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Last Crown  作者: 香山 結月
第5章 花明かりと薔薇
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71-4

 真っ暗闇を、足取り軽い灯が先に歩く。

 その後ろを置いて行かれないように亜莉香は付いて行くが、背中には意識のないヒナを背負っていた。ヒナの体重は想像以上に軽くて重さを感じなくても、慣れないことをすると足がふらつく。


「もう少し、ゆっくり歩きませんか?」

「あら、ごめんなさい」


 心のこもってない返事をして、振り返った灯の表情は笑いを耐えていた。亜莉香が隣に来るのを待って、今度は歩く速度を同じにする。

 闇の中を歩き出してから、この調子だ。


 余計な口を開けば、魔道具を作った時のことを話し出す。

 亜莉香の作った魔道具は、今だけは灯の手のひらの上。手の中に収まる円形の物体の見た目は、金色の懐中時計のよう。透明なガラスの表面に飾りは一つもなく平らだが、その蓋を開ければ、懐中時計なら時刻を示すために存在する数字や針がない。


 代わりに均等に十六に分けられた目盛りと、一本の針。


 その針は一方が極端に長く、もう一方が短い。長い方の針は白であり、短い方は黒。懐中時計なら文字盤と言える部分は、時計の役目を持ち合わせていないのに、僅かに色が違う幾つもの金色の歯車が回り続けていた。

 羅針盤、と言っても問題ない。

 暗闇の中では、長く白い針が淡く光って見えた。その針の指し示す方角に向かって歩き、どれだけの時間が流れたかは分からない。イオから預かった懐中時計は、確認する度に時間が変わるので役に立たなくなった。


 結局は亜莉香の作った魔道具改め、羅針盤を頼りに前に進むのが現状。

 来た道を戻ろうにも、その道を辿る印なし。魔道具を作った途端、リリアの家があった場所が消えてしまえば、戻れる場所もなし。


 そんなことがあったせいで、灯は始終笑っているのだ。

 リリアの家があった地の魔力を、全て魔道具に込めるとは思っていなかったらしい。

 亜莉香も同じ気持ちではある。あっという間に何もかも消え去る中で、羅針盤を片手に咄嗟にヒナに駆け寄った。亜莉香がヒナを背負うことになったのは灯に言われたからで、曰く、いつ闇から抜け出すか分からないから任せると胸を張られた。

 現実に灯の身体がないとは信じられなくなりそうだ。

 今も隣を歩き、その手に羅針盤を持つ。


 灯と歩き続けるのに不安がないわけではないが、それよりも安心感が心の大部分を占める。羅針盤の示す道があり、一人ではないことが心強い。道が見えなくとも、迷うことない一本道への行き先を示す道標があれば、恐れることはないのだ。


 終わらない暗闇で、光を探して目を凝らす。

 何もない。

 誰もいない。

 足音が響き、静かな空間で誰かの泣き声が聞こえた気がした。


「どうかした?」


 足が止まって何もない空間を見つめた亜莉香に、灯が優しく訊ねた。


「…いえ」

「こんな場所には、悲しい記憶ばかりが集まるのかもしれないわね」


 否定したのに、おそらく求めていた答えが返って来た。

 亜莉香が見ていた方角と同じ空間を、灯も立ち止まって眺める。

 ぼんやりと、浮かび上がったのは幼い少女だった。姿が闇に溶けそうなくらい透けているのに、その髪が真っ白で明るく見える。小さな肩に、柔らかい雪が舞い落ちる。


 それは誰かの、悲しい記憶。

 静かに泣く少女は顔を伏せ、涙を流しながら座り込んでいた。


「お母、さん…お父、さん…」


 十歳に満たない少女と同じ色の髪を持つヒナは、亜莉香の背中で浅い呼吸を繰り返す。何の反応も示さず、目を覚まさない。


「私を、置いてかないで」


 泣いている少女の背景も暗闇で、一人ぼっちで取り残されているように見えた。たった数メートル先の少女に声をかけても届かないことを、言われなくても亜莉香は知っている。


「一人にしないで」


 必死に両腕で涙を拭う少女は痛々しく見え、あまりにも悲しそうだった。

 亜莉香も灯も動けずにいれば、不意に少女の真横に現れた女性が言う。


「大丈夫?」


 傘を差していた女性の姿も透けていた。手にしている傘のせいで顔は見えなくても、深く暖かそうな紺色の着物姿。薄い黄色の帯を締め、菜の花の帯留めが輝いて見える。

 傍にしゃがむと、そっと傘を傾け、少女の肩に触れた。

 少女は一瞬だけ身体を震わせ、女性が優しく言う。


「大丈夫よ。きっと、大丈夫。一人じゃないわ」


 繰り返される言葉に、少女は徐々に肩の力を抜いた。必死に涙を止めて、深呼吸を繰り返す。涙目でも、ゆっくりと顔を上げて女性の顔を見る。

 少女の亜麻色の瞳に、色素の薄い水色の髪を持つ女性の姿が映った。

 髪より濃い澄んだ水色の瞳に吸い込まれるように、少女は黙って見つめる。


「…誰?」


 少女の素朴な疑問に、女性は微笑む。


「私は貴女と似たような存在よ。危害を加える人間じゃない。貴女が困っているなら力を貸すわ。私も貴女も大丈夫、怖いことは何もないの。私は貴女を置いて行かないし、一人にもしないわ」


 幼い少女の顔も、優しげな女性の顔も、亜莉香には見覚えがあった。一人は背中で目を閉じて、もう一人は随分と前に夢で見かけた。

 随分前だとしても、その瞳の色は息子と同じ。

 女性の目を見たからこそ、誰なのか思い出せた。想定外の繋がりに驚くが、灯は何も感じていないように眺め続ける。亜莉香だけが目の前の二人の関係に動揺して、言葉を失くす。

 女性は傘を傾けたまま、少女の肩に触れていた手を下げた。

 視線を交わし、安心させる笑みを見える。


「私はナノカ。貴女の名前は?」


 少女が答える前に、幻のような二人が消えた。


 白昼夢のような感覚に、暫く足が動かなくなった。どれだけ見つめていても、消えた二人は現れない。見ていた光景が誰かの記憶だとして、想像していなかった関係性を知った。

 混乱する亜莉香を気にせず、灯が足を踏み出す。


「ほら、先へ進もう」

「ですが…さっきの記憶は何ですか?どうして、トウゴさんのお母さんが?」

「それは私だって知らない。トウゴって、貴女と一緒に行動を共にしていた人?」


 疑問に疑問を返され、曖昧ながらも頷いた。

 仕方なく亜莉香も歩き出し、ヒナを落とさないように腕に力を入れ直す。灯は羅針盤を確認しながら歩き、亜莉香は遠慮がちに問う。


「灯さんは、トウゴさんを知らないのですか?」

「私は貴女の心の中にいても、いつも貴女の瞳で世界を見ていたわけじゃないもの。何度か話しかけはしても、貴女のことだって理解していない。貴女が背負っている子に関しては、訳あって気にかけているだけ」

「訳あって?」

「訳あって」


 亜莉香の方など見向きもしない灯が言い、足を速めた。今度は欲しい答えを得られない。置いて行かれないように早足になれば、不意に立ち止まり、亜莉香を振り返った。


「余所見をしていると、帰れなくなるよ」


 ほら、と羅針盤を持っていない方の手で、亜莉香の後ろを指差す。

 何を言いたいのかと身体の向きを変えれば、そこにはまた少女がいた。

 先程より、少しだけ成長している。相変わらず少女の姿は透けていて、複雑な文字や記号を描いた円の中に立っていた。表情は少し不安げだ。円の外で一人の男性が言葉を紡ぐが、途中で苦しそうに胸を抑えて、光り出そうとした文字や記号が消えてしまう。

 膝をついた男性に少女は駆け寄り、心配そうに顔を近づけた。


「失敗して、ごめんね」

「いいえ」


 座り込んだ少女は首を横に振り、はっきりと言った。


「私の方が巻き込んで、ごめんなさい」

「気にしなくていいよ。もう家族のようなものだから。家族が苦しんでいるなら、力を貸さないと。それに君が自由になれば、ナノカもトウゴも喜ぶ」


 男性は腰を下ろし、深く息を吐く。

 少女の頭を撫でようと手を伸ばした時、男性の長い紺色の髪が揺れた。灰色の紐で結んだ髪と同じ色の無地袴。着物は黒で、優しげな茶色の瞳が少女に微笑む。


 トウゴの母親の次は、今度はトウゴの父親の登場だ。

 その男性を、ソウゴさん、と瞳を伏せた少女が呼んだ。


「一人ぼっちの私に居場所をくれただけで、もう十分。無理しないで欲しい」

「無理してないよ。君の契約は、きっと解ける。ただちょっと厄介で、時間がかかるだけ」


 安心させようと男性が言っても、少女は悲しそうな笑みを浮かべた。


「ずっと、後悔しているの」


 顔を上げずに、少女は言う。


「なんて馬鹿なことをしてしまったのだろう、と。契約したから、私は戻れない。耳を塞いでも声が聞こえて、沢山の咎める声が消えてくれない」

「諦めるのは早い。君にも時間はある」

「ううん。もうないの。だって私が傍にいると、ナノカさんもトウゴさんも不幸になる。それは嫌。私が苦しむより、家族を失った私を受け入れてくれた皆が苦しむ方が辛い。だから――行かなくちゃ」


 そっと立ち上がった少女の頬は濡れていた。

 静かに流れる涙を拭わず、手を伸ばそうとした男性から身を引く。ヒナ、と誰かが遠くから呼ぶ声がした。女性と、幼い少年の声が、ヒナと男性の名前も嬉しそうに呼ぶ。

 近づいて来る声を無視して、少女は笑みを作った。

 片手を胸に当て、軽く頭を下げる。


「ナノカさんには断られたけど、私は誓います。私の真の主は、私を見つけてくれたお方。例え皆さんが私を忘れても、私は皆さんから教えて貰ったことを忘れない」


 ヒナ、と男性が呼んだ声には焦りが混じった。

 男性が立ち上がる前に、急に現れた少年が突進する勢いで少女に抱きつく。少女の腰のあたりまでしかない少年は抱き留められて、満面の笑みを浮かべて顔を上げた。


「絵本読んで!」

「…ごめんね」


 その謝罪が何に対してだったのか。

 泣いているの、と少年が訊ねた。答えた少女の声は聞こえない。

 少女が胸元から取り出したのは真っ白な扇。その扇に光が集まると同時に、見ていた光景が弾けて消えた。光の粒は見えない地面に溶けて、そこには何も残らなかった。

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