76-5
日が暮れる前には、木蓮と葛を里に帰した。
葛の持つ鍵と、シノープルを知り尽くすウイの知識は役に立つ。おおよその目星を立てた場所に現れた隙間を二人がくぐり抜け、閉まる前に大量のお土産を押し込んだ。
これでもかという程、大量だった。
立ち寄る先々の露店で、悩むのは買うと同じ意味を持つ。上機嫌なウイが木蓮と葛の手を繋ぐようになるまで時間はかからず、ピヴワヌなんて自分の酒まで買わせる始末。溜まっていく荷物をどうするのかと思えば、人目も気にせず風呂敷に詰め込んでいた。
精霊にとっては重さがなくても、普通の少女と子供が大きな風呂敷を軽々と持っている光景は異常だ。何度となく注目を浴び、亜莉香は顔を伏せるしかなかった。
里にいる黄瀬や長老が喜ぶより、驚きの方が大きいのではないかと思う。
途中から、ピヴワヌとウイの好きなものを買っていた。食べ物だけじゃなくて着物や帯、髪飾りや文房具。目につくあらゆるものを買おうとする二人を止められるはずもなく、大人しく露店から離れて休憩している時間もあった。
木蓮と葛に悪い影響はなかったか反省しつつ、人通りのある道に戻った亜莉香は言う。
「それで、これからどうします?」
「勿論。まだまだ祭りを楽しむよ」
「そうだ。まだまだ今日は終わらんぞ」
楽しくて仕方がない両脇の二人を見れば、その姿が祭りを楽しんでいる最中だと物語る。
ウイの風船が増えた。黒い鴉と白い鴉、丸い緑の風船に二つ足して、丸い黄色と濃い肌色。元々持っていた緑を合わせて、木蓮と葛の瞳の色だ。要らないと言っていたはずのピヴワヌも青いペンギンと丸い赤の風船を身に纏えば、亜莉香だけ身に付けないのが不自然で、白い兎を一つ買い与えられた。
ウイの右手には、器用に持った串揚げ三本。
ピヴワヌの左手には、半分以上は減った日本酒の一升瓶。
空いていたはずの両手を、それぞれ掴まれ歩き出す。ピヴワヌは手を繋ぐだけだが、ウイは指を絡めて身を寄せる。亜莉香を挟んで会話が飛び交った。
「ピーちゃん、お肉食べる?」
「食べないわけがなかろう」
「はい、あーん」
少し背が低いピヴワヌは、差し出された串を頬張った。喉が乾けば一升瓶を傾ける姿を眺めれば、亜莉香も食べたいに違いないと勘違いしたウイは目の前に串を差し出す。
「アリカちゃんも、あーん」
「いえ…私は――」
「はい、あーん」
始終笑顔のウイに繰り返された。断られる選択肢はないようだ。お腹は空いていないが小さな一口を齧れば、それだけでも満足される。
今にも鼻歌を歌い出しそうなウイに、ピヴワヌが一升瓶を渡した。
それを遠慮なく受け取ったウイが飲む姿も豪快で、思わず亜莉香は呟く。
「ウイ…ちゃんも、お酒強いのですね」
何となく、ちゃん、呼びに変えた。一瞬だけ輝かせた瞳に喜びの色が浮かび、それを咳で隠して話す。
「ピーちゃんには負けるけど、強いよ。一人で酒場の酒を飲み干すくらい」
「二軒目までは行けなかっただろ」
「うへへ、行けると思ったのにね。最後はピーちゃんに背負ってもらいました」
笑い声が混ざった時点で、喜びが隠せてない。照れたように頬が赤くなったのは酒のせいではなく、純粋な恥ずかしさだ。
仲良しだな、と羨ましくなって、亜莉香の頬も緩む。
機嫌のよいピヴワヌも、楽しそうに話し出す。
「儂の知る精霊の中で、こいつは儂の次に酒が強い」
「そうそう。シノープルでもガランスでも、セレストでも店の酒を飲み干した伝説は作ったよ。これから酒場に行く?」
冗談の混じった誘いに、ピヴワヌは賛成しようとした。
亜莉香は悩むことなく首を横に振る。
「出来るだけ早く…明日には、シノープルを発ちたいので」
今日中に、とは言えなかった。ピヴワヌとウイの楽しみを、取り上げたくはない。
考えないようにしていた人達の顔が思い浮かび、ネモフィルを呼べないかとも考える。せめて水鏡で話せればと、思いながらも行動に移せないのは迷っているせいだ。
会いたいのに、どんな風に振る舞えばいいのか。
道行く人を上手に避けながら、ピヴワヌとウイは歩く。どこへ行く当ても分からないまま、亜莉香の足は動き続ける。
少しずつ街の灯りが点き始め、花や風船も仄かに明るくなった。
人々の陽気さも、笑顔も昼と変わらない。誰もが楽しそうに祭りを楽しみ、夜が近づいても子供が近くを駆ける。酒の入ったグラスを片手に持つ大人が増えたり、少し冷えた春の夜に温かい食べ物が増えたりしても、シノープルは亜莉香にとって知らない街。
知らない人しかいない街で、ピヴワヌとウイがいなければ心細い。
意外だと言わんばかりの顔をしたウイが、一升瓶を返却しつつ問う。
「早く帰らないといけない理由があるの?折角シノープルに来たのに?」
「余計なことは聞くな。儂らは偶然、祭りの日に居ただけだ」
亜莉香よりも早くピヴワヌが答え、空を見上げて口を閉じた。
橙に染まる空は星が瞬き始めて、ウイも空を見上げて言う。
「言いたくないなら聞かないけどさ。二人が帰ったら寂しくなるな。祭りが無事に終わったら、ガランスまで付いて行きたいぐらい」
「来るな。お前が来ると、ガランスの酒場が荒れる」
ピヴワヌの一言で、にひひ、とウイが笑い声を上げた。
近くの露店を指差して、次はあそこだと足を向ける。引っ張られる亜莉香と、亜莉香の手を繋ぐピヴワヌも露店に向かうのは当然のこと。少し並んでいた露店で順番を待ち、手に入れたのは熱々の甘酒だった。
「休憩、休憩!」
「どこかに座るか?」
「ベンチがあるよ。その前に食料も調達しなくちゃ」
「焼うどんとお好み焼き、厚焼き玉子に、団子はどうだ?」
近くにあった露店を、ピヴワヌは端から読み上げた。買いに行こう、と腕を上げたウイも、全部食べる気でいるピヴワヌも、食欲の底が見えない。
流されるまま亜莉香も露店を梯子して、空いていたベンチに三人並んで座った。
ピヴワヌは食べるのに集中したいようで、座るなり繋いでいた手を離した。ウイとは右腕を組んだままだけど、手だけは自由になる。買ってくれたウイから熱々の甘酒を受け取り、少し冷えた両手を温めながら口に含んだ。
「美味しい」
「美味しいものって、食べているだけで幸せになれるよね」
「儂の分は飲むなよ」
「分かっているって」
笑いながらピヴワヌも甘酒を受け取り、飲む前にベンチに置いて一升瓶の中身を足す。それは後でのお楽しみのようで脇に寄せたまま、お好み焼きから食べ始める。
団子以外はピヴワヌが食べてしまいそうな勢いで、亜莉香は甘酒を飲んだ。
何種類かあった甘酒のうち、亜莉香の右手に苺味の甘酒。仄かな甘さがあり、米のつぶつぶとした食感が残っている。邪魔をしない苺の味は柔らかく、肩の力が抜ける温かな味でもあった。
「アリカちゃん、あんまり焦っちゃ駄目だよ」
前を向きながらウイは言い、桃味の甘酒を口に寄せる。
「時間を気にし過ぎて、今を見失うのは損だよ。楽しむときは楽しんで、笑う時は笑って。誰にでも言えることだけど、目の前の光景は今しかないの」
宝石のペリドットの輝きを持つ明るい緑色の瞳に、行き交う人々が映った。温かく見守る表情のウイは静かに語る。
「幸せも、悲しみも、過ぎてしまえば一瞬だよ。急ぎ過ぎたら、いつの間にか大事なものを見落としちゃう。そうしたら…かっちゃんみたいになっちゃうよ」
「奏さんは、大事な何かを失くしたのですか?」
不意に出て来た名称が気になって、亜莉香は訊ねた。
自分で言ったのに唸って、ウイは甘酒をベンチに置く。右手で花見団子を持つと、一つ目をよく噛み、二つ目を食べる前にまた唸る。
「多分。そんな気がする。だから領主の家で何かを探しているのかな、と思うだけ」
「主のことなのに、答えられんのか」
「自分のことすら分からなくなることがあるのに、他人を何もかも分かるわけがない。ピーちゃんだって、そうでしょう?」
微笑んだウイに、食べる手が止まっていたピヴワヌは何も言わなかった。
会話に参加するつもりはないとの意思表示に、ウイが笑う。組んだままの亜莉香の腕に身を寄せて、じりじり近寄り、ピヴワヌに小さく話しかけた。
「ねえ。なんでピーちゃん、魔力がないの?」
亜莉香には何の話か理解出来なかったのに、隣では焼うどんを吹き出す勢いで咳き込んだ。あまりにも咳き込む様子に心配になれば、傍らの一升瓶を飲み干してしまう。
深く息を吐くと同時に立ち上がり、ウイを指差し叫ぶように言う。
「何の話だ!」
「あ、言い間違えた。持っている魔力が減ったよね?そのせいなのかな?人の姿にも影響が出ている。前は私より背が高くて、髪も真っ赤だったのに変わったよね。小さくても性格は同じだけど、今の方が可愛げあるかも。小さい方が可愛いよね?」
早口になったウイが亜莉香に問いかけ、曖昧に返事を返す。
「そう…なのですかね?」
「うん、そうなの。わざと子供の姿でいるかなとも思ったけど、そうじゃないみたいだもん。アリカちゃんには余計なこと聞かないけど、ピーちゃんには教えて欲しいな。魔力が減って、弱くもなったの?」
素朴なウイの疑問に、ピヴワヌの顔が怒りで赤く染まった。
「――なるわけあるか!そこらの奴より儂は数倍強いわ!」
「だよねぇ。ピーちゃん、そう簡単に弱くならないよね?なんで魔力減ったの?」
「教えるわけがないだろ!」
視線が声の大きいピヴワヌに戻って、ウイは笑いながら教えて欲しいと繰り返す。
ピヴワヌの人の姿について、亜莉香は少年の姿でいることが当たり前だと思っていた。それを不思議に思うことはなかった。別の姿のピヴワヌを想像出来なくて、魔力が減ったという言葉も気になる。
こんな身近にいたピヴワヌのことすら、よく知らない。知ろうとしなかった。灯と過ごした日々のピヴワヌを、無意識に避けていた。
でも、と騒ぐ二人を他人事のように思いながら笑みを浮かべる。
少しずつでも、色々な話をしたい。話して欲しい。魔力が減ったのなら、その原因を聞きたい。力になりたい。灯との思い出だって、今なら受け止められる。
騒がしい祭りの音に二人の声は掻き消されて、亜莉香はこっそりと甘酒を口に含んだ。




