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Last Crown  作者: 香山 結月
序章 薄明かりと少女
33/507

07-4

 和菓子屋を出た後、人探しを再開したが何も見つからなかった。なす術もなく、手掛かりもない。名前を知っている人すら見つけられなくて、本人を見つけるのは至難の業。


 少しずつ日が伸びているとは言え、空には橙色が混じった。

 あっという間に夕方になり、夜になる前に、亜莉香達四人はケイの店を本日最後の目的地にして、出来るだけ人の少ない市場の外れを歩いていた。

 コウタはアンリを元気づけようと、楽しそうに東市場について説明する。

 表面上は、アンリも楽しそうに、瞳をきらきらと輝かせながら話を聞いて、時々嬉しそうに笑った。アンリが何か質問すれば、コウタは律儀に質問に答え、分からなければ後ろを歩いていたトシヤを振り返る。

 トシヤの隣で、亜莉香はゆっくりと歩く。

 足の怪我を考慮して、トシヤはいつもより遅く歩いていた。

 亜莉香は穏やかな視線を目の前を歩く二人に向けて、声を落として言う。


「アンリちゃん、すっかりコウタくんと仲良しですね」

「だな。少し前まで、アリカに怪我をさせたと落ち込んで、年の近いコウタの接し方が分からなくて悩んでいたのに」


 トシヤもコウタとアンリを見ていた。

 まるで昔を懐かしむような表情で、トシヤは言う。


「あれだな。アンリは、最初の頃のアリカに似ている」

「そうですか?私、あんな風だった自覚はありませんよ」

「そっくりだろ。アリカも、アンリみたいに瞳をきらきらさせていた。見るもの全てが物珍しくて、きょろきょろしていた」


 思い出し笑いをするトシヤに、亜莉香の顔は少し赤くなる。


「そんなことはない、と言いたいのですが…でも実際、本当に何もかもが初めてのことで、色んなことに目を奪われました。まだ二ヶ月程度しか経っていないのに、随分と昔のことのようです」


 しみじみと言い、トシヤは笑うのを止めた。亜莉香は当時を思い出して微笑む。


「まさか出会ったばかりの家に住むことになり、毎日がお祭り騒ぎで食事をするなんて、思いもしませんでした。最初の頃は、夢のようでしたよ」

「それは悪夢か?」


 冗談交じりのトシヤの声に、いいえ、と亜莉香は首を横に振った。


「ずっと続いて欲しい、素敵な夢です。初めは早く家を出ることも考えていたはずなのに、今では皆さんの食事が心配で。その考えは頭の隅に追いやられてしまいました」

「それは助かる。アリカがいないと、また野菜炒め生活に逆戻りだ」


 トシヤの言葉を、容易に想像出来た。

 野菜炒めが食卓に並べば、不満を言う人ばかりだ。文句を言いながら食べて、お酒を飲んで騒いで、五月蠅いくらい賑やかな空間になる。

 誰よりも騒がしいのはトウゴで、誰でもいいから近くにいる人に絡む。

 ユシアは酒が入れば喋り続け、ルカは逃げようとするが大抵ユシアに捕まっている。

 ルイは傍観者を貫き、始終にこにこと笑っていて、トシヤは皆の世話で忙しい。


「私は好きですよ、野菜炒め」

「そう言うのはアリカだけだな。そのうちユシアにも料理教えてやってくれよ。あいつ、レタスを千切りにしろ、と言ったら、力任せに千切って見るも無残な形にしたからな」


 遠くを見ながら、トシヤは言った。亜莉香は笑いを耐え切れず、口元を隠す。

 その笑い声に、前を歩いていたコウタとアンリが振り返った。何でもない、と笑いを耐えるトシヤが言い、二人は首を傾げる。亜莉香の様子が気になりつつも、コウタとアンリは前を歩き続ける。

 笑いが落ち着き、亜莉香は深く息を吐いた。


「すみません。笑い過ぎましたね。ユシアさんに嫌われてしまいます」

「これくらいで嫌いにならないだろ。けど、家に帰ってもユシアに言うなよ、俺が殺される」

「分かりました」


 分かりました、と言いつつも、ユシアがレタスを切る姿が頭に浮かんで、亜莉香はまた笑いそうになった。楽しそうな亜莉香の姿を横目で確認して、トシヤが話題を変える。


「家と言えば、アンリの家はどこらへんか聞いているか?コウタは通り道で家まで送って帰れるけど、アンリの家については、俺は何も聞いてない」

「私も、聞いていませんね」


 突然の質問に答えて、亜莉香は真面目な話をする。


「アンリちゃん、あまり自分のことを話してくれなかったので。警備隊の知り合いとお兄さんがいることは分かっているのですが…アンリちゃん自身がこの街では有名らしくて、ルイさんはアンリちゃんを一目見ただけで誰なのか分かったみたいです」

「ルイの知り合いか」

「貴族、でしょうか?」


 聞きたくて聞けなかった亜莉香の質問に、トシヤは軽く頷いた。


「見た感じ、貴族だろうな。ルイと他に、何か気になる話はしていたか?」


 トシヤの質問に、亜莉香はルイとアンリの会話を思い出す。

 喧嘩腰で話しかけたルイが印象的で、同時にアンリが言っていた言葉が頭に浮かんだ。


「アンリちゃん、ルイさんのことをリーヴル家の人間と言っていましたよ」

「リーヴル家?」

「知っていますか?」


 亜莉香の質問にトシヤは腕を組んで考えて、いや、と否定した。


「どっかで聞いたことがある気がするけど、どこで聞いたか忘れた。けど、家名を持つならルイも貴族だな。それなら、ルカも貴族か」


 貴族らしくないけど、とトシヤが付け足した。

 心の中で亜莉香も同意。


「貴族同士でも、誰もが仲がいいわけではないのですね。ルイさん、家名の話をすごく嫌がっていました。今の僕には関係ない、と怖い顔で」

「あいつ、怒らせると怖いからな。名乗ってないわけだから、こっちから話題にしない方がいいだろうな。気になるけど」

「私も、気になります。あまりにも二人の仲が険悪だったので。聞かなかったことにするのが、一番だとは思うのですが」

「それでも、関わったら知りたくなるものだろ」


 まるで自分に言い聞かせるように、トシヤが言った。

 はい、と素直に亜莉香は頷く。


「知りたい、です。余計なことをしている自覚はあるので、本人に気付かれないように」

「俺も気になるから、ちょっと調べてみる」

「すみません。巻き込んでしまって」


 申し訳ない気持ちで亜莉香が言えば、優しい顔のトシヤの右手がそっと亜莉香の頭に乗った。顔が下がっていた亜莉香の頭が、ぐしゃぐしゃになる。


「謝るなよ。俺も気になるから調べるだけ」


 突然触れられて、すぐに手が離れた。

 亜莉香は顔を上げられず、トシヤは気にせず歩き続ける。顔が赤くなったのは亜莉香だけだった。意識していることに気付かれないように、そっと肩の力を抜いた。

 髪を直し終えた亜莉香に、トシヤがふと思い出したような声を出した。


「あ、俺からも聞いてもいい?」

「はい、何でしょうか?」


 ちらりと亜莉香を見て、トシヤは遠慮がちに言う。


「アンリと二人でいる時に聞いたけど、笑う門には福来る、が口癖の親友がいたのか?」

「いましたけど…」


 予想外の質問に、恥ずかしさは一気に引いて言葉に詰まった。

 何を言えばいいのか分からず、亜莉香は黙る。アンリから聞いたに違いない、と思うが、どこまでアンリが話したのは分からない。亜莉香の無言を、話したくない、と勘違いしたトシヤが、前を見据えて話す。


「アリカも自分のことをあんまり話さないから。どんな親友だったのか気になって――言いたくないならいいけど」

「言いたくないわけではありませんよ。話す機会がなかっただけで」


 そうですね、と亜莉香は一呼吸を置いた。


「前にいた場所で、唯一どんな時でも助けてくれた親友、でしょうか。幼馴染で、幼い頃から一緒でした。毎日楽しそうで、何でも笑って何とかしてしまう。私とは正反対の性格の、逃げ足だけが速かった親友です」


 親友を思い出し、亜莉香は笑みを零した。親友のことを思い出すと、足取りが軽くなる。


「おそらく友人よりも家族に近くて、兄のような存在でした」

「兄…と言うことは、その親友は男?」

「はい。同い年で、見た目は女の子みたいに可愛い顔をしていましたよ。ルイさんには負けますけど」


 親友の顔を思い出して、亜莉香は笑った。

 自然と零れた笑みに気付いたトシヤが口を開く前に、明るく言う。


「身長は、そうですね。トシヤさんと同じくらいでしょうか。家が近かったので、小さい頃はよくお互いの家を行き来して、遊んでいましたけど。最近は時々一緒にご飯を食べる程度でした。彼、人気があったので。私が傍にいると女の嫉妬が怖いのですよ」

「女の嫉妬?」


 何それ、と言わんばかりに首を傾げたトシヤに、亜莉香は人差し指を口に当てた。


「秘密です。知らない方がいいですよ」

「それは教えてくれないのか」

「聞かない方がいい話もあるじゃないですか。それで、ケイさんには最初に頃に話した記憶があるのですが…私がいつも付けている髪飾りをくれたのが、その親友です」


 歩きながら、亜莉香はトシヤに背中を向けた。

 長い髪をまとめている、黒い花のちりめん細工の髪飾りは、何年も昔から変わらない。地味で、何度か壊れかけた髪飾りは、その度に親友が作り直してくれた。


「近くで見ますか?」

「いや、そこまではしなくていい」


 髪飾りを取り外して見せようとした亜莉香に、トシヤは即答した。分かりました、と言って、亜莉香は言葉を続ける。


「この髪飾り、お守りみたいなものなのです。いつも身に付けろ、と親友が五月蠅くて、毎日髪をまとめるのが習慣になってしまいました」

「お守り、か」

「今のところ、ご利益はありませんけどね」


 楽しそうに、亜莉香は親友のことを思い出す。隣にいるトシヤに少しでも親友のことを知って欲しくて、いつも以上に口数が多かった。

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