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Last Crown  作者: 香山 結月
第4章 灰明かりの人々
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68-4 Side瑠璃

 時間の流れは止まらない。


 初めて訪れた家の中。茶の間のカウンターの椅子に腰かけていたネモフィルは、後ろを振り返ることなく耳を澄ませた。静かな部屋では少しの音でも響くが気にせず、温めた甘酒の入った湯呑を冷ます。


 熱くて飲めない甘酒を冷ます間にも、無言の空気が続く。

 腕を組んでソファに座り、瞼を閉じているピヴワヌも。台所に立ち、甘酒の鍋を温めているトシヤも。甘酒片手に外を眺め、背を向けて座っているトウゴも黙っていた。


 そんなに待たずとも、待ち人はやって来る。

 それは確定。勢いよく扉を開ける音に、ピヴワヌの肩が揺れた。トシヤの手が止まった。トウゴは立ち上がり、ネモフィルだけは動かない。


「ちょっと、なんで皆揃っているの!?」


 叫んだ少女の声は初めて聞く声で、後二人分の足音が聞こえた。その足音の一つは引きずるように重く、速度は遅い。


「げ」

「…ユシア」


 嫌そうな声を出したのはトウゴで、トシヤが小さく少女の名前を呼んだ。


「灯ちゃんが具合の悪い時に、家に帰っているなんて聞いてない!トシヤは領主の家にいるって言ったのに、どういうことよ!トウゴ!」

「えー、俺が説明するの?というか、キサギまで連れて来て」


 最悪だ、と呟きが続いた。

 呼んでいない人物のもう一人は、キサギと言う名前。それを把握したところで、金輪際関わるつもりはない。誰かの咳き込む音が聞こえたが、ネモフィルは甘酒をすすった。


 騒ぐユシアがトウゴに突っかかり、部屋の中が騒がしい。

 甘酒を飲み干してから、ネモフィルは椅子から立ち上がる。

 振り返れば、部屋の入口に灯がいた。目が合えば気まずそうに顔を伏せ、その身体を支えている青年がいて、ピヴワヌは動かない。


「時間ね」


 とても小さく呟けば、ようやくピヴワヌは瞼を開けた。


「時間か」


 独り言はネモフィルには聞こえたが、他の人間には聞こえていない。一歩後ろにトシヤが立ったのを確認して、ゆっくりと口を開いた。


「ちょっと、いいかしら?」


 灯の肩が揺れ、ネモフィルの存在に驚いたユシアが静かになった。何となくトウゴの後ろに移動するユシアには目をくれず、狙いを灯に定めて言う。


「久しぶりね、灯」


 名前を呼ばれて、真っ直ぐにネモフィルを見つめる瞳には見覚えがある。


「ネモ」

「あらあら、貴女は何に怒っているの?体が弱っていること?精霊達が力を貸してくれないこと?その理由なら、もう分かっているでしょう?」


 挑発すれば、簡単に表情が変わった。具合が悪そうで真っ白だった頬に、赤みが増す。怒り、感情を押さえつけようとする表情は、たった一度だけ見たことがある。


 キサギの支えを拒否した灯と向かい合い、一対一で会話をするのは二度目。

 五十年前は拒絶されたが、今回は引く気はない。


 重たい腰を上げたピヴワヌが、トシヤ以外の三人を後ろに移動させた。自分だけは前に出て、ネモフィルと挟む位置になるように灯の背後に立つ。


「自分が何者か。本当に気付いていないのか?」


 灯、とピヴワヌは優しく名前を呼んだ。決着をつけようと話し出し、両手を強く握っていた。言いたいことがあるだろうと、ネモフィルは口を閉ざす。


「お主は儂の主だった。ずっと…ずっと儂と契約を交わしてくれたことには感謝している。儂を救ってくれた日から、いつも傍に置いてくれて、一緒に戦えて良かったと。心の底から思っている」

「何を…言っているの?ピヴワヌの主は、今も私でしょ?」


 縋るように言った。伸ばそうとした手を見て、ピヴワヌは口を横に振る。


「前にも言った。儂の主は、お主じゃない」


 断言して、憐れむような眼差しを灯に向けた。無理にでも笑おうとする灯の右手が何も掴めず、胸元辺りで両手を強く握った。


 泣きそうなのは、ピヴワヌも灯も同じだ。

 どんなに言葉を重ねても、どんなにお互いが望んでも過去には戻れない。


「今の主は、か弱いのだ」


 零れそうになる涙を拭わず、ピヴワヌは肩の力を抜いて語り出した。


「戦うのは苦手で、怖がりだ。平気なふりして笑うのは下手で、悲しいことがあれば泣き、意見が合わずに喧嘩をすることもある。目を離せば厄介ごとに巻き込まれて、儂の苦労が絶えない主でもある」

「それなら私の方が――」

「だが、儂はアリカを選ぶ」


 遮った言葉に迷いはなく、灯の瞳が揺れた。


「契約をしていた主とは言え、これからは友を護りたい。灯にとって足手まといの存在ではなく、アリカの隣で対等な存在でいたいのだ。それが今の儂の本心だ」


 締め括れば、力なく灯の身体が崩れ落ちた。

 立ち止まってしまったのは灯で、ピヴワヌは前に進む。その足を止めることなど、誰にも出来はしない。人も精霊も関係なく、想いは誰にも止められない。


 トウゴが駆け寄ろうとしたユシアを抑え、他の誰も傍に寄らない。ぽたぽたと床を濡らす涙を零しながら、座り込んだ灯は顔を上げてトシヤを見た。


「トシヤも…私から離れるの?」

「ああ」


 短い肯定に、ユシアの小さな驚きが零れた。

 苦しそうで悲しそうな表情は、灯を想ってじゃない。


「あの子を、思い出したの?あの子は私の代わりなのに?」

「アリカは最初から、誰の代わりでもない。俺のことを知っているように話していたけど、俺は貴女のことを何一つ知らない。貴女が言うトシヤは――俺じゃない」


 涙が溢れていた瞳が、大きく見開いた。泣きながらも、灯はトシヤに笑いかける。


「同じ、だよ。いつも貴方は最期に、同じことを言うもの」


 とても弱々しい声だった。

 立ち上がろうとする灯に対して、ネモフィルは一歩踏み出す。

 闇の力を宿していると話に聞いていたが、怖くはない。そもそも出会った時から気付いていたが、今の灯に力はない。奪っていたアリカの魔力は微かにしか感じられず、精霊達の魔力を供給することなければ自然と消えたかもしれない存在。


 そうだとしても、ネモフィルは灯に終わりを与えるために来た。

 立ち上がれなかった灯の傍に立ち、懐に隠し持っていた小瓶を開ける。無色透明、精霊達の魔力を凝縮した液体は光を宿し、蓋を開けて小瓶を逆さにした。


「これくらいで済んで、アリカに感謝してよ」


 頭から液体を被った灯が、驚いた顔でネモフィルを見上げる。

 灯の記憶を持っているのなら、その小瓶の中身が何か瞬時に理解しただろう。光は闇を打ち消し、無に返す。本物の灯であるならば無害であるが、今の灯には毒だ。

 睡眠効果も混ぜ合わせた液体に、顔を顰めた灯は言う。


「随分と手の込んだ真似をするのね。私が憎かったら、即座に命を奪えば良かったのに」

「そんなことをして、アリカに嫌われたくないわ。あの子は優しいの。貴女の命を奪うことすら躊躇して、何か他の道を探そうとする。そんなアリカと約束を交わしたから、私はそれを果たしただけ」

「貴女達が話す彼女と。もう一度、話をしてみ…たかっ、た」


 途切れ途切れになった言葉は消えそうになり、ふらりと身体が床に倒れた。


「灯!」


 耐え切れなくなったピヴワヌが駆け寄り、その頭を抱える。

 身体は徐々に淡い光を放ち、真っ白な光に包まれた。眠るような顔は穏やかで、見えなくなった瞬間に光が弾けた。


 継ぎ接ぎの死体が部屋に残らなくて良かった。残ったのは光の粒で、それすら床に落ちる前に溶けるように消えていく。


 何も残らない。最初からなかったかのような空間は静かで、腰を抜かしたユシアを隣にいたキサギが支えた。


「何、これ?灯ちゃんは、どうなったの?」


 静寂を破ったのは、驚きを隠せないユシアだった。


「消えちゃったの?どこかに行ったの?帰って、来るの?」


 目の前で見ていた光景を信じられない様子に、ネモフィルは何も言わない。ここから先はアリカに関わっていた人間達の役目だ。

 座ったままのユシアと傍にいるキサギの前に回り、トウゴが片膝をついた。


「なあ、ユシア。お前が一緒に暮らしていたのは、本当に赤い髪をした少女だったか?」

「当たり前でしょ!何を言っているの!?」

「よく思い出して欲しい。彼女に初めて出会った時のこと。キサギがガランスに来た時に、力を貸してくれた彼女のこと」

「変なこと言わないで、なんでそんなにしつこく、アリカちゃんのことを聞くの!?」


 ユシアの声が大きくて、部屋に響いた。

 笑みを零したトウゴを見て、キサギも何かを悟って口を押さえる。自然と呼んだ名前を繰り返し、ユシアの頬を涙が伝った。


「アリカ…ちゃん?でもさっき、消えたのは…?」

「思い出してくれて良かった」


 涙を止められないユシアの頭を撫でた後、トウゴは立ち上がった。

 タイミングを見計らったかのように、項垂れていたピヴワヌも立ち上がる。部屋を出て行こうとする背中に、トシヤが叫んだ。


「ピヴワヌ!」


 名前を呼ばれて、扉に手を伸ばそうとしたピヴワヌの身体が止まる。


「アリカは?」


 どうやら事情を知っているのは、限られた人間だけだったようだ。

 ネモフィルは精霊を通して、大方知っている。アリカの現状を、ピヴワヌの心情を。さてなんて答えるかと見守れば、奥歯を噛みしめた後に、ピヴワヌは口を開いた。


「いない」

「…え?」

「アリカはいない」


 とても短く、事実だけ。ピヴワヌはすぐに、トウゴの名前を呼んだ。顔を向けたトウゴに背中を向けたまま、平然を装って言う。


「アリカがいなくなったのだ。加護から与えられた魔力は途切れ、魔法を使う度にお主の命に影響する。あまり魔力を使うな。命を大切にしろ」


 ではな、と言い残すと、振り返りもせず部屋から出て行った。

 残された部屋の空気が悪いこと。トシヤの顔は青ざめ、泣いているユシアの涙は止まらない。キサギは何も言えずに、トウゴは頬を掻いた。仕方がないと思いながら、ネモフィルはため息交じりに話し出す。


「間違っていないけど、言葉が足りないわね」

「確かに」


 小さく同意したトウゴは事情を知っているようで、遠慮なく訊ねる。


「後のことは任せていいのかしら?」

「どうぞ。因みに、どちらまで?」

「あの馬鹿兎を、一人にしておけないでしょ?アリカが戻って来るまで、闇の影響を受けないとは言い切れないの。ここでの私の役目は終わり。暫くの間、馬鹿兎に付き合うわ。また会えたら、貴方には酒でも奢ってあげましょう」

「それは光栄です」


 微笑んだトウゴに笑いかけ、歩き出そうとしてトシヤを振り返った。

 闇の魔力だから仕方がないとか、アリカに会えなくて残念だとか。そんな同情はしない。びしっと指差し、少しだけ驚いたトシヤにはっきりと言う。


「失くした時間ばかりに、目を向けないで」


 それは自分自身にも言えること。

 偉そうな態度であると自覚しながら、真っ直ぐに見つめる。


「事実を受け止めたら、立ち止まらずに歩き出しなさい。その先に何があろうと、歩みを止めたら何も見えないわ。後悔している暇があるなら、前を向いて未来(アリカ)を探して」


 言いたいことを述べたネモフィルは、トシヤの返事を待たなかった。

 颯爽と歩き出せば、分かった、と声がした。気のせいかもしれないが、聞こえた声に口角は上がり、今度こそ部屋を出た。

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