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Last Crown  作者: 香山 結月
第4章 灰明かりの人々
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68-5 Side琉華

 一人で本を読んでいて、不意に顔を上げて外を見た。

 窓の外は晴れ渡り、温かな日差しが雪を溶かしていく。数日前の騒動が嘘のように静かで、ルカはこたつに足を入れながら座っていた。


 部屋の中に、一人だけ。

 騒動の際に何らかの毒を盛られたせいで、動けるようになっても絶対安静を言い渡された。それは主にルイとイオ、それから部屋を提供してくれたフミエで、宿の一室の部屋に監禁されているとも言える。


 勝手に部屋から出ようにも着替えがなくて、部屋の中は暖かいから寝間着用の着物姿。

 普段は結んでいた髪を下ろして、朝昼晩はフミエが食事を運んでくれる。ルイは時間の合間を見つけては足を運び、時々ヨルに引っ張られていく。知らない間に兄弟喧嘩をしなくなり、文句を言いながらもイオの名前を出されて、渋々従うルイの姿は珍しい。


 手に持っていた本を読むのは二度目で、途中で閉じて布団の傍に置いた。

 暇つぶし用に本を置いてくれたのはヨルだが、どの本も読み飽きた。

 何となく置いてあった厚い本に手を伸ばして、じっくりと目を通す。異国の言葉で全く読めない。それでも読んでみたい探究心は消えず、記号のような文字を眺める。

 扉を叩く音が聞こえて、読むのを中断した。

 返事をすれば、今朝も朝食を運んだフミエが昼食を持って来た。


「お待たせ」

「待ってないけどな」

「そんなこと言わないでよ。私とルイ様以外、あまり人と会っていないでしょう?食事の時は会話を楽しみましょう」


 楽しそうなフミエは、ちゃっかり自分の分の昼食も持って来た。

 ルカが起きられるようになってから、食事は二人分。たまにルイの分も追加して、遠慮するフミエを巻き込んで、三人で食べる時もある。毎日律儀に同じ時間、本日は丼ぶりから美味しそうな匂いがした。


「今日のお昼はかつ丼です。熱いから、気を付けて食べてね」


 子供じゃないのに、フミエはいつも同じ言葉を言う。

 適当な相槌を打ち、丼ぶり蓋を取る。白い湯気が出る程熱く、半熟の卵がつやつやと輝いて見えた。お茶を注いだフミエが席についてから、いただきます、と声を揃えた。

 食べながら、フミエの視線が近くにあった本に移る。


「その本、ルカは読めた?」

「いや、全然。何が書いてあるか分からなかった」


 正直に答えれば、ふーん、と言った後に再び口を開く。


「私は本の中の、在処、という言葉が好きなの」


 アリカ、という響きが、何故かルカの心に残った。

 普段は本を読まないはずのフミエは箸を止め、厚い本を手に取る。ルカとの間に本を置き、栞の挟んであったページを開く。


「これが在処。人の居場所とか、所在の意味があるらしいの。でも居場所と言うより、私は在処という響きが好き。とても素敵な言葉でしょ?」


 同意を求められたのに、頷くのに僅かに時間がかかった。


「そうだな…フミエはこの本、読めるのか」

「ううん。一部だけ教えて貰ったの。私も全く読めない」


 恥ずかしげもなく言い、それからね、と違うページを捲った。ページ数を覚えているようで、今度は栞のないページを開いて、一つの文字を指差す。


「フミエのフミは、文と書いて、書物とか手紙の意味。これは覚えたわ」

「実際は本を読まないのに?」

「それは言わないで」

「でも、綺麗な言葉だな」


 正直に気持ちを伝えると、フミエは照れたような笑みを浮かべた。


「うふふ、ありがとう」


 お礼を言われても返す言葉がなく、言葉を濁して箸を口に運ぶ。美味しいはずなのに、気になるのは本の存在。それから聞いた単語で、何か大事なことを思い出しそうになる。


 その何かが分からないまま、それ以上の会話が続かなかった。

 お互いに口を閉ざせば、扉を叩く音と聞き慣れた声がした。


「こんこん、入ってもいい?」


 わざわざ叩く音を口に出したのはルイで、フミエが慌てて立ち上がる。

 今朝は顔を見せなかったはずのルイは堂々と部屋に入り、勝手にこたつに入る。ルカの隣、フミエとは逆の場所を陣取り、羽織っていた着物を脱ぐなり肩まで毛布を被った。


「まだまだ、外は寒いね」

「ルイ様、お昼を用意しましょうか?」

「食べて来たから、今日はいいや。お茶だけ頂戴」


 返事をしたフミエは食事の途中なのに気にせず、ルイのお茶を用意する。出来るだけ冷まして、湯呑を受け取ったルイは肩の力を抜いた。


「この部屋は落ち着くね。今日はこのまま、ルカと一緒に過ごそうかな」

「そう言って、どうせヨルに呼ばれるくせに」

「その愚兄に、ここに来るよう言われたから来たけど…まだ来てない?」


 あれ、と首を傾げたルイに、ルカは即座に頷いた。


「来てない」

「おかしいな。僕より先に出たのに、途中で誰かに掴まったかな。まあ毎度、僕をこき使う愚兄が来なくても、僕は全く気にしない。寧ろ、来ないでくれた方が嬉しいけどね」


 好き勝手に言うルイに、フミエは微かに笑っていた。慣れた様子で脱ぎ捨てられた着物を畳み、ルイに対して気を遣って、残っていた自分の食事を片付けだしてしまう。

 そのまま部屋からいなくなりそうな気配がしたが、フミエは三人分のお茶を用意し出した。湯呑が冷めないように熱湯を注ぎ、来るはずの人物を一歩後ろに下がって待つ。ヨルが来ることを知っていたのかもしれないと思いつつ、ルカは呑気なルイに言う。


「屋敷の方は、大丈夫なのか?」

「問題ないよ。全壊したわけじゃないから、残っている部分で十分な生活は出来る。春になったら直すけど、イオは巫女の部屋がなくなって喜んでいるよ。あれは、隙を見て屋敷から抜け出しそうだね」


 それは笑って済ませられる話ではない。食欲が失せて、ルカは食べるのをやめた。部屋の中にはフミエがいたが、遠慮がちに訊ねる。


「ずっと、気になっていたことを言っていいか?」

「何?」

「灯は俺のこと、呼び捨てにした」


 温かなお茶を飲もうとしていたルイの手が止まり、一口飲んでから湯呑を戻した。


「そう…だっけ?」

「そうだった。灯は俺のことを覚えてない。前みたいに俺の名前を呼ばない。なのに、あいつは俺のことを知っていて、ルカさん、と呼んだ」


 あいつが誰を指すのか、瞳を伏せたルイには通じた。

 騒動の後に、姿を消した少女がいる。ピヴワヌと共に戦い、途中で姿が見えなくなった。いつの間にかピヴワヌも、どこか消えた。

 ヨルとフミエは、何か知っている。それなのに何も教えてくれない。口にしてはいけない気がしたけど、抱え込んでいた感情を吐き出すしか術がない。


「あいつの方が…俺の知っている灯だ」

「…ルカ?」

「馬鹿なことだと思うけど、記憶を失う前の灯とあいつの姿が被る。有り得ないはずなのに、そう思ったら納得する自分がいた」


 ルイと目が合う前に逸らして、ルカの声は弱々しく消えた。


 消えた少女は、どこにいるのだろう。


 名前を思い出せない。もう一度会いたくても、行方知らず。これからヨルが来たところで教えてくれないと分かっていても、芽生えた感情を一人で抱え込むのは無理だった。


 口に出した言葉で笑えなくなり、湯呑を手に取り水面を見つめる。

 映っているのは情けない顔であり、言わなければ良かったと後悔した。ルイを困らせ、これ以上は何も言えない。フミエもいるはずの部屋は静かで、響くはルイがお茶をすする音。


 窓の外で屋根から雪が落ち、同時に竹垣を越えて人影が中庭に現れた。

 雪かきのしていない積もった雪の上に、緋色の髪は目立つ。着地した身体を起こして悠々と部屋に近づく姿に、ルイの眉間に皺が寄った。


「どこから来るんだよ。愚兄は」


 片肘をついたルイはぼそっと呟き、ヨルは雪を払いながら部屋の前までやって来た。

 元々開いていた雪見障子ではなく、フミエは急いでガラス戸に手を伸ばす。ヨルを部屋に招き入れると、いつの間にか手にしていたタオルを差し出した。


「悪いな」

「いえ」


 短い会話を交わして、微笑む二人が視線を交わしたのは一瞬だった。

 雪で濡れた髪を拭きながら、ヨルは当たり前のようにこたつに入る。用意していたお茶を並べたフミエが湯呑の傍に和菓子を添え、一礼して席を外す。


 丸くて大きな湯呑に注がれているのは、透き通る薄い緑の煎茶。

 添えられた和菓子は、温かみのある白の皿の上に椿の練りきり。


 まるで春の訪れを告げるようだった。すぐに手を付けるか迷ったのはルカだけで、ルイもヨルも手を動かさずに口を開く。


「さて、愚兄。さっさと本題に入ろうか」

「急かすな。少しくらい休憩させろ」

「やること沢山あるでしょ?そう言って、毎回僕まで巻き込むんだから」

「それはお前が頼んだ仕事をさぼって、ルカに会いに行くせいだろ。毎回呼びに行く俺の身になってみろ。さぼらないで、仕事が終わってから堂々と休め」

「それじゃあ、ルカに会う時間が減るもん」


 ルイが可愛く口を尖らせたところで、ヨルは呆れたため息を零しただけだった。

 まずは肩まで毛布を被って温まろうとする様子は、ルイと似ている。寒がりではないはずの二人は、本人達が決して認めなくて似ている。

 傍観者でいようと黙っていれば、軽くヨルに睨まれた。


「おい、ルカ。お前からも来るなと言え」

「無理だね。それはルカに言われても、僕の足が勝手に動いちゃう」

「お前なあ」


 何を言っても無駄だと、本心ではヨルも分かっているのだろう。強くは言わないが、言わずにはいられない性分で苦労するのはヨルばかり。ルカが口を挟まなくても話が脱線して、本題に入るまで時間がかかりそうだった。

 その想いが通じたのか、ルイは頬杖をついて問う。


「そんなくだらない話をするために、わざわざ呼び出したわけ?」

「そんなわけないだろ。俺は頼まれて、ここに来ただけだ」


 誰に頼まれたのか。訊ねなかったのは、思い付いたのがたった一人しかいなかったからだ。その一人はルイとヨルの妹であるイオで、それ以外は考えにくい。

 ふーん、と興味を持ったルイは口角を上げ、何かを企み笑った。


「愚兄はイオの頼むごとを断らないよね。何を頼まれたの?」

「お前ら二人に、幾つかの確認だな。まとめて話を聞いた方が早いから、この場所を指定しただけで、別々でも良かったけど――」

「それに答えたら、あの子について教えてよ」


 話を遮ったルイに、あの子で通じたヨルは眉間に皺を寄せて即答した。


「嫌だ」

「そこは承諾するところだよ?」

「確認し終わった後に、同じ質問が出来たら教えてやるよ。必要ないと思うけどな」


 話をしながら、懐から小さなメモの束を取り出し何枚か捲った。メモの内容はルカの位置からでは見えず、それは正面に座っているルイも同じだ。

 メモは取り出しても記録するつもりはないようで、片肘をついて呑気に問う。


「まず初めに、緋の護人に出会った時のことを話せ」

「「は?」」


 間抜けな声はルイと同時で、予想外の質問に瞬きを繰り返した。

 ヨルの真意が掴めない。今になって何故かと問いかけることは出来なくて、ルイは気が抜けて肩を落とす。


「前に、イオには話したよ?」

「確認だって言っただろうが。どっちでもいいから、適当に話せ」


 適当にと言われると、本当に話を聞きたいのか疑いたくなる。

 緋の護人と言われれば灯のことだが、わざわざ名前を呼ばないのは気になった。追求すれば話が逸れると思い、ルイの視線を受け、ルカは頷き口を開いた。


「最初に会ったのは、ガランスの神社だった」

「トシヤくんと間違えて、ルカがクナイを投げて怪我をさせたよね」


 お茶を飲みながら答えたルイの軽い言葉で、嫌なことまで思い出した。

 トシヤが来たと勘違いして投げたクナイは灯の頬を掠め、怪我を負わせた。その時、振り返ろうとしていた灯を思い出そうとして、その髪の色が気になった。


 赤、ではなかった気がした。


 気のせいだと芽生えた疑問を無視すると、ヨルは質問を続ける。


「お前ら、すぐに仲良くなったんだっけ?」

「僕は比較的仲良くしていたよ。ルカは暫く警戒していたみたいだけど、よく分からないうちに仲良くなっちゃってさ。二人共、愚兄みたいに本を読むのが好きだから」


 何だかんだ言いつつも答えるルイは、笑みを浮かべてルカを見た。


「共通点なら、僕よりルカの方が多いよね。本が好きで、甘いものも好き。この前の灯籠祭りの日だって、僕とトシヤくんは食べきれなかったのに、ルカとアリカさんは甘味ばかり食べていて、さ」


 ルイの言葉が途中で途切れ、違和感にルカも気付く。

 自然と口から出た名前は、灯ではなかった。お互い違和感を指摘する余裕はなく、ただただ灯ではない名前に驚く。


 アリカ、と小さく呼べば、その少女を思い出した。


 漆黒の長い髪が印象的だった。色白の肌に、二重の瞳も黒。ガランスでは珍しい見た目で、どんな袴姿でも他とは違う雰囲気を醸し出していた。か弱く自らの魔力を制御出来ないくせに、逃げずに立ち向かう強さを持つ。


 ルカさん、と最後に呼ばれたのが、いつだったか。

 アリカと過ごした時間を灯に置き換えて、赤の他人のように接した。名前を呼んで欲しいと言われたのに、呼べずに傷つけた。


 目頭が熱くなって、泣きそうになった。泣き顔を見られたくない。両手を額に寄せて顔を伏せれば、ルイが声を上げる。


「何これ。凄く、頭がくらくらする」


 ルカの視界の隅で、後ろに倒れ込んだルイの姿が見えた。腕で瞼を隠して、ヨルには見えないように一筋の涙が頬を伝う。


 頭の中が混乱しているのは、ルカと一緒だ。


 何が起こっているのか。全く分からない。一緒に日々を過ごしていたはずのアリカの記憶があって、灯と呼んでいた少女との記憶もある。


 それでも、ピヴワヌやトウゴが正しかったのだと思い知らされた。

 唇を噛みしめたルカは黙り、ルイが呟く。


「愚兄…説明して」

「一時的に、お前達はアリカを忘れていた」


 淡々と述べるヨルは事実で、メモを閉じた。


「忘れていたのは、ガランスにいた人間だけだ。そうなった経緯は、俺じゃなくてイオに聞け。今は――ゆっくり休んだ方がいい」


 普段とは違う優しい声に、涙腺が緩みそうになる。

 和菓子を口に放り込み、お茶を一気に飲み干したヨルが立ち上がった。そのまま部屋に出て行こうとして、ふと足を止めて話し出す。


「アリカについては、俺よりもお前達の方が知っているよな?」


 それは最初にルイが投げかけた質問の答えだった。


「それから勘違いを訂正しておくが、俺に確認するように頼んだのはピヴワヌだ。ついさっき灯とかいう奴が消えたから、アリカの記憶が戻るか確認するように頼まれた。それも含め、落ち着いて話をするのは後日だな。今日はルイに頼む仕事はないし、夕食を食ってから家に帰って来いよ」


 じゃあな、と言い残して、ヨルはさっさと部屋から出た。

 二人きりになり、お互い暫く無言になる。沈黙を破ったのは起き上がったルイで、こたつの上に腕を伸ばした。


「あーあ。僕はピヴワヌ様に会ったら、物凄く怒られそうだ」

「お前、アリカに酷いこと言っていたよな」


 涙を拭ってルカも言い、食べていなかった和菓子に手を伸ばす。

 爪楊枝で半分に割れば、紅の花の中は白。もう半分にして口に含むと、白餡は控えめな甘さで、思わず頬を緩めてしまう。

 この場にアリカがいて和菓子を食べたら、きっと瞳を輝かせて美味しいと言っただろう。ピヴワヌも喜びながら、一緒に食べるに違いない。


「次に会った時は、俺は名前を呼ぶよ」

「そうだね。僕は一応愚兄と喧嘩をしなくなったことを報告するかな。ちゃんと仲良くしているよ、と」


 その次が、いつ訪れるのか。


 それを言ってはいけない気がして、ルカはもう一口和菓子を口に運ぶ。もう一度、会えると信じて顔を上げる。春になれば窓の外の雪が自然と溶けてしまうように、当たり前だった日々に早く戻りたいと強く願った。

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