72-4 Side牡丹
丸い窓の外では、深々と雪が降り始めた。
重なり合う雲の隙間から、大きな月が顔を覗かせる。煌々と明るく、少しでも姿を見せれば辺りを照らす。雪化粧をした山々も、人々が暮らす家も、雪の壁の間に作られた家々を繋ぐ細い道も。
月に照らされる里は、雪の中に埋もれていた。
とても小さな里で、家の数は二十もない。山と山の間の傾斜に、ひっそりと作られた里。各家に住むのは五人以下で、一人で住んでいる家もあるそうだ。
その中でも高台にある家の窓辺に、ピヴワヌは腰かけていた。
目を細めて、明かりの灯る家を眺める。どの家も二階建て。家と家の間が広い。雪が積もっても自然と落ちるように、大きな三角屋根が特徴的だ。閉鎖的とも言える空間だけれど、山々に囲まれて周りに何もないせいか、開放的にも見えた。
それぞれの家は、雪の下になっている畑や家畜を育てる小屋を持つ。
ガランスとは違う田舎の風景。
座って丁度良い高さにある窓から見下ろす里に、随分と遠い所に来たと思った。遠くて、馴染めないとも思えば、ちょっと、と声をかけられて振り返る。
「何を見ているのよ」
「何も見とらん」
喧嘩腰の態度に、ネモフィルが口を尖らせた。それ以上の反論がないのは、部屋の中で五月蠅くしたくないからだ。それはピヴワヌも同じで、温かな部屋に視線を向ける。
天井の低い部屋の中心に敷いてある二組の布団に、横たわる二人。
どちらも目を覚まさない。
息はしていても、全く動かない。
ヒナは最初から意識がなかったが、主である少女は里に辿り着く前に意識を失った。
相当無理をして起きていたようだ。里で休めると安堵した感情を、ピヴワヌが読み取った直後に倒れた。抱えた身体は軽く、冷たく、今にも消えそうな感覚が手の中に残っている。
主を失いかけた恐怖が、今更押し寄せた。
死にもの狂いで狭間を駆け巡っても、見つけられなかった姿が手の届く場所にある。もう二度と失ってはいけない。失うのが怖いと、口を閉ざして感情を抑える。
誰かが、遠慮がちに扉を叩いた。
部屋の隅で膝を抱えていたネモフィルが顔を伏せ、力なく返事を返す。扉を開けたのは家の主でもある青年で、お盆に大きなマグカップを二つ乗せていた。
「精霊殿、温かな飲み物は如何かな?」
「「要らない」」
ピヴワヌとネモフィルの声が重なった。
肩を竦めて見せた青年は、お盆を部屋の端に置いて行った。何も言わずに立ち去って、余計な詮索をしない。
静かな部屋に、優しく香ばしい匂いが広がった。
温かい飲み物が何か分からない。知りたいとは思わない。食欲が出ないのは、主が目を覚まさないからだ。目を覚ましてくれない限り、何も喉を通りそうにない。
「帰らなくて良いのか?」
話しかける相手は一人しかいなくて、ピヴワヌの声に僅かに顔を上げた。
「まだ帰らないわ」
「アリカは戻って来た。ここにいる理由はないのだろ」
「無事は確認しても、きちんと話せてないもの。透に何も報告が出来ない。それに二人共…今にも消えてしまいそうに見える」
ネモフィルの言いたいことが、ピヴワヌにも痛いほど分かった。
部屋の中は温かいのに、どちらも血の気がない表情で眠る。息をしていなければ、死んでいるのではないかと疑う。その身体に魔力は感じない。
存在があやふやで、目を離せば雪のように溶けてしまいそうだ。
「闇の中って、どんな感じなのかしらね」
ネモフィルが誰にでもなく呟いた。
「闇の中から戻って来た精霊はいない。戻って来た人間も知らない。そもそも戻れる場所だとは思えない。どんな場所にいて、どんな風に過ごして、どうやって戻って来たのか」
段々と小さくなっていた声と共に、ふあ、と大きな欠伸をした。
人のように身体を丸めて、言葉を続ける。
「何も分からなくてもいいの。アリカが帰って来て安心したわ。ここがどこでも、光の世界に戻って来てくれて嬉しい。セレストから出て、駆け巡った甲斐があったということね」
「半分以上は儂の背に乗ったくせに」
「それでも、とっても疲れたの」
ネモフィルは今にも眠そうな、疲れた表情で目を擦る。
精霊は眠らなくても困らない。よっぽどのことがない限り、疲れはしない。今にも眠ってしまいそうなネモフィルを見て、ピヴワヌは言う。
「アリカが起きたら、起こしてやる。それまで休め」
「そうさせてもらうわ」
ゆっくりと瞼を閉じるネモフィルが、膝を枕にした。
もう一度、外の景色でも眺めようとする前に、小さな声が耳に届く。
「貴方も、私の手の届かない場所に行かないでよ」
珍しく弱々しい声だった。
その声がネモフィルの声だと分かっていても、普段なら言われない一言に、ピヴワヌは頭を掻く。主の心配ばかりして、他のことは頭になかった。
主を探している随分と長い間、話し相手はネモフィルだけ。
ガランスで待っている面々を思い出し、連絡の一つでもするべきだとは思った。思うだけで、行動に移さない。ネモフィルが眠る前に水鏡を頼めば良かったのだと、今更気付いたところで、起こす気にはならない。
全ては主が起きてからの話だ。
早く目を覚ませと、月を見上げて切に願った。




