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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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84-4

 誰よりも近くにいたウイに向かって駆け出そうとして、それは呆気なく失敗した。見事に何もない場所で滑って転んだローズを、誰も助けない。

 呆然としていたウイとサイは、突然現れた存在を信じられずに動かなかった。片膝を立て、木の枝に座り直したピヴワヌはため息をつく。ネモフィルは宙に浮かび、亜莉香に抱きついたまま首を傾げる。


「ローズ…貴女、生きていたの?」

「あれま。どこに行っても、そんな認識なの?」


 転んだまま顔だけ上げて、寝そべった状態でローズが言い返した。

 どちらかと言えば可愛い系の顔をして、にんまりと笑う。


「皆が勝手に勘違いしていたみたいだけど、ちゃんと生きていたよ。ちょっとだけ眠っていたの。そして私はアーちゃんとの約束を果たす為に、ここに来たのだよ」


 ここに、を少しばかり強調したローズに、亜莉香ではなくピヴワヌが反応した。


「約束?」

「悪い話じゃないよ。二十年前の真実を少々。私が眠るきっかけとなった出来事を話すと、アーちゃんに約束したの。ピーちゃんは相変わらず、主に関することだと目の色が変わって怖いねー」


 睨まれたローズは誰にでもなく同意を求め、気楽に笑った。

 二十年前の出来事に関心を持つネモフィルの、回している腕に力が込められる。触れている肌から緊張が伝わり、その前に、と前置きしたピヴワヌが亜莉香を見た。


「いつ、この間抜け梟に会った?」

「ご神木の様子を見に行った時ですね」

「アーちゃんを怒らないでね。私が口止めして、何も言わないように念を押したの。と言うより、間抜け梟って私のこと?」


 平然と答えた亜莉香に続いて、ローズも言った。ピヴワヌは否定しない。

 まあ、とどうでも良さそうに言い、ローズはゆっくりと立ち上がった。


「呼び方は何でもいいけど、アーちゃんとの約束を果たす前に、終わらせなくちゃいけないことがあるよね」

「終わらせなくてはいけないこと、ですか?」


 繰り返した亜莉香に、顔を上げたローズが怪しく笑った。それは背筋が凍る笑みだった。何かを求めて、ローズが右手を差し出す。その手のひらには何もない。近くの木々の葉が揺れて、やけに静かになった空間で口を開く。


「さあ、アーちゃん」


 ローズが名前を呼んだのは、間違いなく亜莉香だった。

 ピヴワヌとネモフィルが身構える。その先に続く言葉を知っているかのように、青白い顔になったのはサイであり、怒ったように顔を赤くしたのはウイだ。傍に居る精霊達の様子など気にせず、ローズは訳の分からない亜莉香を見つめる。


「サイをこっちに渡してもらおうか」

「…え?」


 ローズの言っている意味が、亜莉香には分からなかった。

 まるで亜莉香の意思で全てが決まる、という風に聞こえた。

 ローズにサイを渡してしまえば、何か恐ろしいことが起こる予感がある。不安を抱いてしまったのは、ローズの怪しげな笑みのせいだ。

 ローズは亜莉香の言葉を待つが、何を言えば正解なのかも分からなかった。

 両手を強く握りしめたウイは、ローズに向き直って言う。


「絶対に駄目」

「そのまま闇を宿していて、かっちゃんの身に何かあってからは遅くなるよ?それにサイと正反対のウイなら兎に角、かっちゃんは闇の影響を受けないとは言えない。私だってサイが闇を宿していると気付いたからこそ、契約破棄を行ったわけだし」


 知らなかったでしょう、と訊ねたローズに対して、ウイは一歩も引かなかった。


「かっちゃんは闇になんか負けない。サイも、もう二度と過ちは犯さない」

「そうは言っても、危険な要素は早めに切り捨てたいとは思わない?」

「だからとて、そう簡単にいくものか」


 ウイに加勢するように、ピヴワヌが地面に降り立って言った。亜莉香達に背を向けた背中は逞しく、堂々と胸を張って腕を組む。


「暴走しそうになったからこそ、今度は一線を間違えずに済む。過ちを知ったからこそ、自らの罪を償える。消してしまえば終わりなんて、儂は納得せん」

「…ピーちゃん」


 消えそうな声で、サイが名前を呼んだ。

 振り返ることのないピヴワヌに、ネモフィルもウイも黙って頷く。


 話を聞いていた亜莉香は少しずつ、ローズの意図を理解した。

 過ちは二度と起きない、なんて誰にも言えない。またいつ暴走するか分からないサイを、ローズは早々に切り捨てたい。その為に亜莉香に渡すように言ったわけで、その判断を下すように求める相手にされた理由は不明。


 誰も、ローズにサイを差し出すつもりはなかった。


 あれだけ鴉鍋にすると騒いでいたくせに、こんな時は一致団結する。サイは物でも食べ物でもないと思いつつ、亜莉香も口を挟むことにした。


「きっと――同じことが起きたとしても、何度でも皆で止めますよ」


 笑みを浮かべて話し出し、ローズの視線を受け止めた。


「私もピヴワヌも、ネモフィルもウイちゃんも。何だかんだ言って、サイさんを放っておけないのですから。だから必死に戦って、もがいて、今があると思います。サイさんの意思なら止められませんが、サイさんがいなくなったら悲しいです」


 木から下りることが叶わない亜莉香は見下ろす形のまま、代表して述べた。

 ローズは亜莉香の心を探るような、すっと笑顔を張り付けたような表情。一筋縄ではいかないと悟ったローズの右手に、只ならぬ力が集まった。主に緑色の光で何らかの魔法を予期したピヴワヌとウイが前に出るより早く、サイが飛び降り、ローズとの間に割って入る。

 休息に集まった光が弾けて、ローズは右手を下ろした。


「こっちに来る?」

「行かない」


 小さくも拒否したサイに、亜莉香の後ろにいたネモフィルが安堵したのが分かった。何もせず立ったままローズを見つめ、静かにサイが言う。


「まだ、約束を果たしてないから」

「そう」

「今、消えるわけにはいかない。けど里を壊しかけたのは僕だ。その件に関して、罰を受けるなら甘んじて受け入れる。どんな罰でも」


 じっと見つめ合うサイとローズの様子に、ウイが駆け寄ろうとしてピヴワヌに止められた。それがサイの意思であり、一歩ずつ歩み寄るローズを真正面から見据える。

 手を伸ばせば届く距離で立ち止まったローズを、サイは落ち着いて瞳に映した。

 時間の流れが遅くなったかのように、ローズの右手がサイの頬に伸びる。


「反省している子供を、これ以上責めないよ?」


 それはとても優しく、慈愛に満ちた声だった。

 少し驚いたサイの身体が固まって、同時にローズが身を引く。思いっきり両手を叩いた音が響き渡れば、サイの横を素通りして亜莉香達に笑いかける。


「はい。それじゃあ、これで最後の確認はおしまい!」

「「は?」」


 とても低い声を出したピヴワヌとネモフィルの機嫌の悪さが、口を閉ざしていた亜莉香には伝わった。にやにやした顔で笑うローズは気にせず、明るく言う。


「サイの心。及び、アーちゃんの影響力を確かめたかったの。元々切り捨てるつもりなんてなかったし、これだけ皆に愛されているなら、サイはもう大丈夫でしょ。アーちゃんの言葉に従うわけでもなく皆が行動しているなら、私が言うこともない」


 口元でバツを作るように指を交差させたローズに、ウイがずるずる座り込む。

 ローズの雰囲気が変わって、緊迫した空気は消えた。サイは居心地悪そうに頭を掻き、亜莉香は遠慮がちに訊ねる。


「その、ローズさんの判断基準とは?」

「基準?そうだなー…サイの闇が少しでも深くなるなら、話す暇もなく握り潰したよ。勿論、その存在を。だって私の子供だし、それが親の務めだし」


 ウイとサイの顔色が悪くなった。

 右手人差し指だけ口元に残したままのローズに対する、ピヴワヌとネモフィルの視線は冷ややかだ。何も言わないのが恐ろしい。


「それからアーちゃんの影響力が大き過ぎて、ピーちゃんやネモちゃんが操られているような事態でもあったものなら、その縁を切ったかな」

「そんなこと、お主とて出来まい」

「ピーちゃん、何を言っているのさ。方法は何だってあるよ。物理的でも精神的でも、この里になら記憶をいじれる人がいることだし」


 自分のことのように自信満々な言葉に、誰のことを言っているのか分かった。

 そんなことまで考えていたのかと、心で思った言葉は喉で止まる。代わりに話しかけたのはネモフィルで、ねえ、と作り笑いを浮かべて言った。


「そんなことの為に、嘘をついたの?」

「嘘?サイを切り捨てる発言は、この場合の嘘になるかな?それにしても皆が本気にして、凄く見物だった!まさかピーちゃんとネモちゃんまでサイを庇うとは――」


 思わなかったし、と続くはずの声は、小さくなって消えた。

 ネモフィルの本気の怒りに気付き、あからさまに視線を逸らした。嘘をついて良いことと悪いことがあると、ローズはようやく悟ったようだ。

 不意にピヴワヌが歩き出し、ローズの肩に手を置いた。


「全て、お主の一存か?」

「ち、違うよ。私は頼まれたから動いただけで」

「誰に?」

「かっちゃんに頼まれて!かっちゃんがサイとアーちゃんのことを凄く気にしていたから、名乗り出ただけで!」


 じりじりと顔を寄せられ、肩を掴まれては逃げられないローズの腰が引いた。ネモフィルが亜莉香を抱きしめ直して、顎を頭の上に乗せる。


「梟鍋ね」

「梟鍋だな」

「なんで!?」


 無情に言い放ったネモフィルに便乗して、ピヴワヌも言った。

 嫌がるローズの声が響くが、やっぱり誰も助けない。ピヴワヌとネモフィルが味の相談をし始めて、ウイは呆れ、鴉鍋が遠のいたサイは安堵の息を吐く。これは止めなくていいなと判断した亜莉香は、足をぶらつかせながら何も言わないことにした。

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