表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
448/507

89-2

 夜中に目が覚めたのは、誰かの話し声が聞こえたからだ。

 ベッドで眠っていた亜莉香は目を覚まし、ゆっくりと起き上がる。枕の真横にいるフルーヴも、隣のベッドで寝ているルカも静かだ。


 聞こえる声は窓の外。内容までは聞こえない。

 そっとベッドから抜け出して、傍に置いていた肩掛けを羽織った。足音立てないように窓辺に行き、カーテンの中に入って、窓の鍵を開ける。


「――それでね。その階段を上った先には、誰がいたと思う?」

「…怪談か?」

「違うよ。怪談なら、もっと雰囲気を出して話すから」


 僅かな隙間から聞こえた声は、ウイとサイの声だった。

 安心して窓を開け、少し顔を出して外を覗く。左側には、客間から出られるバルコニーがあって、その柵に肘をついていたのがウイである。奥のサイは柵に背を預けて立っていて、どちらも人の姿なのに、月明かりの下では仄かに光を帯びているように見えた。


「で、誰だと思う?」

「知らないよ。正直、僕は誰がいても驚かないけど」

「もっと興味を持ってよ。折角ここから面白い話になるのに」


 ご機嫌斜めなウイは亜莉香の方を見ていなくて、サイとは目が合った。

 肩を竦めて見せたのは、亜莉香に対してだ。


「僕が興味を持つとしたら、彼女かな」

「彼女?」


 気付いてなかったウイが振り返り、ようやく亜莉香の姿を確認した。嬉しそうに笑ったウイが少しでも傍に寄るが、バルコニーがあるのは客間で、寝室とは繋がっていない。

 それでも一メートル程の距離まで近づき、亜莉香は声を落として訊ねる。


「お邪魔でしたか?」

「そんなことないよ」

「寧ろ茶々を入れてくれて、どうもありがとう」


 後ろに立って言ったサイの脇腹が、ウイの肘によって攻撃を受けた。身を引いたかと思えば鴉になって、亜莉香のいる窓までやって来る。


「やれやれ、暴力的なのは誰に似たのだか」

「サイじゃないことは確実ね」


 ウイまで鴉になって来たので、顔を出す必要はなくなった。

 あまり大きな声で話せば寝ている人達を起こしそう。亜莉香は人差し指を口元に寄せる。それで通じたウイが軽く頷き、声を潜めて話し出す。


「アーちゃん。起こしちゃって、ごめんね。五月蠅かった?」

「五月蠅くはなかったです。それに私しか起きていませんよ」

「そのようだね。もう一つの寝室にいる連中も、誰も起きやしない。僕らの声が聞こえて、もう一人ぐらい起きてもいいはずなのに」


 ため息交じりのサイが言った。

 寝室へ降り立ったかと思えば、亜莉香の傍に椅子を持って来てくれた。風の魔法で音を立てずに、カーテンの中でも座って喋っていられるように配慮するサイは、案外周りを考えて動く。

 そっと亜莉香が腰を下ろすまで、窓辺にいる鴉は待っていてくれた。


「お二人は、いつからあの場所に?」

「飲み屋から戻った後。ちょっと飲み過ぎちゃったから、酔い覚まししたくて」

「酷いものだったよ。ピーちゃんが馬鹿みたいに酒を好むは知っていたけど、ネモちゃんまで負けないと言わんばかり酒を仰いで。何軒梯子しても、食べては飲んで騒ぐから」

「あの二人だけで、私の財布を凄く軽くしてくれたよね」


 しみじみと言ったのはウイだったが、どこか嬉しそうに頷く素振り。


「それに二人が並んで酒を交わす日が来るなんて」

「口喧嘩は絶えなかったけどね」


 呆れたサイの言葉に、いつだって口論の絶えない二人の精霊の姿は容易に想像出来た。どこでも、いつでも、喧嘩するほど仲が良い二人という結論で落ち着く。


「それでその二人…ピヴワヌとネモフィルはどこに?」

「飲み足りないピーちゃんは、アーちゃんのお友達の晩酌に誘われて行ったよ。ネモちゃんは眠くて仕方がないから、近くの水辺に」

「近くに水辺なんて、ありましたか?」

「半径数キロ以内なら、ネモちゃんにとっては近場だろうね」


 答えになっていない答えを貰い、亜莉香は納得するしかなかった。

 何となく夜空を見上げ、この場にいない二人の精霊を想う。

 亜莉香の友達と言われ、ピヴワヌを晩酌に誘うとしたら一人しかない。シンヤの元にいるはずのピヴワヌは、今日だけで一体どれだけの量を飲んでいるのか。それに負けないように対抗していたネモフィルは、一体どこで休んでいるのか。

 考えても分からないけど、二人が楽しい時間を過ごせていたのなら嬉しい。

 眠気が覚めてしまった亜莉香を見て、サイも外を眺めて問う。


「ねえ、アーちゃん」

「何ですか?」

「君は今、幸せかい?」


 突然の質問に少し驚いたが、亜莉香の口角は上がった。


「ええ、幸せですよ」

「そうか。それでも、この先の未来で、君が悲しくなったり泣きたくなったり。途方に暮れて動けなくなったりした時は、僕の名前を呼べばいい」


 どこかで聞いた台詞に、亜莉香は視線をサイに向けた。

 ウイは黙っている。月を見上げるサイは優しげな顔で、そっと言葉を紡ぐ。


「救われる資格も、必要もなかった僕を助けたのは君だ。君が嬉しかったり楽しかったり、どこか遠くに行きたくなったりした時も、僕の名前を呼べばいい。いつだって――君が僕を呼んだら、どこに居ても飛んでいく」


 真っ直ぐに亜莉香を見据える瞳は、宝石のペリドットを思わせる色だ。

 その瞳の奥に光が宿り、名前を呼ばれることを亜莉香に願う。


「君なら、僕の名前だって呼べるだろう?」


 妙に自信に溢れた声だった。目の前にいる鴉の名前なら知っている。それでもサイが願っているのは、ただ名前を口にすることではない。それだけなら亜莉香でなくても良い話。

 言葉に詰まった亜莉香に、今度はウイが話し出す。


「サイだけじゃなく、私の名前も呼んでね。私達は二人で一つ。一緒に居る時こそ、その力を強く発揮できるから」

「だな。僕は風を捕まえ、風と謡う」

「私は風を駆け抜け、風と遊ぶ。私達はシノープルを――貴女を守る風になる」


 同じ色をした瞳が亜莉香を見つめ、その翼を広げた。

 ウイの羽が一枚、零れ落ちる。その羽は真っ白で、亜莉香の膝の上に舞い落ちた。羽を両手で優しく包み込めば、とても柔らかくて温かい。視線が下がっていた亜莉香に、降り注ぐような優しい声が問いかける。


「僕が風を捕まえるのに、必要なものは何だと思う?ウイが風を駆け抜ける為に、何を身に纏っていると思う?」


 それが答えだと言わんばかりに、サイが言った。

 顔を上げれば、ウイと並んで亜莉香の言葉を待っている。まだ何も言えないのに、と困った顔をすれば、握っている羽から伝わる温かな何かがあった。


 夜風が亜莉香の頬を撫でる。

 月夜の空に舞う、二羽の鴉の幻を見た。


 遊ぶように軽々と空を駆け抜ける鴉と、その鴉を追いかける鴉。羽のように軽く急転換しては、もう一羽を困らせる。困った鴉が風を捕まえ飛びながら、謡うような声で鳴いた。

 どちらの鴉も、風を衣のように身に纏う。

 そして先を行く鴉の羽がまた、一枚だけ輝くように舞った。

 やがて羽は二つの金属を合わせた鎖に変わって、音も立てずに消えた。

 二羽の鴉も見えなくなった。


 その幻が意味する言葉を、瞳を伏せた亜莉香は心の中で考える。間違ってもいいやと思いながら、目の前にいる白い鴉達を見据えた。微笑んで、そっと口を開く。


「貴方達の傍にある風は、とても美しく、決して色褪せない衣みたい」


 ウイとサイが静かに言葉の続きを待つから、少しだけ自信が湧いた。


「風を駆け抜ける為に、その身に纏っているのは羽ですね。軽くて、掴みどころがない風と一体の羽。そんな風を捕まえる為に必要なのは、形ないものを繋ぎ止める鎖だと思います」


 だから、と一呼吸を置く。

 手にしている想いを意識して、意味を知って名前を呼ぶ。


「貴方達の名前は――羽衣と鎖衣」

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ