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Last Crown  作者: 香山 結月
第1章 月明かりと牡丹
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10 夢路

 七夜月の最初の七日間は、それはもう満天の星空が広がっていた。

 夜空を見上げれば数えきれない星々が光り輝き、月に負けない光を放つ。星の光は色鮮やかで、赤青黄色、緑紫白など、どれ一つと同じ色がない。


 七日目の晩、不思議な夢を見た。


 意識ははっきりしている。

 気が付いたら真っ黒な暗闇の中で、亜莉香は一人座りこんでいた。自分の姿さえ見えない暗闇の中、目の前に淡く赤い光が集まる。蛍の光のように、温かくて小さい、綺麗な赤い光。

 初めて見た光じゃない。

 数か月前に突然神社にやって来たきっかけとなった光の色と、同じ色。

 ふわふわと浮いていた光は亜莉香を照らし、段々とその明るさが増していく。辺りも明るくなって、亜莉香はじっと光を見つめていた。

 光が、数センチ上がった。

 首だけを上に向ければ、光はその分だけ上がる。

 まるで目線に合わせるように動く光は、亜莉香に触れることはない。けれども離れることもなく、宙に浮いていた。


 何の光だろう、とぼんやりと見つめる。


 そもそも夢だと思うのに、覚める気配がない。夢なのか、現実なのか、よく分からなくなりそうで、ぼんやりと光を眺めていた。

 どれだけ考えても、答えは出ない。

 亜莉香が動こうとしないので、光は少し離れると、そのまま少し先へ進み止まった。まるで付いて来い、と言わんばかりの光に、亜莉香がゆっくりと立ち上がれば、目線の高さまで上がる。


 一歩進めば、光も進む。

 進むたびに、上には星が増えていく。


 満天の星空の下を歩き、光に導かれて進んだ先に、誰かがいた。

 見えない柱におっかかるように、腕を組んで立っている。

 亜莉香を待っていた誰か、以前は見慣れた黒い学生服のブレザーの下に、水色のパーカー。校則違反の服装に、青の靴紐のスニーカーを履いて、トシヤと同じくらいの身長、前髪短めの短髪。校内では女子に騒がれていた、可愛らしい容姿。


 幼馴染の少年、が目の前にいた。


 兄のような存在でもあり、唯一心を許していた親友でもある。亜莉香を導いた光が少年の周りを舞い、儚く消えてしまうと、少年は亜莉香の存在に気が付いて笑みを零した。


「久しぶりだな、亜莉香」

「…とおる?」

「何だよ、その幽霊を見たみたいな顔は」

「だって…えっと。夢、だよね?」


 あり得ない状況に、亜莉香は呆然とした顔で言った。

 透、と呼ばれた少年は黙って微笑み、亜莉香に近寄って優しく頭を撫でる。昔と変わらず、最後には大袈裟に両手で頭を撫でて、髪をぐしゃぐしゃにした。


「いやー、変わってなくて安心した。元気だった?」

「元気だよ。透こそ、元気?」

「当たり前だろ。俺、健康第一で生活しているからな。それにしても、袴姿似合っているな。やっぱり、その姿の方が亜莉香らしい」


 一歩離れた透に言われて、亜莉香は着物と袴を見下ろした。

 水張月の終わりに参加したケイの店の催しで、亜莉香はお手伝いのお礼に新しい着物と袴を貰った。夏用に生地は薄く、涼しげに見えるように淡い青に、黄色や橙色の花々が描かれた着物。深い緑の袴に、黄色の帯、それから刺繍の入った白い足袋と、新品の草履。

 変わっていないのは、髪型。長い髪を後ろでまとめて、透から貰った黒い花のちりめん細工の髪飾りをお守り代わりに身に付けていること。

 笑みを零して、亜莉香は言う。


「もう夏だから、夏らしい袴姿なの。こんな姿を見せるのは初めてのはずなのに、私らしい姿に見える?」

「見えるよ。俺からしたら。見慣れた姿だから」


 意味深な言葉の意味を問う前に、透は言葉を続ける。


「それにしても、そっちは夏か。こっちは春だよ。俺はもうすぐ高校二年になって、受験勉強なんてする気ないから、毎日だらだらと過ごすんだろうな。アリカは、最近どう?」


 楽しいか、と透は言った。

 うん、と亜莉香は素直に頷く。


「楽しいよ。楽しくて、毎日幸せなの」


 夢の中だから、だけじゃない。

 もう会えないと思っていた親友に会えて嬉しくて、懐かしさで涙が滲んだ。嘘偽りのない言葉が心に溢れて、止まらない。


「もう、二度と会えないと思っていたのに。夢の中で透に会えて嬉しい。駅前で待っている、なんて約束していたのに。行けなくて、会えなくて。約束を守れなくてごめんね」

「いいよ。どちらかと言えば、俺だって何度も約束を破っていたから」


 そんなことはない、と亜莉香が言えば、透は悲しそうな表情で微笑んだ。


「俺さ、亜莉香に言わなきゃいけないこと。たくさん隠して、何も言わなかった。亜莉香がこっちからいなくなることも予想出来たのに、何もしなかった」

「どういう――」


 こと、と話す途中で、透に引き寄せられた。

 ぎゅっと肩に回された腕を解くことは出来ず、亜莉香は驚いて身動き一つ出来ない。微かに震えている透に、何と言えば分からない。


「…透?」

「ごめんな」


 耳元で、透は囁いた。


「俺は亜莉香に何も知らないでいて欲しかった。知らず生活して、普通の幸せを過ごして欲しかった。それなのに、亜莉香はこっちにいた時より、今の方が幸せなんだよな」


 そっと、透が亜莉香を放した。

 一歩下がっただけなのに、笑顔を浮かべた透との距離が少しずつ離れていく。


「透、待って。もう少し話を――」

「亜莉香は呼ばれた声に答えて、そっちへ行った。俺はそれをもう暫く無視するから、もし亜莉香が先にその声の主に会ったら、謝っておいてくれ」


 呼ばれた声、と言われて、亜莉香ははっとした顔になる。

 思い出したのは、最初に聞いた繊細で綺麗な女性の声。その女性の言った言葉を思い出して、亜莉香は叫ぶ。


「透!何を知っているの!?」

「何だろうな。あと今すぐ伝えたいのは、もし俺が渡したお守りが壊れても、気にするなよ。あれは一時しのぎだ…これ以上は、直接会った時にな」

「待って!!」


 離れて行く透を追いかけて、右手を伸ばすが届かない。一歩も動いていないはずの透が遠くに行って、その姿がぼやけていく。

 淡く、澄んだ青い光が透を包み込んで、消えてしまう。


「透!!!」


 亜莉香が名前を呼べば、透は大きく右手を振っていた。

 笑う門には福来る、と遠くから声が聞こえる。一生懸命に追いかけても追いつけず、亜莉香の身体は深い闇に飲み込まれていく。

 何も言えない。

 何も聞こえない。

 暗闇が、全てを奪った。




 目が、覚めた。

 ゆっくりと布団から起き上がって、自分の姿を見下ろせば寝る時用の着物姿。枕の傍には透から貰った髪飾りがあり、それを持って立ち上がる。部屋を出て、静かにベランダに向かった。そっと窓の外を眺めれば、まだ外は薄暗い。

 ほんの数時間前には満天の星空が広がっていたのに、いつの間にか大きくて丸い月が夜空を照らしている。


 夢の中で親友に会えたことを喜ぶべきか。

 意味の分からない親友の言葉を考えるべきか。


「早く帰って来て、か」


 透に言われて、暫く忘れていた声を思い出した。

 亜莉香を呼んでいた女性は、どんな気持ちで、その言葉を繰り返していたのだろう。来たばかりの頃は帰る場所なんて思い浮かばなかったのに、今は帰りたい場所がある。亜莉香を呼んでいた女性がいる場所が、帰りたい場所ではない。


 分からないことが、多すぎる。

 その答えを、おそらく透は知っている。


「直接会える日なんて…いつ来るの?」


 小さく呟くと、眠気に襲われ、亜莉香はベランダの隅に腰を下ろした。朝日が昇って辺りが明るくなるまで、まだ時間はある。月明かりの下で膝を抱え、瞳を閉じれば、意識はすぐに遠のいた。

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