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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
41/507

09-2

 手を繋いだまま歩いていると、トシヤは思い出したように言う。


「そう言えば、最近黒い奴らによく出くわすけど。アリカも気を付けろよ。多分、前より多くなっている」

「分かりました。その、黒い何かのことですが。ルグトリスと言うそうですよ」


 言い忘れていたな、と思いながら、気持ちが落ち着いた亜莉香は言った。

 どうして言わなかったのだろう、と黙って考える亜莉香に、トシヤは怪訝な顔を向けた。


「なんで、そんなことを知っているわけ?」

「え…えっと。アンリちゃんから聞いて」

「ふーん。それで、なんでアンリとそんな話になったわけ?」


 質問を重ねられて、うっ、と言葉に詰まる。

 心配をさせないように、ルグトリスに襲われた事実と、その過程で知ることになった呼び名をわざと言わなかったのだと、ようやく思い出す。話してしまったので、隠しておくのは悪い気がして亜莉香は正直に言葉を続ける。


「実は…アンリちゃんと出会う前に、ルグトリスに襲われて。逃げていたら、アンリちゃんに助けられまして。その時に、その黒い何かの呼び名を教えてもらいました」


 話しながら、トシヤが握っている右手の力が強くなる。トシヤは亜莉香を見つめ、眉間に皺を寄せて話を聞いている。視線が気になって、亜莉香はトシヤの方を見られない。

 ぽつりと、トシヤが言う。


「怪我は?」

「え、怪我…はしていません。アンリちゃんが助けてくれたので、無事に逃げられました」


 亜莉香の言葉を聞いて、トシヤは肩の力を抜いて深く息を吐いた。


「そう言うことは早く言えよ。怪我をしてからじゃ遅いからな。それで、黒い奴はルグ、トリスだっけ?」


 聞いたことのない単語を、トシヤが繰り返した。


「そうです。アンリちゃんは呼び名以外のことは教えてくれませんでしたが、それ以外のことも知っているようでした。おそらく警備隊であるコウタくんのお父さんも何か知っている気がするのですが、この前は聞く暇がなくて」

「他の警備隊の人に、俺がそれとなく聞いてみるよ」


 段々と、お互いの足取りがゆっくりになった。歩く速度を落としたトシヤが、声を落として尋ねる。


「もしかして、助けてもらったお礼に人探しの手伝いをしていたのか?」

「そう、です。よく分かりましたね」

「前に市場で同じようなことをしていただろ。あの時は…八百屋の猫探しだったよな」


 懐かしむように言ったトシヤの言葉に、あ、と声が上がった。

 おまけ、と言っていつも野菜を多めにくれる八百屋の猫がいなくなり、猫探しを手伝ったのは、一か月ほど前のこと。その時も結局トシヤの力を借りたことを思い出して、亜莉香の顔が僅かに赤くなった。


「毎回、トシヤさんにはお世話になっています」

「別に、それはいいよ。俺も楽しんで猫探しをしていたし、市場の連中も毎度いなくなる猫をアリカが探していて、面白がっていたし」


 トシヤの言葉に、亜莉香は恥ずかしくなった。

 八百屋の猫がいなくなるのは、初めてのことではなかった。夜には帰って来ることが多いのに、必死に探していた。それならそうと、言ってくれれば良かったのに、トシヤは亜莉香と一緒になって猫探しをしていたのだ。

 わざとらしく頬を少し膨らませて、亜莉香は言う。


「私、探し物が早く見つけられる魔法が使えるようになりたいです。そうしたら、ルグトリスのことも探して、絶対に会わないように出来るのに」

「そんな魔法あったかな?」

「それか、ルグトリスを倒せるぐらいの強い魔法が使えればいいのに」

「それは想像出来ないな」


 笑いながらトシヤが言って、亜莉香は言い返す。


「分かりませんよ?アンリちゃんですら、魔法が使えたらルグトリスを倒せる、と言っていました。私にも未知なる力が宿っていて、ルグトリスを倒せるかもしれません」

「魔法が使えても、戦えるかどうかは別だろ?いいよ、アリカはそのままで」


 そのままで、と言われて、亜莉香はトシヤを見た。

 歩いているトシヤは亜莉香の方を見ず、前を向いている。


「アリカのことは俺が守るから。戦えなくても問題ない」


 守るから、と言われて、亜莉香の顔は真っ赤になった。咄嗟に顔を下げ、気付かれないようにした亜莉香とは違い、トシヤは平然としている。

 トシヤの言葉や行動で、時々心臓が五月蠅くなる。

 気を紛らわす前に、誰かが亜莉香とトシヤの名前を呼ぶ声がした。


 遠くからでもよく響いた声は、ユシアの声。

 待って、と言うユシアの声が後ろから聞こえて、亜莉香とトシヤは振り返る。繋いでいた手はどちらかともなく離して、大きな風呂敷を掲げて、息絶え絶えのユシアが追いついた。


「良かったー、追いついて。もう家に着いたんじゃないかと思ったわ」

「どうしたんだよ。そんなに急いで」

「だって、帰るなら一緒に帰りたいじゃない。和菓子、たくさん貰ったのよね」


 うふふ、と言いながらユシアは持っていた風呂敷をトシヤに押し付けた。枇杷を持っていたトシヤの両手が塞がり、ユシアは亜莉香の左手を引いて歩き出す。

 トシヤは亜莉香の横を歩きながら、ユシアに尋ねる。


「それで、診療所に残っていたあの夫婦は?」

「アリカちゃんとトシヤが帰る前までは、名前を決めるのに騒いでいたわよ。今は和菓子を食べているのじゃないかしら?」

「和菓子屋をはしごして買ったから、相当な量の和菓子あっただろ?」


 まあね、と言ってユシアが笑う。


「買い過ぎだって、怒られていたわよ。そのおかげで、私は和菓子を貰って、早く帰るように先生に言われたの」


 ユシアが笑い、亜莉香も笑みを浮かべた。

 診療所から出る前に挨拶しようとしたが、ワタルもモモエも赤ん坊の名前を決めるのに忙しくて、何も言わずに診療所を出てしまった。

 それで、と気になっていたことを、亜莉香は訊ねる。


「名前は、決まった?」

「ええ、一応決まったみたい」


 ユシアの歯切れが悪く、亜莉香とトシヤは首を傾げる。


「なんて名前になったんだよ」

「…アリシアちゃん」

「素敵な名前だと、思うけど?」


 ユシアの表情が固くて、亜莉香は疑問形で言った。

 アリシア、と何度か繰り返したトシヤは、ハッと閃いた顔になる。


「アリカのアリに、ユシアのシアで、アリシアだろ」

「あー、もう。だから言いたくなかったのに。せめて、トシヤのいない場所で、アリカちゃんにだけ言いたかった」


 もう、とユシアは不貞腐れた顔になった。

 亜莉香は呆然として、トシヤはにやにや笑いながら言う。


「いいじゃん。子供の名前にアリカとユシアの名前を付けるくらい、二人に感謝していた証だろ?いい名前だよな、アリシア」

「トシヤさん、それくらいにしないと――」

「トシヤ、五月蠅い」


 助け舟を出す前に、顔を赤くしたユシアがトシヤを睨みつけた。睨まれたトシヤは肩を竦め、それ以上何も言わない。

 間に挟まれていた亜莉香は少し考えて、でも、とユシアに微笑む。


「私も、アリシアは素敵な名前だと思う」

「アリカちゃんは恥ずかしくないの?」


 じっと見つめられ、亜莉香は小さく首を縦に振った。


「恥ずかしさより、嬉しさの方が大きくて。アリシアちゃん、モモエさんとワタルさんにたくさん可愛がられて、羨ましい」

「これから先、あの子は暫く着せ替え人形よ」


 ユシアが呟いた言葉に、トシヤも同意する。亜莉香は空いていた右手を口元に寄せながら、首を傾げる。


「流石に…まだ生まれたばかりでしょ?」

「そんなこと関係ないのよね。先生も、トシヤとトウゴが来た時は、色んな着物を着せ替えさせて、喜んでいたもの」

「俺はすぐ逃げたけどな。トウゴ、何故か楽しそうに女物も着物まで着ていたよな」


 出来るだけ淡々と言ったトシヤだったが、途中から笑いが隠せていない。容易に想像出来る幼い頃の話に、亜莉香の表情が輝く。


「楽しそう」

「いや、気持ち悪かったわよ。昔は背が小さくて、女の子みたいに見えなくもなかったけど。気持ち悪かったからね」


 はっきりと言い切ったユシアに、トシヤは声を上げて笑い出す。

 話し出せば、トシヤとトウゴ、ユシアの昔話の話題は尽きない。トシヤが家出をしたこと。トウゴが昔から変わらず、馬鹿なことを繰り返していること。ユシアが怒る度に家の中の物を壊して、ヤタに怒られたこと。


 結局、家路に着くまで昔話は続いた。






 家に着くなり、ユシアが茶の間の扉を開ける。

 その後に続いたのはトシヤで、目の前の惨劇を見るなり二人は騒ぎ出した。


「ちょっと、トウゴ!何なのその汚さ!!」

「何でルイまで、両手に変な物を持っているんだよ!!」

「いやー、料理しようと思ったら、段々汚くなっていったみたいでさ。適当に食材を入れて鍋にしようと思っていただけだけど」

「僕は面白おかしく、手を加えようとしただけ」


 適当なトウゴと、楽しそうなルイの声に、トシヤとユシアが勢いよく茶の間の中、台所へ駆け出した。最後に足を踏み入れたのは亜莉香で、その惨劇に言葉を失う。

 冷蔵庫の中に入れていたはずの食材が、沢山溢れかえっている。

 トウゴの顔も着物も調味料で汚れ、床には無残な野菜が落ちていた。ルイは両手にあんこと唐辛子を持って、何を入れたのかよく分からない鍋にそれらを入れようとしていた。トシヤがルイを止め、トウゴは自信ありげに味見をユシアに薦める。気を失いそうな顔のユシアは悲鳴を上げて、亜莉香は扉の前から動けない。

 一人、距離を置いてソファに座って、膝を抱えていたルカが、げっそりとした顔で亜莉香の名前を呼んだ。


「おかえり、大丈夫か?」

「ただいまです。大丈夫、に見えますか?」

「見えない」


 ですよね、と言いながら、亜莉香は空いていたルカの隣に腰を下ろした。

 亜莉香とルカが静かに見守れば、まだ料理をしようとしているトウゴとルイを、トシヤとユシアが必死に止めて、怒声と笑い声が響く。

 数日前にもトウゴは怒られたはずなのに、懲りていない。

 今回に至ってはルイまで加わって、悲惨さは増した気がした。

 傍観者になっていたルカは、隣に座って台所に向かおうとしない亜莉香を見ずに尋ねる。


「アリカ、あっち行かないのか?」

「今私が行っても、もう遅いですからね。今日の夕飯は、トウゴさんの鍋を食べるしかないのかな、と」

「それを食べるなら、俺は残っているパンでいいや」


 ルカの気持ちが分かり、亜莉香はため息を零す。


「今日は和菓子を貰ったので、食後の甘味にしようと思っていたのですが。食欲がなくなりそうですね」

「和菓子?」

「はい。いつもパンを買っているお店のご夫婦から頂きました。今日女の子が産まれて、私もユシアさんと一緒に出産に立ち会いました。それで帰りが遅くなったのですが、ルカさんは今日何かありました?」


 そうだな、と言ってルカは腕を組んで考える。少し考えて目の前の光景を見ると、遠い目をして話し出す。


「目の前の光景が、今日の忘れられない出来事になりそうだ」


 それを言われると、亜莉香は否定できない。

 あはは、と作り笑いをした亜莉香を見て、ルカが立ち上がる。


「忘れる前に、アリカが読みそうな本を図書館から持って来たから今渡してもいい?」

「はい。一緒に取りに行きます」


 現実逃避をしたかったのは亜莉香だけじゃなくルカも同じで、静かに部屋を出た。騒いでいる四人は、亜莉香とルカがいなくなっても気付かない。


 部屋から出た途端に、安堵の息を吐いたのはほぼ同時だった。

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