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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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83-4

 取り戻そう、と想いを込めた。

 闇に囚われかけたサイを、長過ぎた冬から春を。


 静かに想いを込めた言葉と共に、扇に宿っていた力は放たれた。

 亜莉香を中心として、魔力を帯びた風が里の中を吹き荒れる。風に触れた大地の雪は一斉に溶けだし、地面からは草木が顔を出した。花を咲かせた雑草もあり、風に吹かれた木々が葉を揺らす音が響き渡る。

 茅葺き屋根の雪も溶けた。雪解けの水が屋根を濡らし、朝日を反射する。


「凄い」


 亜莉香の前にいるトウゴが呟き、亜莉香も心の中で同意した。

 雪景色が消えた。春が訪れ、草木が成長を続ける。


 芽吹いた草の茎や葉の一部は、サイに纏わりついて動きを鈍らせた。鴉の首を絞めていた手綱にも絡みつき、サイを傷つけることなく、手綱だけを締め付け消滅させる。

 意思を持っているかのように思える草木は緑の光を宿したまま、小さな精霊達がくっついた。誰が手綱を消滅させるか、我先にと騒いでいる。

 その声が聞こえていない人達は驚いているだけだったが、精霊達は違った。


「ちょっと!そっちより先に、こっちを切りなさいよ!」

「手綱より先に、サイの動きを止めるのが先だ!」

「ピーちゃんもネモちゃんも、変な指示を出さないで!!」


 あっちこっちへ、小さな精霊達が動く。

 動かない精霊が半分以下で、精霊達の力は様々だ。葉が燃えてしまうこともあれば、水が滴る茎で遊ぶ精霊もいた。わざと風を起こして揺れる葉で飛び跳ねる精霊もいれば、ピヴワヌとネモフィルの言葉を律儀に守っていた精霊達も早々に飽きて、自由に遊び出す。

 とても楽しそうな声ばかりで、亜莉香の肩の力が抜けた。

 ピヴワヌとネモフィルが精霊達に無理難題を言い、大人しくならないサイの上に残ったウイだけが困った声で叫び返す。どうにもこうにも戦いにくくなったトシヤと黄瀬は何とも言えない顔をして、精霊の姿が見えず声も聞こえないはずのルカとルイに至っては武器を下ろしてしまう始末。


「子供の遊び場になってしまいましたね」

「アリカちゃん…これ、狙ったの?」


 他人事のように言った亜莉香に、トウゴは振り返って訊ねた。

 まさか、と思わず首を横に振る。


「こんなことになるとは思いませんでした。春が来て欲しいと望んでいる方々がいたので、私は力を貸しただけです。その結果でサイさんを助けられたら、とも思いましたが」

「春が来ることを望んだ方々?」

「この里の草木と言いますか、花々と言いますか」


 上手く説明出来ない亜莉香が腕を組んで唸り出せば、トウゴが遠くを見て呟いた。


「やばい…俺も付いて行けない」


 よく聞こえなかった声を聞き返す前に、ド派手な音がして地面が揺れた。

 何事かと視線を戻せば、今度こそ見事に決まった踵落としに耐え切れず、黒い鴉の嘴が地面に刺さった。僅かな隙を見逃さず、ネモフィルが加勢する。


「助太刀するわよ!!」

「ちょ、まっ――その本気はやばいって!!」


 ウイの悲鳴に近い声がした。

 ほとんど消滅しかけた手綱を握っているウイの顔は真っ青で、その近くにいるネモフィルの頭上に眩い光が集まった。サイの周りにいた小さな精霊達は瞬く間に逃げ出し、ピヴワヌですら安全地帯と思われる場所まで避難する。


 ネモフィルが作り出したのは、巨大な水の塊だ。

 見慣れた形は一升瓶。


 ちゃんと中に空洞があって、液体が揺れ動く。傾き出した一升瓶の底で鴉の頭を殴りつけそうな空気に、呆気に取られたのは亜莉香だけじゃない。


「やってやれ!ばばあ!酒の恨みだ!」


 拳を作って意気込んだピヴワヌの声が、よく響いた。

 亜莉香の力がなくても、ピヴワヌとネモフィルが力を合わせるのは危険だと悟る。ピヴワヌの声に一回りは大きくなった水の塊は、サイの身体より大きい。

 一体どこから水を集めたのか。

 それよりも始終日本酒のことを考えていたわけではあるまい、と二人を疑った。


 誰も止めることは叶わない。真上から振り下ろされた一升瓶の水の塊で、サイの顔が地面にのめり込む。水に流される形で、闇を纏った手綱は全て消え去った。地面は水で潤い過ぎて、大地に溶け込めなかった水が澄んだ水溜まりを作り出す。

 飛び散った水は、離れていた亜莉香やトウゴの場所まで届いた。近くにいたトシヤ達に至ってはびしょ濡れで、ピヴワヌは濡れた髪をかき上げたかと思えば駆け出す。必死にしがみついたウイを蹴り飛ばし、鴉の首根っこを掴んだ。

 みるみる小さくなった鴉は黒いままで、意識を失っている。


「よし!」

「よし――じゃないでしょ!?なんで私を蹴飛ばしたの!?」


 ピヴワヌによって地面に転がり落ちたウイの顔は泥まみれで、可愛い顔が台無しだ。ピヴワヌはサイを見せつけるかのようにして持ち、堂々と言う。


「鴉の丸焼きだ!」

「答えになってない!て言うか、本気じゃないよね?サイを食べないよね!?」


 慌て出したウイを置いて、ピヴワヌは歩き出した。


「ばばあ、焚火の準備をするぞ。さっさと手伝え」

「仕方がないわね」


 着物の裾を払ったネモフィルは満更でもない様子で、どこか楽しそうに駆け寄った。仲良しにしか見えないピヴワヌとネモフィルが食べる算段を話し出せば、無理やり間に入ったウイが鴉であるサイを奪い返す。奪われたら追いかけるのがピヴワヌとネモフィルであり、掠り傷一つない精霊達は元気よく里を走り出した。

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