71-1 花時春眠
意識が戻った時、うつ伏せの状態で左手を枕にしていた。
ゆっくりと顔だけ上げると、辺りを照らす灯籠の明かりが瞳に映った。カタッと音を立て、灯籠が動きを止めたのは気のせいではない。ぼんやりしていても、揺れていた名残はあったわけで、灯籠の中の焔も揺れていた。
まるで慌てて動くのをやめたようにしか思えない。
全身重たいが、身体を起こす。
座り込んだ亜莉香の右手は、ヒナの左手を強く掴んだままだった。亜莉香と同じように、うつ伏せの状態のヒナは起きる気配がない。
何となく手を離すのを躊躇して、手を繋いだまま辺りを見渡した。
目の前の灯籠が照らしているのは、半径一メートル程の円形。その中に亜莉香やヒナの姿も含まれるが、その円の外には何もない。
真っ暗闇の中に、置き去りにされたのは二人だけ。
音も、匂いもない。
人の姿はない。
肩の力を抜いて、深く息を吐いた。
「いい加減、姿を見せて話しませんか?」
地面に置いてある灯籠に視線を戻して、はっきりと亜莉香は言った。
四角い灯籠。手で持てる大きさで、牡丹の花が描かれた和紙が中の焔を透かしている。今の状況にならなければ、綺麗な灯籠で済ませた。狭間や夢の中にまで現れる灯籠が普通のはずはないと、もっと早く気付くべきだった。
その灯籠が、誰なのか。
今では嫌でも分かってしまう。
「貴女は――灯さん、ですよね?」
ヒナも起きない現状だからこそ、話しかけた。
誰かに見られていたら躊躇した。偽物の灯と出会ってから芽生えた確信があり、出会った灯の声と同じでも、違う口ぶりで亜莉香に話しかける存在があった。
亜莉香の心の片隅で優しく見守って、導いて、傍にいてくれる温かな明かり。
変化のない灯籠に向かって、言葉を重ねる。
「以前、私の頭に直接声が届きました。その声は間違いなく灯さんです。居るのは分かっているのに…どうして、姿を見せてくれないのですか?」
声に悲しみが混ざった。聞きたいことが数えきれないくらいある。
ちゃんと答えて欲しい。返事を待って、黙った亜莉香の視線は下がる。答えてくれないと、前に進めない。何も知ることが出来ない。
沈黙が支配した空間で、靴の踵が地面に響く音がした。
「姿を変える魔法は得意だったけど、力が落ちたみたい」
不意に降り注いだ声に、勢いよく顔を上げる。
目が合って微笑んでいる顔は、亜莉香とそっくりだった。髪の色も瞳の色も同じで、まるで鏡の中のもう一人の自分を見ているような錯覚。身に付けている真っ白な着物と、裾に牡丹の描かれた赤い袴。肩に掛けて袖に手を通していない黒地に金の小花が咲く着物と、それから腰まで伸びた髪の長さで、錯覚はいとも簡単に打ち消される。
目の前にいる灯は本物だと、誰に告げられたわけでもないのに理解した。
ようやく会えたと、何故か涙が零れそうになる。
亜莉香が口を開く前に、人差し指を口に当てた灯が言う。
「ここで、長々と話すのは良くないわ。と言っても、こんな所まで堕ちて、休める場所は限られているのが現実だけど」
「本当に…灯さんなのですよね?」
「それ以外の姿に見える?」
聞き返した灯は意地悪な笑みを浮かべ、両手を後ろに回した。
一歩後ろに下がった灯と一緒に、辺りを照らす光が増える。スポットライトのように照らす光は二つで、亜莉香と灯、それぞれの一定距離の内側だけは明るい。
会いたかったはずなのに言葉が詰まり、零れそうになった涙を拭った。
「どうして、もっと早く姿を見せてくれなかったのですか?」
「見せられなかったの。詳しい話は後で、ほら立って。こんな所にずっと居ても、何も始まらないでしょ?」
動かないヒナの隣に座り込んだ灯が、よいしょ、と掛け声をかけながら肩に腕を回した。意識のないヒナと立ち上がろうと苦戦して、亜莉香も手を貸す。
体温の低いヒナを挟んだ灯は、亜莉香と同じ年齢に見えた。
けれども瞳は真っ直ぐに前を見据え、その表情は大人びている。年齢以上の時間を過ごした雰囲気を醸し出し、お互いに初対面のはずなのに気にしない。
ある一点を見つめ続ける灯は右腕を上げ、前方を指差す。
「見て、光が灯ったわ」
言われて視線を向ければ、確かに小さな光が揺れていた。
蛍ようにふらっと動き、段々と近付いて来る。それが小さな光のままだったら、驚きはしない。徐々に大きくなった光が、あまりにも眩しくなって目を細める。
次の瞬間、辺りを白く染めた光は亜莉香達を巻き込んだ。




