表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
最終章 街明かりと椿
451/507

90 曙光

 過ぎ去った千年の日々を、夢で見た。


 今より手足の短い幼い少女の姿で、灯として城を駆け抜ける。

 広くて大きな城なのに、いつだって人の気配がある。多くの使用人や警備の人間が行き来して、灯を見つけるなり笑顔を見せる。名前を呼ばれ、元気な挨拶をしては先に進む。


 目指していた場所は、いつだって玉座のある広間だ。

 その広間の扉の前には、いつも警備の人の姿がない。

 だからそっと扉を開けて忍び込む。小さな灯は玉座を見上げる。

 扉から真っ直ぐ伸びる真っ赤な道の終点に、見たいものがあった。それは重厚で立派な椅子であり、その椅子の上に無造作に置かれている王冠。


 広間に入ってからは、足の進みが遅くなる。

 一歩一歩を踏み締めて歩いた。数段の階段を上り、椅子の前で膝をつく。

 椅子にもたれかかるようにして、王冠を間近で見つめた。


「こんにちは」


 返事はない。当たり前だ。王冠に話しかけたところで、返事があるわけがない。


「今日も綺麗ね。どうして、そんなに綺麗なのかしら?真っ赤なルビーは燃えるような色をして、水に溶け込むサファイアは青く澄んだ色。美しい風のペリドットは爽やかな緑色で、王冠と共にいる他の宝石達も――とても嬉しそうに見えるの」


 にこにこと笑いながら、灯は話しかけた。

 天井近くの高い位置から注ぐ太陽の光が、玉座と共に灯を照らす。


 金の王冠は小さい。直径十センチ程度。

 王冠に埋め込まれた宝石が、きらきらと輝いていた。大きな宝石は三つだけ。宝石以外には浮き彫りになっている大小様々な花の模様があり、その中心には色の違う小さな宝石が散らばって埋め込まれている。

 まるで存在を知らせるかのように、どんな宝石だって光を宿して自ら輝く。

 王冠を見つめる灯の瞳もまた、幾つもの光を宿して輝いているように見えた。


「ずっと長い間、この国を守っているなんて凄いと思うの。私なんて傍に居る人を守るのに必死で、もっと沢山の人を守れるようになりたいのに力がなくて、とても弱くて」


 灯が段々と弱気になって、目線が下がった。

 でも、と言って、すぐに顔を上げる。


「それでも私は強くなりたいと望むの。今はまだ弱くても、力がなくても、光と闇の均等が崩れないように戦って、光と闇の境界線を守って。未来の私は皆を守れる人でありたい」


 幼いながらの揺るがない決意を、灯は王冠に誓った。

 椅子の上に在り続ける王冠に手を伸ばそうとして、そっと手を引く。触れたい気持ちはあるのに躊躇して、深い息を吐いて微笑む。


「私の夢が叶うまで、どうか力を貸してね」


 眠たそうに瞬きをして、椅子に乗せていた腕に頭を乗せた。


「私も頑張って、強くなるから。そしたら、きっと――」


 眠たさに勝てず、声は徐々に小さくなった。欠伸を零し、ゆっくりと瞼を閉じる。寝息に混ざって消えたのは、灯の最初の願いだった。






 ぽつり、と雨が降り注いだ。

 その雨が一瞬で本降りとなり、全てを洗い流してしまう。


 場所が変わった。雨の勢いが弱くなる。場所は薄暗い森の中になり、少しだけ開けた場所の中心に立っている、たった一人の女性が灯。

 裸足で、足元には血だまりが出来ていた。

 くせのない真っ直ぐで真っ赤な髪は、雨が止んだ曇り空の下でも鮮やかだ。水分を含んだ髪から滴る水滴が、規則正しく地面に落ちて音を立てる。

 上品な白の着物は、深紅の袴同様に赤く染まっていた。

 全身ぼろぼろで、所々着物や袴が破けて、滑らかな肌に血が滲む。

 それでも片手に薙刀を持ち、空を眺めて呟いた。


「――また、駄目だったよ」


 誰にでもなく言い、再び足元に視線を下げた。

 血だまりを作っているのは、その傍に横たわる一人の男性。

 うつ伏せで、顔の見えない男性は動かない。男性以外にも、半径ニメートル以上離れた場所に屍が横たわる。けれども男性以外は、全員同じ格好のように見えた。黒い着物に袴、片手に日本刀を持つ屍達。

 その多くの頭が斬り落とされ、心臓には穴が開き、手足のない屍もある。

 灯だけが、たった一人生きている存在。

 傍に居る男性だけが、灯の心を動かす存在。


「としや、さん」


 もう動かない男性の名前を、灯は呼んだ。

 自分が血まみれになるのも厭わず、糸が切れたように座り込む。血が流れ続け、既に心臓の止まった男性の頭を抱える。


「ごめん、ね」


 憎悪で闇を宿し、黒く染まっていた大きな瞳から、溢れんばかりの涙が零れた。


「また、巻き込んじゃった。今度こそはと思ったのに、また繰り返しちゃった。結局私は、闇に負けてしまうの。闇を宿してしまうの。もう一度、皆に会いたいと願ったけど。貴方との、こんな終わりは望んでいない」


 利哉さん、と灯は言った。

 目の前の光景を受け入れられない瞳を閉じ、力の限り抱きしめる。


「――私は、いつまで戦えばいいの?」


 自分自身に問いかけたところで、答えは返って来なかった。

 ただただ静まり返った空間で、雨で濡れた灯の身体は冷たい。利哉と呼んだ男性の傍に居て、動くことはしなかった。他に誰かが来る気配もない。辺りには血の匂いが漂い続けた。鳥も虫も、全ての生き物が静かにしている場所で、一人ぼっちの時間だけが過ぎる。

 灯は口を閉ざして、降り出した雨が全てを流した。






 雨に霧が混じり、視界をぼかす。

 血の匂いが消えた。雨が止んだ。霧が晴れていく。着物を羽織っている灯は大きな窓から空を見上げていた。輝く月を瞳に映し、両手を口元に寄せ白い息を吐く。


「私だって、いつまでも今の私でいられるとは限らないのに」


 身に付けていた簪を外した。

 桃色の牡丹の花の簪を見下ろして、悲しい顔を浮かべる。


「消えたくない」


 けど、と呟き、簪を胸に抱いた。

 誰もいない部屋で、その身に宿る感情を抑え込む。悲しみも苦しみも、今までの記憶や感情を簪に託すように握りしめ、小さく身体を震わせる。

 今までの記憶が、零れ落ちるように消えていく。

 それが怖くて堪らない。


 長過ぎた年月は、ゆっくりと灯に最初の記憶と感情を取り戻させてくれた。ようやく為すべきことを思い出せたのに、幸せな日々を過ごす度に少しずつ、思い出せない記憶や感情が増えている。


 芽生えたのは、心を侵食する罪悪感。

 忘れたくない記憶と感情があった。それすら思い出せなくなった時、巻き込んだ人達の運命は、永遠に繰り返されてしまう。終わりの見えない絶望を、何も知らずに繰り返すことになる。

 きっと、罰が下ったのだ。

 ごめんなさい、と誰にでもなく謝った。


「もう十分、私は幸せだったから。幸せだと思える時間を貰ったから。もう時間を動かないといけないの。繰り返す運命から、脱げ出さないといけないの」


 時計の針の進む音が、部屋には静かに響いていた。

 誰もいないのに、まるで誰かに話しかけるように言葉が続く。


「私は消えてもいい。もう二度と皆に会えなくてもいい。私の願いが皆を巻き込んだのなら、私という存在が消えた時、どうか――どうか、私の愛する人たちを解放してください」


 お願いします、と灯は祈りを込めた。

 祈っている相手は、夜空に浮かぶ大きな月か。両手で握っているか簪か。はたまた姿の見えない誰かに対してなのか。それは本人にしか分からない。


 じっとしていた身体は、ただいま、と玄関から聞こえた声で動き出した。

 勢いよく振り返るのは、玄関へと続く部屋の扉。聞こえる声は、二人分の声。片方が喧嘩を売るように話しかけ、もう片方が気にせず言い返す。愛する人達の、今の灯にとって家族と呼べる人達の声に、自然と頬が緩む。

 心の奥を、隠し通さなければいけない。

 おかえりなさい、と出迎える為に、灯は足を踏み出す。


 部屋から出て行こうとする灯の身体から、亜莉香だけが取り残される。



「それが貴女の願いですか?」



 聞こえるはずないと思っていたのに、灯の足が止まった。灯だけじゃなく。時計の針も、玄関から聞こえていた声も、全ての時間が止まる。


 灯の瞳に映るのは、瓜二つとまでは言えないが似ている顔。灯より少し幼く、着物や袴も違う少女。灯が少し驚いた顔で、亜莉香を見つめていた。対して亜莉香は落ち着いて、どうせ夢だからと、もう一度問いかける。


「それが貴女の、最後の願いですか?」


 王冠に願った三つの願いは、全て灯の願いだった。


 光と闇の均等を保つ為に、二つの境界線を維持する為に。強くなることを望み、愛する人達を守る為の強さを求めた時の、最初の願い。

 二番目に願ったのは、皆に会うことだった。

 愛する人達を失ってしまったから、もう会えない現実を受け入れなくて、悲しみと苦しみに押し潰された。絶望の中で、守れなかった人達に会いたいと願った。


 もしも願いが違っていたら、未来は変わっていたのかもしれない。

 もしも順番が違っていたら、結末は変わっていたのかもしれない。


 答えを待つ亜莉香に、灯は小さく頷いた。


「ええ、叶えてくれる?」


 その表情を、亜莉香は知っている。何もかもを受け入れて、無理して微笑む。悲しいことも苦しいことも、辛いことも一人で背負おうとする人の顔。

 安心させるように、亜莉香も笑みを浮かべる。


「はい」

「そう…良かった」

「でも、今の幸せを手放そうとしないで下さい」


 はっきりと告げた亜莉香に、灯は目を見開いた。


「遠くない未来で、貴女は本当に会いたかった人に会える。いつか貴女が消えてしまうなら、繰り返す運命から、私が貴女の愛する人達を解放する。貴女の願いは私が叶えるから、今を拒絶しないで」


 嘘偽りない言葉が灯の心に届くことを祈った。一呼吸を置き、両手を強く握る。


「貴女は何も悪くない」


 願うことは、悪いことじゃない。

 願った先に起こった出来事も、灯のせいじゃない。全てを一人で背負う必要なんてない。一人じゃないと、伝わって欲しかった。

 灯の心に宿る光が輝き続け、望んだ終わりが訪れる日が来るように祈る。

 だからお願い、と亜莉香の願いを口にする。



「――まだ、消えないで」



 部屋の扉が開く音がして振り返れば、灯の瞳に帰って来たばかりの二人の姿が映った。


「おい、夕食前に外に行くぞ。いいものが見られる!」

「勝手なことを言うなよ。食べてから外に行けばいいだろ」

「分かっておらんな。今、この瞬間が綺麗なのだぞ」

「それより俺は腹が減った」


 一匹の兎と、一人の男性がいる。

 止まっていた時間が動き出していた。見ていた景色を疑うように視線を戻せば、外には雪が積もる窓を背景にして、誰もいない。


 少女が、いない。

 夢だったのかもしれない。


 それなのに、そっくりな顔をした少女の言葉が、灯の心に残っている。千年も前に願った想いを、知っている少女がいる。

 あれは誰だったのかしら、と灯は思った。

 ぼんやりと窓の外を眺めていると、白い兎が肩に飛び乗る。


「どうかしたのか?」

「…いえ。それより――外には何が?」

「街明かりが凄く綺麗だった」


 いつの間にか隣に来た男性が言い、灯と同じように外を眺めた。


「色んな家や店の明かりが灯って、沢山の人が外に出ていた。それに便乗して屋台を出す人も現れているから、この時間なのに大賑わいだったわけ。月も綺麗なことだし、夕食後に散歩しに行くのに丁度いい日だな」

「何を言う、小僧。今から夕食の追加を買いに行くのだ」

「食べることしか考えていないのかよ」


 灯を挟んで、今から行くか行かないか言い争う。

 この時間が、灯にとっては愛おしい。他愛のない会話、愛している人達が傍に居る幸せ。自分には贅沢で、こんな時間を過ごす資格はないと思っていた。


 その感情が、少女の言葉で揺れ動く。

 今の幸せを手にする資格を、自身に問う。


 いつか繰り返された運命が終わる、と名前も知らない少女が言った。

 愛する人達が解放されるのなら、何を失っても良かった。自分が消えても、後悔だけはしないと言えた。


 でも、ずっと心に秘めた想いがある。

 一番会いたかった人に会えるなら、会って伝えたい言葉がある。


 それと同じくらい、もう少しだけ生きていたい。今傍に居る人達と些細な幸せを積み重ねたい。最後まで希望という光を抱くことを、許して欲しい。


 いいですよ、と先程の少女なら言ってくれる気がした。


 だから簪を挿して、灯は自然と笑った。

 笑い声に視線が集まり、口論も止まる。


「私は、どっちでもいいですよ」

「それが一番困るのだ!よし、多数決をするぞ!」

「それで決まるか?行くなら行くで、さっさと行った方が早いだろ」


 ああでもない、こうでもないと言いながら、向かう先は玄関。雪の季節の外は寒くても、笑い合って寄り添い合って歩くと、いつだって温かい。

 部屋を出る時、もう一度少女に会えないかと振り返った。


 やはり少女の姿は、どこにもなかった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ