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Last Crown  作者: 香山 結月
第4章 灰明かりの人々
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69-2 Side留依

 昼間はただの草しかないように見える野原に、ルイはいた。


 あっという間に春になり、一面を白く染めていた雪が消えた。至る所で草木は芽吹き、色鮮やかな花々が咲き乱れる。鳥や虫の鳴き声もして、歌っているようにも聞こえる。

 寒さ対策の羽織りは脱ぎ捨て、柔らかな風が頬を撫でた。

 数える程度しか訪れたことのない野原に、人影は二つ。


「二人で外に出るのは久しぶりだね」

「子供の頃、イオと二人で屋敷を抜け出して以来だよ」

「それで毎回、ヨルが迎えに来て怒られたよね。ヨルなんて一人で迎えに来るから、結局後で三人一緒に怒られて、暫くの間は大人に監視されたの」


 笑いながら話すイオが、しゃがんで小さな花を摘んでいた。

 雲一つない空は晴れやかで、太陽の日差しが温かい。そっと吹いた風で草木が揺れて、耳をすませば、葉の擦れた音と微かに笑う精霊達の声がした。


 口角を上げているイオには精霊の姿がはっきり見え、声が聞こえているのだろう。生憎ルイにはそこまで見えも聞こえもせず、ただ何かいる気配だけを感じた。


 雑草にしか見えない花を集めるイオは、後ろで髪をまとめている。軽く一つに結んでいる髪飾りは、僅かに色の違う二重の白のリボンで、その両端で透明な正方形の小さな宝石が揺れた。以前の巫女としての格好より気を抜いて、それ以外の髪飾りは身に付けていない。

 今日は動きやすいように配慮して、袴姿だ。辺りを見渡すふりをしてイオを眺めていると、少し間を置いてから名前を呼ばれた。


「ねえ、ルイ」

「何?」

「私は常々、ヨルはルイに敵わないと思っていたの。ヨルの決定的な弱みは、身内に対して甘いこと。それはヨルの優しさでもあったけど、弱さでもあったよね」


 肯定する相槌を短く返せば、花束を作り上げたイオが顔を上げる。

 目が合って、ルイに微笑んだ。


「でも、いつの間にか目を覚まして戦ってくれた」

「あれも本人無自覚でしょ」

「それでも、ヨルがキヨ兄さんに歯向かう日が来るとは思わなかった。フミエちゃんに何かあったら、とは考えたことがあるけど。その前に、ヨルは自ら戦う意志を見せてくれた。それって、とても嬉しいことじゃない?」

「僕には関係ないことだよ」


 素っ気ない返事をして、視線を外した。

 同意するのは嫌だった。愚兄と呼ぶヨルのことで、素直に喜びたくはない。それはイオにはお見通しで、ふーん、と軽い回答の後に質問を重ねた。


「顔を合わせる度に喧嘩をするのはやめたのに、仲良くする気はないの?」

「もし愚兄から喧嘩を売られたら、すぐに買うよ」

「そういう風に仕掛けるのはルイの方だよ。それに今回の件があって、これからはルイに対しても本気を出す日が来る、とは思わない?」

「思わないね。愚兄は根から優しい人間だもん」


 確かに、と呟いた声に、お互い笑い出す。

 この場に本人がいないので、言いたい放題で好きに話す。もしも本人に向かって言ったら、否定されるのは目に見えていた。

 空高くを飛ぶ鳥を目で追ったルイに、イオも空を見上げて声を落とす。


「私達の両親にも、優しさがあったのかな?」

「さあね。少なくとも僕は、年に数回しか顔を合わせなかった。優しさのある人達だとは、一度も思えなかったかな」


 事実を述べれば、イオは瞳を伏せた。

 キヨやヨルと違い、ルイは両親を避けていた。両親に囲まれて笑い合った記憶より、気まずい空気の中で短い会話を交わした記憶しかない。それは巫女であるイオも同じで、両親と仲良く過ごした記憶は少ないはずだ。

 結局母親は、父親を巻き添えにして自害した。

 一度は助かったくせに、命を捨てた。本家の騒動に親戚達は騒然として、母親を殺しかけたキヨに責任を押し付け、次期当主から下げる声も出た。


 それを一喝したのは、ヨルだった。

 母親個人の暴走をキヨに押し付けるなと怒り、親戚にも温泉街に住む人も黙らせた。普段は猫を被って本人は温厚を心がけていただけに、その威力は壮大だったというのは、後で聞いた話である。


 キヨを追い出す真似をしたら巫女共々出て行く、と一部には脅したのは風の噂で聞いた。そもそもキヨ以外で、当主になる器が見つかるはずもなかった。


 それでもキヨは数年後、その座をヨルに譲るのだろう。

 春になるまでに、両親以外の被害者に頭を下げて謝る姿を何度か見かけた。その隣にはヨルの姿もあり、恨まれても罵られても、二人はそれを受け止める。

 家から逃げ出したルイより、二人の方が大人で立派だった。


 黙って懐から黒いリボンを取り出したイオが、花束を仕上げる。華やかとは程遠い花束が誰へのものか、訊ねなくても予想が出来る。


「両親を…私は少し恨んでいるの」


 立ち上がったイオが、花束を顔に近づけ囁いた。


「愛し方は歪だったし、もしかしたら愛されていなかったのかもしれない。そんな風にしか考えられない両親を、私達が選んで生まれたわけじゃない」


 ぎゅっと花束を握ったかと思えば、イオはそれを宙高く投げた。

 それなりの高さまで上がった花束が赤い光に包まれ、一瞬で燃えた。地面につく前に灰は強風で舞い上がり、あっという間に消えてしまう。

 思わず消えた花束を想って、ルイは訊ねる。


「…あれ、墓に添える用じゃなかったの?」

「そんな暇があったら、巫女としての役目を果たさないといけないのよ。力が安定し始めたとは言え、この土地でやることは沢山あるわ」


 両手の汚れを払って落とすイオが言い、清々しい笑顔を見せた。


「それにほら、そろそろお迎えが来る時間じゃない?」


 お迎え、とルイは小さく繰り返した。

 それに当て嵌まる人物は一人で、遠くから殺気を感じた。ルイとイオがほぼ同時に野原の隅を見れば、キヨから指示されたに違いないヨルが現れる。


「何をやっているんだ!」


 叫んだ手には、握り潰した一枚の紙。

 巫女であるイオを連れ出す許可はキヨに取ったが、ヨルには言ってなかった。時間が経ったらヨルを寄越すように頼み、わざわざ場所を書いた紙を置いてきた。

 即座に日本刀に手を伸ばしたのは癖で、すぐに必要ないのだと肩の力を抜く。


「愚兄、遅いよ」

「遅いよー!」


 ルイに便乗して、口に両手を添えたイオがふざけて言った。


「これでも急いで来てやったのに…勝手にイオを連れ出すな!」


 怒りながら近づいて来るヨルの瞳には、ルイしか映っていない。

 分かっていたことであり、単純な兄でもある。両手を上げて無罪を主張しても、聞く耳を持たないと思うが、一応キヨにも伝えて紙の隅にも書いたことを言う。


「僕はイオが外に出たいと言ったから、連れて来ただけだよ?」

「止めろよ!」

「無理だよ。巫女様のいうことは、絶対でしょ?」


 絶対、を強調して笑った。

 全然そんなことは思っていないが、ルイ以外の人間の多くが思っていることだ。精霊と話せて愛されている巫女をないがしろにするなと、丁重に扱えと誰もが言う。

 そしてイオ自身、幼い頃に巫女として生きていくことを受け入れた。

 どんどん近づいて来るヨルに、踏み出したイオは両手を広げて抱きついた。


「えい!」

「おい、イオ!」

「もう、怒らないの」


 抱きついたイオが頬を膨らませて見上げれば、目つきが鋭くなっていたヨルの動きが止まった。その隙にルイは数歩下がって距離を置き、両腕を頭の後ろに回す。


「そうやって怒り過ぎると、フミエに愛想を尽かされるよ」

「ルイ。余計なこと言わないの」


 首だけ動かしたイオに言われて、舌を出して見せた。

 僅かに顔を赤らめたヨルとフミエの関係は、感づいている人間が少ない。フミエに対する感情だけは隠すのが上手いらしく、話しのネタにされる機会も少ないに違いない。

 その証拠に、いつまで経ってもフミエの話題を持ち出すとヨルの顔が変わる。

 いつも通りのヨルに安心して、ルイは姿勢を正した。


「ヨル兄さん」


 愚兄と呼び続けていた兄の名前を、久しぶりに呼んだ。

 真っ直ぐに見つめた顔は真剣で、その想いはヨルにも伝わった。イオが抱きつくのをやめ、隣に並ぶ。二人に向かって、ルイは深々と頭を下げた。


「あの時、僕とルカを助けてくれて、ありがとうございました」

「素直に謝られると、調子狂うな」

「黙ってルイの話を聞こう」


 ヨルとイオの小声の会話に、笑いそうになった。

 名前を呼ぶのも、兄さんと呼ぶのも久しぶりだ。子供の頃は何度も呼んでいたはずに呼べなくなって、謝ることもなくなった。いつまでも子供のままではいられないのに、甘えさせてくれて、いつだって助けてくれた。

 深呼吸をして、顔を上げる。


「僕は、ここを出るよ」


 宣言した言葉に、僅かに反応したのはヨルだけだった。

 平然とした態度を崩さず、静かに話の続きを待つ。


「こんな状態で、この土地を離れることは申し訳ないと思う。それでも僕はルカと行くよ。まずはガランスに、それから緋の護人であるアリカさんを探しに行く」


 イオとキヨには既に話を通して、許可を貰った。

 微笑むイオは頷きながら話を聞き、真顔のヨルが口を挟む。


「この土地を勝手に出て行った奴が、今回は勝手に出て行かないのか?」

「ヨル。ルイだって成長しているのよ」

「二人して酷いことを言うね」


 笑い出したのはイオが先で、ルイも笑みを浮かべた。ヨルが引き止めるとは思っていない。ただ今回は話をして、ちゃんと向き合ってから出て行こうと決めた。

 頭を掻いたヨルが、それで、と話を戻す。


「いつ、行くんだ?」

「今から」

「もっと早く言えよ」

「ヨル兄さんとしんみりお別れするなんて、有り得ないでしょ。温泉街の入口でルカを待たせているから、そろそろ行くね」


 片手を上げて、二人の脇をすり抜ける。

 イオとの別れは、既に済ませてある。それはキヨも同じで、お世話になったフミエとも前日に話をした。二度目の旅立ちは寂しくなく、これ以上の言葉は必要ない。


「「ルイ!」」


 後ろで名前を呼ばれなかったら、立ち止まらなかった。


 振り返った瞬間に、頭上で何かが光った。金色の金属が太陽に光を反射して、頭にぶつかる前に掴む。ヨルが何を投げたか確認すれば、見慣れない懐中時計が手の中にある。

 金の装飾が美しい懐中時計の透明な蓋に、描かれた牡丹の花。

 歯車が見えて、時計の針は正しい時間を刻む。その針は全部で四本あり、一番短い針だけが小刻みに揺れ、十二を過ぎては戻ろうとしていた。


 話には聞いたことがあったが、実物を見るのは初めての代物だ。

 懐中時計を投げた意味を聞く前に、ヨルが口を開く。


「その対を、アリカが持っている。一番短い針が止まらない限り、闇に落ちていたとしてもアリカは生きている。それは紛れもない事実だ」


 現実が心に重くのしかかると同時に、その言葉は唯一の光だった。

 アリカを探すと言っても、当てはない。ピヴワヌもいなくなって、無事なのか確かめる術もない。針が動き続ける限り生き続けているとして、止まれば二つの現実が訪れる。


 闇からの帰還か。死か。

 最悪は考えない。


 深紅の紐を首にかければ、イオも言う。


「いつでも帰って来てね。ルイの居場所は一つじゃない。帰る場所は、ここにもある。それを決して忘れないで」


 いってらっしゃい、と大きく手を振った。

 巫女であるイオが手を振る姿なんて、滅多に見られるものじゃない。巫女らしくないと、ヨルは注意しない。ルイから目を逸らさず、温かな眼差しを向けたのは少しの間だけ。


「死ぬなよ!」

「そっちこそ!」


 行ってきます、と今度こそ背中を向けた。

 晴れやかな笑みを浮かべて、足を踏み出し前に進む。懐中時計を着物の中に隠せば、歩き出した足は徐々に速くなった。

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