75-4
黄瀬の隣に立つ葛が頷き、恨めしそうに木蓮は顔を上げる。
「大人が出してくれないだけでしょ。ちゃんと帰って来るって言っているのに」
「木蓮は約束を破るから信頼されてない」
「やべえ。連れて来たのに、不安しかない」
仕方なく木蓮を離した黄瀬が、疲れたと言わんばかりに肩を回した。自由になった木蓮だが部屋から逃げ出す前に、葛に腕を掴まれ動けなくなる。
「葛、離しなさいよ!」
「折角長老の家に来たのに、話も聞かずに帰るなんてしないよ。木蓮はいつも早とちりして、人の話を聞かない」
「どうせ怒られるに決まっているもの!この前だって畑を少し荒らしただけで怒られた!」
「嘘つき。少しじゃなかったよ」
容赦ない一言で、木蓮の顔が一気に真っ赤に染まった。泣いて、怒って、拗ねて、表情豊かな木蓮とは対称的に、葛の表情は乏しい。
その二人の頭を優しく叩いたのが黄瀬で、間を取り持つように言った。
「そこまで。別に怒られるわけじゃない」
あからさまに安堵の息を零した木蓮は胸を撫で下ろし、葛は当然とも言える態度で胸を張る。言い争いはしても、葛は掴んでいた木蓮の手を離そうとはしなかった。黄瀬が二人の背中を押すと、亜莉香とピヴワヌ、長老の前に行くよう促す。
亜莉香の前だと目を合わせようとしない木蓮と、じっと観察する葛。
全く似ていない子供二人の肩に手を回し、黄瀬は言う。
「さっきも言った通り、この二人は里の外に出たことがない。初めて里の外に出るなら、大人が必ず一緒だ。ただ、現状で外に行ける大人がいない」
亜莉香の隣で、長老が頷いた。
腕を組んで話を聞いていたピヴワヌが、心底面倒くさそうに言い返す。
「それで?」
「外に連れて行って、少しの間だけ一緒に街を散策してくれないかな?」
黄瀬のお願いに、木蓮の瞳が一気に輝いた。くるりと後ろを振り返り、顔を覗き込む。
「外に出ていいの!?」
「今日だけ、な。もう何年も五月蠅いからさ。特に木蓮が」
「やった!外に行ける!」
やった、と繰り返す木蓮が、両手を上げて飛び跳ねながら、部屋の中を回り出した。逃げられた葛は空いた手を見つめ、不安そうに黄瀬に問う。
「木蓮を外に出すのは…僕はちょっと怖い」
「大丈夫、大丈夫。その為に――」
しゃがみ込んだ黄瀬は亜莉香を指差したかと思えば、すぐに隣に向きを変えた。
「ピヴワヌ様がいる。木蓮が暴れたら、容赦なく止めてくれる」
「任せろ」
昨晩酒を飲んだせいか、ピヴワヌと黄瀬の信頼関係が成り立っている。思い返せば、眠たくなった亜莉香を他所に、二人は朝まで語っていた。太一のことや里のこと、精霊のことを話す黄瀬とピヴワヌは楽しそうだった。
でも、と亜莉香は遠慮がちに口を挟む。
「道標がないと、里に帰るのは困難なのでは?帰り道は大丈夫ですか?」
「それなら問題ない。鍵がある」
亜莉香の疑問に答えたのは長老だ。
名前を呼ばれた葛は、長老から差し出された鍵を恭しく受け取った。黄金の重そうな鍵を両手で持つ。一瞬しか見えなかったが、子供の手には大きく、飾りのない鍵。
「使い方は分かっているな」
「はい、長老」
しっかりと頷いた葛が、姿見に向かって鍵を向けた。
その先端から、糸のようなか細い光が放たれる。長さは数センチ。部屋のどこに向けても、光が指し示すは姿見だ。鍵が正常に動作するのを確認してから、鍵に付けていた黒い紐を首に掛けた。
胸元で揺れた鍵は、葛が片手で握った後に消えてしまった。
驚いた亜莉香に、木蓮の動きを止めに行った黄瀬が言う。
「葛は隠すのが上手だ。物でも、人でも、葛が触れていたものは、葛の意思で別の次元に入れられる。取り出せるのも、葛だけ」
「狭間ではないのか?」
「全く違う次元だよ。もう一つの世界みたいな、この部屋で言えば誰もいなくなった空間。何も動かず、動かせない空間を葛だけが持っているの」
喜び飽きた木蓮は黄瀬に後ろから捕まえられたまま、会話に混ざった。深く長い息を吐き、先程までの子供らしさを落ち着かせる。
もう一度、葛が鍵を握る仕草をした。まるで最初からあったように鍵は存在している。
「これが僕だけの魔法。他の魔法は苦手です」
「因みに俺は、空間をいじり、重力を変え、相手の心や記憶を操るのが得意だよ」
「えげつない魔法ばかり得意だな」
「私も魔法使えるもん!私だって――」
笑顔の黄瀬に、ピヴワヌは呟いた。各自が得意な魔法の紹介みたいな空気に、亜莉香より先に木蓮が入ろうとする。
「葛、その鍵があれば、帰りも問題ない。木蓮を野放しにするな」
木蓮が喋る出す前に、長老に遮られた。
リスのように頬を膨らませた木蓮が暴れ出しそうで、黄瀬が警戒する。その気を紛らわせたのは扉を叩いた音で、準備が出来ましたよ、と長老の奥さんが部屋の外から言った。
亜莉香と目を合わせてから、ピヴワヌが部屋の外に出た。
何事だろうと興味本位に木蓮が後を追い、ため息を零した葛も付いて行く。人が減った部屋の中で、亜莉香は頂いた着物を見下ろした。
春を連想される薄紅の着物の裾で、咲き乱れる色とりどりのガーベラの花。大輪の花は遠くからでも目立ち、袖にも一回りは小さい花が咲く。帯は紅、よく見なければ分からない格子模様が施されていた。
桜の形の帯留めは、随分と昔にユシアから貰った。
ピヴワヌと合流した後、持っていた缶を受け取った。大事なものを入れていた缶の中には思い出が詰まっていて、その中から、もう一つだけ亜莉香は身に付けている。
両脇の耳元の近くを三つ編みして、後ろでまとめた髪を結ぶは青いリボン。
リボンの片端で、金色の露草の飾りが揺れる。もう片端には宝石のような輝きを持つ桃色の雫の金具。トシヤから貰った勿忘草と同じ色の青いリボンは、身に付けるだけで勇気を貰えるが、似合ってないと言われれば不安だ。
他は缶の中に戻し、ピヴワヌに預けた。履いていた焦げ茶の靴で床を小さく蹴り、亜莉香は黄瀬の名前を小さく呼ぶ。
「この着物、やっぱり私には似合っていないでしょうか?」
木蓮に言われたことが気になって、亜莉香は訊ねた。
きょとんとした顔をされた後、腹を抱えて笑い出す。
「意外と木蓮の言っていたこと、気になっていたの?」
「…はい」
素直に認めると何だか恥ずかしく、俯きつつ言う。
「似合っていないなら、お返しした方が良いかと。黄瀬のお母様の着物ですし、お返しも出来ません。貰ってばかりでは申し訳なくて」
「木蓮の言葉も、形見も気にしなくていい。着物は誰かが着てこそ、片付けたままだと古びて使いものになってしまうからね。敢えて言わせてもらうと、着物に合う髪飾りもあるよ?」
「これは外せません」
即答すると同時に、亜莉香は頭を抱えるようにリボンを抑えていた。
にやにや笑う黄瀬と目が合い、頬が熱くなる。貰い物だと言ってしまい、誰から貰ったのかは言っていない。けれども反応から予測されて、近寄った黄瀬に頭を撫でられた。
「反応が可愛いねえ」
「おい、我が主をからかうな」
髪が乱れないように配慮した黄瀬が身を引き、亜莉香もピヴワヌを見る。
ピヴワヌの両手には、目を覚まさないヒナがいた。酷い有様だった亜莉香の着物を上に被せられている。見えなくても長老の奥さんに頼んで、帯だけは亜莉香の身に付けていた帯に変えてもらった。表情に変化はない。眠ったように目を閉じて、微かな寝息が生きている証。
黄瀬から逃げた亜莉香は傍に寄り、羅針盤を取り出した。
落ちないように着物の上に、そっと置く。
「これで、大丈夫でしょうか?」
「信じるしかあるまい。多少なりとも、お主の力に包まれていれば離れることもない。どうせなら着物も変えれば良かったのだ」
「着物を無断で着替えさせたら、後が怖いですよ」
「そんなこと知ったことか」
ふん、と鼻を鳴らしたピヴワヌは、ヒナを連れて行くのが嫌らしい。足手まといになるとか、世話を焼く必要はないとか言われたが、結局は亜莉香の頼みで折れてくれた。
だから一緒に、里を出る。
その為には、ピヴワヌの力が必要だ。
扉以外から里の中にピヴワヌが入れたのは、亜莉香が呼んだから。亜莉香とヒナが闇から抜け出した件は別として、人でも普通の精霊でも扉からの出入りが基本と教わった。それ以外となると、ピヴワヌのような例外しかなく、ヒナの半分が精霊なら、同じ方法で外に出ることも出来る筈だと言う結論になった。
そう言えば、と黄瀬を見る。
目が合った黄瀬は、亜莉香とヒナについて何も聞かなかった。どこから来たのか、どこで暮らしていたのか。何も聞いてこないから、何も説明していない。
よくも怪しい人間を受け入れてくれたものだな、と内心で感謝した。
木蓮と葛が部屋に戻って来る。黄瀬に外の世界の様子を聞こうとする木蓮を、葛が余計なことをするなと止める。長老とも目が合い、その表情は真剣だった。
「貴女に、何も聞くつもりはない」
身構えた亜莉香に長老は言った。
「子供達を頼むなんて勝手な願いを押し付けるのだから、余計なことは言えない。ただ里に現れたということは、並みならぬ力の持ち主だ。その力は良くも悪くも、色々なものを引き寄せるだろう」
亜莉香を想ってこその発言に耳を傾ける。いつの間にか部屋の中は静かになり、誰もが言葉の続きを待つ。慈愛に満ちた眼差しで、孫を見守る祖父のような笑みに変わった。
「進む道が、良い旅路であることを願っている」




