80-3
里を守る者と原因を探る者、それから里の結界の源でもあるご神木を見に行く者。
揉めながらも話し合い、三つの班に分かれて行動することになった。
亜莉香は自動的に最後の役割。ルグトリスと戦う前線に行かせられないと言われ、原因を探っている途中に戦いに巻き込まれると言われ、一番安全かつ安心出来る役割へ。
ルグトリスもいなければ人もいない世界は、葛の作り出した空間だ。
何も動かず、音がしない。雪を踏んでも沈むことなく、真っ白な雪の明かりで照らされた森の中を進む。ご神木に向かいながら、亜莉香は呟いた。
「私って…そんなに問題事を起こしているのでしょうか?」
「起こすようじゃなくて、巻き込まれる方だろ」
手を繋いでいるトシヤは優しい答えをくれた。
慣れたわけではないが顔の赤みは引いて、隣を歩くトシヤの顔を見上げる。亜莉香が行くなら、という理由で一緒に来てくれた。それが素直に嬉しくて、同時に他にも一緒に来ようとした精霊達を思い出す。
誰が亜莉香について来るかで、話し合いが凄く揉めた。
当たり前のようにピヴワヌが行くと言えば、即座にネモフィルも声を上げた。面白半分でウイまで行くと言い、何も決まらず時間だけが過ぎた。
呼ばれたら行く、で良くないかと言ったのはトウゴだ。
その一言がなければ、今でも揉めていたかもしれない。寧ろ呼ばれたら誰が先に行けるか、今では競争することになってしまった。渋々承諾したピヴワヌは、トシヤが一緒にいることすら気にくわなかったに違いない。
亜莉香が呼ぶまでピヴワヌは黄瀬と、ルカとルイと一緒に里を守ってくれている。ネモフィルはウイや他の精霊と協力し、トウゴやフルーヴの力も借りて里の至る所を調べている。何が原因でルグトリスが現れているのか、闇が生まれる原因を探る拠点は黄瀬の家の土間。
亜莉香とトシヤの先を行くのは、葛と八重。
ウイが呼びに行った葛は話を聞くなり承諾してくれ、ご神木への道案内に手を上げたのは八重だった。里の結界の源でもあるご神木を見に行くだけだと念を押され、葛の魔法の空間の中なら敵はいない。先を歩く二人に置いて行かれないように歩きながら、亜莉香はトシヤの顔を盗み見た。
言いたいことがあるのに、今は言えない。
数は減ったが淡い光を持つ小さな精霊達を瞳に映して、目印のない森の中を無言で進む。傍を行き交う精霊達は、こっちだよと話しかける。八重と葛よりは先に行かない。二人の目には留まらぬように宙を漂い、見つかりそうになれば亜莉香の背中や木の影に隠れては笑っている。
かくれんぼだ、という楽しそうな声もした。
ピヴワヌやネモフィルに頼まれた小さな精霊達がいれば、道案内は要らなかったのかもしれないと気付いたのは出発してから。ルグトリスの姿がないせいか、生き生きとした精霊達の声を聞いていると元気が出る。
足元に気を付けて、案内された場所は大きな木の根元だった。
その木ですら大きいが、ご神木ではない。その木の根元に空洞があり、根が絡み合って階段のような作りをしていた。流石に手を繋いだままでは下りられず、後ろ向きで落ちないように気を付けながら足を置く。
振り返った先に、圧倒的な存在感を放つ大樹があった。
森の中の木々でさえ雪を纏い、背が高い木ばかりだった。それ以上の大きさで、幹が太い。亜莉香が抱きしめても両手が届かなそうな太さの幹で、大樹の葉は冬だと言うのに青々と覆い茂っていた。
地下の地面に根を張る大樹に、降り積もっている雪はない。
空から降って来る雪は、大樹に触れる前に結晶となって消える。小さく細かな結晶は非常に小さく、月の光を受けて金色や虹色に見えた。大樹の上部は外と繋がり、天井には丸い夜空。外と繋がっていても、地下の温かさが空間を満たして温かい。
きらきらと輝き大樹を包む景色は、幻想的で美しかった。
大樹に目を奪われた亜莉香の足は動かず、それは傍に居たトシヤも同じ。
「凄いな」
「はい。凄いです」
凄いしか言えない。それ以上の言葉で言い表せない。
「これが、ご神木」
最後に降り立った八重が言い、亜莉香の隣に並んだ。
「こんな景色が見られるのは、この時期だけ。里の結界の源で千年も生き続けている。隠れ里として誰にも見つからなかったのは、このご神木のおかげでもあるの。里や近くの森を、悪しきものから守ってくれる」
説明の途中で大樹の傍に行った葛が、額を大樹の幹に押し付ける。
淡い光を帯びた大樹は神々しかった。八重も大樹に歩み寄ったので、亜莉香もトシヤと顔を合わせてから歩き出す。葛が場所を空け、八重も大樹に触れた。
葛の時は黄色にも見えた淡い光が、八重の時は深い緑色に見えた。
八重の代わりに、亜莉香の隣にやって来た葛が言う。
「ご神木の元に来たら、挨拶するように言われています」
「挨拶って、どうするのですか?」
「ご神木に触れて、名前を言えば良いそうです。兄貴から聞いた話だけど、言いたいことがあったら言えばいいとも言われました」
「アリカ、先に行くか?」
トシヤに訊ねられ、お先にどうぞと言い返した。
八重が戻って来て、トシヤが大樹に触れる。帯びた光は淡い赤に変わった。魔力の色を表すかのように移り変わる光は、誰かが触れている時だけ灯るよう。
早々にトシヤと場所を交代して、大樹の手前に立った。
見上げた木々は鮮やかだ。葛は額を当てながら目を閉じ、八重は微笑みながら右手を大樹に当てていた。トシヤも八重同様に右手だけで、瞳は閉じずに伏せただけ。
どうするべきか少し悩んで、そっと亜莉香も右手を伸ばす。
触れた幹は仄かに温かい。自然と瞼が閉じた。
初めまして、と心の中で言えば、葉が揺れる音が聞こえた。まるで笑っているように揺れる葉の音を聞きながら、名前も述べる。
【ありかって言うの?】
頭に直接響いた声は若い女性の声で、思わず肯定していた。
【灯ちゃんじゃないのね。ピーちゃんは一緒?】
いえ、と声に出して返事をしてしまった。
何かが、おかしい。
ご神木が話す存在とは聞いていない。何となく聞き覚えのある声はウイに似ている。ピーちゃんと言えばピヴワヌのことで、勢いよく顔を上げれば真っ白な光が瞳に映る。
「…え?」
身を引いて手を離しても、大樹の光が消えない。
大樹全体が白い光に包まれていて、思わず後ろに下がった。亜莉香の肩に手を回したトシヤに支えられ、視線を大樹に向けたまま声を零す。
「なんで?」
「大丈夫か?」
「私は大丈夫なのですが、ご神木が――」
トシヤの顔を見られずに答えれば、八重と葛の驚く声がした。
真っ白な光が収まっていき、葉の間に小さな蕾が生まれる。見る見る膨らむ蕾は白く、蕾の先端だけが黄金の色に染まった。大樹全体に満遍なく、あっという間に花が咲く。
小さくも黄金の花は椿のようで、その花の中心部分だけが純白だった。
青々とした大樹は、白い花咲く大樹に変わった。
「ありかちゃん。うーん、アーちゃんって呼ぼうかな?」
不意に聞こえた女性の声は、その場にいた全員に聞こえた。
声がしたのは、大樹の葉の中。花とは違う白いもこもこした存在が動いていて、大きな翼を広げたかと思えば、地面に着地して首を傾げる。
「あれま、灯ちゃんにそっくり。でもって、その彼はいつもの彼ね。馴染みのある魔力に、つい起きちゃった。かっちゃんから連絡ないけど、何か聞いている?」
真っ白な毛に覆われた真ん丸な姿で、つぶらな丸い緑の瞳はウイやサイより深い色。どちらにせよ、宝石のペリドットのように輝いていた。
先端の鋭いくちばしと、鋭いかぎ状の爪を持ち、頭は大きい。
目の前の存在は全長二十センチ程。
「ねえ、私の声聞こえている?」
呆然とした亜莉香とトシヤを見上げて、梟が喋っていた。




