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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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80-4

 経験上、喋る梟が精霊であるとは推測した。

 問題は梟がどんな精霊であるか。ウイやサイと似た存在を、亜莉香は一人だけ知っている。ピヴワヌはいなくなったと言っていた精霊の名前が、喉から出なかった。


「「ローズ様」」


 亜莉香より先に、八重と葛が言った。

 驚きを隠せない声で、梟は亜莉香とトシヤの後ろに隠れていた二人を確認した。ひょっこりと足を伸ばして、てくてく歩き出して横を通り過ぎる。


「あらま、変わってないのね。八重ちゃん、葛ちゃん。ねえねえ、私がいなくなってから、どれくらい過ぎた?もう百年は過ぎた?」

「いえ…そんなに経っていません」


 しゃがんだ八重に倣って、慌てて葛も腰を落とした。


「ローズ様、いなくなったのではなかったですか?」

「違うよ。珍しく魔法を使って疲れていたから、ご神木の中で眠っていただけだよ。精霊達には伝えたのに、どこかで伝言間違えたのかな?黄瀬ちゃんは元気だよね?里にいる?」


 肯定した八重の顔が曇った。

 梟は不思議そうに首を傾げて、葛の方を向く。


「ご神木が怒っていたけど、里で何かあった?それでお祈りに来たの?」

「そういうわけではないですけど、里は今敵に襲われています」

「王に見つかった?」

「それは…ちょっと分からないです」


 ふむ、と頷いた梟が、ゆっくりとした動きで振り返る。

 亜莉香を見て、それからトシヤのこともよく見る。


「そっちの彼、名前は何て言うの?」

「…トシヤだけど」

「じゃあ、トシちゃん。いつも同じ名前でつまらないね。トシちゃんとアーちゃんは、里に住むの?ようやくガランスから移住?」


 律儀に答えたトシヤの顔に、呼ばれ方が嫌だと書いてある。それでも仕方がないと言わんばかりにため息をつき、正直に答えた。


「違う。さっさと里から出て、ガランスに帰る」

「住めばいいのに。住めば都だよ?」

「住まない」


 はっきりと言い返したトシヤに、葛がはらはらした表情を浮かべていた。

 精霊相手だとしても、トシヤの態度は変わらない。嫌なら嫌だと言うし、遠慮もしない。目線を合わせるつもりがないので、亜莉香も立ったまま問う。


「ローズ…さん、で間違いありませんか?」

「そうだよ。ピーちゃんから聞いたことある?かっちゃんと契約していた精霊様だよ。これでも強いのよ。シノープルで最強の名を轟かせたのよ」


 ふっはっは、と笑いながら羽を広げたローズは、全然強そうに見えない。

 ピヴワヌから聞いていた話と違う。ウイとサイの生みの親のような存在で、誰よりも平和を願う精霊だと聞いた。楽しいことが好きで、いつだって笑顔で、戦いの最中で魔力を使い果たして消えたはずの精霊。

 想像していた印象を抱けない。契約していたと過去系の言葉は気になったが聞けず、亜莉香はぎこちなく笑うしかなかった。

 トシヤは呆れて、本音を零す。


「また変なのが現れたな」

「またって何?聞き捨てならない単語を聞いちゃったよ。トシちゃんこそ、相変わらずアーちゃんにべったり」

「お互いに初対面だろ」

「あー…記憶は毎度同じくないのね。その説明は面倒だから、脇に置いて」


 器用に羽を動かして、ローズは脇に寄せる仕草をした。

 変わり者、という点だけは間違いない。もっと静かな人物だと思っていたが、それは亜莉香の勘違いだった。人の姿でも、梟の姿でも性格は変わらない。

 ローズはてくてく歩いて、大樹に向かった。


「それにしても、見事な花が咲いたね。かっちゃんでも花は咲かせない。大きな理由としては乏しい想像力のせいだけど、ご神木は喜んでいるよ」

「ローズ様、ご神木は他に何か言っていましたか?」


 遠慮がちに八重が訊ねれば、いや、とローズは振り返りもせず言う。


「里に敵が来ようが、問題ないと判断しているのではないかな?ピーちゃんもネモちゃんも来て、ウイちゃんもいるなら戦力として最強だもの。最強というより、災害並の力を持つ約二名が暴れないか私は心配」


 しみじみとした話し方は、少しサイに似ていた。

 ピヴワヌとネモフィルの評価は誰も何も言えず、ローズ同様の精霊の力は侮れない。山火事やら大洪水やら、今の時期なら雪崩すら起こしてしまいそうな二人が大人しくしているのを願いつつ、亜莉香は言う。


「ローズさんは、人の姿にならないのですか?」

「だって人の姿になったら、誰もが私の美貌に目を奪われちゃうじゃない。皆を驚かせたいから、雪に紛れて隠れて行くわ!」


 堂々と胸を張った梟は可愛くも見えるが、その自信はどこから来るのか。

 誰の反応もなく、羽をばたつかせたローズが言葉を重ねた。


「構ってよ!何か言われないと寂しいよ!」


 サイだけじゃなく、ウイにも似ていた。

 腰が低いままの八重と葛が謝る。トシヤの視線を感じれば目が合い、どうする、と小声で言われた。どうするもこうするも、亜莉香に為す術なし。


「…里に戻りますか?」

「そうだな。ご神木は見たわけだし」

「聞こえているから!私、耳は凄くいいからね!無視して帰ろうとしないで!もっと私とお喋りしてよ!」


 亜莉香の足元まで来たローズが、羽を動かし叩き出す。痛くはないが下手に動けず、トシヤの蹴りが入りそうな気配に咄嗟に身を引いた。

 大樹の枝まで避難して、信じられないとばかりに叫ぶ。


「普通、精霊を蹴ろうとしないからね!」

「普通、梟は喋らないけどな」

「だって私だもん!」


 胸を張ったローズの毛は膨らんで、丸い姿が増々丸く見えた。

 馬鹿可愛い阿呆、とピヴワヌの声が頭の奥で聞こえた気がする。ピヴワヌの言いたかったことは十分に伝わって、可愛らしさと阿呆な言葉ばかり口から飛び出す。ローズの相手をトシヤにばかり任せていられないと思えば、誰かの視線を感じた。


 ふと見た大樹の根元に足があり、顔を覗かせている少女と目が合った。

 さっきまでは誰もいなかった。色白の肌で、可憐で儚い印象の少女は亜莉香と目が合って恥ずかしそうに顔を隠す。僅かに赤くなった頬に、薄い紅の唇。薄茶の綺麗な長い髪は足首近くまで伸び、真っ白な着物に濃い灰色の帯は桜柄。

 おそるおそる再び顔を覗かせて、亜莉香に頭を下げた。

 会釈を返せば微笑み、上を見上げて今にも消えそうな声を出す。


「ろ…ろーず、ちゃん」

「私ってばね、どこまでも遠くの空まで飛べるのよ。何ならガランスまでだって飛べるのよ。ガランスまで帰るというなら、私が送り届けてあげる。嬉しいでしょ!」

「不安だから遠慮する」

「なんで!?」


 ローズもトシヤも少女に気付かない。

 深い藍色の瞳は前髪で半分程度隠され、声が届かず涙ぐむ。見ていて可哀想になるくらい無視されて、思わず亜莉香が口を挟む。


「――呼ばれていますよ?」


 話の途中だったが、ローズの声が止まった。目が合って、少女に視線を向ければ、ローズは下を見た。大樹の根元を見下ろして、その目が大きく見開く。


「うへ?出て来ちゃったの?」

「ろーず、ちゃんの、ばか」


 ぽろぽろと涙を流し始めた少女に、ローズの顔が真っ青になった。

 少女が泣き出すと、大樹の葉から雫が滴る。ぽつりぽつりと、全体的に力の無くなった葉は下を向く。青々とした色から深い緑の葉に変わっても、大樹の美しさは損なわれない。


「ちょ、ちょっと!泣いたら駄目だって!里にも影響しちゃうから!」

「だ、だって…」

「泣き止んで!ね、その姿になれたなら一緒に里まで行くから!行きたかったよね!?連れて行ってあげるから、今すぐに泣き止んで!」


 ローズが少女の頭に飛び乗って、必死に慰めた。

 頑張って涙を止めた少女に安堵の息を吐き、一部始終を見ていたトシヤが呟く。


「誰だ?」

「誰でしょう?」


 トシヤと顔を見合わせ、疑問ばかりが浮かぶ。

 全く知らない少女の見た目の年齢は近い。下手すれば亜莉香より年下に見える。八重と葛なら知っているかと振り返れば、二人共静かだった。


 驚きを隠せない八重はしゃがみ、葛は八重の首にしがみついている。

 どうやら少女の存在は知らないようだ。亜莉香とトシヤは視線を戻す。

 梟に頭を撫でられた少女は落ち着きを取り戻し、胸に手を当て深呼吸を繰り返した。吸って、吐いてのローズの言葉に従って、瞳を閉じたまま肩を上下に揺らす。

 不意に亜莉香を見ると、嬉しそうに笑みを零した。

 鼻緒の赤い下駄を鳴らしながら傍に来て、亜莉香の顔を覗き込む。


「つぼみ」

「…え?」

「私の名前」


 呼んで、とお願いされて、呼ばないわけにはいかない。


「つぼみ、さん?」


 名前を呼んだ途端、少女の周りが輝いた。大樹に触れる雪が小さく細かな結晶となって輝くように、きらきらとした光に包まれた少女の瞳にも浮かぶ。光を宿した瞳を見つめていると、ついさっき大樹に花が咲いた様子が心に宿った。

 蕾、と無意識に繰り返した言葉で少女はふわりと笑う。


「初めまして、ありかちゃん?」

「はい。初めまして」

「それから、トシヤくん?」


 首を傾げながら蕾は言った。初めまして、とトシヤも微笑み返事をする。


「ねえ、私と態度が違うよね?」


 ローズの意見は聞かなかったことにして、亜莉香は蕾に訊ねた。


「蕾さんも精霊ですか?」

「前は精霊だったの。でも消えかけちゃって、ご神木と一つになったの。力が戻らないから人の姿になれなかったけど、ありかちゃんの魔力で元に戻れたみたい」


 たどたどしくも言い、蕾は恥ずかしそうに髪で顔を隠す。

 感心したトシヤは、素直な感想を述べる。


「そういうこともあるのか」

「珍しいとは思うの。どうしても里を離れたくなくて、気が付いたらご神木と一つになっていたの。話し方、おかしくない?ずっとご神木の中に居て、話していなかったから」

「大丈夫だと思いますよ」


 亜莉香が言えば、ほっとした表情をした蕾は顔を隠すのをやめた。

 それでも髪をいじって、見つめると恥ずかしそうに視線を外す。仄かに頬に赤みが戻り、小さな声で話し出す。


「あのね、里の敵は黄瀬くんと赤い精霊が制圧したの。他に一緒にいた人の子が各家の結界を強めてくれて、敵が現れていた原因は青い精霊が踏み潰しちゃった」


 蕾の言葉を、頭の中で変換した。

 赤い精霊はピヴワヌのことで、青い精霊はネモフィル。鍬を片手に血祭りだと笑いながらルグトリスを倒す黄瀬と、悪い笑みを浮かべ敵を蹴散らすピヴワヌの姿は確認済みである。ピヴワヌ達と一緒にいたのはルカとルイで、二人は戦うより結界を強めてくれたらしい。

 そもそも黄瀬とピヴワヌの戦力だけで十分だった。

 二人の気合が異常だった。

 ピヴワヌは亜莉香の傍にいない腹いせに暴れ、黄瀬は荒らされた畑を見るなり怒りが爆発して暴れていた。問答無用で戦う二人に敵う敵は居らず、全ての敵を制圧する姿も容易に想像出来る。


 ピヴワヌに負けないように、ネモフィルも頑張ったに違いない。

 その巻き添えになったトウゴやフルーヴ、ウイが疲れていないか心配になる。いつだって人使いが荒いと、透はぼやいていた。

 それでね、と蕾が話を続ける。


「里の敵は、もう大丈夫だと思う。里の中は安全だから、早く里に戻った方がいいよ。この空間ですら壊してしまう大きな力が近づいていて、ご神木は自己防御が働くけど、皆は巻き添えになると困るよね?」


 首を傾げながら可愛く言った内容は、全然可愛くなかった。

 大きな力と言われれば不安が芽生え、危ない何かの巻き添えにはなりたくない。


「その…大きな力とは何ですか?」

「上手く言えない。でも、この次元すら越えて干渉してくる力。ずっと里を狙っていた力で、どこかの綻びから侵入しているみたい。ゆっくりと、こっちに向かっている」


 唸りながら蕾は眉間に皺を寄せ、両手で耳を塞ぐような仕草をした。

 亜莉香にもトシヤにも何も聞こえない。

 すっかり忘れていたのは、葛の作り出した空間の中にいること。平然とローズや蕾と出会ってしまったが、この空間なら敵はない。敵は来ないと油断していた感情は消え去り、亜莉香の肩に回っていたトシヤの手に力がこもる。


「一人で…大丈夫なのか?」


 トシヤの言いたいことは亜莉香には伝わったが、蕾には通じなかった。


「何が?」

「ここにいたら、危ないんだろ?」


 蕾を心配したトシヤが言った。意味を理解した蕾は笑みを零し、首を縦に振る。大丈夫と呟いた表情に不安の欠片はない。大樹を振り返って、両手を胸に当てる。


「私は大丈夫。私はご神木と同じ。この地に根を張り、里を見守り生き続けるの。目覚めたばかりで役に立てないから、今は一緒に行けない」


 言い終わると同時に、蕾の身体は輝き出した。

 段々と姿は薄れて、連動した大樹も真っ白な光に包まれる。あっという間に光が収まれば、蕾の姿は跡形もなく消え去って、どこからともなく吹いた風が空に向かって舞い上がった。

 大樹に咲いていた花びらが、一つ残らず宙に舞う。

 地面に落ちる前に、雪のように消えてしまう。

 残った大樹は最初に見た光景と同じ。青々とした葉を覆い茂らせ、空から降り注ぐ雪が触れる前に結晶となる。月の光を受けて輝く黄金や虹色の結晶の輝きに包まれ、堂々とした存在感を放っている。


 後で迎えに来て、と鈴の音のような声がした。

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