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亜莉香が城の入口近くに辿り着くまでに、長い時間がかかった。
開くことのない大きな扉の階段の下に、沢山の花や物が置かれている。亜莉香も何か持って来られたら良かった。色鮮やかな花々も、綺麗に包装された食べ物や贈り物も、雨に打たれて寂しく見える。
扉の前で手を合わせた人は脇に寄り、そして後ろの人が前に出ては手を合わせる。
中には扉の前に辿り着くなり、泣き崩れる人もいた。灯と透、それから奏を様付けで呼び、動こうとしない人もいる。人々に愛されていたのは明白で、その証拠が目の前の光景。
扉の前、階段の上に棺は三つだけ。
少し離れた場所には傘を差して貰っている王と王妃、それから王子。
厳重に警備され、守られている王の顔は青ざめているように見える。王妃は頭に深く着物を被っているせいで顔が見えず、王子は無表情。
その背後に、黒い影が揺れたような気がした。
よく目を凝らす前に、後ろの人に前に進むように促される。急いで足を踏み出し、亜莉香も手を合わせると、そそくさと脇に避けて人の波に乗った。
人が減ってから、亜莉香は言う。
「ピヴワヌ、王子を見ましたか?」
「ああ、出会った時から気にくわない奴だな。遠くからでも、嫌な気配がしたぞ」
「あの人は…なんて言うか」
上手い言葉が見つからない。もやもやとし感情を、ピヴワヌは一言で済ませる。
「相容れん」
「まあ、そうですね」
「関わるな。そんなことより黄瀬を探すぞ。太一として、どこかにいるに違いない。羅針盤の針は、どこを指している?」
ピヴワヌに問われて、羅針盤を取り出した。
歩きながら針を確認して、そのまま人の流れに付いて行く。一部の人が城から出ずに別の場所に向かえば、羅針盤の針も同じ方向を指す。
迷うことなく進む途中で現れたのは、漆黒の三角屋根の建物だった。
城とは別に、敷地の中に存在する。出入口は開いたまま、行き交う人はまばらだ。中から聞こえるすすり泣き、建物を纏う悲しい空気に、亜莉香の足は止まった。
「そこは針の指し示す場所ではないが、行くのか?」
ピヴワヌの問いに、即座に肯定した。
遺体安置所、と書かれた看板から目を背け、建物に入る。
薄暗い建物の中には、三十を超える棺があった。
小さな子供が訳も分からず呆然としていれば、手を握りしめる母親は棺の中に向かって、何度も呼び掛ける。傍に蹲り、泣き叫ぶ人もいた。もう動かない息子を想って涙を流す父親もいれば、涙を流さず恋人の頬を撫でる若い女性もいる。
親しき者達が、死者と思い思いの面会を果たす。
亜莉香も足を引きずるように奥へと進み、見たことのある人達の傍を通り過ぎた。
探していた少年は部屋の片隅で、家族に囲まれている。少し離れた壁際で眺める少年の顔は穏やかで、眠っているようにしか見えない。
「利哉さん」
小さく呼びかけた声は、誰にも届かなかった。
代わりに、心の中の灯の声と重なった。それが気のせいではなかったと思えたのは、亜莉香の身体を通り抜けたように現れた灯の姿のせいだ。
淡い光の結晶が集まったように、灯の姿は透けていた。
精霊の光よりも弱い。真っ直ぐに利哉の元へ向かい、家族の傍らまで行くと腰を落とした。誰にも気付かれず、そっと伸ばした手を利哉の手と重ねる。
『ようやく会えましたね』
灯の声が、頭の中に響いた。
ピヴワヌは黙って利哉を見て、灯には目を向けない。声も聞こえていない。それなのに亜莉香には見えて聞こえる存在は、幻なのかもしれない。
幻だとしても、その瞳から一粒の涙が零れた。
『ずっと言えなかったことを、今なら言えます。私が愛しているのは、貴方だけです。ただ傍に居たかった。傍に居られれば、それだけで私は幸せでした。いつも守ってくれて、ありがとう。愛してくれて、ありがとう』
利哉さん、ともう一度、愛しい人の名前を呼んだ。
『私も――愛しています』
伝えたかった想いを告げた灯の姿が、今にも溶けて消えてしまいそうになる。思わず声をかけたくなれば、振り返った灯の口が動いて見えた。
ありがとう、と灯は幸せそうに笑った。
集まっていた淡い光の一部は一粒ずつ、空高く昇っては消えて行く。雪が解けるように、薄暗い天井に向かう光と、景色に溶け込み消えて行く光。
灯は消える。もう会えない。
夢の中でも、狭間でも、闇の中でさえ、会いに来ることはないのだろう。心の中で助言をしてくれることもなくなったとしても、亜莉香は灯を忘れない。
灯は、自らの終わりを選んだ。その終わりを見届ける。
愛した人の傍で、その顔を最期まで瞳に映して、姿を消した。




