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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
358/507

72-5

 微睡みの中で、温かな毛布に包まれていた。

 ふわふわと柔らかくて、肌触りが気持ち良い。瞼の裏に光を感じるけど、まだ起きたくなくて、うとうとしながら聞こえる会話に耳を澄ませる。


「待つだけと言うのは歯がゆいわね。早く目を覚まして欲しいのに、何も出来ない。精霊であれ人であれ、出来ることは限られているのよね」


 静かなネモフィルの声がした。


「何を当たり前のことを」


 呆れたようなピヴワヌの声は、亜莉香のすぐ傍で聞こえた。

 誰かが優しく頭を撫でてくれる。目を開かなくても、その手はピヴワヌに違いないと思えた。ゆっくりと、とても優しく撫でつつ、心のこもった言葉が続く。


「何も出来なくなって、傍に居るだけで良いではないか。無理に何かせんでも、そのうち目を覚ます。身体だけではなく心も回復した時に、自然と目を覚ましてくれたら、それ以上に望みはしない」

「貴方の口から、そんな言葉が出るとは驚きだわ」


 少し馬鹿にした言い方だったが、すぐ後にネモフィルは笑った。


「変わったわね。以前の貴方とは大違い」

「そんなに変わっておらんぞ」

「それは気付いていないだけよ。以前なら、私達の間で会話は成り立たなかった。顔を合わせれば喧嘩して、私の意見は聞かなくて、何度衝突したことかしら?」

「そんなこと数えとらん。そもそも儂がセレストに顔を出す度に、お主が追い出そうとして、容赦なく水魔法を仕掛けるのが悪い」

「私は何も悪くないわ。そう言えば、本気で大洪水を起こそうとしたこともあったわね」

「あったな。あの時は全速力で駆けた」


 テンポの良い会話で、その場の空気が和らぐ。

 素っ気なくも律儀に答えるピヴワヌと、楽しそうに笑いながら話すネモフィル。二人の声が居心地よく、眠気を誘った。


 懐かしい思い出話に花が咲き、会話の断片が聞こえる。

 亜莉香の想像の中で、精霊である二人の姿は変わらない。セレストから出られなかったネモフィルの元へ、ピヴワヌが顔を見せれば、お互い喧嘩を売っていたようだ。ピヴワヌは行かなければいいのに顔を出し、ネモフィルは無視すればいいのに返事をする。


 それはきっと、楽しい時間だったのだろう。

 振り返れば笑えるような、友人と過ごすひと時。何百年と続く縁があって、今でも続く関係。それ程に長い年月を共有する存在がいることは、とても幸福なことだ。


「――アリカのおかげだな」


 不意に名前が聞こえて、ピヴワヌの声を拾う。


「でなければ、お主と喧嘩せずに話せるわけがない」

「そうかもしれないわね。だから早く、目を覚まして欲しいわ。目が覚めたら、身体を動かして、美味しいものを食べて。沢山、アリカには笑って欲しいの」

「泣いた分だけな。儂も早く、アリカの笑った顔が見たい」

「ねえ、どっちがアリカを沢山笑わせられるか。勝負しない?負けたら、勝った方の願いを一つ叶えるのよ」

「それは構わんが、どうやって決着をつけるつもりだ?」


 ああでもない、こうでもないとネモフィルは言う。呆れていたはずのピヴワヌも、途中から乗り気になって考え出す。

 名前を呼ばれる度に、亜莉香の胸が苦しくなった。

 返事がしたい。

 瞳を開いて、ピヴワヌとネモフィルの顔が見たい。そんな勝負をしなくても、二人と出会えただけで嬉しくて、幸せな顔で笑えるはずだから。


 そろそろ起きなくちゃ、と瞼を開く。

 段々と視界が鮮明になり、剥き出しの木材が見えた。見慣れぬ天井は低く、緩やかな傾斜。部屋の中の光は、外から注ぐ温かな太陽の光。

 何度か瞬きを繰り返し、深呼吸をして口を開く。


「――ピグワヌ。ネモフィル」


 声が掠れた。

 部屋は乾燥していない。久しぶりに話をしたような気分で、喉が渇いて仕方がない。まだ起き上がる気力はないので、首だけ動かして二人の存在を確認した。


 枕元で胡坐を掻いていたのは、ピヴワヌだ。部屋の壁まで下がって、膝を抱えていたのがネモフィル。ヒナは隣の布団で眠っていた。

 亜莉香の声に気が付いて、二人の視線を集めて言う。


「…ただいま」


 咄嗟に口から出た言葉が、亜莉香の心に染みこんだ。


「ただいま。ピヴワヌ、ネモフィル」


 先程よりも、はっきりとした声が出た。

 二人の瞳に、涙が滲んだように見える。ネモフィルがゆっくりと腰を浮かして傍に寄る。微かに震えるピヴワヌの手が、亜莉香の髪を優しく撫でた。


「もう…大丈夫か?」

「はい。大丈夫です」

「どこか痛い所はない?」

「ありません。少しだけ、お腹は減っている気はしますけど」


 口に出せば、小さくお腹が鳴った。恥ずかしさより、空腹であることが心を占める。もう何日、何も食べずに時間が過ぎたのだろう。


「何か飲み物だけでも、欲しいです」

「分かったわ。この近くに飲み水はないか。ちょっと外に出て、探してくるわね」

「よし。それなら儂は近くの森まで行って、樹の樹液でも持って来てやる。飲み水より栄養があって、すぐに体力が回復するからな」

「樹液なんて何が入っているか、分かったものじゃないわよ」

「それを言うならお主が持ってくる飲み水も同じだ」


 立ち上がろうとする二人は対抗して、無理やり笑みを浮かべる。

 ピヴワヌもネモフィルも外まで行って取って来ると言い、コップ一杯の水があれば十分なのに、話が大事になっていく。


 誰の家なのかは分からないが、台所でもあれば水は手に入るのではないか。

 たった一言すら言えない空気に、部屋の中の言い争いが激化した。


 わざわざ二人を止める気力はない。布団から起き上がろうとすれば、さり気なくピヴワヌが背中を支えてくれた。布団から出した手は、ネモフィルが両手で包んでくれる。

 どちらとも目を合わせることなく、亜莉香を挟んで会話が続く。


「儂の方が、足が速いのを忘れたか?」

「足の速さなんて関係ないわよ。私の方が知識あるもの。馬鹿兎とは違うの」

「確かに、儂より長く生きるばばあだからな」


 喧嘩を売るピヴワヌに、今にも怒り出しそうなネモフィル。

 どんな顔をして、話を聞いていればいいのか。分からなくなった頃、扉を叩く音がした。亜莉香が返事をすると、笑みを浮かべた青年が顔を覗かせた。


「人の子が目覚めたようだね。白湯でも如何かな?」

「「要らない」わ」

「…えっと、頂けると助かります」


 即答したピヴワヌとネモフィルに対する申し訳なさより、喉の渇きが勝った。そそくさと部屋に入り込んだ青年が笑みを浮かべながら、嫌そうなネモフィルの傍に座る。


 亜莉香達を歓迎すると言った青年だ。

 傍で見ても、その髪も瞳も黒に見える。少し灰色がかってはいるが、透以外で久しぶりに出会った髪と瞳の色。伸ばしていない髪は短めで、毛先があっちこっちにはねている。最初に出会った時は白い袴姿だったと記憶しているが、今は落ち着いた紺色の袴に、縦縞の鮮やかな青と淡い白の着物を合わせていた。


 少し年上のような、笑えば可愛く見える青年に差し出された湯呑を受け取る。

 悔しそうなピヴワヌとネモフィルは、見なかったことにする。差し出された湯呑は温かく、火傷しないように気を付けて口に寄せた。


「美味しいです」

「それは良かった。まだ起きたばかりだから、もう暫く横になって休むといいさ。無理に身体を動かしても良くない。今は十分な休息、それから畑仕事だな」


 畑仕事と言う単語の瞬間、青年の瞳が輝いた。

 頭の中には疑問しかないが、亜莉香は曖昧な相槌をする。


「そう、ですね」

「そろそろ、大根も白菜も掘り出さねばいけない。今年は豊作だから、君も身体を動かしたくなったら、いつでも手伝ってくれて構わない。俺の畑は家を出て右手、腹が減ったら一階の土間に行けば、何かあるから自由に食べて欲しい。分かったかな?」

「…はい」

「それじゃあ、俺は今から畑に行くよ。では、また」


 言いたいことだけ言って、青年は足取り軽く部屋を出た。振り返りはしない。よっぽど畑に行くのが楽しみなのか、鼻歌でも歌いそうな勢いだ。

 それで、と亜莉香は青年を見送り、呟いた。


「あの人は、誰ですか?」

「さあな。他の連中より、儂らに友好的なのは間違いない」

「里の連中に関して、私も馬鹿兎も興味ないものね」


 そういうものかと思いながら、両手で持った湯呑で喉を潤す。

 休息は、もう暫く必要だ。意識ははっきりしているが、身体が重くて動ける気がしない。よく食べて、寝て。出来たら着替えて、気持ちを一新させたい。

 深呼吸を繰り返すと、ネモフィルが亜莉香を振り返った。


「私も馬鹿兎も、大事な言葉を言い忘れていたわ」

「大事な言葉、ですか?」

「そうだったな。他者の乱入で、大事なのに忘れておった。これだけは最初に言おうと、二人で話していたのだが」


 ため息を零したピヴワヌに、亜莉香は首を傾げた。

 何を言うつもりか見当も付かず、ピヴワヌとネモフィルの言葉を待つ。微笑んで、タイミングを合わせたかのように、二人の口が開いた。


 おかえり、と重なった声に、亜莉香は心の底から笑ってみせた。

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