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Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
452/507

91-1

「起きろ!そこで寝るな!」


 鼻息荒い声が、亜莉香の頭に響いた。

 もぞもぞと動くと、ふかふかの毛並みが亜莉香の頬を撫でる。温かくて柔らかくて、シノープルのベッドより眠り心地の良い布団。横向きで、寝ていた身体を動かし顔を埋めようとすれば、再び怒りの声が降ってきた。


「さっさと退け、ばばあ!儂を枕にするな!!」

「ケチ。少しくらい許しなさいよ」

「我が主以外、儂を寝床にするのを許すつもりはない!」


 騒がしい声に、眠気が覚めていく。

 ゆっくりと瞼を開く途中で、隣に濃紺の髪を持つ美女がいることに気付いた。亜莉香が眠り心地の良い布団にしていたのは、ピヴワヌの大きな身体。

 亜莉香一人を十分に包み込んでくれる、兎さん。


 起き上がる気分にはならず、ぼんやりとした頭で考える。

 シノープルを出発したのは、昨日の朝方。

 街を出るなり王都へ続く道を進んでいたが、途中で透に導かれて道を逸れた。近道があると言われ、向かった先は馬車が通るには細い山道。その山道を無理やり数時間進み、夜も近くに辿り着いた場所は古びた神社だった。

 古びたとはいえ屋根のある建物を見つけ、安堵の息を零したのは透以外の全員だ。どうして神社を目指したのか教えてもらえず、ひとまず神社で休むことになった。

 野宿を楽しむ余裕はあったが、慣れない移動に疲労が溜まっていた。夕食を食べ終え、少し休むつもりが朝まで寝てしまったらしい。雨が降ったら雨漏りしそうな屋根の隙間から、降り注ぐ朝日がきらきらと輝いて見える。


 朝が来たのだと、目を擦って辺りを見渡した。 

 神社の建物の中と言っても、広くはない。十畳もあるかどうか。何も飾っていない祭壇以外、物はない。傍に居るのはピヴワヌと、人の姿であるネモフィル。それから部屋の端で胡坐を掻いたまま眠るルカがいて、足の間に小さく白い兎が丸まって寝ていた。

 他の人の姿がない。

 外から鳥の鳴き声が聞こえ、亜莉香は身体を起こした。


「お、起きたか?」


 言い争いをしていたと声が急に止まって、ピヴワヌが言った。小さく頷き、欠伸を零しそうになる前に、力加減を忘れて肩を揺さぶられる。


「アリカ、聞いて!この馬鹿兎が酷いのよ!」

「何もしとらんだろうが!」

「したわよ!」


 全く話を聞いてなかったのに、無理やり話に巻き込まれた。ネモフィルに前後に揺らされ、頭がくらくらする。

 人の姿に戻ったピヴワヌは、即座にネモフィルの右手首を掴んで動きを止めた。それでもお互いのことしか見てない二人が、亜莉香を気にかけてくれる気配がない。頭の上で、一発接触で火花が散りそうな予感がした。朝から喧嘩を始める二人に頭が痛くなりかければ、部屋の扉が開いて風が入った。


「声がしたと思ったら、朝から喧嘩をしているのね」

「喧嘩するほど仲が良いってことだろ?おはよう、アーちゃん」


 扉の開けた先にウイとサイが居た。朝日を背景にウイは呆れ、サイは微笑む。

 つられた亜莉香も笑みを浮かべ、小さくも頭を下げた。


「おはようございます」

「よく寝られた?僕が添い寝すれば良かったかな?」

「それで昨晩一悶着を起こしたの、もう忘れたの?」


 呆れを通り越して、ウイの表情が信じられないと物語る。サイは肩を竦めた仕草をして、なんてことないと話し出す。


「いいじゃないか、添い寝ぐらい。手を出すわけじゃないし」

「同じ部屋に入ろうとしただけで睨まれたのに、手を出したら、ピーちゃんに殺されていたからね。そうしたら私は絶対に、サイの味方をしなかったからね」


 こっちはこっちで問題を起こしている様子に、亜莉香は笑みがぎこちなくなった。亜莉香が寝た後も、ピヴワヌ達は騒いでいたに違いない。精霊達は集まりつつあるが、他の人達は姿を見せなかった。


 ネモフィルの力が弱まったのを見計らい、亜莉香は抜け出し外に顔を出す。

 野宿をしようとして、火を炊いた跡が地面に残っていた。馬車は止まったまま、馬達は近くの草を静かに食べている。


 誰もいないかと思えば、扉にもたれかかるようにして寝ているトシヤがいた。

 一人分の距離を空けて、ルイは膝を抱えて眠っている。どちらも起きなくても、姿を見て安心した。透とトウゴの姿はない。トシヤを起こすか迷っていると、近くにいたウイとサイに名前を呼ばれて振り返る。


「まだ日の出が昇ったばかりだから、もうちょっと寝る?」

「それとも朝の散歩なんて、どうかな?近くに川もあるよ」


 どちらの提案も魅力的に聞こえたが、現実的には難しい。ピヴワヌとネモフィルの喧嘩の中で寝るのは考えられず、散歩をしている間に、誰かが目を覚ますかもしれない。

 それなら朝ご飯の用意をしようと、亜莉香は訊ねる。


「朝食を作りながら、皆さんが起きるのを待つことにします。二人は何か食べますか?」

「私は食べ物ではなく飲み物で、出来たら甘い紅茶を飲みたいな」

「僕は珈琲。砂糖なし」


 数段しかない階段を下り、三人揃って火を炊いた場所まで行く。神社から数メートルしか離れていない場所には、座る為の丸太もあって、調理の為の道具も一式揃っていた。

 持って来た飲み水を鍋に入れ、沸かす為には火が必要。

 意識しても魔法を使えなかったので、近くにいた小さな精霊の力を借りた。まだまだ魔法を自由自在に使うことは難しい。戦いの場で火事場の馬鹿力なら兎も角、日常生活の魔法が上手く使えない。

 仕方がないことだと諦めて、そう言えば、と沸騰するまでの間に問いかける。


「透とトウゴさんは、どちらにいるのですか?」

「あの二人なら馬車の中。起きて来ない所を見ると、まだ寝ていると思うよ」

「僕も最後まで参加したけど、夜遅くまで、くだらない話をしていたからね」


 ウイは亜莉香の隣に腰を下ろし、腕を頭の後ろに回したサイは立ったまま言った。その視線の先が馬車になる。馬車の中、眠っているはずの片方を思い浮かべた言葉は続く。


「どうせ、いつ起きても今日中に王都に着く予定だと思っていいよ」

「そうなのですか?」

「多分、ね。私もサイも透ちゃんから聞いたわけじゃないけど、この土地の気配からして、何をするのかは予測できる」


 ウイもサイも、今日の予定を分かっている様子。

 首を傾げる亜莉香が質問を重ねる前に水が沸騰した。紅茶と珈琲を用意して、それぞれのマグカップを手渡す。ついでに自分の分の砂糖なしの紅茶を用意すれば、ほっと息を吐いたウイが話し出した。


「古いものって、古の魔法が残っていることが多いの」

「そうそう。特に神社の鳥居と言えば、聖域との境界線なわけだ。何かを仕掛けるのにも、うってつけの場所だよ」

「例えば、空間を繋げる扉を仕掛けるとかね」

「例えば、急な襲撃に備えた目くらましも可能だろうね」


 交互に話すウイとサイは、しみじみと言った。

 にわかに信じられない話に、ますます疑問が浮かぶ。


「つまり…具体的には、どういうことですか?」

「幾つかの条件が揃えば、鳥居から王都まで行けると思うよ。それこそ一瞬で王都か、その近くの場所までね。隠れ里の姿見と同じ役割を果たす鳥居というのは、案外至る所に存在しているものなの」

「それに身の危険を感じたら、避難所として鳥居の中に逃げ込めばいい。昨晩みたいに、特に襲われる心配がないとしても、街の中にいるより安全だ」


 同じ顔したウイとサイが、にやりと笑って教えてくれた。

 今後の行動の参考にもなることではあるが、案外至る所に、と言われても中々思い浮かばない。街の中で鳥居を見かけることは少なかった。ガランスの中でさえ、鳥居を見かけたのは一カ所だけ。セレストの中では一度も見ていない。

 曖昧な返事しか出来なかった亜莉香に、ウイもサイも気にせず話す。


「まあ私達がいれば、危険な目から守ってあげるけどね!」

「ピーちゃんやネモちゃんより、被害少なめで守れるだろうね!」


 確かに、とウイが同意し、サイと笑う。

 二人で一緒に居るのが当たり前。嬉しさも喜びも一緒にいれば二倍になりそう。今だって楽しそうな二人に、亜莉香は気になっていたことを聞いてみる。


「因みに、いつまで付いて来るつもりなのです?」

「「気が済むまで」」


 揃った声で、ますます笑い声が大きくなった。

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