68-3 Side牡丹
太陽が昇った青空の下、約束した場所に到着したピヴワヌは顔を顰めた。
見慣れた家の敷地の中は、雪かきを終えた跡が残っている。小さな庭の隅に雪山を作り、雪かきをするように頼んだトウゴは、玄関の前の階段に腰を下ろしていた。トウゴとは顔を合わせるのは問題ないとして、その傍に立っていた存在が気になった。
「…何故、小僧がいる」
独り言は聞こえなかったようだが、足を止めたピヴワヌには気が付いた。
ふと目が合ったトシヤは、何とも言えない表情を浮かべる。後悔と謝罪、悲しみなどの感情を読み取れても、この場にいる理由はない。
そもそも起きたのかと思いつつ、人の姿で堂々と踏み出した。
「小僧、何故いる?」
「ピヴワヌ様、第一声がそれなの?雪かきを頑張った俺を褒めて欲しかったのに」
赤くなった手を温める素振りを見せたトウゴを睨んで黙らせ、トシヤに目を向ける。
「答えろ、小僧。どうして、ここにいる?」
目が覚めたとしても、覚めなかったとして呼ぶつもりはなかった。
じっと見つめれば、トシヤは固く閉ざしていた口を開く。
「アリカの力になりたくて…来た」
トシヤの口から出た名前に驚くが、表面上は隠した。
主である少女を思い出している事実を知り、無意識に両手に力がこもる。表情を消したピヴワヌのただならぬ雰囲気に、頬を掻いたトウゴが口を挟む。
「俺は何も、言っていないよ」
何も、を強調されても、芽生えた怒りは消えない。
トシヤ達が忘れていた間、主であるアリカの泣き顔を何度も見た。悲しませたくせに、傍にいなかったくせに思い出して、力になりたいと言う。
主の力になりたいという想いは、ピヴワヌの方が強いと怒鳴りたかった。
どこにいるのか分からない主の声を思い出し、奥歯を噛みしめ気持ちを抑える。
怒鳴ったところで、行方知れずの主は戻って来ない。どこを探しても名前を呼ばれず、気配を感じられない時間だけが過ぎていく。本来だったら主が帰るべき家に一人で戻って来るべきではないが、主を探しに行く時間を割いてまでガランスに戻って来た。
灯との決着をつける。
ただその為に、ピヴワヌはこの場にいる。
お互いに目を逸らさない。緊張感漂う空気の中で、少し見上げるしかないトシヤの瞳に青い光が映って見えた。ピヴワヌの頭上で光り、一瞬で形を変える。
振り返るよりも早く、背後を取られて頭に何かを感じた。
「あらやだ、辛気臭い空気ね」
「…ネモ?」
突然の登場にトシヤは僅かに驚くが、ピヴワヌにとっては不愉快でしかない。
背の高さに加えて宙に浮き、精霊であり見た目は女性の姿をしているネモフィルが、腕をピヴワヌの頭の上に乗せていた。密着している状態で、振り返ろうにも首を動かせない。
「退け、ばばあ」
「あらあら、だって実物に会ったら小さくて。以前は私を見上げることもあったのに、今は楽に見下ろせるのね。ふふ、本当に子供」
笑いを耐え切れない言葉に、ピヴワヌは一瞬で真顔になった。
訊ねたいことはある。セレストから出て来ないはずのネモフィルが、ガランスにいる理由。わざわざピヴワヌに顔を見せる理由。幾つかの質問は即座に頭から消して、代わりに無理やり手で払う。
距離を取ろうとして振り返れば、細く艶やかな濃紺の長い髪が視界で揺れた。青いサファイアの瞳が弧を描き、人差し指を口に当てて言う。
「そんなに怒らないでよ。私はアリカの為に来たのよ」
主の名前に、怒鳴りつけようとした声が喉で詰まった。
深く息を吐き、ピヴワヌは肩の力を抜く。
「一人で来たのか?」
「そうよ」
「儂を呼んだのは、瑞の護人だったのだが?」
「あら、アリカの居場所と取り戻すと、約束を交わしたのは私よ。私が連絡係に透を使っただけの話で、透より精霊である私の方が早く移動出来るもの」
後ろに手を回したネモフィルの足は、地面から数センチ浮いていた。
今朝、透と話した時のことを思い出す。
リーヴル家付近でアリカの気配を探っていた時に、呼んだのはヨルだった。イオを経由し、水鏡を通して透と話をした。最期に灯と会いたかったら、正午にガランスに集合と言われ、待ち合わせた場所が主の住んでいた家だった。
これが最期だと透に念を押されたからこそ、ガランスに戻って来た。
主ではない相手とはいえ、瑞の護人である。もしかしたら主を見つける手掛かりを教えてくれるのではないかと、少し期待していた。ネモフィルと話をしていたなら、約束なんて交わしもしなかったはずだ。
うふふ、と零すネモフィルの声は、どこか楽しそうだった。
「いつか、セレストの外には出たかったの。今回はいい機会だったわ」
「瑞の護人との契約はどうした?」
「再契約をしたのよ。まあ、その話は後にしましょう――長くなる話だから」
付け加えるように言い、身を引くように後ろに下がった。
笑みを絶やさないネモフィルは、ようやくピヴワヌ以外を眺めた。呆然としていたトウゴに微笑み、軽く唇を噛んだトシヤを見て、不思議そうに首を傾げる。
「あら、トシヤも一緒でいいの?」
本人ではなくピヴワヌに向けて、ネモフィルが訊ねた。
「ここにいるのは、我が主を覚えている者だけだ」
「そうよね。最期に呼ぶのは、アリカを覚えている人間に限るよう頼んだはずよね」
約束を交わしたのは透だと、言いたくなった。
直接会って話すのに調子が狂うのはピヴワヌだけで、ネモフィルは気にしていない。場所を空ければ、表情を曇らせたトシヤを上から下まで観察して、にんまり笑った。
軽く踏み出して、その口元をトシヤに耳に寄せる。
「愛の力で思い出すとは、なかなかやるわね」
とても小さな囁きとは言え、ピヴワヌの耳には届いた。
余計なことを言いそうな予感があって、聞こえなかったふりをする。トシヤは何を言われたか分かっていなくて、トウゴに至っては聞こえていない。
鼻歌を歌いながら、ネモフィルは軽々とした足取りで玄関に向かった。
家の中に入る前に、ピヴワヌは声をかける。
「勝手に家に入ろうとするな」
「いいじゃない。まだ彼女が来ないことだし、家の中で待ちましょう」
ネモフィルは振り返ることなく言った。
すぐに玄関にいたトシヤとトウゴに声をかけ、お茶の用意をするように指図をする。トシヤは戸惑いながらも従い、見惚れていたトウゴは慌てて立ち上がった。
二人が先に家の中に入り、その場に残ったのはピヴワヌとネモフィルだけ。
無邪気に笑って見送る背中から、その真意を探った。先程の彼女は灯のことを指し、やって来る手筈は整えているらしい。何をするつもりなのか、詳しく聞いていないことを悔やめば、振り返ったネモフィルが静かに話し出す。
「あとは時間の問題なのよ」
ピヴワヌの心を見透かしたようだった。
微笑みは憐みを含み、今までのふざけた雰囲気が消える。
「彼女は必ず、この家に来るわ。私がそうなるように仕向けたから来ない筈がない。お茶を飲みながら待っていれば、その時は訪れる」
その時を思い浮かべると、ピヴワヌの心が重くなった。
アリカの記憶を取り戻すことで、訪れる未来は分かっていたことだ。一瞬でも二人が並んでいる姿を見たかったと、例え本物の灯ではないとしても最期を望んだことはないと、口に出して言えるわけがない。
それを言った所で、無意味だと知っている。
軽く伏せた瞳を上げ、どうしても聞きたかったことを訊ねた。
「何故、この場所を灯の最期に選んだ?」
「ガランスで最も安全な場所を選んだだけ。他の精霊から聞いたけど、この家は領主の家とも繋がっているそうね。足を踏み入れて分かったけど、光の満ちた温かな場所よね」
「そうだな」
玄関から家全体を見上げたネモフィルに、小さくも同意した。
光に満ち、温かな空間の感覚は精霊にしか分からない。領主の家と繋がっていることは初耳だが、言われて見れば納得してしまう。幾重の結界があり、闇を遠ざけ住人を守る家。
元主らしい、優しい場所は変わらない。
「この家は本当に素敵」
ネモフィルの素直な感想に相槌を打てば、だから、と小さく続いた。
「関わらないでと、拒絶された私の反抗には丁度いいわ」
楽しそうな呟きは、ピヴワヌには意味が分からない。その意味を問う前に踵を返し、ネモフィルは家の中に消えてしまった。




