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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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81-4

 気が付いた時にはピヴワヌに身体を押され、亜莉香はトシヤと共に床に倒れた。

 衝撃が家に響いて、抱きしめてくれたトシヤの腕の中で身を固くする。何が起こったか分からずにいれば、亜莉香がいた場所の地面が見えていた。


 土間を半分にするかのような攻撃は鋭い魔法であり、緑の光が残っている。

 呆然とする亜莉香の攻撃を挟んだ反対側で、目を白黒させたトウゴと、その頭に乗ったフルーヴがいる。二人を背に隠すようにして、攻撃から守ったのはピヴワヌだ。咄嗟にルイを庇ったウイは一緒に壁際まで移動していて、ニケと呼ばれた男性がいた場所に、鋭い爪痕と僅かな血痕しか残っていない。


 深緑の髪も、白い着物も黒に染まり始めたサイが真顔で立っていた。

 あーあ、と言いながら頭を掻き、壊れた玄関を見る。


「逃がしたか」

「…サイ?」


 ウイの呼びかけに、サイは何も反応しなかった。

 狼の遠吠えが、里の中で響く。

 大きな舌打ち。徐々に染まる黒い髪。明るい緑色の瞳の、宝石のペリドットの輝きが失われる。澄んだ瞳に浮かぶは憎悪で、亜莉香はその瞳を知っていた。


「暴走、するのか?」


 呟いたピヴワヌのいる方を見て、サイはふっと笑みを零す。


「ピーちゃん、安心しなよ。自分のことは自分で始末をつける。これは僕にとって、約束を果たす為に必要なことさ」


 話し方は変わらないのに、その見た目が闇に染まった。起き上がった亜莉香とトシヤ、武器を構えたルイなど見向きもしない。


「サイ!」


 涙を浮かべたウイを、ようやくサイは振り返る。

 ウイ、と悲しそうに名前を呼んだ。


「かっちゃんのこと、任せるよ」

「馬鹿なこと言わないで!私達は二人で一つでしょ!」


 泣き叫ぶウイに、サイは首を横に振る。


「僕はおまけだ。二百年前、ウイが生まれて間もない頃に死んだ人間の姿を借りた、消え損ねた想いの欠片。それが僕」

「そんなはずない!」

「そんなことあるのさ。おかげで僕は、ずっと誰かを探している。名前も知らない。顔も知らない。そんな女の子を、僕は探して生きて来た」


 そっと視線を落としたサイが、右手をぎゅっと握った。


「結局、会えなかったな」

「それなら今からでも一緒に探せばいいでしょ!二人なら見つけられるから!私だけじゃなくて、ピーちゃんにもネモちゃんにも、皆に協力してもらうから――」


 勢いよく立ち上がったウイが、頬を伝った涙を拭う。

 だから、と続けようとした必死な声に、サイは残念そうに言葉を被せた。


「かっちゃんを、頼むな」

「行かないで!」


 ウイが駆け出し、掴もうと両手は宙を切った。

 瞬く間に光ったサイの身体が消えて、何もない空間を抱きしめる。膝から崩れ落ち、歪んだ顔を床に近づけ、サイの名前を呼ぶ声だけが土間に響く。


「何で!サイ、何で!!」


 何で、と繰り返しながら、何度も床を叩く右手に血が滲んだ。

 痛みも悲しさも、全てを吐き出すウイが泣く。

 里の外で、激しい爆発音がした。時々、家すら揺らす振動が伝わる。ルイが鞘から抜いていた日本刀を戻し、ルカの傍に向かった。トシヤに促されて亜莉香も立ち上がり、声をかけられずにウイを見る。


 サイを止める暇なんてなかった。

 開かれたままの扉から精霊が入り込んで、泣いているウイを慰める。大丈夫だと、泣かないで、と声をかけても動きはない。幾つも精霊が入れ替わり、白に近い黄色の光がウイの肩に止まった。


 彼を助けて、と言った精霊だけは、声をかけずに傍に居る。

 開かれたままの扉を見たピヴワヌは、静かに話しかけた。


「おい、いつまで泣いているつもりだ?」


 返事はないが、気にせずに質問をぶつける。


「泣いている暇があるなら、お前達の主を呼べ。あんな暴走した奴を、止められるとしたら主ぐらいだろう」

「出来るなら最初から呼んでいるよ!」


 空気を切り裂くように叫んだウイは顔を上げ、ピヴワヌを睨んだ。その瞳に憐れむ表情を映して、亜莉香やトシヤの視線も受け止めて、深く息を吐いて座り込む。


「…ここ数年、ずっと気配を追えないの」


 話し出したウイの声は弱々しく、誰の顔も見られずに頭を抱えた。


「本当に、どれだけ探しても見つけられない。かっちゃんが今、どこにいるのか私には分からない。助けてと呼んでも答えてくれない」


 どうして、と蹲ったウイに、ピヴワヌは優しく訊ねた。


「本当に、呼べんのか?」

「…うん」

「そうか」


 小さなため息をつき、視線をウイからトウゴの頭の上のフルーヴに向ける。目が合ったフルーヴは首を傾げ、何が起こっているのか分かっていない表情をした。


「フルーヴ、何かてつだう?」

「悪いが、今すぐにばばあと交代してくれ。あの馬鹿が本気で暴走したら、里の壊滅で済まされん。ばばあの力が必要だ」

「分からないけど、分かったの!」


 ぴょんと飛び降りた兎は、床に足をつける前に姿を消した。

 フルーヴがネモフィルと交代するまで、少しぐらい時間がかかるはずだ。ピヴワヌの名前を呼べば目が合って、亜莉香は迷うことなく問う。


「サイさんを助ける方法は?」


 ウイの視線を感じたが、亜莉香はピヴワヌから目を逸らさなかった。

 じっと見つめる瞳は亜莉香の決意を読み取り、呆れながらも答えてくれる。


「儂が出来るのは、ばばあと協力して無理やり力を押さえつけるくらいだ。お主が手伝えるのも、それくらいだろう。主でなければ名で縛れない」

「ピヴワヌの時と同じように出来ませんか?」

「儂の時とは状況が違う」


 断定したピヴワヌは腕を組み直し、亜莉香から視線を外した。

 誰もがピヴワヌの言葉を待つ。亜莉香もピヴワヌも、思い出すのは初めて出会った時のこと。あの時に傍に居て、この場にいるのは亜莉香とピヴワヌ、それからトシヤ。

 あの時は、と静かに訊ねたのはトシヤだった。


「アリカとピヴワヌが契約した、んだよな?」

「そうだ。あの時の儂は、名前を呼ばれることを望んでいた。契約して、止めて欲しいと願っていた。その想いがサイにない限り契約は成り立たない」


 それに、と間を置いてから、亜莉香に視線を戻して言葉が続く。


「既にサイは凬の護人と契約している精霊だ。その間に割り込むのは難しい」

「アーちゃんの気持ちは嬉しいけど、これ以上の契約は駄目だよ」


 ピヴワヌの説明に割り込んで、ウイは小さく言った。

 その意味を理解しているのはピヴワヌだけ。大粒の涙を浮かべたウイは無理に笑って、駄目だよ、と繰り返す。


「魔力は命。その繋がりが増えていけば、負担も大きくなる。ピーちゃんですら力の強い精霊で、それと同格のサイと契約して、アーちゃんの身体が耐え切れなくなっちゃう。そんなの駄目。アーちゃんに何か起こったら、今の私も自分を押さえられなくなる」


 そっと伏せたウイの瞳にも、ほんの少しの影がちらついた。

 二人で一つと言った意味が、よく分かる。サイが暴走したとして、ウイに何の影響も出ないとは思えない。心が乱れたウイを見て分かるように、既に闇を抱え込み始めた。

 それでも、と亜莉香は呟いた。


「暴走とは…自力で解決出来る問題ではないのでしょう?」


 脳裏に浮かぶは、ピヴワヌと契約を交わした日。

 暴走しかけたピヴワヌを直接見た。灯の記憶を垣間見て、暴走する前の意識を保っていたピヴワヌも知っている。今のサイは、前者だ。やけになって、絶望して、何もかもを諦めて受け入れて。


 自分を見失わずに繋ぎ止めている光は、たった一つの約束。

 約束して、と耳の奥で木霊したのはナノカの声だ。


 交わした約束を果たすと言ったサイが、暴走するのは間違っている。彼を助けてと精霊にも頼まれた彼は、サイのことだと確認している。

 暴走なんてさせないと決意した亜莉香に、ピヴワヌは軽く問う。


「無理やり名前を暴き、禁術のようにサイを縛り付けてまで助けたいか?」


 禁術に反応したのはトウゴで、亜莉香は即答した。


「いいえ」

「なら、あの馬鹿の脳天に一発お見舞いして正気に戻すか?」

「それで元に戻ることなんて、あります?」


 思わず聞き返せば、冗談だと肩を竦められた。

 冗談が言えるくらい、ピヴワヌには余裕がある。それはピヴワヌだけの話じゃない。一部始終を聞いていたルイも同じで、ルカの隣に立って、両手を頭の後ろに回して言う。


「誰かが死んで終わり。なんて後味わるいし、仕方がないから僕も参加しようかな」

「素直に手伝うって言えよ」


 長老を支えるのをやめたルカは、呆れながら立ち上がった。

 そうだよな、と呟いたのはトウゴで会話に混ざる。


「このまま里を壊滅させられたら、俺達だって危ないわけだし――」

「あ、誰もトウゴくんを戦力と考えていないから、一人待機でいいよ?」

「俺だけ待機!?いやいや、自己防衛ぐらい出来るから、勝手に付いて行くからね。そもそも俺だけ仲間外れって酷くない?」


 声を上げてトウゴのおかげで、部屋の中の空気が一気に和らいだ。

 ルイやルカが笑っている。ピヴワヌが僅かに口角を上げ、柔らかい笑みを浮かべた。目が合ったトシヤにつられて亜莉香も微笑み、長老は驚いたまま何も言えずに座っている。

 何故か堂々と胸を張ったトウゴが、亜莉香を指差し叫ぶ。


「俺が待機なら、アリカちゃんも待機でしょ!?」

「我が主を軟弱なお主と一緒にするな」

「アリカさんの方がよっぽど、戦闘中に予想外な行動して役に立ってくれるでしょ?」

「斜め上の予想外な行動な」


 ピヴワヌに続いてルイとルカまで言い、とても納得した表情を返された。

 今までの数々の行動を思い出し、亜莉香の肩身が狭くなる。心当たりが多すぎる。どれのことかと振り返っている隙に、ちらっとルイは亜莉香を見た。


「何よりアリカさんの傍には、最強の護衛がいるからなー」

「トウゴにはいないよな」

「あれは要らなくない?」

「寧ろ我が主にも要らない」


 苦々しく言ったピヴワヌに、生温かい視線が集まる。

 その護衛が誰を指しているのか、本人ですら分かっていた。近い距離で聞こえたのは深いため息で、室内だというのに肩を抱かれた状態に気付き、亜莉香の頬が熱くなる。


「お前ら、好き勝手に言い過ぎだろ」


 ぼそっと呟いたトシヤの言葉には、誰も耳を傾けなかった。 

 泣いていたウイの涙が止まっている。呆然とした瞳で部屋の中を見渡し、目が合った亜莉香は大丈夫だという気持ちを込めて笑いかけた。

 ウイも微かに笑みを零した直前、壊れかけていた玄関の扉を誰かが破壊した。


「ちょっと!あの問題児は、何馬鹿なことをやっているの!?」


 美女が取り乱す姿は目を奪われ、無残に砕けた扉の欠片と一緒に土間に乱入した。踏み付ける度に欠片が踏み砕かれ、恨めしそうな眼差しが捕らえたのはピヴワヌだ。瞬く間に歩み寄ったかと思えば、勢いよくピヴワヌの胸倉を掴んで顔を寄せる。

 持ち上げはしなくて、折角、と低い声が土間に響いた。


「折角!黄瀬と交渉して、雪の下に眠る日本酒を分けてもらう約束を交わしたのに!また里で暴れる馬鹿が現れるわけ!?」

「雪の下に酒があるのか!?」

「あるのよ!貴重な酒が!何年も眠った希少な酒が!こうなったら力技で鴉の首を絞めるわよ!酒を無駄にしたら、丸焼きの前に土下座させてやる!」


 空に向かって叫ぶネモフィルは、全然サイの心配をしていなかった。

 ピヴワヌの目の色も変わり、ネモフィルに胸倉を掴まれたままなのに拳を作る。


「酒を守るのが最優先だ!今回は協力して早急に鴉を仕留めるぞ!酒は山分けだ!」


 ピヴワヌが声高らかに言った。手を離さないネモフィルがにやりと笑う。


「情報料で七対三!」

「くそ!四対六!」

「仕方がないわね。乗ったわ!」

「いや、乗らないでよ」


 冷静なウイの一言は、熱くなった二人に届かなかった。

 笑い合うピヴワヌとネモフィルの顔が悪役である。

 思わず身を引いたのは、亜莉香とトシヤだけの話じゃない。トウゴは完全に逃げ腰で数歩下がり、いつの間にかトシヤの隣にはルイがいる。


「僕が言うのもあれだけど、精霊達の考えも十分変だよね?」

「食べる認識がおかしいよな?」


 亜莉香の隣に並び、ルカも言った。

 少し唸った亜莉香は、つまみにしてやると意気込む二人を遠目に眺める。


「あれは口だけだと思いますよ?実際に誰も食べられていませんので」

「食べているのを見たくもない」


 トシヤの本音に、誰もが同意する。耐え切れなくなったトウゴは避難してきて、首を傾げて亜莉香に訊ねる。


「アリカちゃん、止めないの?」


 悩んだのは数秒だ。瞳に騒ぐピヴワヌとネモフィルを映して、どこから突っ込めばいいのか分からなくなっているウイも見る。


 まだ立ち上がっていないウイの瞳に、小さな光が宿った。

 不器用なピヴワヌとネモフィルなりの励まし方だと思えば、五月蠅いのも仕方がないと思えた心情は長く続かず、サイを止める為の方法の議論が物騒になった。里を凍らせ、鴉を氷の上に叩き落とし、里の中心で木を組んで豪快に鴉を焼くのは穏やかな話じゃない。

 周りの人間のことも考えていない。力技過ぎる止め方ばかりを発言する。一層騒がしくなる議論に長老の顔が蒼白になり、亜莉香が口を挟むしかなくなった。

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