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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
4/507

01-3

 トシヤが日本刀を抜くよりも早く、亜莉香に手を伸ばすような格好で走っていた黒い何かの頭が消えて、動きが止まる。重たい荷物が地面に落ちたみたいな音と共に、頭は地面に転がった。


 いつの間にか、黒い何かの背後にルイがいた。


 持っていた小刀で横一線に首を落としたルイは、小刀を手首でくるりと回したかと思うと、今度は左胸の心臓の位置を目掛けて、躊躇なく小刀を突き刺した。突き刺さった心臓の位置から、身体全体が焔で包まれ、何故か落ちていたはずの頭も燃える。


 ほんの数秒で、黒い何かはまるで最初からいなかったかのように消えた。

 残っているのは突き刺していた小刀と、その小刀の主のルイの姿だけ。

 ルイは肩の力を抜くと、懐に隠していた鞘に小刀を戻す。真剣な表情が消えて、ルイは亜莉香と日本刀を抜こうとしていたトシヤの方を向いた。優しい笑みを浮かべたルイが、亜莉香に言う。


「怖がらせてごめんね。もう大丈夫だよ」

「一人で片付けるなら、さっさと終わらせろよ」


 呆れるトシヤの言葉に、ルイは何も言い返さない。にこにこ笑って、亜莉香とトシヤの傍にやって来る。ルカも息を切らしながら遅れてやって来て、心配そうな顔をした。


「無事か?」

「当たり前だろ。最後まで手を抜くな」

「…心配して損した」


 トシヤの言葉に、ルカが不機嫌になった。眉間に皺を寄せて、近くに腕を組みながら立つ。

 平然としているトシヤとは違い、亜莉香は顔を伏せて、両手で口元を押さえた。

 息を殺しながら深呼吸を繰り返しても、身体が微かに震えていて治まらない。もう大丈夫だと思うのに、感じた恐怖が消えてくれない。


 黒い何かの存在も怖かった。

 それと同じくらい、黒い何かがいなくなるということが。まるで知り合いの誰かが目の前で殺されたような光景が怖かった。


 今すぐ吐きそうなくらい気持ち悪くて、口の中が苦い。


 亜莉香が顔を上げられないまま、三人の会話が続く。


「お前ら、模擬戦やるのはいいけど。もう少し周りを見ろよ。ルカはともかく、ルイはもっと早く一般人に気付いていたはずだろ」

「おいこら、どういう意味だ」

「まあ、普通なら気付くはずだけどね。その子、魔力を全然感じないし、気配も薄くてさ…君、少しは落ち着いた?」


 座りこんだままの亜莉香の前に、ルイがしゃがみ込んで顔を覗き込む。

 どうにか顔を上げようとしていたのに、近い距離にルイがいて小さく悲鳴が上がった。あまりの驚きぶりに、ルイが少し悲しそうな顔をする。


「怖がらせて、本当にごめんね。少し、話をしてもいい?」

「…はい」


 ぎこちなく答えた亜莉香に、ルイは安堵した表情を浮かべた。

 安心したのはルイだけじゃなく亜莉香も同じ。少しだけ肩の力を抜く。目を合わせる勇気はなかった。瞳を伏せて亜莉香は言う。


「その、助けていただいて、ありがとうございました」


 段々と声が小さくなった。いやいや、とルイは軽く言い返す。


「むしろこっちが巻き込んだようなものだから。僕達はよくここに来るけど、君はどこから来たの?この場所は、初めて?」

「…初めて、です」

「そっか。じゃあ、さっきの黒い奴に襲われたのは、初めて?前にも襲われたことある?」


 黒い奴、と言う言葉に、先程の姿を思い出し、身震いがした。ぎゅっと両腕で身体を抱きしめる。声が掠れないように、亜莉香は唾を呑み込んだ。


「…それも、初めて、です」

「そう」


 怖がっている様子を察して、ルイはすぐに質問を変える。


「見慣れない格好をしているけど、どこの人?ここへはいつ来たの?」

「それ…は…」

「あと、どうやって神社に入ったのかな?結界は…あったよね?」


 ルイが質問するたびに、尋問されているような気分になってきた。

 相手の目を見て正直に話さなくてはいけない、と思いつつ、答えても納得してもらえる気がしない。信じてもらえなければ嘘つきと思われそうで、それは避けたい。

 答えに迷って、亜莉香は口を閉ざした。

 ルイは質問をやめ、少し間を置く。


「あのさ、この後に時間があるなら。頬の怪我を治しに、一緒に診療所に行かない?それが無理なら、せめて家まで送るか、知り合いが近くにいるなら、そこまで案内したいな」

「…時間はあります…けど、私なら大丈夫です」


 本当に、と顔を上げられないまま、弱々しく言った。

 何とか顔だけは上げたいが、じっと見られている視線を感じる。顔を上げられず煮え切らない態度に、一部始終を見ていたルカが怒ったように口を挟む。


「おい、ルイ。いつまで話しているんだよ。そろそろ行くぞ」

「だって、このままに出来ないでしょ?」

「そんな怪我、寝てれば治るだろ」

「ルカと一緒にしないでよ」


 ため息交じりに、ルイは言った。

 おそるおそる顔を上げれば、不機嫌そうな顔の、深い紫色の瞳のルカと呆れた顔のルイが話をしていた。亜莉香の視線を感じたルカと目が合い、亜莉香は再び顔を下げる。


 ルカが怒っているのは、一目瞭然だった。

 亜莉香が何も言えないでいると、あのね、とルイがはっきり言い返す。


「ルカ、怪我をさせたのは僕達だから。せめて診療所に連れて行こうよ」

「そんなことをしていたら、間に合わなくなる」


 間に合わなくなる、と言う単語に一瞬ポカンとした表情を浮かべたルイは、すぐにその意味を理解するが、諭すように反論する。


「確かにお昼時間は終わるけど、怪我をさせたのは僕達…と言うかルカのせいだからね。診療所に連れて行って、治療くらいしないと後味が悪いと思わない?」

「別に、そいつが勝手に覗き見したのが悪い」


 噛み合わないルカとルイの話に、亜莉香が入れる空気はない。それが分かっていて、静かに顔を上げて二人の様子を伺う。


 ルカとルイは、どことなく雰囲気が似ていた。特に何が、とは言えないのに、不思議と雰囲気が似ているような気がした。


 ルカは腕を組み、亜莉香の視線に気が付いて、鋭く睨む。


「何?」

「い、いえ…何も…」

「ルカ、そんなにその子を睨まないでよ」

「睨んでねーよ」

「いや、怖いくらい睨んでいるからね。はあ、全く…」


 どうしようかな、と悩むルイの瞳に、ただひたすらに傍観者で何も言わなかったトシヤの姿が映る。悪戯を思い付いた子供のような顔のルイが、立っているだけのトシヤに言う。


「トシヤくん、どうせ暇でしょう?この子、診療所に連れて行ってあげてよ」

「は?お前らの責任だろ。俺が連れて行く必要はないと思うけど?」

「僕達はこれから仕事があるの。どうせ家に帰るだけなら、寄り道してよ」

「それがいい。俺らは忙しいからな」


 ルイの提案に乗ったルカの言葉のせいで、静かな睨み合いが始まりそうな雰囲気になる。その前にルイが立ち上がって、ルカの肩を叩いた。


「ルカ、今日はもう喧嘩売るのは止めようよ」

「別に喧嘩は売ってない」


 ルカの態度に、トシヤがため息を零す。


「俺が連れて行かなかったら、お前らはどうするわけ?」

「うーん、特には?放置して帰るだけじゃない?」

「さっきまで放って置けない、と言っていた奴はどこ行った」

「まあ、トシヤくんがどうしても嫌だと言うなら。僕達は帰りながら、トシヤくんのあらぬ噂を流しながら帰るだけだけど。女の子を泣かせたとか、放置したとか?」

「それは面白そうだな」

「おい、止めろ」


 トシヤは即座に言い返した。有り得ない、と言いながら、頭を掻いて、どうすればいいのか考え始める。ルイとルカは目を合わせると無言で頷き、背を向けると同時に走り出した。


「後は頼んだよ、トシヤくん」

「任せたからな」

「あ、ちょっと待て。治療費は――て、おい!」


 話の途中で、ルカとルイは颯爽と走り去った。トシヤが追いかけようと足を踏み出したのは一歩だけで、立ち止まって、深く長いため息を零す。


「あいつら…有り得ない」


 ぶつぶつ不満を零したトシヤは諦めたように言い、肩を落として亜莉香を振り返った。気まずそうに問う。


「立てるか?」

「…はい」

「なら、移動しながら少し話そうぜ」

「いえ…私なら大丈夫です」


 根拠もないのに、大丈夫だと亜莉香は言った。あまりにもはっきりと言い返した自分に内心驚き、慌てて言葉を続ける。


「その…大した怪我ではありませんので、一人でも…大丈夫です」


 段々と自信がなくなった。

 大丈夫、と口癖を無意識に繰り返し、どうしてこんなに強がってしまうのだろう、と深く後悔する。大丈夫なはずはない。大丈夫なことは一つもないのに、上手く話せる気がしなくて、俯いて黙り込む。


 立ち上がろうとしない亜莉香の傍にトシヤはやって来ると、一人分の距離を置いて隣に座った。無言の気まずい空気を壊すように、トシヤが言う。


「名前は?」

「え?」

「名前」


 素っ気なく繰り返された言葉。トシヤはぼんやりと空を見上げながら言ったので、亜莉香がトシヤの方を見ても目は合わない。視線を少し下に逸らし、亜莉香は小さな声で答える。


「吉高亜莉香、です」

「ヨシタカアリカ?長い名前だな」

「吉高は苗字で…亜莉香の方が名前です」

「みょうじ?」


 テンポ良く質問され、トシヤが首を傾げた。


「それ、家名?」

「家名ではないので…えっと、名前は亜莉香です」

「アリカ、か…俺はトシヤ。さっきアリカを置いて逃げた女みたい格好していた方が、本当は男のルイで、始終怒っているような顔をしている女に見えない方がルカ」

「ルイさんと、ルカさん?」

「そう。あいつらはよくここで模擬戦とか言って、稽古をしているわけだけど、アリカは普段何をしているわけ?」


 予想外の質問の答えを考えてみるが、何も思い浮かばない。


「…特に、何も?」

「年は?」

「十五歳、です」

「好きなものは?」

「好きな、もの?」


 またも予想外の質問に、うーん、と少し唸る。

 簡単で答えやすかった質問とは違い、考えたこともなかった質問。好きなもの、と考えて、道に落ちている桜の花びらが目に付いた。


 桜の花びらを見て、ふと一つの単語を思い出す。


「雪…が好きです。ふわりふわりと空から落ちて来る真っ白の雪や、一面真っ白になった雪景色が、とても綺麗なので」

「寒いのは、平気なんだ」


 はい、と頷いて、亜莉香はふわりと自然な笑みを零した。いつの間にか亜莉香を見ていたトシヤと目が合うが、その表情は穏やかだ。見つめられるのは恥ずかしく、視線を前に戻せば、トシヤもまた視線を空に戻す。


「俺はトシヤ。十七で、アリカより年上だな。好きなものは昼寝」

「お昼寝ですか?」

「こういう晴れた日は、寝ているのが気持ちいいだろう?」


 迷うことなく、トシヤは後ろに寝転がった。腕を枕にして、空を見上げるようにして寝転がったトシヤに、亜莉香は少し驚く。


「アリカも寝転がる?」

「えっと…」

「まあ、普通はしないか」


 トシヤはそれっきり口を閉ざし、空を見上げて大きな欠伸を零した。


 寝転がるのは躊躇して、亜莉香も座ったまま空を見上げる。

 日の光は木々の影で遮られ、ぽかぽかと暖かい。ゆっくりと時間が流れていて、静かで、穏やかだ。日々起きて、学校に行って勉強して、家に帰って眠るだけだった毎日からは、程遠い時間の流れを感じて、不思議な気分を味わう。


 余裕なんて、いつもなかった。

 一人でいることが、当たり前だった。


 どうしてこんなことになってしまったのだろうか。

 考えても答えは見つからなくて、何も話さずにいても事態が変わることはない。

 傍に居るのは初対面の人で、大した話もしていないけど、話をして誰かに相談しなければ、今の状況から抜け出せない。


 ふと、トシヤに視線を向けた。

 話を聞いてくれる人は、一人しかない。真面目に話を受け入れてくれるかは分からないが、と思いながら亜莉香は静かに話し出す。


「…私は、気が付いたらこの場所にいました。どうしてこの場所にいるのか、分からなくて。どうしようと悩んでいたら、ルイさんとルカさんを見かけました」

「それで巻き込まれたか」

「あ、いえ。私が勝手に覗き見をしていたのが悪かったのだと思います」


 慌てて否定して、でも、と一呼吸。


「私が記憶している場所とは全然違う場所に、いつの間にかいて。何も持っていないし、誰もいない。一人ぼっちで、本当は誰かに声をかけて話を聞かないといけない、とは思っていたところでした」

「普通、そんな状態になったら大慌てで騒ぐだろ?」

「そう言うものですよね」


 普通は、と付け足すように言って、亜莉香は遠くを見つめた。

 普通じゃない自覚はある。周りは皆、そう言って離れていった。


「記憶している場所って、どこ?」

「学校です」

「がっこう?」

「はい」


 疑問形で聞き返され、通じない事実に一人納得してしまう。

 やっぱり、と心の中で思った。

 この場所で亜莉香の常識がどこまで通じるのか、分からない。どこまで言えばいいのか、どこまで信じてもらえるのか、線引きがまだ上手く出来ない。


 今いる場所は、とても暖かくて、とても綺麗な、何も知らない場所。


「知らない世界に、私は今いるのですね」


 自分自身に言い聞かせるように、小さな声で呟いた。

 よし、と話を聞いたトシヤが起き上がり、亜莉香は視線を向ける。


「なら、帰り道を探すか。探していればひょっこり帰れるかもしれないし、帰れなくても何とか暮らしていけるさ」

「何とか、とは…?」


 トシヤがとても簡単そうに言ったので、亜莉香は不安そうに尋ねた。

 立ち上がって、トシヤは言う。


「まずは診療所だな、その後にアリカの今度を考える。もし困ったことがあれば、俺がいつでも手を貸すから、とりあえず移動しようぜ」

「…でも、迷惑をかけたくありません」

「別に俺は、迷惑とは思わないけどな。どうしても一人でここにいたいなら、それはそれで止めないけど」


 けど、と言って言葉が止まり、少し困った顔のトシヤが亜莉香を見た。


「俺は、アリカがここに一人でいると心配になる。また黒い奴らが来るかもしれない。怪我も治していない。一緒に診療所に来て欲しいけど…どうする?」


 どうする、と問われて、亜莉香は視線を下げて考える。

 心配してくれるトシヤが、嘘を言っている雰囲気はない。

 ルカとルイに任された責任感があるのかもしれない。一人ぼっちで呆然としていた亜莉香に対して、同情しているのかもしれない。


 それでも、と思いながら亜莉香は遠慮がちに顔を上げる。


「本当に…ご迷惑になりませんか?」

「迷惑じゃない」


 繰り返された力強い言葉に、亜莉香はぎゅっと唇を結んだ。

 出会ったばかりだけど、助けてくれた。話を聞いて、一緒に考えると言ってくれた。困ったことがあれば、手を貸してくれると言ってくれた。


 理由はきっと、それぐらい。

 目の前にいるトシヤを信じてみたい、と思った。


 嬉しさが込み上げて、泣き出したい気持ちが芽生えた亜莉香は、慌てて顔を伏せた。その気持ちを押し込めて起き上がろうとするが、何故か力を入れているはずの身体が思うように動かない。両手を地面に置いて立ち上がろうにも、努力は虚しく足に力が入らない。

 今度のことより、今の問題に気が付いた。

 情けなくて、先程とは真逆の泣きそうな気持ちが湧く。


「あの、トシヤさん…今更気が付いたのでずが…」

「何?」


 どうした、と言わんばかりのトシヤの顔を、亜莉香は見ることが出来ない。たった一言を言うのに勇気が必要で、申し訳なくも思いながら口を開く。


「腰、抜けていました」


 その一言でトシヤは笑い出し、下がっていた亜莉香の顔がますます下がった。



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