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Last Crown  作者: 香山 結月
第4章 灰明かりの人々
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68-2 Side利也

 さようなら、と悲しそうな少女の声がした。


 その声を、その泣きそうに微笑む顔を、トシヤは知っている。瞼の裏に見えた少女が消えかけ、伸ばした右手は何も掴めなかった。


「――アリカ?」


 愛しい少女の名前を呼んで、零れた涙を隠すように腕を移動させる。


「アリカ」


 もう一度、名前を呼んだ。

 ここ数日の違和感が消える。心の中で足りなかった何かが満たされ、書き換えられていた記憶が元に戻る。いつも家で出迎えてくれて、一緒に過ごした日々が蘇った。傍にいると誓い、簪を渡したのは一人しかいない。


 泣きたい気持ちを堪えて、深く息を吐いた。

 ゆっくりと腕を外せば、瞳に映ったのは見知らぬ天井だ。トシヤが横になっているベッドの脇にある窓は曇っていたが、その外には青空が広がっていた。


 眠っている間に、夜が明けた。

 あまりにも明るい空が眩しくて、目を細めた。

 今更どんな顔でアリカに会えばいいのか、分からなくて動けない。どんな理由であれ、アリカのことを忘れていた。トシヤだけの話じゃなくても、出会った様子を思い出せば、一方的に忘れていた事実が突き刺さる。


 会いたいと、素直に思った。


 アリカの傍にはトウゴやピヴワヌがいたとして、あの二人に何を言われても、会って話がしたい。泣き顔ではなく、笑った顔が見たい。それだけしか思えない。


 寝ている場合ではないのだと、ゆっくりと起き上がろうとした。すぐ傍で唸り声が聞こえ、顔を向ければ、真っ白な髪の女の子が気持ち良さそうに眠っている。


「もう、たべられないの」


 寝言を零したのはフルーヴで、トシヤと同じベッドにいた。

 毛布をかけずに身体を丸めて、枕はない。うふふん、と嬉しそうな声を上げ、表情は心底幸せそうだった。寒そうに見えるので毛布をかけたいが、その上にいるので動かせない。


 ひとまず起き上がり、部屋の中を見渡した。

 部屋の隅の暖炉で、赤々と燃える火が部屋の中を温める。大きな家具は木製のテーブルと、どう見ても高級なソファ。それからトシヤが眠っていた大きなベッドで、一人で寝るには十分な広さがあった。ベッドの脇の花瓶には花が活けられ、カーテンや扉の色は深緑で統一してある部屋。


 ようやく自身を見下ろすと、服装が変わっていた。

 黒の着物一枚の姿で、触り心地で高価な物だと分かる。寝やすいように結んであった髪は解いてあり、花瓶の隣に髪紐だけは置いてあるが、着ていたはずの一式が見当たらない。


 どうするべきか迷えば、部屋の扉が静かに開いた。

 合図なく扉を開けた人物と、目が合う。


「お、よく寝た?」

「…トウゴ」

「おはよう、だな」


 安心した笑みを零したトウゴの顔を、随分と久しぶりに見た気がした。

 たった数日だと言うのに、懐かしさが心を占める。アリカだけじゃない。トウゴもピヴワヌもフルーヴも、トシヤの傍にはいなかった。三人が別行動を取った理由が、今なら分かる。不思議だと思っていた、全ての言動の意味を理解する。


 何かを言おうとして、言えなかった。

 瞳を伏せたトシヤに、トウゴは勢いよく駆け寄った。そのまま右手を伸ばしたかと思えば、手のひらが額に当たる。あまりに冷たさに頭まで冷え、睨みつけた。


「離せ」

「どっか具合が悪いのか?」

「違う」


 見当違いのことを言われて即答した。

 それでも離れない右手を払い、大きなため息を零して言う。


「トウゴが来たせいで、具合が悪くなった」

「そんな酷いことを言うなよ。俺とお前の仲だろ?」

「ここはどこだ?」


 冗談を無視して問えば、トウゴは肩を竦めた。


「医務室の個室。領主の家の、ね。意識を失う前の出来事は忘れてないよな?」

「ああ」


 意識を失う前だけじゃなく、アリカのことも忘れていない。思い出したことを言えずに口を閉ざすと、トウゴはベッドの下から椅子を取り出して座った。気持ち良さそうに眠っているフルーヴの髪を、撫でる眼差しはあまりにも優しかった。


「まだ起きないと思って、何も持って来なかった。トシヤが起きたなら、食べ物を持って来れば良かったな。食べたい物、あったか?」

「別に」

「顔色悪いから、まだ食欲ないか。三日も寝たわけだし、胃に優しい物から食べた方がいいよな?お粥とか、果物とか?」


 話の途中の言葉が気になり、質問をぶつける。


「三日…?」

「そう、三日。寝ていたら自覚はないか」


 フルーヴから視線を上げたトウゴの瞳に、戸惑うトシヤが映った。

 三日も経っているのは予想外で、その間に何かあった予感があった。トウゴがトシヤの様子を見に来て、フルーヴがベッドの上で眠っている事実。それだけで決めつけたくないのに、二人がトシヤの傍にいることで不安が増す。


「アリカは?」

「え?」

「アリカは、どこにいる?」


 震えた名前を繰り返すと、目を見開いたトウゴが心底驚いていた。


「トシヤ、思い出したのか?」


 頷くのが精一杯だった。沈黙が空間を支配して気まずい。

 視線を逸らそうとすれば、口を開いたトウゴは言う。


「まだ思い出さないと思っていた」

「まだって何だよ」

「だってさ。午後の件を片付けない限り思い出さないはずだって、ピヴワヌ様もカリン様も言っていたから。トシヤが起きてアリカちゃんの名前を出すのは、完全に想定外。寧ろ、もう一人のことを訊ねられたら、なんて答えようか考えていた所だったよ」


 もう一人と言われ、思い出した少女に顔を顰めた。

 名前こそ出さなかったが、アリカそっくりの少女を思い出す。その少女が部屋にいないことに、内心安堵していたのだと今更気が付いた。


 同時に、アリカがこの部屋にいないことに落胆する。

 拳を毛布の上で握りしめ顔を下げたトシヤに、トウゴは静かに問いかけた。


「アリカちゃんを思い出したなら、一緒に行くか?」

「…どこに、だよ」


 トウゴから、まだアリカの居場所を聞いていない。もう一度、同じ質問をする気持ちにはなれず、弱々しく言い返した。


「皆の記憶を取り戻しに」

「…は?」

「アリカちゃんの居場所を取り戻しに。それにトシヤも同行しよう」


 顔を上げれば、とても軽い提案をしたトウゴと目が合った。

 決定事項と言わんばかりに言った言葉を、トシヤの心の中で繰り返す。何をするのか、具体的なことは何も聞いていない。

 今からでも遅くないのなら、どんなことでもアリカの力になりたかった。


 それは本心で、瞳に光を宿したトシヤは力強く頷いた。

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