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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
436/507

87-1 Side灯悟

 三杯目のおかわりを頼むか。

 空になったカップを見下ろして、トウゴは悩んだ。

 西側の大通りに面して二階にあった喫茶店は、比較的空いている。空席もあり、静かな音楽が流れる店内は落ち着いていた。店内は焦げ茶の家具で統一され、若い客ではなく高齢者が多い。男女比で言えば、僅かに男が多かった。一人客が半分を占め、トウゴが一人で過ごしても違和感なく馴染める。


 二階の窓の席から見下ろすと、多くの人が行き交い笑っていた。

 わざわざ東側を薦めたのだから、トシヤ達が足を運ぶことはないだろう。治安が悪いと言えば、過保護なトシヤがやって来るとは思えない。思う存分一人でぶらぶらして探していたのは、トウゴの前から姿を消した雪のように白い髪を持つ女性。


 その存在も、いつも雪のように溶けて消えてしまう。

 その姿を、見つけることは叶わなかった。


 もう街には居ないのかもしれない。そもそもの話、トウゴに会いたいと思っていないだろう。気にかける素振りなんてされたことがなく、どちらかと言えば無視されることが多かった。

 それでも探したのは、何故か彼女が気になったから。

 その理由は、探している本人ですら分からない。

 彼女との出会いは、と考えたところで、誰かが傍に来た。


「相席いいかな?」

「どうぞ」


 反射的に答えて、疑問が浮かんで振り返る。

 一人の少年がいた。ぼさぼさの深緑の髪の、毛先は僅かに黒い。白い着物に桜柄の帯で、森に溶け込む緑の無地の着物を羽織っている。ペリドットを思わせる明るい緑の瞳が驚いたトウゴを映し、弧を描いて微笑む。


「サイ、様?」

「君が様付けするなよ。呼び捨てでいい。彼にもう一杯と、僕にも同じ珈琲を」


 水を置きに来た店員に声をかけ、サイは向かいの席に座った。

 深く腰掛け、水で喉を潤してから話し出す。


「一人になりたいときに邪魔したなら、謝るよ。ごめん」

「いや、違いますけど――」

「敬語も要らない」


 有無を言わせない空気を感じ、トウゴは頷いた。

 サイが来るまでのトウゴのように、窓の外を眺めるサイの眼差しは柔らかい。全てを愛おしそうに眺めて、頼んだ珈琲が来るまで、ぽつりと話し出す。


「誰を探していたか、当ててやろうか?」

「へ?」

「ヒナと名乗っている女」


 ずばりと言い当てられ、トウゴは目の前の精霊を凝視した。水の入ったグラスを揺らしたサイは、窓の外を眺めたまま動かない。


「半分は勘で、当てずっぽうだったけどね。その様子だと当たりだ。君達、知り合いだったよな。君達の関係は少々気になって調べたから、過去のことは言わなくていいよ」


 過去、と言われて、動揺を隠す。

 精霊の情報網を侮っていた。トウゴが闇を抱えていたこと。逆らえなかったとは言え、精霊にとって敵対する立場にいたことを、サイは知っている。


 座っているのさえ居心地悪くなっても、精霊相手に逃げられない。

 逃げたところで無駄だ。天地を揺るがす災害さえ起こしえる存在に、余計な事をすれば周りに被害が及ぶ。その被害に街にいる人達を巻き込めない。穏便に済ますことこそ重要だと、分かっているからこそ境界線を引きたかった。

 まさか精霊の方から、トウゴの元にやって来るとは。

 ピヴワヌやフルーヴならまだしも、サイとの繋がりはない。

 黙っていれば、サイも黙った。静かな店員が珈琲を置いて、さっさと席を離れる。その瞬間を見計らったかのように、サイは指を鳴らした。一瞬で魔法が発動して、淡い緑の光が目の片隅に見えたが消えた。

 何が起こったのかまでは分からない。

 珈琲に手を付けずにいれば、サイが一口飲んでトウゴに訊ねる。


「飲まないのかい?冷めてしまうよ」

「…はい」

「敬語なし、と言った所で、君は中々聞き入れなさそうだね。警戒しているようだけど、別に取って食いやしないさ。ピーちゃんやネモちゃんじゃあるまいし、そんなこと言わない。僕はただ――君と話がしたかっただけ」


 そっと添えるように言い、困ったように微笑んだ。


「それから魔法を使ったのは、これから話すことを、あまり周りに聞かれたくなくてね。音だけ、聞こえないように遮断した。場所を変えて、もっと人と距離が取れて話せる場所に移動しても構わないけど、それより元に戻した方がいいかな?」

「いえ…いや、そのままで大丈夫」


 敬語を失くすように意識して言えば、あからさまに安堵の息をサイは零す。

 どこか相手の様子を伺うような態度に、トウゴの方が立場は低いと考える。精霊達が懐いている少女なら、その対応でも納得するのに、トウゴ相手には首を傾げたくもなる。

 ひとまず落ち着こうと、珈琲をすすった。淹れたての珈琲の入ったカップを置けば、サイも同じようにテーブルにカップを戻す。


「まず、君と話したかったことは二つ」


 一つ目、とサイは右手の人差し指を立てる。


「君の知り合いであるヒナについてのお願いだ。彼女は僕の主が気にかけていた人間でね。知り合いなら、今後も気にかけてくれると嬉しい」

「俺が?」

「君以外、適任者がいない。アーちゃんも知り合いのようだけど、これ以上の負担をかけさせたくない。ヒナの周りに纏う闇は深い。その闇に落ちないように誰かが見ていなければ、また簡単に落ちてしまう」


 軽い口調と裏腹に、サイの瞳は真剣だった。


「見張り、というと悪く聞こえるかもしれない。見守って欲しい、と言えば、いいと思う。僕のように、周りの力を借りて救われる存在もある。自分の力だけでは立っていられなくなるのさ。彼女も、こちら側だと思うからね」


 しみじみとサイが言い、トウゴは遠慮がちに問う。


「知り合いとは言え、俺は居場所を知らないけど?」

「会いたい気持ちがあって願い続ければ、縁は簡単には切れない。その気持ちを、お互いに持ち合わせているなら尚更さ」


 お互いに持ち合わせているかは、甚だ疑わしいことである。少なくともトウゴは会って話してみたいと思うが、ヒナと顔を合わせたところで、再び無視されるか。嫌そうな顔を返されるか。

 首を縦に触れずにいれば、まあ、と声が続いた。


「あくまで、お願いだ。無理にとは言わない。これは君にだって選ぶ権利があることだ」

「お願いされたら、断りにくいけどな」

「君も、アーちゃんみたいにお人好しで助かるよ」


 はっきりとは言わなくても、サイの中では承諾された認識になった。

 この際だと思い、トウゴから質問する。


「サイの主様は、何故ヒナを気にかけているわけ?」

「完全な個人的な感情だよ。ただ単に、初恋の人に面影が似ていたと」


 あはは、と笑えてないサイが珈琲に手を伸ばす。


「そのせいで主の惚気を聞かされた時には、僕だって逃げ出したくなったよね。かっちゃんの運命の初恋の出会いなんて、興味の欠片もない。ウイは嬉々として話を聞いていたけど、僕は眠たかった」

「…そうか」

「話が長いのだよ。永遠と同じことを繰り返すし、物忘れが激しくなったのかと。何度か疑いたくなった。そのくせ面倒くさがりだから、後は任せたで、ヒナのことを僕に丸投げ」


 苦い珈琲を飲みながら、暫しの沈黙が訪れる。

 深いため息をついたサイは再び顔を上げた。真っ直ぐにトウゴの瞳を見据える。テーブルに膝を置くと、二つ目、と今度は人差し指と中指を立てた。


「こっちは君にとって避けられない事実で、その意味をよく考えて欲しい」


 一段と低くなった声は静かに響いた。


「これは君に伝えるべき事実だが…正直、どう伝えるべきか迷った。君は母親のことを、どれくらい知っている?」

「母親…?」


 聞き返せば、小さく頷き返された。

 急に出てきた単語に戸惑う。母親と言われ、覚えていることは少ない。最近では顔すら朧げになって、思い出すことも少なかった。

 いつだって父親の隣で笑っていた母親を想い、口を開く。


「ナノカ、って名前は覚えている。実家を追われた先で父と会い、すぐに結婚したと。絵本を読んでくれたり、遊んでくれたりした記憶はあるけど。他はあんまり覚えてない」


 昔の話で、と続けようとして言えなかった。

 おぼろげな記憶が蘇る。物心ついた頃は家族三人で深い森の中で隠れて暮らしていた。その後に追手が来て、隠れていた家を出て、各地を移動しながら旅をしていた。

 両親の最期を思い出すと、珈琲の苦みのような感情が心に広がった。

 そうか、と相槌を打ったサイは、母親の最期も知っているに違いない。深く追及することなく一息つき、そっと言う。


「君の母親は…ナノちゃんは、隠れ里の出身だ」


 驚いたトウゴを見ず、サイは珈琲の水面を眺めていた。


「中々魔力の強い子供でさ。母親はナノちゃんを産んだ時に、父親はその後を追うように病死してしまった。親代わりに僕が育てて、お転婆な女の子だったよ」


 トウゴの知らない母親の話に、ただただ茫然とした。

 こんな風に繋がるとは思わなかった。サイはトウゴを見向きもしない。まるで見下ろしている水面に本人を思い浮かべているようで、ふっと笑みを零す。


「隠れ里の中では珍しく、精霊の血を受け継いでも短命な人間が多かった一族の末裔。短命と言っても精霊と比べた場合の話だ。皆、里の中で静かに一生を終えた。今にも切れそうな細い血筋を残し、唯一無二の家名を受け継いでいた。僕は君の存在を数日前まで知らなくて、その家名は途切れたと思っていた。けれども君がナノちゃんの息子であるなら、事実として受け継いだ家名を知っておくべきだろう」


 珈琲を一口飲んだサイが、そっとトウゴに目を向ける。


「一度しか言わないぞ」

「…ああ」

「ナノちゃんの名は――菜乃花・クロンヌ・ルリユール」


 心の中で、母親の名前を繰り返した。

 聞き慣れない家名。馴染みのない家名に似た家名なら、この国に住まう者は誰もが知っている。関連があるのか訊ねる前に、サイはため息交じりに話し出した。


「今の王家の、エスポワール・ルリエール家の縁者。王位を継承する過程で弾き出された、正統な王位継承者であるべき一族の家名さ」

「…正統な?」

「王の証である王冠を継ぐべき一族だった、とでも言い換えるよ」


 次々と提示される情報に、頭が混乱しそうになる。何とか落ち着こうにも、突き付けられた事実の衝撃が大きい。王家との関わりなんて考えたこともなかった。これから先も関わることはないと思っていた。

 珈琲を持つ手が震えて、飲むのを諦める。


「俺に…どうしろと?王家に戻れとでも言うのか?」

「いやいや、寧ろ関わりたくないだろ。ナノちゃんだって関わりたくなくて、里から逃げ出したようなものだ。君の存在を隠した理由の一つも、そこにあるのかもしれないな。君が王位奪還なんて考えようなら、面白そうだから手を貸すけど?」


 さっきまでの緊張を失くし、軽く言ったサイがにやりと笑った。

 肩の力が抜けて、深く息を吐く。面倒事に巻き込まれずに済むなら、それに越したことはない。ただ家族や友人の平穏を望み、もう二度と悲しませるようなことはしたくない。


 それでも否応なしに戦いに巻き込まれている少女が、不意に頭に浮かんだ。

 珈琲を飲んで一息をついたトウゴに、サイは淡々と言う。


「血の繋がりは濃い。受け継がれた血に宿る魔力こそ、誰かを救う光になるかもしれない。そのことを、胸に刻んで欲しかっただけさ」


 誰かを救う光と言われ、浮かんだのは探していた彼女。

 いつだって一人ぼっちで、頼りなさそうな印象があった。例えばトウゴより強く、戦える力も魔力もあったとしても。その傍で支えている人もいなければ、誰かと一緒に笑っている姿なんて見せてくれない。


 初めて出会った時、救われたのはトウゴの方だ。

 逆らえない力に苦しんでいた時に、何も聞かず、慰めもせずに、ただ傍に居てくれた。不意に思い出した記憶以外に、何か大切な記憶が重なる。

 トウゴの名前を優しく呼んでくれた彼女の声が、耳の奥で聞こえた。

 窓の外を眺めるサイの声で、現実に引き戻される。


「僕に言えるのは、これくらいかな。後は時間をかけて君が考えることだ。もしも君が許可してくれるなら、君の存在を里の皆には伝えたい。僕だってナノちゃんに息子がいたことを知らなかったわけで、里の皆、ナノちゃんが大好きだったからさ。息子がいたことを知れば素直に喜ぶと思う」


 どうする、と問いかけられた。椅子に深く腰掛けて、いつの間にか珈琲を飲み干し答えを待っている。少し悩み、一応の心配事をトウゴは減らす。


「里の人達に伝わったことで、そこから外に情報が漏れることは?」

「それは僕がさせない。君が家名を知らせる相手を、きちんと選べば秘密は守られる…けど、既に君の家名を知っている人間はいる。そもそも君がナノちゃんの息子だと教えてくれたのは、アーちゃんでねえー」


 語尾を伸ばしたサイが、空を仰ぐように上を見た。

 困ったような表情を浮かべ、眉間に皺を寄せて瞼を閉じる。


「アーちゃん、精霊である僕にとっても規格外。精霊の情報網より上をいくし、先を読むのが得意な僕でさえ予想しない行動を起こす。家名のことだって、アーちゃんから君に話そうかと提案されたけど、アーちゃんは事の重大性を理解していない節があるだろ?」


 答えを求めていない言葉を投げかけられた。

 呆れも混ざった口調には、どこか仕方がないと言いたげな雰囲気がある。

 名前を出した少女のことを思い出し、サイの口角は上がっていた。サイにとって親しき存在となっているのは、表情を見れば分かる。

 トウゴにとっては命の恩人であり、幸せを願う人。

 天井を見つめたサイは、そっと話し出す。


「アーちゃんにとって、王族とか精霊とか。そこに区別はないようなものだ」

「それは分かる気がする。誰に対しても、アリカちゃんは壁を作らない人かな」

「そうじゃなきゃ、ピーちゃんはあんなに懐かない」


 断言したサイが、椅子に座り直した。まだ話は続きそうだ。

 珈琲片手に話をしようとすれば、サイは空のカップを指先で揺らした。


「それにしても、アーちゃんの周りには精霊が集まり過ぎだ。ピーちゃんだけでも戦力として問題ないのに、ネモちゃんやウイまで混ざったら、いつか天災を起こしそうじゃないか」


 指で弾いたカップの音が響く。聞いているだけで物騒な話になり、珈琲をすする。ついでに言えば、とサイは言った。


「アーちゃんの周り集まる人間もおかしい。精霊に対する認識とか対応とか、常識を忘れ始めているか心配だよ。精霊相手に殺気を出して勝てる気の人間、頭おかしくないか?」


 吹き出しそうになって、珈琲が喉に詰まった。

 頭がおかしいと言われているのは、トウゴにとっての家族であり友人達。人の感覚でなくても認識されることは常日頃、トウゴも感じていたことである。


「あれは、その…皆、アリカちゃんのこと大好きだからね」

「想いだけで動く連中程、厄介なことはない」


 どこか他人事のサイでさえ、たった一人の少女の身に何かが起きれば駆け付けるのだろう。それはトウゴの勝手な予想ではあるが、あながち間違いではない筈だ。

 お互いの珈琲は空になったが、サイは立ち上がらない。


「――話は変わるが」


 重々しい前置きをして、急にテーブルに肘を置いて両手で顎を支える形を取った。さっきよりも重要な話をする雰囲気に、まだ何かあったのかと身構える。


「かっちゃん捜索を抜け出したことがばれないよう、口裏を合わせてくれると助かる」

「…抜け出してきたわけ?」

「途中で、やる気が失せた」


 帰りたくないとぼやくサイが、この場に居座っている理由が分かった。精霊であるサイとの間に引きたかった境界線が、いつの間にか消えている。

 奇妙な縁が繋がったと思いつつも、悪い気はしなかった。


「なら、街を案内してくれないか?適当に美味い飯でも食べたい。珈琲ばかりで水腹だ」

「いいねえ。僕は射的がしたい。腹ごしらえの前に運動しよう」

「得意なのか?」

「そこそこね」


 思わず質問すれば、年相応の嬉しそうな顔が返って来た。囲っていた魔法が解けて、会計を置いたままのサイが足取り軽く先に行く。

 何だかな、と思いつつも、トウゴは後を追うことにした。

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