、金の羅針盤。懐中時計にも見える羅針盤は闇の中で作り出した物。
手のひらに収まる円形の、透明な表面のガラスは平ら。
その蓋を開ければ数字がない代わりに、均等に十六に分けられた目盛り。一方が極端に長く、もう一方が短い針は一本。現在、針は動かず止まったまま、時計で言えば文字盤の部分では、僅かに色が違う金色の歯車が回り続ける。
「それの方が、持ち歩いていた時間は長いと思ったので」
「そうなの?」
「はい」
ルイの質問に肯定すれば、とても興味を注がれた人達が立ち上がり、羅針盤を見に行った。触りはしないが物珍しそうに見つめるのが透とルイ。ネモフィルとウイとサイの三人は一歩離れつつ、周りにも聞こえる声で話す。
「私、流石に魔道具を通行書にしたことないわよ?」
「それは僕達も同じだよ」
「魔道具に重ね掛けって、可能だっけ?」
腕を組んだ三人が唸って、思わず亜莉香は口を挟んだ。
「他のものが良かったら変えますよ?」
「というか、亜莉香。これ…何?普通の懐中時計ではないだろ?」
精霊達ではなく、しゃがんでいた透が振り返って訊ねた。
何と言われて、答えるとしたら一つしか出ない。
「羅針盤…かな」
「どこで手に入れた?」
どこで、と言われて正直に話すことも出来るけど、灯のことまで説明するのは嫌だった。それは話さない方がいい気がして、笑みを浮かべて誤魔化す。
にっこりと笑って、敢えて口を閉ざすことにした。
それだけで長年の付き合いがある透なら、亜莉香の意思を悟る。聞いてはいけないことを聞いたと顔が引きつり、あからさまに視線を逸らされた。
隣からは盛大なため息が聞こえ、ピヴワヌが固まっている精霊達に言う。
「とりあえず、さっさと通行書とやらを作って、王都に行くべきじゃないのか」
「そう言うなら、馬鹿兎もこっちに来なさいよ」
「そうだよ、ピーちゃん。五つあるけど最低一人一つ作れば、あっという間に終わる。僕がアーちゃんとトウゴの通行書を作るから、残りは三人で」
「さり気なくアーちゃんの物を取らないで、ピーちゃんに譲りなよ」
透やルイが元の場所に座って、精霊達は切り株を囲った。
通行書を作る人数に、トウゴの膝の上にいるフルーヴは入っていない。何をするのか首を傾げて不思議そうなフルーヴに対し、ピヴワヌの眉間には皺が寄って腕を組む。
「…儂はいい」
「いいって――どっちだと思う?サイ」
「作らなくていいの、いいじゃないか」
「まさか馬鹿兎、作ったことがないわけ?」
声の低かったピヴワヌの一言に、三者三様の声が上がった。最後のネモフィルの質問に、視線を切り株に向けていたピヴワヌは無言の肯定。
静かになった空気に、ウイとサイは顔を見合わせ、肩を竦めて見せた。不意にネモフィルの姿が消えたかと思えば、ピヴワヌの背後に立って意地悪く笑う。
「へえ、作ったことがないの」
嫌な予感がしたピヴワヌが逃げる前に、その腕を捻り上げたのはネモフィルだった。そのまま問答無用で腕を引っ張り、無理やり立ち上がらせて中央に連れて行く。
「くそ!離せ!!」
「何事も経験でしょ。いいから来なさいよ」
「後で覚えていろよ、ばばあ!!」
叫んで暴れるピヴワヌを、ウイとサイが両脇から支えた。二人にピヴワヌを押し付けたネモフィルは正面に移動して、切り株を囲む四人が揃う。
亜莉香と同い年ぐらいの少年少女と、美女と並ぶと、ピヴワヌ一人が幼く見えた。舌打ちしたピヴワヌが観念して大人しくなっても、ウイとサイは腕を掴んで離れない。
これから何をするのか。透は知っているのかもしれないが、亜莉香を含めて、座った面々は見守ることに徹する。精霊達の邪魔をしてはいけないと口を閉ざした。
さて、と口を開いたのはネモフィルだ。
「そう難しくないわよ。人間が言葉を綴るように、私達も真似するだけ」
「まあ、普段の僕達なら言葉なんて要らないけどね。通行書の場合は決まった言葉をなぞるだけで、最後の部分だけは本人の名前を呼ばないといけない」
「その名前を読み間違えるなんてことは、ピーちゃんなら心配の要らない話でしょ?綴る言葉は同じで、基本的には私達の真似をしてね。皆で一緒にすれば失敗することもないよ」
ウイが慰めるように言っても、ピヴワヌの頬は膨れたままだった。
サイはピヴワヌの顔を覗き込み、楽しそうに笑う。
「頑張ろうか、ピーちゃん」
「小僧の武器で失敗してやる」
「おい」
小さな声でも聞こえて、トシヤが反応した。ルイとトウゴが笑っている。ルカは何が起こるのか注意深く見つめ、気楽なのは透一人。
「亜莉香のやつは何が起こるか分からないから、最後にしろよー」
「外野は黙っていなさいよ。でも、そうね。そうしましょう」
振り返りもせずネモフィルは言った。深く頷いたのはウイとサイ。
先程のトシヤじゃないが、亜莉香も小さく声を零す。
「私も一緒がいいのに」
届いたはずの反論は無視された。ピヴワヌすら何も言わなかった。
精霊達は目線で会話して、最初に青い光を纏ったのはクナイだ。その次に緑の光を纏ったのが髪紐と短い日本刀。誰も変に動きはしない。
最後に赤い光を纏った日本刀が宙に浮き、羅針盤だけが切り株に残された。
「【新たな役目を担う者】」
四人の声が重なった。
「【汝が役目を我が与える】」
言葉を紡ぎ出した瞬間から、空気が神聖なものに変わったと肌身で感じる。
誰かが言葉を紡ぎ、魔法が展開していく様子を見るのは初めてかもしれない。短い言葉の魔法とは違う。自分自身が魔法を紡ぐ立場とも違う。
光が宿る景色は、とても美しい。
「【汝が役目は、遠い地にある境界を繋ぐこと。汝が役目は、汝の主を彼の地に運ぶこと。我が認めし汝の主、我の光を宿すことを許すと誓う】」
小さな精霊達の喜ぶ声が、亜莉香の耳には届いた。
神社の片隅で、見上げる空で、木々の間で、精霊達も全てを見守る。力ある精霊達の声は言霊。ピヴワヌは淡々と、ネモフィルは心を込め、ウイとサイは嬉しそうに紡ぐ。
他の人には見えているのだろうか。
纏う光の一部が文字となり、綴られた文字がある。
それは名前。
「【我が認める汝の主の名は――】」
それぞれが名前を呼んだ瞬間、瞬いた光があった。
綴った名前の光が、それぞれの物に宿っていく。
全てが同じではない。金と黒の紐で固く結ばれた日本刀の柄に、真っ赤な紐が混ざった。漆黒の鞘に刻まれた牡丹の花びら一枚は深い緑に、髪紐の片端は鮮やかな緑に染まり、クナイの持ち手に青い線が走った。
浮いていたものは切り株に戻る。纏っていた光が消えていく。
張り詰めていた糸が解けていく。
亜莉香は安堵と感動の息を零した。トシヤやルカが素直に凄いと呟き、ルイやトウゴは眩しいものを見るかのような眼差しを向け、透は見慣れている光景に微笑む。
「すごいねー」
何をしたのか分かっていないフルーヴの可愛らしい声が、よく響いた。
それが合図になる。
まるで呼吸を止めていたかのように、精霊達は盛大に息を吐いた。ネモフィルは目蓋を閉じて無表情になるし、ウイとサイは地面に座り込む。
「分かっていたけど、これは疲れるな」
「それを分かった上で、さっきは二人分作るって言ったよね?」
ウイとサイが疲れつつも喋り出し、ようやく解放されたピヴワヌは腕を組んだ。
透が立ち上がり、お疲れと言わんばかりにネモフィルの肩を叩く。
「もう一つあるけど、大丈夫そうか?」
「ええ」
他は、と問いかける透の視線がピヴワヌで止まる。横顔だけ見えていたピヴワヌの眉間には皺が寄り、視線は羅針盤。重々しく口を開いた。
「人であれ精霊であれ、あれくらいの魔法を使えば疲れるのが普通だろうな」
あれくらいが、指すのは通行書を作る魔法だろう。
ピヴワヌが何を言いたいのか、透ですら分からず続きを待つ。
「そんな魔法を次々と放っていた元我が主は、やはり儂より凄い存在だったのだな」
しみじみと言うと共に、視線の先は遥か彼方に向けられた。ピヴワヌの言葉に透や精霊が同情し、一部は憐みの表情すら浮かべる。
それは間違いなく灯のことだ。
真似出来ない、と亜莉香は内心呟き、もういない灯を想って空を見上げた。




