76-4 Side透
部屋の中が重苦しくて、窓際に立つ透は紅茶を口に含んだ。
総勢十三人。集められた場所は、ツユの為に用意された屋敷の一室だ。領主の敷地の一角の、セレストの護衛で守られた屋敷は、他の客と対応が違う。用意されているのは一軒の建物で、別荘かと言いたくなる豪勢な屋敷の部屋数は多い。
使用人は全て、セレストからやって来た者達。
何故かガランスの領主息子のシンヤまで滞在していて、ツユと違い、護衛を一人しか連れて来なかった。人数的な部屋数に問題ないだろうが、世間的に如何なものか。数十人もの護衛を連れたセレスト、二人で来たガランスは大違い。
ガランスから来たのは、シンヤだけじゃなかった。
護衛ではなく行方不明の亜莉香を探しに、シンヤと一緒にやって来た者達がいた。
トシヤが来るのは想定内。ルカとルイが来ても戦力が増えると思えるが、あまり強そうに見えないトウゴとフルーヴは待機組だと思っていた。よく来たなと言いそうになった言葉は言う機会がなく、集まった面々を見渡す。
中央のテーブルを挟んで、上座に座るはツユとシンヤ。眺めているのは、テーブルに広げたシノープルの領主が治める土地の地図。付け足したバツのマークは数多く、その地図を持参したのは後ろで立ったまま控えるニチカだ。
ニチカの脇にはミスズもいて、シンヤの後ろにはロイが控える。
テーブルを挟んで反対側のソファに座るのが、地図を覗くルカとルイ。それから右端で、ソファの肘掛けに肘をつき、そっぽを向いているトシヤ。今にも部屋から出ていきそうな雰囲気を醸し出す気持ちは、透にも分からなくもない。
集められた理由が亜莉香の捜索の現状報告でなければ、透だって部屋にいない。
そもそも出来る限りは足を踏み入れたくないと言うのに、ツユに呼び出されたのだから仕方がない。気まずい空気で暇そうなのは、ソファの背もたれに座るような格好のトウゴだけである。兎の姿のフルーヴに至っては、既にソファの背もたれで器用に眠っている。精霊であることを、部屋の中にいる人間にばれてから開き直り、姿を自由に変えている。
精霊を悪用する人間のいない場なので、透から注意することもない。
大事な幼馴染でもある少女は愛されているな、と内心ほくそ笑む。
窓の外を眺めようとして、映ったのは部屋の隅と隅にいる他二人の精霊だ。
あからさまに苛立っているネモフィルは、腕を組んで立ったままだ。透の視線に気付けば窓越しに睨まれ、見ていなかったふりをする。
機嫌が悪い原因は、もう一人の精霊の存在。
凬の護人と契約している精霊の一人、サイ。
黙って床に胡坐をかいてはいるが、何やら楽しそうに状況を見ている。主である透の兄、凬の護人の奏から未だ何も連絡はない、と教えに来てくれただけのはずが、ネモフィルと顔を合わせて、居座ることに決めたようだ。
亜莉香がいたと言う隠れ里、スクレ・シュクセスに戻れなくて、ネモフィルの機嫌はとても悪かった。そんな時に挨拶したサイに、ネモフィルの容赦ない攻撃が放たれた。
その結果、壁に一つの穴が開けられたが見なかったことにする。
相性が悪いのは知っていたが、ここまでとは。
ぼんやりと紅茶を飲みながら、透は部屋の中の会話に耳を澄ませることにした。
「スクレ・シュクセスという里は、やはり見つからないな」
「隠れ里だというから、名前を公表していない可能性は?」
「丁度、祭りの時期なので、各土地の有力者に探りを入れました。ですが、反応する人はいません。散らばっている身内にも紙鳥で情報を集めてもらいましたが、今の所、それらしき里は――」
ツユ、ルイの順に言い、ニチカは苦々しく言葉を濁した。
「範囲を広げますか?」
「いや、ネモの言葉を信じる」
ミスズの提案に、ツユは即答した。セレストでの一件を経て、ツユの心の中でも亜莉香への義理があるようだ。名前を呼ばれたネモフィルは鼻を鳴らし、目を背ける。誰とも顔を合わせたくないらしい。聞いたことのある里の名前を、思い出せないのが悔しいらしい。
それも苛立つ一つの原因だなと思えば、シンヤが言った。
「焦っても仕方がない。下手に探しに出ても、見つけられないだろう」
誰よりも余裕なシンヤがティーカップを片手に、深くソファに腰かける。ティーカップの紅茶を飲み干すと、少し後ろを振り返った。
「ロイ、茶のおかわりを頼む」
「畏まりました」
「空気を読めよ」
ぼそっと呟いたルカの一言は、部屋の誰もが思う本心だろう。
人のことを言えず、紅茶を飲んでいるのは透も同じではある。余計なことは言わないように口を閉ざすと、誰かが勢いよく扉を叩いた。
「遅くなりました」
「待ちくたびれたぞ、ナギト」
部屋の中に入って来たのが誰だったか、思い出す前にシンヤが言った。
余計なものを置かない部屋に、座る場所はソファしかない。そのソファに座る場所はないわけではないが、わざわざツユとシンヤの間に座る人間はいない。
テーブルに近づくと、腰を落としたナギトは持っていた風呂敷を広げた。
中から出て来たのは数冊の古書。どれも古びて、かび臭い。ルカとルイは凄いと呟くが、シンヤに至っては見たままの感想を述べる。
「破きそうだな」
「カイリ様に承諾を得て拝借しましたが、扱いには十分注意するようにと」
軽々と本を手に取られる前に、ナギトは強めに言った。手にしただけで、ページが抜けそうな本もある。誰が最初に手を出すかと思えば、足音を立てながら近づいたネモフィルが、真ん中から一冊抜き取った。
テーブルから落ちそうになった本は、ツユとルカが手を伸ばす。ほっと安堵の息を吐いたのはミスズとニチカも含むが、ルイとシンヤは気にしない。
「ナギトさん、もう一つの風呂敷は何?」
「頼んでいた菓子か?」
「ええ…ここで食べるのは、場違いでは?」
ナギトの忠告に耳を傾けず、シンヤが風呂敷を受け取った。
話も聞かずに、ネモフィルは本を読みながら部屋の隅に戻る。隅から隅まで読む姿に話しかける人はいなくて、それはツユとルカも同じ。静かになった面々を他所に、シンヤは煎茶を頼み直した。ルイは地図を少し脇に退け、テーブルに置かれたお重を開ける。
中に入っていたのは、シノープルの伝統菓子。
お重から漂う高級感があり、一段に九つずつ、合計三段。中身は全て同じである。求肥の中で薄っすらと、透ける餡子の色は多彩。
「へえ、これは風味堂の菓子だな」
ひょっこりと後ろからお重を覗かれて、ナギトが驚き身構えた。
話しかけたのはサイで、ナギトの隣に移動する。手を伸ばして和菓子をつまみ、口の中に放り込む。
「やっぱり美味いな」
「ナギト。忘れないうちに言っておくぞ。精霊のサイ殿だ」
シンヤの言葉に、ナギトが姿勢を正そうとした。それよりも早くサイがナギトに顔を寄せ、じっと見つめて、にやりと笑う。
「お前、ウイに会ったか?」
「…え?」
「ああ、最後まで言わなくていいよ。会ったのは分かっているから。可哀想にウイの魔法を喰らって、たんこぶでも出来ていないかい?」
自分より背が高い相手が片膝をついている状態なので、サイは笑って頭を撫でる。見ようにはよっては年下に頭を撫でられ、何も言えないナギトが困惑していた。
もう一人いる精霊とは、暫く顔を合わせていない。
サイと一緒に呼びかけたが、賭け事は嫌だと断られた。見た目はサイと瓜二つなのに、意外と律儀で自分なりに譲れないものがある。対して、サイの方がいい加減だ。賭け事好きで、遊んで羽目を外すこともしばしば。その性格が、ネモフィルとは合わないらしい。
サイとネモフィル以外、ウイの存在は知らない。
説明しようとはしないサイと、話を聞いてもいないネモフィル。他に説明する人間と言えば透しかいなくて、紅茶のおかわりついでにテーブルに近づいた。
「ウイは、サイの双子の精霊みたいな存在。二人で一つだよ」
話しかけたシンヤとルイが透を見て、ロイが手際よく紅茶のティーカップを受け取った。注ぐ間にサイが透の肩に腕を回し、嬉しそうに言う。
「攻撃担当のウイと、防御担当の僕。ウイは今日も、地図から消えた庭園にいるよ」
肩を震わせて笑う声が耳元で聞こえ、思わず顔を逸らした。同い年にしか見えないサイに、近づかれても嬉しくない。
うんざりした透の視線を無視して、サイが目を向けたのはネモフィルだ。
何かを試すような笑みで、目を細めたのを見逃さなかった。
「…地図から消えた里」
とても小さかった呟きが、部屋に響いた。
ネモフィルの身体がわなわなと震え出したかと思えば、持っていた本を閉じた。トシヤがぼんやりと眺めていた本を奪って、扱い方も忘れてページを探す。
ドンとテーブルに開いたページに、探していた内容はあったようだ。
へえ、とソファの後ろから本を覗き込んだトウゴが読み上げる。
「【シノープルの北にあった里は、土砂崩れにより崩壊。里の住民の行方は掴めず、花降る里と親しまれていたスクレ・シュクセスは跡形もなく消え去った。復興を望む声があるも、その度に人災が重なり断念。山々を背景に花が降り注ぐ光景が美しかった里は、永遠に失われた】凄く小さな記事だね」
探していた里の名前。
本の内容が何であれ、トシヤの瞳に光が灯った。本に集まっていた視線は、ただならぬ冷気を出現させるネモフィルに注がれる。
やばい、と透が本能的に悟っても、隣のサイは動かない。
「あっはは、ネモちゃん。ようやく思い出したか?」
「知っていたのに言わなかったわね?」
「聞かれなければ答えないよ。黙っていろ、と最初に言われたからね。僕の記憶力はネモちゃんみたいに凄くない。それって、数百年前の記事だろ?よく取ってあったね。セレストの書庫で宝探しが出来そうだ」
声を出して笑うサイ以外は、ネモフィルの背後に巨大な氷柱を見た。
氷柱の鋭い先が、サイを狙う。それだけなら透も焦らないが、サイがいるのは透の隣。一歩間違えれば、透にも攻撃が当たる。
白旗を上げるように両手を上げた透を、ネモフィルは見ていない。
冷静なロイが、シンヤとナギトを避難させるように動いた。ルイもトシヤのいる端に寄り、ルカと共に出来る限り身を屈める。ツユは何も言わずにソファの端に座り直し、ミスズとニチカは一歩ずつ後ろに下がった。
透だけ見放され、口角が引きつる。
「お…落ち着け、ネモフィル」
必死な呼びかけは届かない。恨みが募った眼差しは恐ろしい。
一発接触で何かが起こる。
その静寂を切り裂いて、隙間のなかった窓の外から一羽の鴉が現れた。緑の瞳を持つ鴉は生き物ではなく黒い紙で、笑っているサイに向かって用件を告げる。
「今宵、月が空高く上った時刻。領主の家で宝探し」
短くも、懐かしい声を聞いた。
淡く光っていた鴉の身体が羽ばたく前に、サイが空いていた片手で頭を握った。手の中に四角の紙切れが残り、透を見ずに言う。
「これが僕達の主からの伝言だ。良かったな、かっちゃんに会えるかもしれないよ」
ペリドットを思わせる瞳が弧を描く。透が言い返す暇を与えず、身体を左右に揺らし始めた。視線をネモフィルに戻して、愉快だと言わんばかりに話し出す。
「いやー、ネモちゃんと遊ぶ時間がなくなった。役者が揃って楽しくなってきたね」
「――どの口が!」
「そんなに怒ると綺麗な顔が台無しだよ。この場にネモちゃんの主である瑞の護人がいて、僕達と遊ぶ凬の護人が帰って来た。それからウイと共にいるピーちゃんの元に、緋の護人がいて三兄妹が揃う。その場で何が起こるか、見物だね」
緋の護人、に反応出来た人間は少なかった。
それが誰を指すか。即座に判断したトシヤが立ち上がると同時に、サイの姿が白い鴉に変わった。捕まえようとした透を羽で叩いて、逃がさないように氷柱が壁に突き刺さる。
盛大なネモフィルの舌打ちと追撃をかわし、氷柱の一つが窓を貫き割った。
天井で急転換した鴉は、窓を背後に人の姿で降り立つ。
外から春風が部屋に流れ込んだ。
両手を窓辺においたサイは、窓の縁に飛び乗り座った。降り注いだ氷の欠片を振り払い、やれやれ、と部屋を見渡す。
「ここにいたら、身体に穴が開きそうだ」
「さっきの言葉を、説明しなさい」
氷柱を背後に構えたまま、ネモフィルが言った。
「緋の護人が――アリカが、ウイと一緒にいる、ですって?」
発せられた名前で、部屋の空気が変わった。
静まり返った部屋で唯一、サイは笑顔を浮かべる。
「そうだよ。僕はここに来る途中、偶然ピーちゃんを見つけた。ウイはそのままピーちゃんの元へ行って、僕は遠くから顔だけ拝んで、こっちへ来たわけ。祭りの日にピーちゃんが遊びに来るなんて久しぶりだと、ウイは一緒に遊べると喜んでいたな。ああ、ウイは僕と違って健全だよ。美味しものを食べて、酒を飲んで、寝る繰り返しだ。馬鹿な遊びはしない」
聞いてもいないのに、ぺらぺらと喋るサイの口は止まらない。
君だって、とナギトを見て問う。
「ウイに会っただろ?君にはウイの気配が残っている。どこかでピーちゃんにも会い、一緒にいて遊んでいるウイの邪魔をしてしまえば、攻撃を喰らっていても不思議じゃない」
ネモフィルだけはサイを睨んでいたが、透はナギトを見た。
頭が追いついていない表情のナギトに、真剣なシンヤも尋ねる。
「アリカ殿に会ったのか?」
「え…いえ、えっと――」
「落ち着いて話してくれ」
誰よりも話を聞きたいのはトシヤだろうが、拳を握りしめて耐えていた。
ナギトが言葉を発するのを待って、ネモフィルもサイも動かない。静まり返った部屋で、フルーヴの寝息がやけに大きく聞こえる。
「会ったのは、彼と同じ顔した少女です。一緒にピヴワヌ殿に似た方はいましたが、髪の色が違いました。他に子供二人と少女がいて、三人とも顔を隠していました。顔までは見ていません。頼まれた菓子を買いに行った喫茶店にいて、追いかけようとしたら足止めに遭い、追いつけませんでした」
「ウイがよくやる手口だよ。曲者がいると魔法をぶつけて、その隙に逃げる。周りの客の皿を落とすこともあれば、わざとぶつけることもある。最近は適当な物を風の魔法で動かして、目的の相手を上手く転ばせる。巻き添えを食らう客は可哀想だよな。いつだって、足元には注意した方がいい」
サイの得意そうな言葉で歪んだナギトの表情から、その通りのことが起こったと悟る。灯台もと暗し、とでも言えばいいのか。探していた亜莉香は、シノープルの街の中にいると言われた。
誰かが窓が割れたことに気付いて、部屋の外が騒がしくなり始める。
潮時だな、と外を見下ろしたサイが呟いた。
「そろそろ僕は今宵の準備をしないといけない。ピーちゃんにも手伝ってもらおう。あの人の良さそうな緋の護人も、宝探しの参加者だ。遊びの前に、街に出て探そうなんて考えても無駄だよ。そんなことをしたら、僕の仲間が君達を傷つけてしまうかもしれない。今日という日が大嵐に見舞われ、遊ぶ前に誰かがが怪我をするかもしれない」
窓の外で、鴉の鳴き声が響いて消えた。軽い脅しに息をのむ音もあった。
精霊が厄介だということを、今更ながら思い知る。目の前にいるサイの気分次第で、風が荒れて天気が崩れる。生き物を操って、人に危害を加えさせることも出来る。
まあ、と微笑んだサイは言う。
「折角の祭りを台無しにはしたくない。ウイは追跡から逃げる能力があるから、探したところで捕まえられないだろうね。あいつも僕と同じで、遊びの邪魔をする奴に容赦しない。遊びが始まるまで、大人しくしていなよ。ちゃんと僕が迎えに行って、ここまで連れて来てあげる。それから皆で遊ぼうよ。今宵は楽しい祭りだから」
「その前に、あんたは串刺しよ」
振り返ったサイの頬を氷柱が掠り、血が滲んだ。
傷を手の甲で擦った直後、サイのいた場所に氷柱が六つ放たれた。ぶつかる前に一回転しながら外に消えたかと思えば、白い鴉が笑う。
「全員、僕の邪魔をしないでくれよ」
身を翻した鴉が、空高く飛び上がった。
身を乗り出す勢いで透とネモフィル、トシヤが追いかけても間に合わない。鴉が鳴きながら屋敷から離れて見えなくなった。悔しそうなトシヤの傍らで、怒りに燃えるネモフィルの目の色が変わる。
今度は巻き込まれなくない。
次に会ったら、の後に続く言葉を、透は聞こえなかったことにした。




