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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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88-6

 荷造りするものがない亜莉香は、とても暇である。

 夕食を食べ終え、お風呂にも入った。広々とした湯船で長々と寛ぎ、寝間着姿で、寝室の椅子に座って温かいスコーンと共に紅茶を味わう。使用人の女性が用意してくれた夜食は、客間で食べても良かったけど、一緒に食べようと思っていた人達は皆忙しい。


 明日の朝には王都に向かって発つことになり、荷造りしてないと騒いでいた。

 普段から整理していたのはトシヤだけで、そのトシヤもトウゴに泣きつかれて荷造りに協力中。着替えすら持っていなかった亜莉香は最低限のものを貰い、それらは一緒に貰った鞄一つに収まった。


 精霊達はと言えば、夕食だけでは足りずに街に繰り出した。

 夕食後に部屋に戻ろうとして酒が足りないと最初に言ったのはピヴワヌだ。即座にウイに声をかければ、誘われなかったネモフィルが不機嫌になった。サイが茶化せば、ますます機嫌が悪くなったのに、ピヴワヌの一言でネモフィルは脱力した。

 ウイは財布だ、とピヴワヌが宣言した。

 その言葉を、亜莉香は何度も聞いていた。

 得意げなウイは財布と呼ばれて胸を張り、ネモフィルと腕を組んで街に誘った。街に行くと言いながら、目指す場所は酒場だと公言していた。酒が飲めないサイも面白そうだと一緒に行き、小さなフルーヴは亜莉香が寝るベッドの上で爆睡中。

 小さな兎が大の字で、気持ち良さそうに寝ている。

 そのお腹が膨れるくらい夕食を食べ、もう食べられないと寝言を零す。


 手前のベッドでは、ルカがせっせと荷物を詰める。そこまで時間のかからない荷造りをするルカの邪魔にならないように、静かに外を眺めた。


 明日の朝、シノープルを離れる。王都へ行く。

 亜莉香を探しに来てくれた面々に加え、透も行くと言い、精霊達も一緒で心強い。王都へ向かうまでの道のりについては、名案があると透が言っていた。明日の朝にならないと名案は発表されないが、それでも数日かかると予想。

 どんな名案にしろ、ガランスに帰る前に、やるべきことがある。

 帰ったところで、また何かに巻き込まれるのが嫌なのだ。帰っても安心の出来ない状態ではなく、穏やかな日々を過ごせる居場所が欲しいから、行き先を決めた。

 誰も反対しなかった。

 帰る場所は一緒だと言ってくれた。


 表面はカリッと、中はふわふわのスコーンを一口齧る。沢山の胡桃の入ったスコーンは、塩が効いていた。砂糖を引き立てる塩は旨味が滲み、温かな甘くない紅茶と合う。ほっと一息ついて、ティーカップをテーブルに戻した時にルカに名前を呼ばれた。同時に何か飛んで来て、投げられたものを見事に受け止める。顔を見合わせ、安堵したのはルカも同じだった。それから両手に収まったものを、亜莉香は見下ろす。


 手の中にあるのは、小さな手鏡。

 菖蒲の描かれた金色の蓋の中心に、埋め込まれた一粒の金色の宝石。見間違うことのない手鏡はリリアから貰い、温泉街でフミエに手渡したもの。


「それ、フミエから預かっていたのに返し忘れていた」


 投げたことを悪いと感じたルカが、傍まで来て言った。

 すっかり忘れていたのは、亜莉香も同じ。蓋を開ければ一面が鏡で、微笑んで幸せそうな顔が映った。その手鏡を閉じ、顔を上げてルカに笑いかける。


「届けてくれて、ありがとうございました」

「どういたしまして。忘れかけていたけどな」

「それは私も、ですよ」


 ルカは向かいの椅子に座った。荷造りは終わったのか訊ねる前に、休憩と言った。空いていたティーカップに手を伸ばし、亜莉香は紅茶を用意する。

 静かな時間の中で、そっと口を開いたルカが問う。


「王都に行くの…不安じゃないか?」

「不安ですよ」


 温めたティーカップに紅茶を注ぎながら、即答した。


「正直、怖くもあります。私の役目とか、力とか。投げ捨てて逃げ出したいけど、逃げてばかりでは駄目なのです。いつか立ち向かう日が来る。私にとって、それが今なのだと思うのです」


 冷めないうちに、紅茶を差し出した。

 亜莉香は残っていた紅茶を口に含み、肩の力を抜く。水面に映った表情は穏やかで、不安も恐怖の欠片もなかった。映っていたのは自分自身で、真面目な顔したルカを見る。


「不安なことも怖いことも、嫌なこともあるけれど。立ち向かう勇気を手に入れたのなら、その先に何があったとしても前に進みます」

「…強いな、アリカ」

「いえ、まだまだです。戦闘では実績が少ないので、お時間がありましたら、色々な武器を用いて戦えるか試してみる予定です。薙刀でも日本刀でも、扇でも。まずは己を知るところから始めようかと」


 しみじみと言ったルカに意気込めば、紅茶を零しそうな勢いで肩を震わせ笑われた。そうじゃない、と小さな声は聞き取れず、亜莉香もティーカップをテーブルに戻す。テーブルに肘をつき、片手が口元に寄ったルカの笑いが止まるまで待つ。

 どこで笑われたのか。

 首を傾げていた亜莉香に、気の済むまで笑ったルカが笑みを零した。


「アリカは時々、見当違いのことを言うよな」

「そうですか?」

「誰でも勇気を持てるわけじゃないし、前に進めるわけじゃない。それを強さだと、俺は言いたかっただけ」


 笑い疲れたルカが紅茶で喉を潤し、スコーンを手に取った。満足そうに頬張っている間に、言われた意味を考え直す。

 確かに一人ぼっちだった頃の亜莉香なら、勇気を持てなかった。

 前に進もうとは思わなかった。

 それが強さなら、その強さを与えてくれたのは周りの人達。立ち止まっていた身体を支えてくれて、自信を分けてくれた。顔を上げるように背中を押してくれる人もいれば、隣を歩いてくれる人もいた。


 幾つもの出逢いが、今を創った。

 その今に想いを馳せれば、再びルカが口を開く。


「実際、戦力として強いのは――誰だ?」

「誰でしょう?魔法ありなら、精霊達の本気は天災級らしいですよ?」

「今日みたいな宴会の席の姿を見ていると、考えられない話だな。というか、時々あいつらが精霊であることを忘れる」

「私は頻繁に忘れていますね。特にフルーヴは、目を離せない小さな子供ですので」


 眠っている小さな兎を振り返った。

 まるで狙ったかのように、寝返りを打ったフルーヴの口からよだれが垂れそうになる。食べ物の夢を見て幸せそうに、おさかないっぱい、と呟いた。

 微笑ましい姿に、亜莉香は人差し指を口に当てた。その仕草で、ルカには意志疎通出来たはずだ。お互いに静かに紅茶を楽しみ、スコーンを食べ終えたルカが席を立つ。


「さて、俺はもう少し荷造りするけど。アリカは?」

「何かしたいのですが、思い浮かばないのですよね。何か手伝うことあります?」


 まだ眠くなくて、思わずルカに訊ねた。

 少し悩んだルカだったが、すぐに亜莉香に提案する。


「手紙は?」

「手紙、ですか?」

「ユシアやフミエに、一言でも。アリカの無事はトシヤとか、イオ経由でルイが伝えているはずだけど、アリカから直接連絡した方が喜ぶだろ?こんな時間に水鏡は相手に悪いだろうし、何より相手側が慣れていないだろうからさ」


 ルカの言う通りで、納得した亜莉香は手を叩いて喜びを表現した。


「そうですね。そうします。便箋と封筒は買ったので、シンヤさんに言えば、他の道具を一式。貸してくれるでしょうか?」

「シンヤじゃなくて、使用人の誰かに言えば良いだろ。必要な道具は用意してくれると思うけど…今、この時間にシンヤを訪ねようと考えるなよ」

「でも、この屋敷で頼めば何でも頼まれてくれるのは、シンヤさんでは?」


 何より使用人より頼みやすい、とは言わなかった。わざわざ使用人を呼ぶまでのことでもない。質問を重ねれば、眉間に皺を寄せつつルカは頷きそうになる。けれどもゆっくり首を縦に振り、いやいや、と腕を組んで言う。


「アリカ。既に寝間着だろ?」

「寝間着は失礼でしたね。ルカさんのように着替えてから行きます」

「そういう問題じゃない。風呂前の俺でも、この時間にシンヤの所に行かない」

「ですが、まだ寝る時間じゃありませんよ?」


 引き下がる気のない亜莉香に、ルカは片手で頭を抱えた。

 その隙にテーブルを簡単に片づけ、トシヤに買って貰った肩掛けを羽織る。寝間着として用意して貰ったのは、庶民の手の出る価格帯のものではない。肌触りの良い布で、透けない無地の薄紅だ。帯は深い赤で、薄っすらと伝統的な花菱の文様が浮かぶ。

 敢えて言うなら、温泉街で浴衣のまま外に出るのと同じ。

 着替えなくても外に出られる格好だと、亜莉香は自分を見下ろした。


「ね?」

「ね、じゃない。行く前にトシヤの所に行ってみろよ。絶対に止められるから」

「止められるでしょうか?どこもおかしな所はないのですが?」


 疑問をぶつけながら、何を言っても無駄だと悟ったルカと一緒に寝室を出る。誰もいない広々とした客間を横切って、トシヤ達のいる寝室の扉を亜莉香は叩いた。

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