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呼び出したピヴワヌは現れた途端、正座して頭を下げた。言われなくても何をしでかしたか分かっている様子。一緒にウイとサイまで戻って来て、トウゴの姿だけがない。
「今まで、どこに?」
たった一言すら、恐怖の対象になったらしい。
土下座している精霊三人の身体が震え、もごもごと何かを言うが聞こえなかった。既に土間で正座して待っていた亜莉香は笑みを浮かべたまま、はっきりと聞こえるまで待つ。
「怖い」
「怒らせちゃ駄目だよね」
ぼそぼそと聞こえたのは、土間の隅で待機する、と言い張ったルカとルイの声。二人の声は聞き流す。最初は席を外そうとしたトシヤは何も言わない。
三人には背を向け、亜莉香はため息をつく。
「今、ネモフィルは二階にいます」
話し出した亜莉香に、精霊達の肩が上がった。
「ローズさんと蕾さんが二階で宥めていますが、まだ薬の効果が消えません。何か対処方法があるなら教えてほしいのです。あの帯の持ち主は私で、責任の一部は私にありますので」
正直に話ながら、怒っていないことが伝わることを祈った。
顔を上げない三人が小声で話し出す。
「ツボミとは誰だ?」
「私も知らない」
「僕も同じく」
両脇にいたウイとサイも言い、ピヴワヌの疑問に亜莉香は答えなかった。説明し出せば、話を逸らされそうな気がする。
亜莉香と精霊達の我慢大会が始まって、土間の中が静まり返った。
耐え切れなくなって胡坐を掻き直し、口を開いたのはピヴワヌだ。
「惚れ薬だけの解毒剤を作れたのは、ばばあだ。儂は知らん」
開き直ったピヴワヌは清々しく言い切った。ウイとサイはおそるおそる姿勢を戻し、遠慮がちに発言する。
「ごめんなさい。私やサイは魔法薬について専門外で、解毒剤の作り方は知らないの」
「正気に戻った後のネモちゃんが怖くて、逃げてごめんね。僕達は解毒剤を作れないけど、探してくることなら出来るよ」
ウイとサイの誠心誠意の謝罪を受け取った。舌打ちをしたピヴワヌが余計なことを言うなと釘を刺す。この場合の余計なことは、サイの言葉の前半部分。正気に戻ったネモフィルが怖かったのは、ピヴワヌも同じこと。
今はネモフィルを元に戻すのが先で、戻った後のことは脇に置いておく。
「そうなると――どうすれば良いのでしょう?」
具体的な解決策が出ていない。
困った亜莉香が首を傾げれば、不意に後ろから声がした。
「トオルは?」
「あまり期待は出来ないな。ばばあの得意分野が魔法薬であったが、あいつは違った筈だ。寧ろ苦手分野だったと誰かに聞いたような」
「それ、言ったのはネモちゃんじゃない?」
「魔法薬を作る過程で邪魔をして、爆発させたのは母さんだけどね」
名前を出したトシヤに、ピヴワヌが反論した。ウイ至っては話を大きくして、サイは昔を懐かしむように語る。
「凄かったらしいよね。爆発して地上から数十メートル飛ばされ、何が起こったか分からなかったと。髪が乱れて大変だったとも聞いたよ」
「それくらいで済んで良かった話でしょ。ネモちゃんを怒らせるより」
「ばばあは、怒らせると根に持つ奴だ。自分のことは棚に上げて、儂ばかりねちねち責める。それで何度、儂が酷い目に遭ったことか」
話が進まない。不意に思い付いたことを、亜莉香は口にする。
「では――解毒剤以外に何か方法ありますか?」
あればいいのに、と軽い気持ちで言った。対して精霊達は一斉に口を閉ざし、それぞれが視線を泳がせ、亜莉香を見ない。
とても分かり易い。あからさまに何かあると、態度で示された。
それならそうと早く言って欲しい。眉間に皺が寄った亜莉香は言う。
「方法が、あったのですね」
「一発で治す方法はあるって言えば、あるけど」
「僕は遠慮する」
「儂だって嫌に決まっている」
詳しい説明をしないで、サイに続いてピヴワヌまで嫌がった。困った顔をしたウイは腕を組み、深く考える仕草をする。
「うーん。この場合、原因を作ったピーちゃんが適役じゃないの?」
「そうだ。ピーちゃんが喧嘩を売らなければ、今回の惨事は起こらなかった。つまるところ、ピーちゃんがネモちゃんを元に戻すのが正しい」
「嫌だと言っているだろうが」
正座を崩さぬまま何度も頷いたサイを、頑なに首を縦に振らないピヴワヌが睨んだ。ピヴワヌの着物を掴んで、落ち着かせようとするのはウイである。
サイはピヴワヌを見向きもせず、亜莉香に訊ねる。
「アーちゃんも、そう思うだろ?」
「全く話が見えないのですが、何をすると治るのですが?」
同意を求められて、亜莉香は首を傾げた。サイがにやりと笑う。
「愛の口づけ」
「その言い方は止せ」
思わずピヴワヌの手が出て、サイの頭を後ろから叩いた。結構ないい音が響き、ウイは苦笑い。ふん、鼻を鳴らしたのはピヴワヌであり、ルカやルイの内容までは聞こえない会話が凄く気になる。
つまり、と亜莉香が聞き返せば、肩を竦めたウイが説明してくれた。
「正確に言うと、魔力を流して魔法薬の効果を打ち消しちゃう的な。荒業とも言える話ね。誰でも出来るわけじゃなくて、力の強い精霊とか人間なら可能。口じゃなくてもいいけど、効果的なのが口づけなの」
「御伽噺でよくある話さ。王子の口づけで、姫が目を覚ます」
「戻った直後に、儂は半殺しに遭う」
明るいサイとは対称的に、呟いたピヴワヌの声は暗かった。
「季節外れの猛吹雪と一緒に追いかけられてみろ。身体は凍りそうになるは、捕まったら二度と逃げられない恐怖を味わうは。あんな体験――一度で十分だ」
「「…ん?」」
亜莉香の代わりに、ウイとサイが声を発した。
聞いた話を整理して、ピーちゃん、と同時に名前を呼ぶ。
「その話し方だと、既に経験済みに聞こえるよ」
「そんなことないよね?ネモちゃんに口づけしたことあるとか、言わないよね?」
両脇からの質問に、そっとピヴワヌは耳を塞いで瞳を閉じた。無言の肯定、というに相応しい行動でもあり、おそらく土間の中にいる全員の視線を集めた。
かける言葉が見つけられなかった亜莉香を他所に、ピヴワヌの両脇が騒ぎ出す。
「あるの!まさか初めてじゃないの!?」
「ピーちゃん、ちょっと詳しく話してよ!」
「ええい!五月蠅い!昔の話を掘り起こすな!!」
身を乗り出したウイに便乗して、サイまで楽しそうな声を上げた。
ピヴワヌにとって、相当苦々しい過去のようだ。叫んだピヴワヌが着物を掴んでいるウイと、肩を組む勢いで傍に居るサイを引っぺがそうとするが、二人がかりで苦戦する。囲まれているピヴワヌは人の姿では二人より小さいし、逃げることは叶わない。
今のネモフィルのことなど、そっちのけだ。
静まらない精霊達を前にして、亜莉香の悩みの種は尽きなかった。




