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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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71-5

 少女の、ヒナの過去を覗き見るつもりはなかった。

 これ以上は、何も見ない。知りたくない。


 例えトウゴの両親と関わりがあっても、ヒナにも家族同然のような扱いをしてくれた人達がいたとしても、それ以上を知るのは、ヒナの心に土足で踏み込むような真似になる。

 おそらくトウゴには、ヒナと過ごした記憶がない。

 知っていたら、以前ヒナのことを訊ねた時に教えてくれたはずだ。何も覚えていないから、過去のことを話さなかった。忘れたのが幼さのせいではないと勘ぐるのは、白い扇の存在があるせいだ。


 ヒナの過去に何かがあった。

 その何かを知るより、為すべきことを為す。

 亜莉香は再び歩き出き、表情を消していた灯を追い越した。後から来る気配がなくて振り返る。灯の名前を呼ぶと、ようやく意識を取り戻したかのように亜莉香を見た。


「置いて行きますよ?」

「もう、いいの?」


 何が、が抜けていたが、亜莉香は素直に頷いた。

 名残惜しそうに何もない空間に背を向け、灯は隣に並ぶ。視線は懐中時計を確認するが、心在らずの状態にも見えた。灯の存在とは真逆に、懐中時計の針は同じ方角を示し、決して揺るがない。

 闇を出たら何をするか考えようとした亜莉香に、灯は呟いた。


「てっきり、寄り道をするのかと思った」

「しませんよ。私は早く帰りたいのです。会いたい人達がいるし、美味しいご飯を食べたい。やりたいこと、まだまだ沢山あるのです」


 やり残したことを思い浮かべた。

 まずは新しい着物と袴が買いたい。春用の桜柄で華やかな着物を身に付けて、心を躍らせながら、ガランスの街で買い物をしたい。特に欲しいものはなくても、露店の並ぶ市場を歩くのは楽しい。

 着物と言えばケイの店に行き、仕事の話もしなければいけない。随分と仕事から離れていた気もするが、手を動かし始めれば思い出せるはず。少しずつでもお金を稼ぎたくて、ケイの店に行ったら、いつだって賑やかなイトセとも話をしたい。

 お腹が減ったら、パン屋へ行こう。寒い時期限定の焼きたてのアップルパイは熱々で、絶品だ。中のカスタードクリームがとろけて甘い。その代わりに林檎の食感と形は残っていて、サクサクのパイとよく合う。


 歩いていれば、沢山の人と出会う。

 挨拶して、他愛のない話をする。

 そんな時間を過ごしていると、いつだってルカとルイが出没した。買い物を手伝うこともあれば、用事があると言って声を交わすだけで終わることもある。あの二人を一カ所に留めるのは難しいことだけど、二人が一緒にいるのが当たり前に思えた。

 季節の食材を買っている途中で、キサギと出会うこともあった。

 そんな時は時々、お茶に誘われる。ユシアの父親の住む家に行くことになれば、手土産を途中で買って、ユシアの父親とテーブルを囲む。二人でトウゴの店に顔を出すことになれば、過剰なサービスを受け取り、店にやって来たフルーヴが混ざる。話題の中心は、毎度ユシアの近況報告とユシアの父親の魔法薬作りで、ヤタの話題が出るのは珍しいこと。


 賑やかな時間を過ごす日々の大半を、ガランスで過ごした。

 トシヤはいつだって、亜莉香の隣にいてくれた。

 目が合って笑いかけられるだけで、心が満たされた。


 不意に名前を呼ばれた錯覚を覚え、足が止まりそうになる。それはあり得ない。闇の中にトシヤが現れるはずもなく、現れて欲しくもない。トシヤがいる場所は光の満ちた場所であって欲しいと思うのが、亜莉香の勝手な願望だ。

 名前を呼べば誰よりも素早くやって来るとしたら、ピヴワヌだろう。人の姿でも、兎の姿でも、気が付けば隣に並ぶか、軽々と肩に乗る。どんな姿でも、口煩く喋り続ける言葉の端々に、亜莉香への心配が現れる。


 外へ出たら、ピヴワヌの名前を呼んで迎えに来てもらおう。

 前を向きながら、自然と口角が上がった。

 心なしか、肌に感じる風が温かくなっていく。しつこくない花の香りがして、瞳の奥で黄金の光の粒が煌めいた。幻かと思ったのに、灯が羅針盤の蓋を閉じて立ち止まる。


「ここまで来れば、もう帰れるね」


 少し寂しそうな声だった。

 前に出て、亜莉香の道を塞ぐ。羅針盤を差し出そうとして、両手が塞がっていることに気が付き、大人びた笑みを浮かべた。

 後ろに回り、亜莉香の手にしっかりと握られる。

 改めて前に出ると、灯は黄金の光を背後に隠した。


「私は貴女の心の中にいるけど、いつでも話せるわけじゃない。そんな力は残り少なくて、もしかしたら、これが最期の会話になるかもしれない」

「夢の中でも、もう会えませんか?」

「会いたいと望んでくれるのは嬉しいけれど、気持ちだけ受け取らせて。終わりは始まりで、私は何も怖くない。お願いだから、私を止めないで」


 同じ顔した灯の言葉を聞き逃さないように、目を見て耳を澄ませる。


「私を――終わらせて」


 それが灯の本心に聞こえた。それ以上の言葉はない。

 一歩ずつ下がる灯の姿が薄れ、背後で輝く黄金の光が見えた。最後に聞きたいことを考えても、何も思い浮かばない。お互い微笑み合う。


 さようなら、と囁いた声が重なった。


 声は木霊することなく消えて、灯の姿もなくなった。

 立ち止まらない。灯がいた場所を越え、黄金の光に向かって歩き出す。近づくまで時間はかからなかった。あっという間に光に辿り着けば、大きな扉がある。


 黄金に輝く、重く固そうな扉。

 装飾は美しく、細かい。まるで本物のような花々が彫られ、牡丹も瑠璃唐草も薔薇もある。それ以外の花もあり、鳥が飛び、魚が跳ねる。まるで巨大な絵画のようで、目を奪われる扉の前で足を止めた。

 両手でヒナを背負っているので下ろそうとすれば、その必要はなかった。

 ゆっくりと奥へ向かって、扉が開く。扉の隙間からも黄金の光が溢れ、亜莉香達を照らした。光に混ざって、色とりどりの光の粒が闇に飛び出し、溶け込むように消えて行く。

 彷徨い続けた暗闇から抜け出した先の光景は、何も見えない。

 それでも足を踏み出し、真っ直ぐに進んだ。

 自分の姿すら見えなくなりそうな、黄金の光の中を。ヒナを背負っている感覚だけは失くさず、背後で扉の閉まる音がした。




 足で踏みつけたのは雪だった。足が雪に嵌り、動けなくなる。

 亜莉香の瞳に映るのは、しんしんと、降り積もる雪の白さしかない。地面に積もった雪も、木々に張りつく雪も白い。地面には動物の足跡一つなく、空は薄く白い雲に覆われている。吐く息も白く、一面の銀世界。


「外だ」


 擦れた声と共に、込み上げた涙が頬を伝った。

 肌に感じる温度が冷たい。手足から冷えていく。遠くで雪が落ちる音がして、身体を震わせた。闇の中とは違う静けさに包まれ、もう一度呟く。


「帰って来た」


 声に出せば実感が生まれ、もう一歩踏み出そうとして転んだ。

 頭から雪に突っ込み、嬉しいのか悲しいのか分からなくなる。背中が重くては起き上がれず、聞こえなくとも謝罪し手を離しながら、横たわるヒナの隣に座り込んだ。


 何故だか、これ以上は動けない。

 身体に力が入らなくて、お腹が減った。

 深呼吸をして落ち着こうにも心臓が五月蠅くて、倒れてしまう前に息を吸う。


「――ピヴワヌ!!!」


 腹から出せる限りの声は辺りに響いた。

 亜莉香の声に驚いた姿の見えなかった鳥達が、空に羽ばたく。それがおかしくて、少し笑った。闇の中で灯と出会ったのは夢のようなのに、羅針盤は手の中にある。


 もう一度呼ばなくても、ピヴワヌには届いたはずだ。

 何かが繋がった。あとは待つだけ。荒い息を整えながら羅針盤の蓋を開けると、その針は消えていた。歯車だけが動き、時を刻むように一定の速度で進む。


 何かを考えようにも頭が回らず、身体がふらりと地面に倒れた。

 雪が冷たい。ヒナは未だに目を覚まさない。


 仰向けになって空を見上げ、もう一度羅針盤の針を確認する。針は消えてしまった。進むべき道標は、もう必要ない。

 帰って来たと再び呟いた時、精霊の赤と青の光が目の片隅に映った。

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