表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
420/507

84-2

 一人になるのは、とても久しぶりだ。

 特に闇の中から戻った後は、心配性のピヴワヌやネモフィルが絶えず傍に居た。ガランスにいる時は一人で買い物に出たり、家に一人でいたりしたのに。ここ数日、偽物の灯が現れてからは一人になる時間がなかった。

 もう暫くは、一人きりになる時間は得られないと思っていた。

 それだけに、高台に一人でいると不思議な気分。


 見下ろす里は花舞う里で、とても美しい光景だ。

 山々の花々が咲き、里の草木が芽吹いている。人が住んでいなかった茅葺き屋根の家は崩壊したり、住んでいても一部が壊されたりした家もあるが、里の者が、透が連れて来た人達が、お互い力を貸し合い、里を元に戻す。

 荒らされた畑では黄瀬が嘆き、木蓮と葛が遊んでいる。

 楽しそうで笑い声が溢れ、幸せな亜莉香の隣に誰かが立った。


「わざわざ僕だけを呼び出すとは思わなかったよ」


 声がしたので、亜莉香は隣を見た。

 並んでみると、あんまり背は変わらない。少しサイの方が高い。ぼさぼさの髪の根元は新緑に戻ったが、毛先は黒い。白い着物に桜柄の帯。森に溶け込む緑の無地の着物を羽織っていて、光を取り戻した明るい緑の瞳はペリドットを思わせる。

 無傷、とは言えずに、あちこちに包帯を巻いていた。

 亜莉香を見ることなく、その瞳は里を見つめる。

 愛おしそうに、哀しそうに。もう戻れない過去の日々にも想いを馳せているサイに、亜莉香は声をかける。


「急に呼び出して、すみません。ですが、お話ししたいことがありまして」

「アーちゃんに呼び出されるのは、嫌いじゃないよ。迷惑をかけた自覚はあるし、謝罪するべき相手だと思っていた」


 ただ、と言ったサイの声が低くなる。


「鴉鍋の具材にするからと、真顔の八重ちゃんに連れ去られた時は肝が冷えたね」

「おかげで疑われることなく、ここまで来られましたよね?」

「もしかして、アーちゃんの入れ知恵?」


 ようやく目が合い、亜莉香は微笑み返した。肯定も否定もしない。

 サイに会いたいと、頼んだのは亜莉香だ。どうやったら二人で話せるか、ピヴワヌやネモフィル、トシヤ達に聞かれて困る話ではないが、広めたい話でもなくて策を練った。


 サイだけを連れ出してくると請け負ってくれたのは、八重。

 葛の力を借りて人知れず高台まで来たのが、亜莉香。


 鴉鍋の単語を出したのも亜莉香だけど、それを理由に連れて来ると言ったのは八重だった。先に高台に行って待っていてと言われ、待ち人が来たので亜莉香は後ろを振り返る。


「あの木に登りたいのですが、手伝ってもらえませんか?」

「…そのために呼び出したわけじゃないよね?」


 指差したのは、いつかの精霊が見せた記憶でサイとナノカがいた場所。

 頷いた亜莉香が先に歩き出す。サイは渋々と後ろをついて来て、目的の木に辿り着くなり先に登るようにお願いした。亜莉香は一人で登れない。

 太い木の枝にサイは座り、一人分の距離を置いて亜莉香も座った。

 落ちないように、いつでも幹に捕まれる場所。最悪落ちそうになったら、サイに助けを求める。その前にピヴワヌを呼べばいいかと呑気に考えれば、春の風が木々の葉を揺らした。

 サイは何も言わない。黙って里を眺めていたので、亜莉香が話し出す。


「復讐は、叶いそうにありませんね」

「おかげさまで。アーちゃんが捕まえた男は里の人間の手に渡った。僕が手を出しにくくなったよ」


 少し刺々しかったが、明るく言い返す。


「これで良かったのですよ。サイさんが手を下せば、悲しむ人がいます」

「ウイのこと?別に、あいつは一人だって大丈夫さ。元々、僕とは違う。悲しみだって乗り終えて、また笑って暮らすさ」

「いえ。一番に悲しむのは――ナノカさんではないですか?」


 亜莉香が出した名前に、サイの鋭い視線を感じた。

 睨みつけるサイに目を向ければ、お前が何を、と訴えられる。何も知らない亜莉香が口を出すな、とも取れる視線を受け止め、笑いかけて口を開く。


「ナノカさんは絶対に、復讐を望んでいません」

「好き勝手に言うな。あの男がいなければ、あの男が情報を売らなければ、ナノちゃんは里の外に出てからも狙われることはなかった!死ななかった!あいつを殺さない限り、僕は幸せになれなかった!!」


 思いのほか響いた声に、サイ自身が驚いていた。

 声を荒げたサイを静かに見つめ続ければ視線が逸れる。正気を取り戻し、舌打ちをした。


「ごめん…アーちゃんに当たることじゃなかった」


 サイの両手が掴んでいた枝は、強い力にも耐えていた。頭を抱えるように項垂れて、独り言のように言葉を重ねる。


「これは僕の問題だ」

「そうかもしれませんが、そうとも言えないと思うのですよ」

「僕はアーちゃんの言いたいことが、全然分からないよ」


 呆れも混ざった声に、亜莉香は里を眺めた。

 その瞳に映すのは長老の家であり、そこにいるはずの青年を想う。


「運命って、あると思いますか?」


 急に話を変えた亜莉香に、サイが怪訝な眼差しを向けた。


「あってもなくても、どっちでもいいかな、と私は思うのですが。もしもあるのなら、この里に私が訪れたのは運命だったと思います。だから私は今ここで、サイさんと話をしなくてはいけない。話がしたいのです」


 嘘じゃなかった。声が届くなら、サイに伝えたいことがある。

 それはサイの大切な人を取り戻す術じゃない。ナノカが戻って来ることではない。過去の記憶から読み取って、現在と結び付けて知った事実。

 両手を膝の上に乗せたまま、亜莉香は足をぶらぶらと揺らす。


「ナノカさんは、きっと幸せでした。里を出てから沢山の出逢いがあって、別れがあって。日々を幸せに生きていたと思います」

「…そんなの、アーちゃんには分からないさ」


 サイが話し出したので耳を傾ける。


「彼女は強かった。その力を狙う敵がいた。僕がもっと彼女の力を危惧して、里に引き止めれば死ななかった。助けたかった彼女は最期まで――」


 苦しそうに顔を歪めたサイの横顔を、亜莉香はじっと見つめた。


「僕の名前を呼ばなかった」


 それが、ずっとサイの心の棘になっていたに違いない。

 サイとナノカの間にあった約束。ナノカに名前を呼ばれたら、サイはどこに居ても飛んでいくと言っていた。悲しくなったり泣きたくなったり、途方に暮れた時に呼ぶよう、約束を交わした場所は、亜莉香もいるこの場所だ。


 その約束の続きを、思い出して欲しい。


「幸せだったから、名前を呼ばなかったのではないですか?」

「――違う」

「違いません。絶対に幸せになるから呼べないと、ナノカさんは言ったはずです。だから呼ばなかった。サイさんを呼ばなかったのは、幸せだった証です」


 頑なに認めようとしない否定の声には、即座に反論して黙らせた。

 揺れ動く瞳が亜莉香を見つめ、一呼吸を置く。


「サイさんは暴走してでも復讐を遂げ、自分で始末をつけると言いましたよね。その最期は、本当に幸せなのでしょうか?もういないナノカさんを想って悲しんで、苦しい心のままは、幸せだと言えるのでしょうか?」


 突き付けた言葉に、サイは唇を噛んだ。


「ナノカさんの最期は、とても悲しいものでした。その光景を見たからこそ、私はそう思います。あの時は助けを呼ぶ暇がなくて、傍に居る人達を守ることに必死で。幸せとか不幸せとか、そんなことを考える時間はなかったのです」


 亜莉香が見たと言った時、サイは驚いた。

 膝の上の両手を強く握りしめ、当時の光景を思い出す。

 ずっと前に見た記憶。ガランスの灯籠祭りの日の記憶を呼び起こし、脳裏に浮かんだのは最期まで光を宿していたナノカの顔。

 そのナノカと同じ瞳を持つ子供を、亜莉香は知っている。


「サイさんのことを最期に呼べなくても、幸せだった証拠はあります」

「…証拠?」

「ナノカさんの息子は、今幸せに生きています」


 言い切った亜莉香に、サイが呆然とした顔を向けた。

 何を言われたか理解していない。この事実を伝えることこそが、亜莉香の役割だったに違いない。信じて欲しくて言葉を重ねる。


「ナノカさんと同じ瞳を持った青年です。トシヤさんと一緒に私を探しに来てくれて、明るい性格で周りを笑わせてくれて。父親譲りの髪の色で、顔つきもナノカさん寄りではないのですが、精霊に好かれて。あ、ナノカさんと同じで水魔法が得意です」


 トウゴの話になれば、自然と亜莉香の笑みが零れた。


「精霊だけじゃなくて、人にも好かれる人なのでしょうね。色んな女性に言い寄られていたこともありますし、職場の人達との仲も良好です。家族が大好きで、もういない両親のことも、今一緒に暮らしている人達のことも大切にしていて――」


 肩の力を抜き、トウゴがいるはずの場所を見て、知っていることを話す。

 初めて出会ったトウゴには、軽いという印象があった。悩みなんて無さそうで、実は抱えている苦しみも悲しみもあって、血の繋がらない家族に支えられて今は笑っている。

 サイは黙って、話を聞いていた。

 途中から相槌を打って、泣き笑いしそうになっていた。

 知っている限りの話をした。母親であるナノカとの違いを、サイに聞いてみたりもした。亜莉香が出来ることは限られているとしても、話をしながら切に願う。

 サイの心の棘が消えるように。

 もう二度と、悲しみや苦しみで心を見失わないように。


 沢山の願いを込めて、亜莉香は語った。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ