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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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81-1

 それは何の変哲もない、一本の矢だった。

 突き刺さっている先は、八重の右胸。身体と直角に刺さって、口からも血が溢れて咳き込んだ。即死ではなかった八重に駆け付けたネモフィルの両手が赤く染まっていく。傍に居た葛の腰が抜けて座り込み、瞬く間に八重を抱き上げた黄瀬の着物も赤く染まる。


「八重、しっかりしろ!」

「八重お姉ちゃん!」


 黄瀬と葛の声が、遠い出来事のように耳に届いた。

 血が滴り、背中まで貫通した矢が異常だった。

 亜莉香の身体は震えた。急に押し寄せた恐怖で真っ青になる。現実感がない。涙が込み上げて、抱きしめられているトシヤの腕に力がこもった。


 なんで、と声にならない言葉が零れた。


 トシヤにさえ届かなかった声は周りの音に掻き消される。トシヤに守られ、八重から目を離せない亜莉香のことなど誰も見ていない。泣きそうな顔のウイも傍に行き、ネモフィルの肩越しに呼びかける。魔法で治そうとするネモフィルの顔が険しくなって、大きな舌打ちをした。


「毒でも仕込んであったわね!」

「ネモちゃん!治せるよね?八重ちゃんを助けられるよね?」

「ちょっと黙っていて!このまま毒が身体に回る前に、誰か矢を抜いて!」


 ネモフィルの声に、黄瀬の顔が歪んだ。

 葛は小さな悲鳴を上げ、ウイは首を横に振る。


「やだやだ!そんなこと出来ない!」

「なら、このまま見殺しにするの!?」

「もっといや!」


 頭を抱えて泣き叫ぶウイがしゃがんで、嫌だと繰り返す。黄瀬は矢に手を伸ばすも、握ることは叶わない。ネモフィルは手を離せず、トシヤが動く前に黄瀬の隣に立つ影があった。


「抜くぞ」


 黄瀬の隣で見下ろすヴワヌは冷静で、誰の返事も聞かずに矢を抜いた。

 八重の身体が弧を描き、堪えようとした悲痛な声が響いた。そのまま意識を失った八重の名前を、黄瀬と葛、それからウイが必死に呼ぶ。


「アリカ!!」


 空気を切り裂くように、亜莉香の名前を呼んだのはネモフィルだった。

 見つめられた青い瞳に映る亜莉香の姿は、とても頼りない。トシヤにしがみついて、動けなかった頭に響く声に滲むは焦燥。力を貸して、と確かに口が動いて見えた。


 地面に足がついたような錯覚があり、トシヤを押し退け無我夢中で駆け寄る。

 黄瀬の隣をピヴワヌが空け、ネモフィルの反対側から八重の胸を押さえる。温かく赤い血が両手に伝わった。脈打つ音はか弱く、膝立ちになって意識を集中させる。

 両手に集まった光は、雪より白かった。

 地面からも淡い光は放たれる。ネモフィルの両手と、八重の身体ごと包まれる魔法でも、流れる血を止められない。

 このままでは駄目だと、頭で考えるより早く声を上げる。


「――フルーヴ!」


 呼びかけに答えて、瞬く間に頭上に光は集まった。

 鮮やかな光は河の青。パッと現れた女の子は真っ白な髪を靡かせて、光と同じ瞳を輝かせる。小さな兎ではなく人の姿で現れたフルーヴは裸足で、白い着物に青い帯。涙を浮かべた亜莉香と血まみれの八重を見るなり、全てを悟った笑みを浮かべる。


「フルーヴにまかせて!」


 ぎゃ、と悲鳴を上げたネモフィルの頭を踏み台にして、軽々と八重の腹に飛び降りた。亜莉香やネモフィル同様に両手をかざせば、うぬぬ、とうねり声を上げる。淡い白に青の混じった光が合わさって、亜莉香も祈りながら魔法を使う。

 ネモフィルより強い光を秘めて、フルーヴの身体も光を宿した。

 魔法で治癒を高めても、毒をも打ち消す力はない。八重の顔に血の気が戻らず、意識も戻らない。周りの期待に応えようとする二人の力だけでも足りないくらい、強力な毒が八重の身体を蝕み死に至らしめる。


 八重を助ける薬が欲しい、と願って奥歯を噛みしめた。

 その願いを聞き届けたかのように、光が満ちた視界の隅で黄金の光を見た。

 八重の身体の影に隠れて、雪の下から覗いた一輪の小花。大樹に咲いた花と同じ形だけど、それより何倍も小さな花の蔓が八重の手に絡む。


 力を貸してあげる、と風に乗って聞こえたのは蕾の声だった。

 真似して繰り返す精霊達の声もして、両手を放さず顔を上げる。


「精霊共が集まって来たな」

「俺にも見えるけど」


 亜莉香の視線に気付いたピヴワヌが呟き、トシヤも驚いたように言った。

 涙が滲みかけた瞳に映るのは、数えきれない色を持つ精霊達。花びらや葉、土の付いたままの根や樹液を持って、クスクスと笑う声もした。

 夜空を背景に星々と混じって、精霊達の光が漂う。

 その光の中には溶けて消えてしまいそうな儚い文字もあった。ばらばらになっていた文字は羅列となって光り続ける。決して消えない文字を見て、周りの音を全て遮断した。

 息を吐き、亜莉香は言葉を紡ぐ。


「【――花々香るは里に眠りし薬を隠し】」


 蓮の花びらが一枚、無意識に上げた右手の手のひらに落ちた。


「【大地に根付くは命の灯】」


 それ、という掛け声と共に、精霊達は持っていたものを手放す。

 葉や土の付いていた根より、圧倒的に花びらの量が多い。赤、桃、黄、白、紫、青などの花びらに、鮮やかな緑や黄緑の葉。根は宙で小さく切り刻まれ、土は洗い流したかのように消え去った。樹液は雨粒のように降り注ぎ、全てが持っていた精霊の光に包まれ、頭上で動きを止めた。

 手を伸ばしても届かない位置だけが、まるで時間が止まったかのように見える。

 光に包まれた小さな欠片一つ一つが静止して、その奥では精霊達が笑いながら浮かんでいた。星の輝きも月の明るさも変わらなくて、次は、と促す沢山の声がする。


「【透かし織りなす欠片を募り、一つの想いを我は託す。奏でる光の欠片を合わせ、一つの祈りを我は乞う】」


 止まっていた欠片の幾つかが、順番に強い光を放った。

 それじゃない、と慌てて否定する声もあれば、こっちが正解、と自信満々な声もした。間違えたら危険だと注意する声もあって、老若男女の声に、思わず亜莉香の口角は上がる。


 大丈夫だよ、と灯がいたら言ってくれた気がした。

 深呼吸して、綴られた最後の言葉を読み上げる。


「【――亜莉香の名の元、正しき道を指し示せ】」


 強い光を宿した欠片は弾けて消え、それ以外の欠片は全て地上に舞い落ちた。

 不意に膝の力が抜けて後ろに倒れそうになり、いつの間にか脇にいたトシヤに支えられる。左手まで放してしまったが、右手は花びらを潰さないよう気を付けた。


「大丈夫か?」

「…はい」


 小さく答えたものの、声に力はなかった。

 心配するトシヤの顔は見られず、手の中の花びらを見下ろす。空っぽだった花びらの中に満たされたのは、ただの水にしか見えない液体だ。

 それが普通の水ではないのは、誰もが知っている事実に違いない。

 精霊達の楽しそうな声が、まだ耳に届く。

 亜莉香の近くで、ため息が聞こえた。音のした方に目を向ければ、腕を組んで立っているピヴワヌと目が合った。目が合うなり、呆れた顔で口を開く。


「一から作るとは、儂も思わなかったぞ」

「これって、薬でしょうか?」

「それ以外を作ったのか?」


 聞き返されて、首を横に振った。望んだのは薬である。

 身体を動かせる体力が戻るまで時間がかかりそうで、黄瀬の名を呼んだ。何か言いたそうだった黄瀬に薬を押し付け、後はネモフィルとフルーヴの魔法に任せる。トシヤにもたれかかる前に、八重の手に絡んでいた蔦と小花は存在を消していた。


 頭はぼんやりするのに、頭の中に響くように精霊達の声が聞こえる。八重を心配する声、薬が成功したと喜ぶ声。この場にいるピヴワヌやネモフィル、ウイやフルーヴのようになりたいと望む精霊もいれば、次は何しようと話し出す精霊もいる。

 傍に居るトシヤより、囁くような精霊の声の方が鮮明に聞こえた。

 瞼を閉じて、耳を澄ませる。


 裏切り者は里に戻った、と誰かが言った。

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